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世界は英雄戦士を求めている!?  作者: ケンコーホーシ
第0章 おまけコーナー2
166/169

英雄戦士プロトタイプ版:長定規のブレードはつかえない(後編)

 喧嘩は繰り返された。

 そのうち僕は、感情というものが理解できなくなっていった。

 あらゆる感情という感情を、感情として感じれなくなっていった。

 失って失ってもう一度さらに失った。

 笑うことを失った。

 怒ることを失った。

 泣くことを失った。

 驚くことを失った。

 怖がることを知らなくなり、不安になることを消し去って、楽しむことを分からなくなり、喜ぶことを無に帰していった。

 僕は何もわからなくなった。僕は喧嘩の仕方しかわからなくなっていった。

 しかし。一つだけ自覚したことがある。

 このままではいけない。僕は僕自身であり続けなくてはいけない。

 たとえ僕という個が消滅しようとも、たとえ僕の中の感情が消失しようとも。

 まだ。やらなくてはいけないことがある。

 そう、それは――。



 世界とは、また大きくでたもんだと僕は思った。

「美月瑞樹は明日、世界を救う。それを君は邪魔しちゃいけない。いいね、北島きょーいち君」

 はっきり言って僕は展開の異様さについていけてない。

 美月の家へ向かう途中の公園。ブランコや滑り台やジャングルジムなどが設置された、せいぜい月並みの平凡な公園。おそらく名前すらろくにつけられていないであろうそんな場所で、あまりにも日常とかけ離れた特集な状況に僕は今立たされていた。

「それは既に二年前から定められてきたことだ。美月瑞樹はそのために二年間。否、正確に考えればもっと前から戦い続けていた。この日のために。この時のために。明日――世界を救うために」

 目の前にいる人物――高柳孝太郎と名乗っていた人物はすでに不気味そうな微笑を消し去っている。そして、真剣なまなざしでこちらを見ている。

 だが、その真剣さと話の内容は釣り合ってなく、どことなく奇妙な印象を受ける。

 僕は、高柳の放つ凄みに気圧されながらも、話のぶっ飛び具合についていけなくなっていた。

 世界を救う――? 何が? 美月が?

「…………」

「君は驚いている。そう。当然だ。当たり前だ。ボクのことを、頭のおかしい愚図で夢見がちなファンタジーかぶれの病毒者とでも思っているはずだ。いきなり、世界を救うだものね」

 ――そうだ。

 何だその話は。

 くだらない嘘にも程があるってもんだ。

 なんて安っぽい。

 荒唐無稽で。

 馬鹿らしく。

 矛盾していて。

 真実味に欠けていて。

 胡散臭くて。

 まさに超展開とでも呼ぶべきほどの――。

「でも。そんなボクの話を。君は信じかけているのではないのかね」

 でも。僕はその話を信じかけている。

 実は。正直言うと――。

 ああそうか。そうだったのかと理解しかけている。

 あまりの急展開ぶりに頭はついてこれないけれども、感覚として美月の係わり合いのなかの経験として、僕は高柳の言葉を信じはじめている。

 高柳の話に呆れ果てている一方で。

 信頼を置きだしている。

「美月は一体……」

 そこまで言葉にしようとして僕は口をつぐんだ。

 僕は何を聞こうとしているのだろうか。いや、僕は高柳から何を聞くべきなのだろうか。とにかく何かを口にしようとして僕は口を開いたが、僕の中から言葉は生まれなかった。何も――。

「ああ……すまない。君はいろんな意味合いにおいて混乱をしていると思う。それはよくわかる。ボクにはよくわかる。だけどボクは君にいろいろとフォローしてあげようと気はないし、ボク自身そこまで君のことを好意的には思っていない。なぜならボクは美月瑞樹のことを好意的に思っていて、君も美月瑞樹のことを好意的に思っているようだからね。お互い憎き恋敵というわけさ」

 高柳は相変わらずぶつぶつと何かをしゃべっている。

 その言葉の端々に僕に対する敵意を感じる。

「だから君にはこれだけしか助けてあげない」

 そう言って、高柳は僕に教科書サイズの「何か」を投げつけてくる。

 僕は両手でそれをキャッチし、その何かが手のひらサイズの小さな手帳であることを知る。

「それは手帳だ。美月瑞樹のな」

 僕は前を向く。

 すると、高柳孝太郎の姿は既に公園の中から消えていた。

 夕方の公園は寂しげで、そこには僕一人しかいなかった。手に残ったのは美月が書いたものとされる手帳。

 それだけであった。

 僕は手帳を見る。女子中学生のものとしては随分と年季の入った古めかしい手帳であった。

 ぱらぱらとページをめくるとその日の日付と曜日と何か文章が書かれており、どうやら日記として活用されていたようだ。文字は以前見たことのある独特な丸文字で、おそらく美月によって書かれたもので間違いなさそうである。

 どのようなことが書かれているのだろう。この手帳を読むことでそれがわかる。

 美月の日常について知ることができる――僕は少々罪悪感を抱きながら、手帳の中身を見た。

 そして、僕は自宅へと疾走する。

 ベットに潜り込み、声にならない咆哮をあげる。



 

 喧嘩は終わらない。

 僕は感覚を失った。

 これはきっと喧嘩のためなのだろう。

 喧嘩は以前に比べて激しさを増した。

 激しい争いはその分精神の消耗を早める。

 よくある話だ。

 苦痛と快楽は人を変貌させる。僕は喧嘩の中で味わってきた、正しき苦痛と悪しき快感に溺れてしまったのだ。

 それだけのことなのだ。

 ――だから僕はゼロになった。

 あらゆる感情という感情を、感情として感じれなくなっていった。

 感情のコントロールのメモリが伸びることはなくなり、僕は空っぽになった。

 失って失ってもう一度さらに失った。

 笑うことを失った。

 怒ることを失った。

 泣くことを失った。

 驚くことを失った。

 怖がることを知らなくなり、不安になることを消し去って、楽しむことを分からなくなり、喜ぶことを無に帰していった。

 しかし、これは僕にとって二つの意味で好都合であった。

 一つは、闘う上でよけいな悩みを持つ必要がなくなったこと。

 喧嘩は必ずしも双方が望んで行われるものではない。無意味な殺生、無意義な破壊を行使せねばならないときもある。そんなとき、空っぽの僕というものは役立った。おかげで、喧嘩の成績はどんどん伸びていった。

 二つ目は、感情を一から作ることができるようになったこと。

 空っぽの僕は、中途半端に感情が残っていたときの僕よりも、感情をというものを『創作』しやすかった。

 感情という概念を空っぽの僕に押し付けることに成功した。

 何も感じないというのは、実によかった。

 演じやすかった。

 繕いやすかった。

 踊りやすかった。

 ここに、欺瞞たる擬態が完成を遂げた。

 僕は笑うことを学び、怒ることを学び、泣くことを学び、驚くことを学んだ。

 怖がることを理解して、不安になることを装って、楽しむことを勉強して、喜びことを取り入れていった。

 ここに、虚構たる虚像が誕生を告げた。

 僕は生まれ変わった。ツギハギだらけの仮装スタイルで。

 偽善と偽悪をつぎ込んで、喧嘩に出かけよう。世界を救おう。

 そして僕はたとえ偽者であったとしても、僕自身であり続けよう。

 僕という僕を貼り付けながら、もう一つの目的を果たそう。

 さあ頑張ろう。僕にはやらねばならないことがある。

 僕は感情を創造し新たな一歩を踏み出そう。

 ――美月瑞樹は今生まれ変わろう。

 



 その後、僕は部屋のベットにうずくまっていた。

 美月の家へは行っていない。

 再会の約束は果たして、いない。

 僕の身体は震える。身体を沈めようと何度も縮こまるような動作を行う。しかし何度縮こまっても、いくら縮こまっていても、震えは止まらず、僕はもうどうしていいのかわからなくなっている。

 僕は美月の手帳を――見た。

 見てしまった。

 その大半はまさしく理解不能な争いの記録であり、まさしく三流小説の説明みたいであり、僕の知らない専門用語があらゆるところに散りばめられていて十分な解読は不可能であった。


≪僕は抗い続けた。異形は僕を攻め立てる。天見式システムの復旧にはまだ時間がかかり、残すは神之宮の陣と長定規だけであった。これだけで僕は異形を転送できるのか。天見式以外で不可逆性を保つことは難しい。結局は根競べとなるのか。僕の何かが罅割れる。パラドックスの副作用がもうやってきたのか。よくない。僕の痛みが増してくる。痛みはなかなか消せない。消すことが難しい。痛いのは嫌だ。嫌なことも忘れよう。そうすれば楽になり、禁断症状も恐れなくなり、僕はもっとうまくシステムを制御できる≫


 でも、美月の苦しみだけは手に取るように分かった。

 全身が引き裂かれるような痛みを覚えるくらい感じとれた。

 世界だ。美月は世界をかけて闘っている。

 何故美月が世界を相手取り闘うことになったのかは未だに理解できない。

 手帳に途切れ途切れに書かれた難解な言葉からはそのヒントになるものが示されているのかもしれない。僕が何かを知る手がかりがあるのかもれない。でも。そうだろうが、決してそうしようとは思わない。そもそも馬鹿で愚かな僕にはその内容を悟ることはできっこない。たとえ頑張ったらこの僕にできたとしても僕はこれ以上の美月の書いたこの手帳を読み進めたいなんて絶対に思わない。

 ――嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ。

 僕は混乱している。

 美月の手帳には繰り返される多くの言葉があった。

 『喧嘩』、『感情』、『喪失』、『目的』、『訓練』、『苦痛』。

 『異形』、『空論』、『世界』、『煉獄』、『愉悦』、『没落』。

 ――そして『長定規』。

 美月の手帳の大半は、回想形式書かれた闘いの記録であり、その端々には美月の苦悩が滲み出て溢れていた。

 その記録は二年前の九月の内容から始まり、今年の七月近くで終わっている。

 七月近く――美月が僕の学校に来る前の日だ。

 そこで、この手帳の内容は途絶えている。

 僕との邂逅で何かがあったのか。美月に何かがあったのか。何なのか。何なのだ。

 ああっ。

 僕はベットに潜り込んでガタガタと震える。

 汗で体中をずぶ濡れにしている。夏だからか。多分違う。なんだかなんだか身体が寒い。寒いのに汗がでるなんて何だかおかしい。楽しい。笑えない。

 僕はオカシクなっている。

 僕は笑う。いやだから笑えない。笑うなんて汗が出てずぶ濡れで頭が痛い。だからムリ。でも全然笑えなくては何だか怖くなって無性に嫌になって僕は涙を流して、わんわん本当に泣きたくなって声をあげようとする。でも、けど流石に声を出すのはまずいと僕の冷静な部分が忠告をしてくるから僕はわんわん泣いて涙を流して声をあげられない。だから代わりに――僕は身体を揺らす。

 止めなくていい。ふとんを被り続ける。ふとんも揺れる。身体にあわせてふとんが揺れ、全体が揺れ、ベットが揺れ、部屋が揺れ、家が揺れ、街が揺れ、世界が揺れる。

 そう夢想して、濁流のように襲い続ける思考の嵐を僕は全力で止めようと。

 頑張る。

「ごめん、やっぱムリ」

 頑張れない。

 僕の中の何かが音を立てる。

 僕は逃避を開始する。僕は美月のことを考えない。

 そうする。

 でも――。

「あれ? これもムリ?」

 くっきり、ぽっきり、袋小路。

 僕は美月のことを考えないようにする。

 でも考えないなんてできないから、他のことを考えるようにしてそれでなんとか思考を抹殺しようとたくらむ。

 でもでも。それだけどそれでもなんだかうまくいかなくてどうしようもない。ああどうしよう考えが溢れて考えることも考えないこともとめどなくて考えが止まらなくてでも止まれって必死に僕は頼み込んでもでもうまくいかないから僕はもうもうよくなくなあああああああああああるらしいよ。

 よよ。

 そう。

 3、2、1、はいっと。

 僕の思考はそこで暗転。

 公転、無転、大暗転。

 ロクでもない。ロクでもない。

 ホントロクでもないことだ。

 美月に関わるといいことない。

 僕はそこで軽い眠りにつく。

 僕は何かを諦めていた。



 

 僕の喧嘩はいつしか世界を救う争いへと発展していた。

 すべて、がらんどうになってしまった僕には、時間の流れというものがよくわからなくなったのだけど、どうやらあれから二年の月日がたって、もう僕の喧嘩は喧嘩と呼べるものじゃなくなってきたみたいだ。

 戦争だ。

 戦争。

 世界をかけた異形との戦争が幕を上げる。

 僕の感情は麻痺をしてもう何にも感じなくなって、機械的に感情を動かすだけのなんだかロボットみたいになっちゃっている。

 僕の喪失はもう、よくわからない。

 幸福がよくわからない。

 地獄がよくわからない。

 僕の感情はもう、ないから。

 ――でも。

 でもでもでも。

 僕の本能が何かを告げている。

 作られた感情が何かを叫んでいる。

 それは……何なんだろう。僕は何を忘れているんだろう。

 わからない。

 でも――わからないなら考えればいい。

 だから僕は、そのことを思い返すためにここに今までの記録をつけよう。

 思い出しながら。僕の目的を振り返っていこう。

 そしたら、僕のしたいことも見えてくるかもしれない。

 ――七月十五日(火)美月瑞樹。




 そして、お目覚めは右ストレートだった。

 右ストレートを受けた僕は、まるで漫画みたいにそのまま壁にぶつかって、吹き飛ばされることとなった。

 壁にぶつかった僕は、ゆっくりと地面に落ち、床に倒れこみながら僕を殴りつけた主を見た。

 大槻先輩であった。

「よう」

「……どうも」

 僕は起き上がると先輩の姿をよく見た。

 ジャージを装備した先輩の顔は真面目なのか怒っているのかなんかのかわからないけれど、とにかくとても怖い顔をしていた。

 憤怒の形相とでも敬称すべきだろうか。

 マジ、ガクブルものだった。

「どうしたんだ」

 先輩が言葉をだす。いつにない凄みを感じられる。

「どうしたんだは先輩ですよ。なんですか、わざわざ僕を殴り飛ばし――」

「どうしたんだと聞いている」

 先輩は僕の言葉を遮る。その瞳は真剣そのものだ。

「……どこで知ったんです」

「……俺にもいろいろツテというものはある」

 先輩の口調はある意味淡々としている。いつものようなふざけた調子は見あたらない。

 辺りを確認すると外はいつのまにか暗く、部屋には電気がつけられている。部屋の中はいつもどおり雑然としており、時計はここからじゃよく見えない。外の暗さからいって多分九時は回っていると予想できる。

「……今何時ですか」

「九時半だ。安心しろ、まだ明日にはなっちゃいねえ」

 安心――何を僕は安心するのか。安心できるのか。

 それに明日という具体的なキーワードがでてきた以上、おそらく先輩は僕と同じかそれ以上のことを知っている。美月について。

 もしかしたら――。

「……高柳とかいう人は先輩の知り合いですか?」

「…………」

 先輩は無言。ビンゴか。

「どうなんですか。もしかして今日、あいつをけしかけたのも――」

「それは違う。全く持って違う。あれはあいつの独断だ。規則違反にもはなはだしい孝太郎の独りよがりの行動だ」

「…………」

「だが一方であいつの暴走を止めなかったのも確かだ」

 先輩が苦い顔をする。

 先輩は今の事態について僕なんかよりもよっぽど精通している。むしろ今の状況に積極的に関与している存在であると言い換えてよいかもしれない。

「何なんです。今の状況は」

 僕は問う。当然の疑問を。

「さあな」

「さあな、じゃないです。答えてください。先輩。どうなっているんですか? 美月は。世界は」

 何だか段々と僕の中の鬱屈してきた怒りが吹き出てくる。

 今にも溢れ出そうだ。

「…………」先輩は無言で冷たい目をする。何で冷たい目をする!

 何で!

「何ですかっ!」

 僕の感情が溢れ出た。

「僕はさっぱりわかりません! 今なにが起きていて、美月が何をしなくちゃいけないくて、世界がどうとか、喧嘩がどうとか、一体なんなんですかっ!」

 僕は叫ぶ。

「僕には全然理解できませんよっ! 美月の字によって書かれたこの手帳に示された数々の争いも。喧嘩と称される異形のものたちとの戦いも。世界がなんだとか、訓練がどうしただとか。この手帳の中で、美月は天見式とかいう謎のシステムを行使しつつ精神をすり減らしながら戦っています! 世界を破壊する化物どもと喧嘩を繰り広げています! なんですか、これはっ! いろんな意味不明な用語が立ち並んで、理解不能な文章が羅列されていて、まるでファンタジー小説のような架空の出来事が綴られていて!」

「じゃあ架空の出来事なんだろう」

「そんなわけないじゃないですかっ!」

 僕は再び叫ぶ。もう涙目だ。

 おかしいな。いくらつらくても泣くことだけは防ごうと決めたのに。

「僕にだってそれくらいわかります。これがフィクションじゃないってくらい! これが偽者じゃないってくらい! だってそうでしょう、だって、だって――美月は実際どこか壊れていた! 笑いすぎるくらいに笑って、能天気すぎるくらいに馬鹿で、あんなあんな不自然で奇跡みたいな人格を、創造なしでつくれるなんてありえないじゃないですかっ! ホンモノなわけないじゃないですかっ!」


≪「ふん。どうせお前は僕が嫌がったところで勝手に話しかけてくるだろ。だからいいんだよ。別にお前は対象者にいれなくても」

「ふふっ、やっぱ僕は規格外な生き物だからねー」

 両腕をくるくると回し満面の笑みを見せる。「それともやっぱあれかな? 僕は常識になんか捉われない人物だって事なのかな?」いい顔してやがる。どうしてこんな顔ができるんだ。≫


 僕は何となく感ずいていた。

 美月のアレが欺瞞に満ちたものであるということを。

 しかし。それでも。それでもこの世には無垢な人間が居るということを信じていたかった――。

「ホンモノじゃないならどうする。幻滅するのか?」

「しませんよっ! だから何を言っているんですか! 美月は今の今まで苦しんでいる。傷ついて傷ついて壊れきってもう戻れないところまできている。世界との闘いだかなんだか知りませんが、美月の精神はかなり危険なところまでにきている。このままだと絶対にやばいことがおきる。不幸な事態がくる。この手帳を読んでいるだけでもそれが推測できます! 美月が苦しんでいる! 間違いなく、絶対。だからですよ、だから、だから――」

 僕は大きく息を吸い込む。


「僕は美月を助けてやりたい!」

 

 吐き出した言葉は部屋を揺らす。

「そのためにですよ、先輩! 僕に教えてくださいよ! これまでの出来事を。何が美月を苦しませて蝕ませて泣かせて、いや泣くことすらできなくさせて、今の僕みたいに怖がったり泣いたりすることすらままならない事態に立たされているのか。知って、理解して、そのことから僕は彼女を解放してやりたい! だから! 今美月に何が起きているのか、世界を対して何をするつもりなのか、どうするつもりなのか! 教えてくださいよ、先輩!」

 僕は一頻りしゃべり終えると、はぁはぁと息を吐き、床にへたり込む。

 一方先輩は目を丸くして驚いたような眼差しでこちらを見ている。

「……そうか」

 クッソ。なんだよ。

「……どうしたんですか? ――早く話せよ」

 僕は激昂していた。先輩に。理由は話してくれないから。僕は存分に冷静さを欠いている。

「……っく、くく。そうか……そうなのか……くくっ」

 何だ。

「……く、わは、わはわっははっはは!」

 先輩は何がおかしのか笑いだした。部屋全体に響く、哄笑であった。

 ――何がおかしいんだクソ。ちくしょう。

 早く話せよ。説明しろよ。

「わはははははははははははははっはははははっははははは」

 先輩は長い間笑い続けると、咳き込むように口を押さえ、そして普段どうりの顔に戻ってしまい。

「よし。いいだろう、行け」

「はぁ?」

 何だよいきなり。行けって何だよ、行けって。

「だから、お前は美月のところへ行けってことだ。こんな暗い部屋でうじうじ閉じこもっているんじゃねえ。さっさと行ってデレてこい、ツンデレ野郎」

「だから何を……」

 僕が口を開けようとした瞬間、先輩は長定規を持ってして僕の口をふさいだ。先輩はいつも見せるあの不敵な得意顔。何なんだよ一体。

「正直。俺はすべてをお前には告げられない。いやむしろ俺から告げるべきことではない。つーか、俺もこの事態をすべて掴んでいるわけじゃないんだ。というかそもそも、お前は俺から美月の話を聞いてどうする? それで何か変わるのか。お前と美月が。『あの』お前と美月が」

「それは……」

「答えはもう決まってんだよ。馬鹿野郎が。世界がなんだろうが。喧嘩がなんだろうが。お前は単純に、美月が苦しんでいるのが見逃せない。そうなんだろ?」

「……そうだ」

 そうだ。そうだろ。簡単なこった。

 美月が苦しんでいる。

 僕はそれが嫌だ。

 僕は美月が苦しんでいるとこは見たくない。

 欺瞞でもいいからあの能天気顔を維持させたい。

 あわよくばあの馬鹿面をホンモノに変えてやりたい。

 それだけだ。

「ふん。そうなんだよ。複雑な事態なんてのは、見方さえ変えれば単純な事件なんだよ。世界とか――お前は別にどうでもいいんだろ」

「ああ。どうでもいい。関係ない」

「なら。まず会ってこい。美月に。話も奴から聞いてこい。そっから話し合って美月のやりたいようにお前が協力してやれ。簡単なこった」

 長定規をブンブン振り回しながら、ニカッと高柳とはまた別の薄気味悪い笑いを浮かべる先輩。

「俺は単に北島恭一の先輩であり、高柳孝太郎の親友であっただけだ。それ以外のなんでもねえただのモブキャラだ。そりゃあ、俺だってあいつらと喧嘩したことはあるし、長定規だってうまく扱える。お前の言うところの三流小説風のファンタジー世界に関わったことはある。けどな。でも――」

 先輩は笑う。


「美月を救えるのはお前だけだ。北島きょーいち君」


 僕は駆け出す。

 部屋を抜け、家を抜け、世界を飛び出る。

 すでに悩みは消し飛んでいた。

 いいや。悩みなんてよく考えたらなかった。

 僕は美月を救う。世界を救う美月を救う。

 それはとてつもなくカッコいいことのように思える。僕はそのカッコよさに快感を覚えながら、でも本質的には僕は美月のためにやるんだからなと気を引き締める。

 この先気を引き締めないと抜け出せない状況に、きっとなるからだ。

 なぜなら向かう先は世界なのだから。

 夜風は身体にあたると冷たく、夏なのに不思議なくらい気持ちよくて、僕はなんだか楽しくなってくる。僕の大嫌いだった季節なのに美月のことを考えると大好きになって、とてつつもない力が僕の内側からふつふつと湧き上がってくる。

 僕の脚がその美月エネルギーに乗ってさらなる加速を告げる。

 僕は駆け続ける。

 止まりなんかしない。

 止まりなんかしない。

 僕に何ができる。無力な僕に何ができる。

 ――何だってできるさ。

 僕は長定規をつかえない。長定規のブレードは僕には無縁の代物だ。僕にはファンタジーパワーはない。

 けれど。ないってことは可能性が無限ということ。

 感情をなくした美月が感受性に溢れたように、ファンタジーパワーのない僕がスーパーヒーローになってやる。

 住宅街を超え、商店街を超え、名も無き公園を超え、僕は美月の家に到着する。

 超ダッシュをしたのに僕は全然息が切れない。今の僕は最強だ。

 さあ。会おう。

 僕はボタンを押す。

 そしてここから僕の物語が始まる。

それではサラバだ。

またどこかで会おう。

(2014.07.21 ケンコーホーシ)

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