第39話:ヒーロー達の飛翔の時(後編)
その日の夕方、修行を終えた俺はヨロヨロと頼りない足取りで帰路を歩いていた。
ボロボロであった。
ヨタヨタであった。
最終試験を突破したのだから、少しは優しいメニューになることを期待していたのだが、結局普段と変わらない内容で、苦悶と悲鳴をあげながら修行に励むこととなった。
「ははっ――修行が、いつから終わったと錯覚していた?」
「錯覚していた?」
「していた?」
「いた?」
そんな絶望的な生徒会長の声を脳内で反芻させながら、自宅のドアを開けるとすでに電気が点いていた。不思議に思いながら中へと入る。
部屋の奥に進むと――お餅があった。
「…………」
……いや。
正確には、「お餅みたいに」大きく膨らんだ、俺の白い布団が鎮座していた。
「…………」
無言のまま、ぷっくらとした布団を眺める。
「……zZ……」
微かな子猫のような声。聞こえてくる。ラテン文字で表記するしかない、言語化に苦しむ囁き声であるが、その意味するところ、その意図するところ、どちらもよく理解できた。
――ためらいはない。
俺は力いっぱいその布団を――引っぺがえした。
「……くー」
美月だった。
とても気持ちよさそうに寝息を立てている――美月の姿があった。
蹴って、たたき起こしてやろうかと思ったが、いつもならそうするのが通例なのだが、あまりにも安心しきった安らかなその顔を見ていると、気がつけば怒る気も消え去っていた。……もうすぐ起きそうなので優しく揺すってやることにする。
「……んー」
まぶたを擦りながら美月は目を覚ました。
眠り姫の生還。……姫って柄ではないな。間違いない。
「勝手に人の布団で寝てんじゃねえ」
「んー、そーちゃん? おはよ……」
「まだ夜の7時前だぞ」
美月は部屋着を整えながら、時計に目を移す。針は「6」と「9」を指している。6時45分。次に窓へと目を移す。空は夜の帳が下りかかっている。次に俺の顔を見る。目を丸くして頬を朱色に染めている。苦笑い。はにかんでいる。
「……朝じゃなくて?」
デコピンをすると、ぐわっと額を抑えた。
「なんでお前はこんな時間に寝てんだよ」
「いや違うんですよ」
「何がだよ」
のっけから否定からはじめんなや。
「いや、今日も私が食事担当でしょ……そーちゃん帰ってくるまでのんびりしようと思ってて、自分の部屋戻るのも面倒だし、ぼーっとしてきて……」
「してきて?」
「なんてこった――って感じ」
俺は美月のけつを蹴る。
「布団まで出して寝てんじゃねえ」
「いたいー」
自分の部屋で眠れや。
美月は寝起きのせいなのか、蹴られたからなのか涙目を浮かべながら、こちらを睨んでいた。
しかし、美月の言う通り、夕食の準備は済ませてあるようであった。
俺たちはいつも通り食事をとることにした。
「不肖、美月瑞希はお惣菜で夕飯を誤魔化す技術を学びました、えっへん」
「えっへん、じゃねぇよ。手抜きを覚えただけじゃないか」
「でも、冷凍じゃなくてちゃんとご飯を炊いたところは評価していただきたい」
「まあ、……助かってるよ」
二人で食事をとる機会ももはや日常の一つとなっていた。無論、高校に進学する前もそれ以前も一緒に過ごすことは多かったが、こうして一つの部屋でゆっくりとする。というのは今まで少なかったように思える。
中学時代、俺と美月が二人でいる場所は、そのほとんどが『戦場』であった。
教室という名の戦場。それは「自意識」とか「コミュニティ」とか「空気」とか「第二次性徴」とか複雑怪奇な現象に覆われた魔物たちの巣窟であった。
厳しい戦いであった。
冷たい戦争であった。
今の俺たちの安らかな生活は、戦い抜いた成果なのだろう。
魔王を倒してお宝を手にするように、平穏を獲得したのだ。
「そういえば今度、りょーこちゃんと料理することになったよ」
「おー、やっとか。やっとカレーから解放されるのか」
「海外からの香辛料が手に入ったみたいでね」
「あー……」
美月には友だちがいる。俺以外にも。最近は狗山さん以外のクラスメイトの話を聞くようになった。その大抵は失敗談だったが、彼女の努力が垣間見れて嬉しくもあった。彼女は段々と「普通」になっている。それは美月の夢であったし、俺の夢でもあったことだ。とても喜ばしいことだ。
だけど、一方で美月に友だちが増えることで、寂しさを覚える自分もいる。
彼女の友だちの輪が増えるたび、俺の立ち位置は端っこに追いやられていく。分母の数が増えるたび、俺一人分の要素は薄くなる。
それは当然だ。自然の摂理だ。
けど、その当然の事実に俺は困惑をしてしまう。
黒っぽい「良くない感情」が浮かび上がってしまう。
こうした感情を「嫉妬」と呼ぶならきっとそうなのだろう。
ここ最近は特にそうだ。積み上げたトランプを破壊してしまうような、綺麗な氷の彫像を粉々に砕いてしまうような、衝動を見出すことがある。……危険な発想だ。
自分から日なたに誘っておいて、具合がマズくなったら、また暗がりに返すのか。
そんなことをする訳にはいかない。
しかし、俺は、俺のこの感情を、無理やり抑えこもうとは思わない。
この感情も俺を構成する一部なのだから。否定してはいけない。
折り合いをつけよう。
そう思う。
塞ぎこむ必要はない。引き込める必要はない。
うまくやっていきたいと思っている。
(もうすぐ選考会か……)
あと一週間もすれば、英雄戦士チームの選考会がはじまる。
俺は最強のヒーローを目指して戦い、狗山さんと決闘を果たす。
おそらく大変な決闘になるだろう。
今までにないようなものだ。その壮絶さは想像がつかない。
しかし、俺は勝利を収める。皆の力と、俺自身の頑張りによって、狗山さんに勝ってみせる。
そして勝利を終えた暁には、俺は、美月に、この、コイツに…………、
「――おかわり、いる?」
「うおおおおおおおっ!?」
眼前に現れる美月の顔。
いきなりの出来事に思わず身体をそらす。頭を後ろにぶつけてしまう。
美月も俺の声に驚いたのか、すぐさま顔を引っ込めた。
「び、ビックリしたぁ……どうしたのそーちゃん? ――思春期?」
「い、いや、思春期といえば、思春期だけど……」
なんだその理由づけは。
俺は礼を告げながらお茶碗を美月に手渡し、先程までの思考を霧散させる。
まったく。
何を考えているんだ俺は。
美月だぞ。
いや、別に考えていてもいいんだけどさ、何というかあらためて真面目に考えると恥ずかしいものがあるな。というか、最近、戦いが近づいているせいもあるのか、意識が高まってるんじゃないのか。いや、なら、まあ、仕方ないといえんじゃないのか、こう、、なんていうか、大切なことだし、それなりに覚悟を決めとくべきだし、てか、よく考えればさっきまでの思考も、寝てた美月を叩き起こさなかったのも、そうした意識の賜物であって……、
「――そーちゃん、ごはん」
「うおおおおおおっ!?」
いきなり現れた美月の顔に驚いた俺は、思わず身体を反らして(以下略)。
……もうダメだこりゃ。
以前、君島さんは俺に決闘を挑む際、こう言っていた。
《これは想像だが、君は――美月さんが好きだということから逃げている。好きだと伝えることを躊躇している。それは純然たる騎士道などではなく、葛藤の上での妥協だ。
私に勝利した暁には、新島くんには美月さんに対してもう一度告白して貰いたい》
《しかし、新島くんも心のどこかで理解しているはずだ。
――今のままでは良くない。どこかで踏ん切りをつけて、美月さんとの現在の友人関係から脱却しなきゃいけないとな。そして君はそのチャンス心の奥で待ち望んでいる》
《不具合はいつか必ず正さねばならない。致命的になる前に、それがゆがみと化す前に》
「……不具合はいつか正さねばならない、か」
さすが一流のヒーローだよ、他人の分析まで完璧か。
……大当たりだ。
夕飯を終え、適当にダラダラしたあと、美月は風呂に入り(さすがにこの時ばかりは自分の部屋へと戻っていった)、ふたたび俺の部屋にやってきた。
一人暮らしは寂しい。お互いに気を使うことのない俺たちは平然と一緒のテーブルで、一緒にテレビを見てお菓子を食べたりしていた。べつに特別何をするわけでもない。楽しいこととか面白いこととかそういうのを抜きにした関係を保っていた。超越していると言い換えても良い。長年の付き合いゆえの適当さだ。
(ただ、まあ、有り体に言うならば――幸福なんだろうな)
美月がいて、のんびりと、何をするでもなく、暮らす。
これを幸福と呼ばないのなら、俺はたぶん一生幸せにはなれないだろう。
そして俺はこの幸福を維持したいと思う。
俺の中にある黒々とした嫉妬心ともうまく折り合いをつけながら、生きていきたいと思う。
まだまだ、おもしろおかしく過ごしていたいのだ。
(……チャンス、ね)
狗山さんが決闘を誘った意味がようやく判ってきたような気がする。
俺は英雄戦士チームを勝ち抜いて――美月を手に入れなければいけない。
この感情を制御するために。
この気持ち悪い気持ちから、うまく抜け出すために。
ヒーローが変身装置で「人間」を超えたように。
俺は……美月にとって「友人」を超えた存在になる必要が、あるのかもしれない。
「なあ、美月」
「んー」
気の乗らなそうな声が返ってくる。
先ほどから美月は仰向けになりながら携帯ゲーム機をピコピコと動かしている。
これくらいのノリのほうがちょうどいいかもしれない。
「英雄戦士チームの選考会があるじゃん」
「あるねー、そーちゃん本気で目指してるもんね。私のクラスもみんな出るよ。私もでるしー。でも、そーちゃんなら割と本気で天下とれるんじゃないかーって思うよ」
整理するわけでもない言葉の雑踏。そのなかに宝物のような一言を埋め込む。
「その戦いが終わったらさ、話したいことがあるんだ」
「話したいことー?」
美月は目線だけこっちに向けてから、くるんと身体を回転、うつ伏せの状態で表情が見えない状態でそのままゲームのプレイを再開する。
「そうそう話したいことがあるんだ」
「今言えないこと?」
「今言えないことー」
俺がそれだけ言うと「ふーん」と美月から声が返ってくる。
「まあ、それだけだ。とりあえずそれだけ覚えおいてくれ」
美月からの返答はなかった。お互い気兼ねするでもなく会話を断ち切ることは日常茶飯事であった。
ただ、今回はそのまま室内に静寂が流れる。
ゲームの妙にハイテンポなBGMと、美月のボタンを押す音がだけがこの部屋に響いていた。
俺は珍しく気まずい感じになっていると、美月が「私も……」と小声で呟いてきた。
「ん?」
「じゃあ、私も、戦いが終わったら話したいことがあるよ」
「話したいこと?」
「んー、それだけだよ。とりあえずそれだけ覚えてくれればオッケーだから」
まるで俺の口調を真似するように、美月は「それだけだから」と言った。
美月はうつ伏せのままゲームをしているせいで、こちらからは表情はわからない。
ゲームのBGMとボタンを押す音だけが、いつまでも部屋に満ちていた。
その夜、俺は想像した。
もしも、あの時の彼女の表情を覗きこんだら。
もしも、あの時の彼女の耳が赤くなっていなかったか、確認していれば。
どうなってたのか。
あの馬鹿は本気の鉄面皮を作れば、死に際の恐怖だって表に出させない人間だ。
他人に読み取ることは不可能だ。
だが、他人じゃない俺ならば、もしかしたら、見抜くことができたかもしれない。
俺は想像している。自意識がガンガンに高まっている。
もしも、彼女の考えが、俺の考えと、同期したものであったのなら。
もしも、シクロシティという概念が、架空小説の中だけでなく、現実のものとして存在するのであったら。
馬鹿じゃないのか。
いや、馬鹿は俺だ。
俺は高校生にもなって、自分の布団を阿呆みたいにぎゅーっと握りしめたり、身体をぐわぐわ捻ったりして、せきの止まらない感情を、物理的に解消するのであった。
またしばらく時間が経過する。
眠れない布団の中で俺は思考する。
《――さあ、全てはここから始まるのだ》
生徒会長はそう言った。
そうだ、まだ何も始まっていない。
修行の終わりは、戦いの始まりなのだ。
新島宗太、変身名《限定救世主》
狗山涼子、変身名《血統種》
川岸あゆ、変身名《全壊戦士》
葉山樹木、変身名《幻影魔人》
そしてまだ見ぬ変身ヒーローを目指す生徒たち。
和泉イツキ生徒会長に、君島優子副会長、美月瑞希に、多くの先生方。
夜の零時、俺は布団の上で、右手を天井へと掲げる。
何かを掴むように、拳をゆっくりと握り締める。
修行の時間はおしまい。
あとは登りつめるだけ。
飛翔するだけ。
この険しい世界へと、高く飛翔していくだけだ。
その世界の果てに、俺の大切なものたちもしっかりと連れていけたら、それは最高だと思う。
拳を握りしめながら、時間をかけて瞳を閉じる。
拳はまだ天に向かって伸びている。
俺はゆっくりとまどろみに包まれながら眠りにつく。
そうして一週間、二週間、季節は六月へと移り変わる。
本当の戦いが、選考会が、俺の戦いが、やってくる。
英雄戦士チーム選考会、スタートだ。
(第三章 ヒーロー達の修行飛翔編――END)
(――――次章に続く)
ここまで読んでいただきありがとうございますっ!
これにて第三章も終幕となります。次章からは選考会編が始まります。
ただ、その前にこれまでのお話の修正などを行いたいと思いますので、新章のスタートそのものは少々お時間をいただきたいと思います。申し訳ございません。
長くても一週間以内には掲載する予定です。漫画家が一週間休載するのと似たようなものだと捉えていただければありがたいです。
それでは改めまして、ここまで読んでいただきありがとうございます。
読んでくれた方々に報いるような続きを書いていきたいと思います。
次章以降も本作をよろしくお願いします。