第29話:ヒーロー達の安眠妨害
……ごめんなさい。
誰かの声が聞こえた気がした。か細くて、弱々しくて、今にも泣き出してしまいそうな声だった。
……ごめんなさい。
声の主は何度も「ごめんなさい」と謝罪を繰り返していた。
謝る必要なんてどこにもないのに。そう思っていた。
……ごめんなさい。
声とともに視界が薄ぼんやりと開放されていく。
怪獣とヒーロー。壊れた家。眩しい光。この世の終わりと始まりを両方見ているような光景が広がっている。やがて光がだんだんと強くなり、怪獣を包み込み、同時に俺をも包み込む。視界全てが新品のノートみたいに真っ白移り変わる。やがて何も見えなくなる。
……ごめんなさい。
声はまだ聞こえていた。
「だから、謝らなくていいのに」
そう言語化した途端、俺の意識は起動をはじめた。
曖昧な世界は、色を加えたように鮮明になっていき――俺は夢から帰還を果たした。
「…………んっ」
目を覚ます。同時に自分が布団に寝かされていることに気がついた。
ふにぃと柔らかい感触が足にあたる。
(えーっと、ここは……ぶしつ?)
正確には、生徒会の部室であった。
君島さんの裸を覗くこととなったあの場所である。
例え方としてはとんでもないが、それしかよい表現が見つからなかったので仕方がない。
ここに寝かされているということは、俺は気絶してしまったのだろう。
それも結構長い時間だ。ここに運び込まれたのに気づかないくらいには長い時間。
足元から湯たんぽみたいな温かい感触がしてポワポワとする。
(……そういや君島さんが部室には布団があるって言ってたな。まさか役に立つとは思わなかったけど)
頭はまだぼんやりとしているが、精神的にはいくらか落ち着いていた。
この学校に来てから、すでに気絶は何回も経験している。
もう馴れっこであった。気絶するのに慣れるというのも怖い話であるが。
(さて――みんなはどこだ?)
上体をムクリと起こして周囲を確認する。
足元のクッション状の何かが引っかかるが俺は無視して蹴りつける。
相変わらず生活感のある部屋がそこには広がっていた。しかし、人の姿は俺の視界からは捉えられない。テレビに、本棚に、ふすまに、テーブルが端っこに寄せられてるな、そうして隣には俺と同じように布団が敷かれている。
「…………ん」
俺は気がついた。
布団が二つ敷かれている。俺以外にもう一つ。
これは、俺の他にもこの部屋で寝ていた人物がいたことを意味する。
しかし、今は誰もない。布団はもぬけの殻であった。足元からもぞもぞ動く感触がするので蹴りつける。
「…………んん?」
いや、待て。ちょっと待ってくれ。
さっきから、先ほどから、だいぶ無視し続けてきたが、さすがにそろそろ看破しかねるというか、スルーできない段階に移行してきたぞ。
モゾモゾ、
擬音語で表現するとそんな感じだ。
なんかいる。
足元に「なにか」がいる。
絶対に、いる。
「…………」
俺はとなりの布団に誰もいないことを確認してから、ガバっと自分の布団をあけた。
声をかける。
「…………おい、目覚めろ、あゆ」
「……う~ん、もうたたかえないよー」
自分の足にしがみついているあゆを発見した。
あゆは俺の左脚あたりに抱きついて眠っていた。
まるで布団の中に潜り込んできた子猫のようである。
スヤスヤと、気持ちよさそうに安眠している。
さらさらとした短い黒髪、幸せそうな寝顔、布団の中に入り込んで暑かったのか、顔は少しだけ紅潮している。少しだけ汗もかいているようだ。
「……さて」
普通ならばここでドキドキラブコメ展開が待ち受けていることだろう。
だが、俺は冷酷無比のメイドロボみたいな目つきで、あゆの背中をぶっ叩いた。
「おい、起きろあゆ。起きろ起きろ」
「むにゃむにゃ……もうたべられないよー」
むにゃむにゃって本当に言ってる人間を初めて見たわ。
「もう……はらぁいっぱいだぁ」
「お前は500年間封印されてた大妖怪かよ」
口元をだらしなく開けて満足気な笑顔を浮かべてやがる。
あゆ、お前消えるのか……と心配してしまうくらいにはいい笑顔だ。
しかし、俺は笑顔にほだされることなく叩き続ける。
「ほらほら、起きろ、起きろあゆ。起きないとドンドン威力が強くなるぞ」
「んんーん、まだがっこうのじかんじゃない」
「起きろ起きろ、おっぱい揉むぞこのやろう」
「うっうー、もうすこし、もうすこし、ひとやすみひとやすみ」
お前は一休さんかよ。俺はプロの音ゲーマーのような華麗な手つきで背中を叩きながら、一つ妙案を思いつく。とびっきり馬鹿にした口調でこうつぶやく。
「……ああ、そうか、そもそも、揉むだけの大きさがないのか」
「――そんなことないよ!」
あゆが電動マシンのようにガタッと起動する。俺とガッツリ視線があう。
あまりに勢いが強いので俺と頭をぶつけそうになる。危ない危ない。
「お、目覚めた」
「あ、あれ、ソウタ君……ここは? ああ、私、気絶しちゃったのか……」
「しかも理解が早い」
途中で起きてやがったなコイツ。
すると、あゆは背中から電撃が走ったように身体をこわばらせる。
「痛いっ! なんだかやけに背中が痛い!? ピンポイントで痛いっ!?」
「ああ、それは寝違えたんだろう。お前変な姿勢で寝ていたし」
「なんか音ゲーの練習台にされたみたいに痛いっ!?」
「よし、誤魔化せたようだな……」
しかし、そうでもなかったようだ。
あゆは顔を赤く染めながら、いやらしそうな表情をしてこう返してきた。
「――フッフッフ、どうする? ソウタ君、試してみる?」
「何が?」
「おっぱい」
「――ドアホが」
俺はもう一回彼女の頭をバシッと叩いた。
会長たちは部室にはいないようであった。どこかに外出しているのだろうか。
俺たちは、また疲れがとれてないこともあるので、のんびり布団に寝転びながら待つことにした。あゆは俺の布団に侵入してきたので、自分の場所へ戻そうと誘導したが、戻らなかった。
つーか、そのまま近づいてきた。
「おい、暑苦しいんだけど」
「いいじゃん、いいじゃん」
あゆはそのまま俺の布団に入り込んでくる。
「ソウタ君マジで強かったねー!!」
まったく聞いちゃいなかった。
隣に押し返すがすぐに戻ってきた。
まるで身体にバネでも仕込んでいるみたいである。
「なんなんだよ、いったい……」
「エヘヘヘ」
「あやしげな笑い声をやめろ」
「イシッシシシ」
「アラレちゃんでしか聞いたことねーよ、そんな笑い声」
彼女の顔を見ると両目をキラキラと輝かせていた。まるで銀河のような瞳だ。
「うおっ、まぶしい……」
「ソウタ君、本当にすごかったんだねー驚いちゃったよ! 私、絶対、ぜ~ったい勝ったと思ったのに! あんな奥の手があるんだもん! ビックリだよ!」
あゆは矢継ぎ早に言葉をつなぎながら、俺ににじり寄ってきた。
「こいつ、喋りながら布団に入ってきやがる……!」
「もぞもぞ、もぞもぞ」
「口に出すなバカタレ」
あゆは無邪気な子犬みたいにじゃれてきた。
俺の身体からしがみついて離れない。なんだろう? 懐かれてしまったのだろうか。
「と、に、か、く! あんなの生まれて初めての体験だよっ! 力と力がぶつかり合って……こう、全身の血液がじゅわじゅわ~って炭酸みたいに弾ける感じ!」
「すげーバトルだったもんな」
「そう! すげーかったんだよ!」
あゆの気持ちは理解できた。あれほど激しいぶつかりをした後とあってはテンションがあがっても仕方がないだろう。
「興奮しちゃったよ! もう大興奮!」
「女の子がそんな言葉を連呼するな」
あゆと会話を交わしながら、俺はだんだんとこれまでの経緯を思い出してきた。
生徒会長の計らいで、あゆと戦うことになった俺は、紆余曲折を経て、一騎打ちの大勝負に打って出ることになった。
拳VS砲弾という荒唐無稽な熱血漫画みたいな戦闘は苛烈を極めた。
すげー激しいバトルだった。俺の意識というか言葉も完全におかしくなっていた。
その渦中、俺はあゆに敗北しかけた。
俺は必死に考えた。現状を打開できないものだろうか。とにかく無我夢中で身体中のボタンを押しまくった。理由はわからない。とにかくそうしなければ、という衝動が心の内側から叫んでいた。
何かに支配されるように、俺は肉体に装着された「全てのボタン」を押して押して押しまくって、そうして――。
「そうか……俺は、完全体にパワーアップしたのか」
「そうだよー! すごかったよねーあれー!」
完全体モード――俺は無意識に、だが確実な実感を伴って、そう命名した。
あの瞬間、俺の肉体に発生した謎の超パワーだ。
自分の《身体の一部》を輝かせた光が、いきなり《身体の全部》を輝かせたのだ。
信じられない。まるで能力の飛躍である。冷静に考えればおかしなことであった。
いままでに全身のボタンを押したことは何度かあった。
トレーニングの一環として既に実験済みだったのだ。
ボタンを連打することや、同時押し、変則押し、押し続ける、などいろいろと試していた。だが、今回のような効果をあげることは一度も存在しなかった。
(特別な条件がそろわないと発動しないのか? いや、それとも戦闘を通じて、俺の肉体がパワーアップしてきているのか?)
そのどちらとも言えるし、そのどちらでもないとも言えた。
正直、わからない。一人で推測するには材料が少なすぎた。
あとで生徒会長に尋ねるのが、一番の早道だろう。
「それにしても会長たちは何処にいったんだ……?」
時計を見ると、十八時を過ぎていた。そろそろ夕飯の時間だ。
「さあねー、今は二人っきりだけどねー」
「二人っきりねえ」
あゆの幼気で可愛らしい顔が網膜に映る。部屋で二人っきり……。
「会長たちはどこ行ったんだー?」
「うわっ無視した無視! ひどいよソウタ君!」
普段、人の話を聞かないくせによく言うぜ。
そろそろ布団から起きて探しに行ったほうがいいのかな。そう思い立ち上がろうとすると、あゆに無理やり押し倒された。
「うへっ……」
変な声をお腹から出してしまう。布団が縦に大きく揺れた。
「……ふっふっふっふ」
「お、おい、あゆ、何を……」
怪しげな声が耳元に入り込んでくる。
視線を下げると、あゆが俺の胸元に密着している姿が見えた。
まるでユーカリの木にしがみつくコアラみたいだ。
「ふふっふ、ソウタ君、そろそろ年貢の納め時ですぜ」
「なにが、だよ……」
さすがに様子が変だ。俺は不安になりながら声をかけるが、しかし、そこから返ってきたのはいつもの川岸あゆだった。
「ソウタ君……私はね、ヒーローが好きなんだよ」
「お、おう……それは俺も知ってるぜ」
「そしてね、カッコイイヒーローには目がない人間なんだよ。ソウタ君、前に入学式での会話を覚えているかな?」
「会話……?」
「隼人様のお話を聞き終えた時だよ」
俺は回想する。
それは入学式の頃の出来事。
理事長が挨拶を終えた後の会話だ。
――おい、あゆ、お前よだれが垂れてるぞ。
――うわっと、ありがとうソウタ君、ごめんね、理事長のお話を聞いてたら……。
――まあ、かまわないよ。俺もヒーロー好きだし、気持ちはわかるしな。
――えっソウタ君も、理事長と××なこととか△△なことをしたいと思ったの……?
――それは思ってねえよ。
「そんな会話もあったなあ……まさか伏線になるとは思わなかったけど」
「そして、今、目の前に私を打ち負かしたカッコイイヒーローがここにいる」
あゆは人差し指で俺を指さしてくる。ググっと距離を縮め終わり、愛らしいながらも真面目そうなあゆの顔が、俺の眼前に現れる。近い。あゆの細かな息遣いが顔にかかるくらいには――とても近い距離だ。尋常じゃない距離感だ。
「…………え」
「この意味、わかるよね?」
あゆの瞳からは俺の顔が視認できる。頬が紅潮しているのがわかる。
それぐらいに俺たちの距離は接近している。
「あゆ、まさか……」
「だからね、私をソウタ君のね……」
こいつもしかして本当に、戦いを通じて俺のことが好きに――
「弟子にしてほしいんだ」
「…………弟子?」
弟子? それはなんだろう? 新しい恋人同士の暗号かなにか?
「私はね、前々からね。師匠と呼べる存在が欲しいと思っていたんだよ」
「し、師匠……?」
「うん、師匠。私と真っ向から戦ってそうして倒してくれるような、そんなヒーローを探していたんだよ!」
あゆはそのまま、ぎゅぅ~っと俺の首から上を抱きしめる。
「○×△×△□△~!?」
俺の顔にあゆの胸あたりが押しつけられる。
おいおいヤメロ、そんなに押しつけたら苦しくて呼吸ができなく…………ならない。
「あ、余裕だわ。むしろ柔らかくてちょうどいいわ」
と思ったら、後頭部までがっちりホールド決められて、完全に呼吸ができなくなってしまう。
「○××△○×□~!?」(やばい、やばい、息ができない!?)
俺は手で必死にタップをする。
だが、あゆは気がつかないのかそのまま抱きしめてくる。
「私は強くなりたいと思ってるんだ。だからそのために尊敬できるような共に頑張っていけるようなヒーローを探していたんだよ!」
「○×△×△□△~!」(訳:く、苦しい、苦しい、死ぬ死ぬ~!)
「私は小さい頃から喧嘩は強い方でね。この学園にくるまで負けたことも少なかった。だけどね、ソウタ君との戦いを通じてわかったんだよ。これからは一人で戦うんだじゃなくて誰かとともに成長していくべきなんだって。そう考えたときにやっぱりソウタ君に師匠になって欲しいと思ったんだよ」
「○××△○×□~!!」(訳:長い、話長い! 死んじゃう、死んじゃう!!)
「だからね、これから私のヒーロー人生を歩むうえでの心の師匠として、私を弟子にしてくれませんか?」
「△△○○×□××~!?」(訳:するから、弟子にするから! はやく首を絞めるのをやめてくれ!?)
俺がじたばたして痙攣を起こし始めたところで、ようやくあゆは気がついたのか解放してくれた。
「そ、ソウタ君っ! だ、誰がこんなことを……」
「ぶっ飛ばされてえのか、お前は」
「いや、本当にごめんなさい」
あゆは素直に頭をさげてきた。
同時に、キラキラとまぶしい両目を向けてくる。
師匠弟子云々はともかく、あゆが俺に尊敬の眼差しを向けているのは間違いないようであった。
そうか、これは憧れの瞳だったのか。恋心ではない。俺はようやく理解する。
子供がヒーローに純粋に向けられるのと同じものだ。
普段から彼女はいろんなヒーロー相手に愛情を注いでいる。
その愛情の方向が、ついに俺に対しても向けられるようになったのだろう。
それはわかる。わかるが……。
「どうして俺に抱きつくことになるんだよ……」
「へへへへっ!」
「ニヤつくな! 抱きついたまま笑うな!」
何だろうコイツは、もしかして本当に懐かれてしまったのだろうか。
ボス猿同士が決闘をすることで、相手に従順を誓うように。
飼い犬が家庭内のランク付けをして、主人に忠誠を守るように。
俺は――コイツに好かれてしまったのだろうか。
「なんて単純な……動物的な……」
「まさに動物化するオタクだね!」
「いや、それたぶん意味が違うから……」
いや、合ってるのか。ん、ん、よくわからない。
「ソウタ君! 師匠って呼んでもよろしいでしょうか……!?」
「ああーいいよ、もう、師匠でもマスターアジアでも好きに呼ぶがいいさ」
「ししょー、ししょー」
俺はもう仕方ないので諦めて彼女が抱きついてくるのを受け入れることにした。
頭をなでなでしてやる。
別にいいよー俺が好きなの他にいるしー勝手に懐いてくればいいさ(マジ屑)。
――っと、その時になってドアをノックする音が聞こえてきた。
「うげっ!?」
「ん、どうしたのししょー」
布団の上であゆに抱きしめられている構図。
さすがにこの光景を他人に見られるのはマズいだろう。マズすぎるだろう。
俺は抱きついてるあゆを自分の布団へ戻そうとする。
しかし、無理やり押し戻そうとしたせいで――今度は俺があゆに抱きついて倒れるかたちになる。
「うわーお、ししょーは大胆だねー!」
「ちょ、ちょい、違う――って!」
――ガチャリ、とドアノブがまわされる音がして扉が開かれる。
そ、そうだ。別に焦ることはない。生徒会長や葉山は良識のある人間だ。それならちゃんと事情を察してくれるだろう。もしかしたらバカにされるかもしれないが、状況を見極めるくらいの判断力はあるはずだ。
「――――あら?」
黒髪ロングに美しいプロポーションに知的な顔つき、
君島優子さんだった。
君島さんだった――――!!
もみくちゃになった布団、押し倒されているあゆ、上から覆いかぶさっている俺、
それを眺める――君島さん。
俺たちの間には、感動すら覚えるくらいの静寂が流れた。
1テンポ、2テンポ、3テンポ、それくらい空白が開けられて、
そして、そうして――。
「――ふっ、安心しなさい新島くん」
「えっ……」
「いま、苦しむことなく、殺してあげるわ」
「ぎゃああああああああああああああああ!!」
もはや天丼ギャグじゃねえか!
こうして俺はもう一度気絶することとなった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
戦闘も終えて、一休み、あゆデレ回でした。
次回「ヒーロー達の超変身」(仮)をお楽しみください。
生徒会長による講評が行われます。
それでは次回もよろしくお願いします。掲載は3日以内を予定しています。