第60話:ヒーロー達の運命予兆
先に宣告しておこう。悲しいことが起きる。
どうにもならないことが起きる。
絶望に等しいことが起きる。
心が歪み、苦しくなる、そんな出来事が起きる。
人間は苦しいことは苦手だが、苦しいことが唐突に起きるのはもっと苦手だ。
だから、宣告しておく。悲しいことが起きる。
どうにもならないことが起きる。
絶望に等しいことが起きる。
備えること。俺たちにできるのはそれくらいしかない。
☆★☆★☆★☆★
「世の中には大げさな表現が蔓延しすぎてますよ。新島さんも気をつけてくださいね」
星空のマンションの室内。あゆと美月の選考を見ている最中に、彼女はそんなことを言ってきた。
「例えば、一次選考会――その難易度は、新島さんの思われてるほど厳しいものではありません。生徒がちゃんと考えて、諦めずに対応すれば、キチンと攻略できるように作られています」
真白さんの足がぎゅうと俺の後頭部に当たる。俺は後ろから彼女に踏まれた状態で、試合を鑑賞していた。スクリーンは二分割され、右側では美月が、左側ではあゆが、紅先生相手に戦っている。
美月は、紅先生のレーザー刃を吸収し、白色の巨大なビームを放つ。
あゆは、紅先生から距離を取りつつ、無数のミサイルを撃ちだしていた。
両者とも健闘しているが、対する先生の動きには“差異”があった。
「一次選考の先生方は、生徒の能力や対応に合わせて、実力を調整してくれます。
強い生徒には、本気の力で、弱くても見込みのある生徒には、様子見をしてくれます」
俺は目の前で展開されている試合を見る。
美月相手の紅先生は無言で行動が素早く、まさに“全身全霊”を尽くしている印象を受けた。
他方、あゆ相手の紅先生は、どこか隙のようなものがあって、余計な講釈や、台詞などを流している。
映像として“客観的に”、そして“見比べながら”鑑賞するとよくわかる。
紅先生の実力は、生徒によって『明らかに』変わっている。
「具体的には、先生方には見込みのあるヒーローには、『少しだけ』強い存在として立ちはだかるように、お願いされてます。新島さんも、試合を見ていて、何となく気がついたでしょう?」
「まあ、そりゃあ……」
俺は自分の試合、狗山さんの試合、生徒会長の試合を、それぞれ思い出す。
言うまでもなく、先生の対応の仕方は、生徒によって変わっていた。
俺の戦いにおける紅先生はどことなく手加減していた印象を受けたが、狗山さんの戦いにおける電極先生は『明らかに』本気で戦っていた。
「ですから、生徒たちが一次選考を突破するためには、『自分より強く設定された』先生と戦った時に、どう向き合うのかが試されているんです。――ですので、単純な強さ以上のものが求められているわけですね。逆境を乗り越える意志、とでもいいましょうか?」
「意志ねぇ……」
またその言葉か。と、思わないでもない。ヒーローらしいとは思うが。
「まあ、逆に君島さんのように、先生が調整する余裕がないくらい“強くなりまくる”って方法もありますけどね」
「あれは、例外にカウントしていいだろ」
「少なくとも、ヒーローらしい戦い方ではないですね。
ともあれ、一次選考会を難関だとか、僅かな人間しか勝ち残れないとか、オーバーに考えてはいけません。おそらく、このままですと、二次選考会に進む人は、一年生では三十人以上はいると思いますよ」
「……ああ、そういう話をしてたんだっけか」
もともと、俺があゆ達の戦いを鑑賞していて「一次選考会って難関だよなー」と口を滑らしたことから、真白さんが解説を始めたのであった。
前々から感じてたことだが、真白さんは説明が大好きだ。ライフワークと言い換えてもいい。
まるで世の中のことは全て自分が解説しないと気が済まないといった様子で、ことあるごとに俺は講釈を受けている気がする。
クロさん程でもないにしても、彼女の博識ぶりには舌を巻く勢いで、学ぶことも多い。が、事あるごとに解説を行ってくる彼女のスタンスが、面倒くさいと問われれば否定できない。
「ほら、そんな会話している間に、美月の選考会が終わってしまったぞ……」
結論から言うと、彼女は勝っていた。すげーナチュラルに勝利を得ていた。
美月の能力は、具体的にはよくわからんが、相手のエネルギーを吸収し、自分のエネルギーとして放つことができるものであった。
入学を決めてから2ヶ月と少し。
美月の変身モードには、一緒に暮らしてることもあり、ちょいちょいお目に掛かって入た。が、こうしてちゃんと見たのは久しぶりである。
おそらくGW以来だろうか。
前にも少しだけ触れたが、狗山さんと美月が共闘を果たし、トレーニング広場の怪獣たちを瞬殺したことがあった。
あの時の俺は美月にほとんど注目していなかったが、今考えると認識が甘かったかもしれない。
彼女は強い。ケレン味など一切ないくらい。明白に。
今回の担当教師は、紅先生であったのだが、美月は、先生の放つ攻撃のほとんどを吸収し、お返しするように放っていた。
エネルギー弾も、無数の刃も、竜巻も、関係ない。
まるで作業ゲーだ。
シンプルだが、それ故に無敵。怖ろしい力である。
「ああ、勝ちましたね」試合を見ていた真白さんも、そう軽く言っていた。
以前、美月に『変身名』を尋ねた時、こう答えていた。
「――んー、んー、今は候補があってね、変身名《生死遊園》か、《私営占有》でね……」
「いや、怖すぎだろ……」
ぜひ改名を要求する。俺が聞いたのは5月頭の話だが、心変わりしてくれていることを祈る。
「まあ、ヒーローらしくはないですね」俺の話を聞いたか聞かないのか、真白さんがそうコメントしてくれた。
「……で、あゆも勝ちそうだな……」
あゆも心配なさそうであった。同じく紅先生と激突しているのだが、遠距離からの攻撃に優れているあゆは、紅先生の強力な物理攻撃を避けた状態で、地道に体力ゲージを削っていた。
「川岸さんは凄いですね。右腕から『何でも』発射できるって――あれほど汎用性が高い能力はそうそうないですよ。レアですよ。レア」
「便利だよな、あれ」
「ヒーローの能力は、個人の深層意識が関わってくるものであり、本人の性格や、それまでの生活環境に左右されるんですが、あゆさんみたいなケースは珍しいです。純粋な気持ちでのヒーローへ愛が生み出せるものでしょうか……。正直、Dクラスの生徒とは思えない実力です……」
「あー、この前知ったんだけど、あゆは学科がな。勉強が致命的にダメらしくてな……Dクラス落ちは、多分それが原因だ……」
俺たちのヒーロー学園――大平和ヒーロー学園にも、中間テストは存在した。
その内容は、これまでのヒーローの歴史や、怪獣の種類、変身装置の扱いの規則など、この学校独自の授業が多数を占める一方で、国語数学理科社会という、最低限の高等教育も、国が出す基準を満たすだけ学ぶ必要があるのだ。
で、三学期制をとっている我が学校では、学期ごとに前期・後期のテストが二回ある。
5月の中旬に行われた“それ”に対し、俺は生徒会長と君島さんのハードでマッドネスな講座により、学年順位18位という、数字上見れば秀才に入る点数を確保したのだが、
――あゆは学年187位という可哀想な記録を樹立したのであった。なお、一年生は全部で190名である。
「戦術も詰めが甘いところがありますね……ただ、先ほどからたまにとんでもない行動力を発揮しますね。ほら、紅先生が肉体を変化させたところ、普通だったら逃げるのが普通ですが、あゆさんは立ち向かっています。この発想、常人では思いつきません」
「まあ、定石とか無さそうだしな、アイツ……」
ノリで戦ってそう。
でも、それで圧倒しているだから、怖ろしい。
「何も考えていない――読み合いの放棄をしてくる敵は、ある意味厄介ですよね。
それでいて本能なのか、誘導とかには引っかからないみたいですし」
「直感だけはいいからな……」
まさしく獣のごとし、であった。
そうして、俺が多くを語ることもなく、そんな必要もなく。
勝負は――決した。川岸あゆの勝利であった。
二人は、一字選考を、突破した。
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『やー、やー、美月ちゃん、勝ったよぉ――!』
訓練室のドアの開放と同時に、あゆはそう言って美月に抱きついてきた。
『むぎゅう』
『いやー、厳しい戦いだったけど、私の右腕についたこの《全壊右腕》のお陰で、どうにか切り抜けることができたよ! 紅先生がパワーアップしてきた時はどうしようかと思ったけど、ボス戦には最終形態はよくあるからね。私にしては焦らず対処できたかな! これもある意味成長の結果なのかな! 頑張ってきたことが報われたってことなのかな! ねえ、美月ちゃんはどう思う? ――って、美月ちゃん大丈夫? どうして倒れてるの!?』
『きゅう』
神の視点から見ている俺たちには、ぼーっとしていた美月の横合いに、いきなりあゆがショルダータックルをかましてきて、マウントポジションをとって、ガクガクと上半身を揺らすまでの光景が、一部始終映っていたのだが、あゆは気づいていないようであった。
いや、気づけよ。
『だ、誰がこんな非道なことを……』
お前だよ。
『まさか、ゴルゴムの仕業か……』
お前だよ。ゴルゴムもこればかりはとばっちりだよ。
『……拝見してましたところ、貴方が美月様を床に倒したようですが――』
と、訓練室にいた生徒の一人が、見かねたように声をかけてきた。
――あれ、こんな生徒いたっけか。
『えっ……、あ、あれ……』あゆは戸惑うような声を上げる。
『いえ、だから、貴方が美月様にタックルを仕掛けて床に倒したのでは――』
『あ……』
あゆはそう指摘されて、ようやく自分の状況と、美月の状況と、これまで自分がしてきた行動を思い返す。顔が「やっちまったぜ……」みたいな青々としたものに変わっていく。
一方の美月は、いきなりの襲撃に驚いたのか、目をくるくると回して口を開けていた。
この5秒後、川岸あゆは土下座をする。
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『ご無事でしょうか……、美月様?』
『う、うん……ありがとう、猿飛さん』
美月は、あゆに指摘をしてくれた少女にお礼を言った。背の小さい黒髪の女の子であった。可愛らしい。雰囲気はクロさんに似てるかもしれない。無表情で、人形みたいで、彼女に年下の妹がいたらこんな感じだろう。
『ちなみに、僭越ながら私も一次選考を突破させて頂きました。二次選考ではお手柔らかにお願いします』
『あ、そうなんだ、おめでとう。涼子ちゃんに報告してあげてね、多分喜ぶから』
『かしこまりました、美月様』
『あと、あんまり“様”って呼ぶのをやめてね……』
美月が困ったような笑顔をする。彼女がクラスメイト(?)にキチンと断りの反応を示すのは珍しいことであった。こういう姿を見ると成長したなあとしみじみ思う。
『あ、あの……そろそろ、土下座を止めてもよろしいでしょうか……?』
と、画面外からあゆの声がする。スクロールして確認する。
彼女は土下座の体勢を維持していた。
『あと、30秒は我慢してください。美月様を、押し倒した罰です』
『は、はいぃぃ……』
あゆは困った声をあげる。コイツはむしろ全然成長しないな。ブレないと言い換えてもいいが。
『私はそんなに気にしてないから、いいけど……猿飛さんもムリしないで』
『いいえ、美月様が押し倒されたとあっては、私は涼子様に立つ瀬がありません。美月様を押し倒した狼藉者には、押し倒したなりの罰が必要です』
『あんまり、“押し倒す”って連呼しないで』
他の生徒はもう帰ってるけど、いつ先生が帰ってこないとも限らないんだし、と小声で付け加えた。
猿飛さんは、美月の言葉に納得したのか、
『美月様のご慈悲により、お許しがでました。面をあげてください』
『へへぇぇ~』
と、あゆは水戸の紋所を見せられた悪代官のように声をあげながら、身体を起こした。
ふわーと声をあげながら、あゆは床にへたり込む。
『では、私はこれで――』『あ、うん、ありがとう……』
と、彼女は言葉を残して、姿を消した。画面上からもいなくなった。
「んっ?」思わず俺は変な声を出す。
猿飛さんは、影も形もなく、監視カメラから消えてしまっていた。ど、何処だ、何処にいる?
だが、美月は気にした様子もないようで、あゆに近づいて身体をさすっていた。
『……大丈夫? 川岸さん』
『……う、うん、美月ちゃんごめんね。何だか凄い人だったね。美月ちゃんのクラスメイト?』
『うん、1年Sクラスの猿飛桃さん。涼子ちゃんの昔からのお友達で、普段は忍者をしてるんだって』
『へー、涼子ちゃんの幼馴染で忍者かぁ――――に、忍者っ!?』
あゆは目を見開いて身体を起こした。今までの虚脱感が嘘のようなリアクションであった。
『え、え、ちょっと待って、に、忍者!? 何で、ニンジャ、ナンデ!?』
『落ち着いて、あゆちゃん。ネオサイタマの住人みたいになってるから』
『え、どういうこと? 忍者ってあの忍者? 涼子ちゃんの幼馴染って、お仕えしてるってこと? ――ってか、いない!?』
あゆが周囲を見渡しても、猿飛さんの姿はなかった。
『ああ、猿飛さん。基本的に行動が、隠密だから。人前に姿はあんまり現さないの』
『――え、何、まだ、いるの?』
あゆが困惑した声を上げる。
『えっ、に、忍者だったら、いきなり姿を消すとか、ありなの? 帰っちゃったとかそういうのではなくて』
あゆが混乱してると、何もない空間から声が聞こえてきた。
『ドーモ。アユサン。サルトビモモです』
『ニンジャだぁ――――――――っ!』
あゆが叫んだ。
『え、どうやって消えてるの? それ』
『猿飛さんは忍者だからね。光の屈折とか上手に使って自分の姿を消せるんだよ』
『光の屈折ってスゴイねっ!?』
あゆがビックリしていた。というか、俺もビックリだった。実際、監視カメラの視界からも猿飛桃は姿を消していた。
『そういえば4月頃、あゆちゃんと私とそーちゃんで、涼子ちゃんの寮に遊びに行ったことがあったよね』
『うん、みんなでパジャマパーティーしたよねっ、楽しかった!』
『あの時も、猿飛さんは屋根裏でスタンバっていました』
『マジで!?』「マジで!?」
俺まで叫んだせいで、後ろの真白さんがビックリしていた。
『――左様、学生寮の屋根裏は、私の住処ですので――』
『うわっ、いきなり声が聞こえてきた!? 左様って言ってきた!? 怖っ!?』
あゆが驚きを通りこしてビビっていた。軽いホラー現象だ。
『――私は、涼子様にお仕えする身故、その親友であらされる美月様のこともお守りする必要があるのです――』
『え、何、やっぱ忍者ってそういうことなの!?』
俺がこの場にいられないこともあり、あゆが珍しくツッコミを頑張ってくれていた。
『――然り、私は生まれた時より、涼子様にお仕えしてきました』
『へぇー、そんな昔からの仲なんだ』
日常会話で“然り”って使うやつ初めて見た……。頑張れあゆ、お前のツッコミに全てがかかっている。
『それ故、むしろこうして、忍びとして生きないと落ち着かないのです――』
『そうなんだ。やっぱり、ヒーロー学園っていろんな人がいるね』
だが、あゆは早くも納得しかけていた。早い、ちょっと受け入れるスピードが早すぎるぞ、あゆ。もう少し、疑問を持続させてくれ。
『――言うなれば、私は影です。涼子様や美月様のような光を裏から支え続ける影のような存在なのです――』
ほら、その人『自分のこと影』だとか言ってるよ。中二病患者以外で初めて見たよ、そんなこと大真面目でいう人。
『へぇ、モモちゃんは、偉いなあ』
偉いか!? お前の心のキャパシティ広すぎるだろっ!?
あと、もう下の名前で呼びはじめた!?
俺はチラリと、後方の真白さんを見た。
真白さんの博識さは、すでに周知の事実だ。これまで、狗山さんの能力の解説や、生徒会長の能力の解説など、さまざまな解説を行なってきてくれた。第二の本部○蔵と目される真白さんだ。きっと猿飛さんの能力に関しても、華麗な説明をしてくれるに違いない。
「わ、私からは何とも……ただ、忍者だからこそ、なせる技なんだろうなぁと……」
「おい、頑張れよ解説役!?」
大抵の疑問なら何でも答えてくれるっていう、俺のちょっと前のモノローグはどうなるんだよ!
だが、真白さんも降参のようで何も答えてくれなかった。
語りえぬものについては沈黙せねばならない。
そんな感じだった。
に、ニンジャ、マジこえー。
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『私は別にいいんだけどね。何だか、涼子ちゃんと同じくらい大切に扱ってくれてるみたい』
『――涼子様の大切な方は、私の大切な方でもあります。故に、私がお守りしない道理はございません』
『涼子ちゃんに大切にされてるってのは、……まあ、嬉しいけど』
おい、顔を赤らめるな、幼馴染。
一次選考はまだ終らない様で、美月たちは時間を持て余していた。暇であり、それ故の雑談であった。
『でも、モモちゃん。美月ちゃんには、ソウタ君がいるから大丈夫だよ』
『む』
「おっ」
あゆの言葉に、猿飛さんも反応を示した。俺も反応してしまった。
まさか俺の話を振ってくるとは、余計なことを言うんじゃないだろうな……。
『ソウタ君と言いますと――、一年Dクラスの新島宗太様のことですね』
『知ってるんだ!』知ってるんだ……。
『知っています。新島様は、涼子様と浅からぬ因縁がございますので――』
「…………」
――因縁、ねぇ。だとすると『決闘』のことも知られているわけか。というか、あのお泊り会の時に隠れて参加していたのだとすれば、知っていて当然か。
ただ、今まで俺に接近してこなかったことを考えると、猿飛さんは、『この件』に関しては静観を決め込んでいるのかな。単純に、狗山さんが邪魔しないよう口添えしてるのかもしれないけど。
だが、あゆには関係な話であった。猿飛さんの含みのある言い回しも気にしなかった様で、言葉を続けた。
『そうそう、新島宗太くん! 美月ちゃんの幼馴染で、美月ちゃんのことだったら、ソウタ君が守ってくれるよ。いっつも美月ちゃんのこと、気にしてるみたいだし!』
『――なるほど、左様でございますか』
「おお……」
素晴らしい、ナイスアピールだあゆ。気にしてるって表現は少しだけ恥ずかしいが、それくらいなら構わない。後で選考突破も兼ねて、何か差し入れでもしてやろう。
『そーちゃんかぁ……もう、本当に守ったり守られたりの生活を送ってきたな……』
と、美月は、困ったように嬉しそうに、感慨深そうに悲しそうに、複雑な表情でそうつぶやく。
『美月ちゃんって、ソウタ君とは、どれぐらい昔から一緒にいるのっ?』
『どれくらい……、初めて会ったのが、幼稚園の頃、公園で遊んでいた時のことだったかな』
『古っ!』
美月が記憶を探るようにして語りだす。
それは過去を辿る言葉であった。
『その公園には、普通よりも大きい滑り台が置いてあってね。勇気をだして登ってみたはいいものの、上までいったところで急に怖くなっちゃって、降りられなくなっちゃったんだ。
お父さんもお母さんもその時近くにはいなくて。私、友達と呼べるような子もいなかったからね。一人でどうしよう、どうしようと立ちすくんでばかりいて。もうこのまま一生降りられないんじゃないかって思えてきて。
――そこに、そーちゃんが現れたんだ』
『助けてもらったんだ!』
『いや、下からカメラで盗撮された』
『クズだな、ソウタ君っ!?』クズだな、俺!?
『いや、もちろん、その後登ってきて助けてくれたんだけどね……。その時、私スカートを履いてたし、その後、容赦なく写真を全削除したんだよ』
美月は感慨深そうに言う。いや、全然感慨深くねーけど。かなりの黒歴史だけど。
「そんなことしてたんですか……新島さん」
「い、いやぁ……全然覚えてないな、若気の至りだよ」心なし、後ろの真白さんの踏む力が強くなった気がする。
『――家が近所だったし、それまでも何度か見かけたことはあったけど、ちゃんと話したのはその時が初めてだったと思う。私、小さい頃から引っ込み思案で、人に気を使ってばかりで、上手に他の子と話すことができなかったんだけど――そーちゃんと会って、初めて“本気で怒る”っていうのを経験した気がするんだ……』
『…………』「…………」
――な、なんで、シャシンなんか撮るの!?
――いや、シュミだから。
――シュミなの!? い、いや、ダメ、消してっ。
――これ、フィルムカメラっていって、好きに消したりできないんだよ。オサレだろ。
――うっさい!
――わー、叩きつけやがったー!? ゴウカイに持っていきやがった―、光入れたらダメなのにー!
――しゃ、シャシンなんか、とるからでしょ!
――うっさい、高いとこになんかのぼるからだ!
――し、しかたないでしょ! のぼってみたかったんだから!
――じゃあ、お前はヤマがあったらのぼるのかよ!
――のぼるよ!
――あ、あれ……なんかまちがえた。
いや、ぶっちゃけこれは『創作』だけど、多分、こんな感じだったのだろう。正直、俺はあんまり美月との出会いのことを覚えていない。
前も言ったかもしれないが、俺が気がついた時には、美月は隣に存在していた。太古の記憶はおぼろげで、星の瞬きよりも不確かだった。
いや、楽しかったのは覚えてるんだけどな。具体的なエピソードとかは出てこない。
美月は、ちゃんと憶えているのだろうか。だとしたら、申し訳ない気持ちもある一方で、少しだけ嬉しい。心がふわふわしたような、満ち足りた気持ちになる。
美月の話を聞いていたあゆは、へぇーっと感心したような声をあげた。
『なるほどねー、本当に昔からの仲なんだ』
『そうだね。もう忘れてることの方が多いけど』
『じゃあ、やっぱり美月ちゃんって、ソウタ君のこと好きだったりするの?』
『――ん?』
沈黙。
「ん?」
沈黙。
と、そこで、世界が静寂を告げた。訓練室が、星空のマンションが、俺たちを取り囲む個別の世界が、沈黙することを選択した。
語りえぬことには沈黙しなければならない。
彼女は、今、何を言ったのだろう。
『――――いや、だから、美月ちゃんって、ソウタ君のこと好きだったりするの?』
スクリーン上ではあゆの言葉が響く。
爆弾でも投げかけられたかのように。
言葉なき言葉が世界を包む。
「……だ」
だ?
「だ、大丈夫ですか、に、新島さん……?」
真白さんだ。真白さんであった。声の主は。おそらくこの場において最も“部外者”であった彼女は。いち早く。この衝撃から抜け出すことができたのだ。
俺は接着剤でもつけたかのように開かない口をどうにか開かせ、空気の詰まった笛のような不確かさで言葉を返した。
「ぁ……あ、ああ……なんとか」
一言出しきれば、あとは繋げることは可能だった。ゆっくりと、嫌いな食べ物を食べる時のように慎重に、言葉を紡いだ。
「……った、たく……何だよ、あゆのやつ。いきなり、とんでもないことを言いやがって」
俺は、そうして、心の上澄みを落ち着かせることに成功した。
だが、先刻までの胸の暖かさはもうない。何処かに消え去っていた。春に生まれた竜巻のように、俺の心は今にもあらぬ所へ飛んでいきそうであった。
何が起こるかわからない。そんな。原初的な恐怖があった。
俺は画面を見る。スクリーン上では、沈黙を選んだ美月が、再び口を開こうとしていた。
ゆっくりと。
目を見開く。
息が止まる。
糸で釣り上げられたかのように身体が硬直する。まるで人形だ。
隔てた世界から。
声が。
聞こえる。
『――ううん、そんなことないよ』
美月の声。
画面上からの声。
神の視点――監視カメラから集音マイクを通じた一方的な声。
一方的な視点。
不可逆的でしかない。
『昔、私は自分に誓ったんだよ』
美月の声が聞こえる。
目の前にいるかのような。リアルな声であった。
だが、触れようとしても届かない。
冷たいスクリーンの向こう側。
俺と美月の距離は、どうしようないくらい、遠く、離れていた。
『そーちゃんのことは、絶対に好きにならないって――』
そして、決定的な言葉が投げかけられた。
この日。一次選考会の日程がすべて終了を迎えた。
一年生の合格者は全部で38名。最終選考に進める人数は全部で8名だ。
その8名が最終選考でトーナメントを行い、英雄戦士チームのメンバーが決まる。
戦いはまだ始まったばかりだ。
運命を決める二次試験は――9日後の日曜日に開催される。
これまでの戦いは“予兆”に過ぎない。
未来から迫る“真の動乱”を告げる予兆、本震の前の余震のようなものだ。
これから9日後、本当の運命動乱が、俺に襲いかかることになる。
☆★☆★☆★☆★
宣告しておいたはずだ。悲しいことが起きる。
どうにもならないことが起きる。
絶望に等しいことが起きる。
心が歪み、苦しくなる、そんな出来事が起きる。
人間は苦しいことは苦手だが、苦しいことが唐突に起きるのはもっと苦手だ。
だから、宣告しておいた。悲しいことが起きる。
どうにもならないことが起きる。
絶望に等しいことが起きる。
備えること。俺たちにできるのはそれくらいしかない。
――――だが、俺は“ヒーロー”だ。
悲しいことを、どうにもならないことを、絶望に等しいことを、消し去るための存在だ。
そのための存在だ。
もしも、耐え忍ぶことが人間の限界ならば、俺はその人間を超える。
超越してやる。
備える時間は、祈るためのものじゃない。
覚悟を決めるためにあるのだ。
例え冥府魔道を歩むことになろうとも、それだけは忘れてはいけない。
忘れちゃいけないんだ。
二次試験が始まる。
お休みの時間はもうオシマイだ。
身体は鈍ってないかい?
頭はちゃんと働くかい?
オーケー、ならば、始めよう。
参加者総勢32名。ヒーローとヒーロー。そして怪獣たちの入り乱れるバトルロワイヤル。
許された生存者は8名まで。
地下迷宮――ダンジョントライアルを制覇するのは誰なのか。
こうして、長らく待たせた二次選考は始まりを迎え、“運命の動乱”は世界を揺るがす。
(第四章 ヒーロー達の運命動乱編(前編)――END)
(――――次章に続く)
ついに始まりを迎えた二次選考会、第三層からなる地下迷宮、ダンジョントライアル、32名の若きヒーロー達を待ち受けるものは一体何か――!
ここまで読んでいただきありがとうございます。第四章「運命動乱編(前編)」これにて終幕です。
次話は「登場人物紹介」を予定しています。
明日から一週間ほど海外旅行に出かけますので、第五章の更新は2月10日頃となります。
読者の方々には長期間お待たせすることになると思いますが、そのぶん最高の内容を提供できるよう全力をつくしますので、今後ともどうかよろしくお願いします。