第123話:彼と彼女の決勝戦
6月23日の午後は晴れやか。
風も弱く、差し込む陽気も僅かな熱を孕むばかり。
試合日和だ。
「夏か」
「もうすぐ夏だねー」
季節は初夏。
夏は目の前だ――――。
「そういや、明日はUFOの日なんだな」
「UFOの日?」
「1940……何年か忘れたけど。
人類が初めて『空飛ぶ円盤』が飛行するのを発見した日。それが6月24日なんだ」
「あー。それかー。全世界的に」
「ああ、まあな」
それもある。
「電線に電気を流すと、そこに意識が生じる――」
「それはちょっと違う」
美月は、遠い昔話を聞かされた時みたいに、懐かしげな声音で物憂げに言った。
「でも、今どきUFOはないよね」
「いやいやいや、そんなことねぇよ! 宇宙人はいつだってロマンだよ!」
「浪漫?」
「そんな不穏そうな目でみるな。ロマンだ」
美月は一拍置き、そうだね、と納得した。
「でも、不思議なことはもっとあるよ」
「もっと?」
「もっとだよ」
思ったより強い調子。
俺は聞き返す暇なく前を向いた。
大平和ヒーロー学園。
英雄戦士チーム最終選考会。
第一会場。
中央闘技場。
入場口。
俺たちは歩いている。
陽光は穏やかで風は気持ち良い。春が終わって初夏が訪れる。一つの区切りがつく瞬間。そんな世界を俺たちは歩いている。
「すげぇな……人」
「当然」
ドヤがるな馬鹿。
俺たちの周囲には拍手と歓声が上がっていた。そこには全霊の希望が溢れていた。俺たちは頷き合う。そして、手を振る。強く、強く手を振る。皆へ。感謝だけでは言い表せない感情を。大きく振る手に込めて。
「そーちゃん」
「なんだ」
「緊張してきた」
「あほ」
俺は美月の手を握った。
美月は嫌がらず握り返してきた。
その事実が少しだけ嬉しかった。
入場口は同じであった。
二人で話し合った結果、そう決まったのだ。
「こ、これはこれで恥ずくない?」
「羞恥心で緊張感を誤魔化せ」
「なるほど」
俺たちは試合の開始線の前に立った。
対峙し、儀礼的に頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「お願いします」
妙に他人行儀な物言いに何だか可笑しくなる。
「そいじゃ、やろうか」
「うん」
俺は構える。私は構える。
変身の開始。変身の開始。
カウントダウンが聞こえる。カウントダウンが聞こえる。
呼吸。心音。集中。前を向く。前を向く。
俺たち/私たちは見る。
新島宗太を。
美月瑞樹を。
「そーちゃん」
「ん?」
「不思議なことは消えないよ。ずっと」
6月23日。
土曜日の午後。
季節は初夏。
UFOの日が来るその前に――――。
俺たちは決勝戦を始める。
--世界は英雄戦士を求めている?
新島宗太。
通称:そーちゃん。
人前で呼ぶのは避けてたけど、最近はもういいかなって。
言論統制解除。
そもそも「そーちゃん」と呼ぶようになった事自体、小学時代に友達をいっぱい作って楽しそうにやってる彼の姿を見て、その距離感が、人間関係が、交友が、希薄に、薄れて、消えてなくなっていく事態に、
(あー)
自分の居場所がなくなっていく心もとなさと、焦りと、離れる現状を"良し"として何もできない自分に対する苛立ちと、気にせずのほほんと生きているそーちゃんに対する腹立たしさと、いろんな感情がごちゃ混ぜになって、
(あーあー)
"意図的"かつ"自覚的"に、「そーちゃん」と"わざと"呼び始めたという……、
(あーあーあー)
冷静に考えて、頭を壁に打ちつけて床に転がりまわって朽ち果たい過去なので(むしろ小さい頃は『新島くん』って呼んでた辺りがすっごくアレ)、だからこそ、逆にもういいかなって思う。
――――凄惨な過去(黒歴史)が、今の私に勇気をくれる。
……主に現在進行形の羞恥(黒歴史)から。
小学校で迷惑をかけたそーちゃんには、中学の時にはもっとお世話になった。
お世話。
ペットじみた表現があの頃の私には正しい。
朝の登校、授業間の短いお休み、昼休みのひと時、授業終わりの放課後、帰り道。
あらゆる瞬間に、そーちゃんがいた。
本当だ。
中学時代の私はいろいろアレで、一年の頃はそれが顕著で、二年生になって、そーちゃんと同じクラスになって、ようやくそれが軌道修正された感じで、三年でなんとか一人立ちできるレベルになれたのだ。
あまりにも、情けなかったなと流石に反省している。
でも、助けられた。
本当だ。
中学生の私は――――そーちゃんによって救われた。
私は嬉しかった。
中学二年生の時、同じクラスになれて嬉しかった。どうでも良い会話が私の心を支えてくれた。笑ったり、笑わなかったり、ちょっと怒ったり、たまにへこんだり、そういう心の機微が発生する状況に、私は親しみを覚えたのだ。
本当だ。
本当なんだ。
掛け値ない幸福が、彼といたあの一瞬、一瞬に確かに実在した。
永遠に思われた時間。一生続くと思った時間。ゆっくりと、連綿と流れる時の中で、静かに、怠惰に、美しくも愛らしい『普通』を内服したあの瞬間全てが、
「私は楽しかった」
それでも動いた。
時は動き出した。
私たちは卒業し、高校生になった。
私は狗山隼人理事長のつてからこの学校に入った。
幸運にもそーちゃんも同じようにこの学校に入った。
高校生のそーちゃんはヒーローになった。
変身名は《限定救世主》。
肉体の好きな部分を『自分で選んで』"強化"できる能力。
私のヒーローエネルギー吸収能力と、
真堂真白さんの改造による『神の視点』。
強化能力を基盤として、計2つがカスタマイズされた形だ。
意味不明な機能拡張のされ方だけど、とても強い。
強い。
いや、強いという表現は正しくないのかもしれない。そーちゃんは『強くなった』。
多分、頑張ろうって心に決めて、それから、一生懸命考えて、あがいて、そうして、自分にできる方法で、自分の強さを築いていったのだ。
そんなのは私が語るべき内容じゃないのかもしれない。
私が言うべきことじゃないのかもしれない。
でも、私が心の強さを築いていったように、そーちゃんも身体の強さを築いていったのだと思う。
心と身体。
精神と肉体。
形而上と形而下。
抽象と具体。
可視化できるものと可視化できないもの。
私は心を。そーちゃんは身体を鍛えていった。
そして、これからも私たちは足りないところを埋め続ける。
これからも。ずっとだ。
(そして今)
私は対峙する。
「美月」
決勝戦。
そーちゃんが私の前に立っている。
◆
「さあ、ついに決勝戦! 始まりましたね、クロちゃんさん!!」
「新島宗太 VS 美月瑞樹」
「ラストバトルですねっ!」
「ちなみに速報だけど、別の闘技場でやってる三年生の試合も決勝戦のようね。
和泉イツキ生徒会長 VS 君島優子」
「観客流れないのが不思議なくらい名対決ですねー」
「まあ、あの二人は月一くらいで戦ってるから。見慣れてる分、観客は少ないんじゃないの」
「飽きてきたんですか!? 悲しいじゃないですか!」
「まるで再放送の番組ね」
「しかし、クロちゃんさん」
「何よ」
「私たちの実況、意味あったんですかね」
「あるわよ」
「うわ即答」
「何、気の抜けたこと言ってんのよ。意味はある。ヒーローがヒーローである条件、一つ言ってみなさいよ」
「えーっと、……皆を守る?」
「誰かに語られることよ」
--世界は英雄戦士を求めている!
美月瑞樹。
ああ、そうだ。
俺の好きな女の子の名前だ。
文句は言わせない。
あいつは俺の幼馴染だ。
小学校に上がる前からの仲だ。
だけど、幼少期に印象に残る思い出はない。
幼馴染ルートでありがちな、結婚の約束とか、昔の思い出の場所とか、そういうものは一切ない。
むしろ、『美月がいる』ってまともに自覚しだしたのは小学生からだ。
小学の学年が上がるにつれて、段々アイツとの距離が広がっていって(確か小5までは別のクラスだった覚えがある)、アイツが目の前にいない場面が増えてきて、それで、ようやくだ。
「ああ、美月って俺の近くにいつもいたんだな」と、理解した。
ようやくだ。
裏を返せば、それくらい当たり前の存在だったのだ。美月は。
"当たり前の存在が当たり前じゃなくなった"。
普通なら悲しむべだった。だが、俺は何の感傷も抱かなかった。
理不尽にクールだった。
(俺は冷めてた)
昔の付き合いも、こんな風になくなっていくのか。案外、仲が良かったとしても、時間が、距離が、互いの空気が、昔の思い出を風化させていくのか。消えてなくなるものなのか。昔好きだった音楽が、心に染み渡らなくなるように。自然消滅的に失われていくものなのか。
楽しかった過去が、過去になることに、俺の心は動かなかった。
むしろ、こういう時は悲しむべきじゃないのか。寂しく思い、一人途方に暮れたりするもんじゃないのか。俺は人としてどこかおかしいんじゃないか。
ある種の物語的強迫観念が俺を攻め立てたりもした。
けれど、俺はこう思っていた。
時が経ち、変わってしまうのは仕方がない。
それが多分、歳をとるってことだろう。成長って呼ぶやつだろう。
その定理を、俺は疑問を抱かず承諾できた。
そう、"アレ"があるまでは。
怪獣事故。
怪獣ジャバウォックによる壊滅事件。
俺たちの街を襲った災害。
俺はその全貌をすでに知っている。
『神の視点』に寄って、
真堂真白に寄って、
鴉屋クロに寄って、
終焉崎円に寄って、
いろいろな事によって、――――俺は知った。
俺自身、思い出してきた。
鋭敏になった。忘れていた過去に対して。
当時のことを。
ジャバウォックに殺されかけたことを。
光のヒーローに助けられたことを。
目覚めたら美月に看病されてたことを。
それもすべてはあいつが、あいつ自身が招いたことだって、
美月瑞樹が強すぎたから、あまりにも強すぎる存在が、エネルギーのバランスを崩し、結果、ジャバウォックを生成せざるを得ない状況下を作り出してしまったって、あいつの攻撃で俺が倒れ、正確には一度死に、そして奇跡的に生き返ったって。
知った。
知った。……が、それがどーした。
ぶっちゃけ。
俺にとって、今の俺にとって、昔の俺にとっても、そんな真実――――どうでもいい。
俺は嬉しかったんだ。
美月が助けてくれたことに。
俺のことを美月が助けてくれたことに。
その時、俺は恋に落ちた。
ハンマーで殴られるよりもカミナリを落とされるよりも強い衝撃で恋に落ちた。
それがすべてだ。それ以外は無価値だ。
あらゆる真相も、あらゆる真実も、あらゆる真理も、
俺の抱いたあの時の想いに比べれば塵ほどの意味もない。
現実がなんだろうが、関係ない。
空想の想いだろうが、問題ない。
俺は、俺の中でそう確信できた。心からそう思えた事実が嬉しかった。俺は、まだ、俺の中に『本物』があると確信できた。
「嬉しかった」
そうだ。俺は嬉しかった。
嬉しかったからこそ思った。
友達じゃない。
幼馴染なんかじゃない。
昔は仲が良くて、今は疎遠になってしまった知り合いなんかじゃない。
そんなのは嫌だ。
時が経って離れるのは仕方ない。ふざけるな。
大人になって変わっていくのが当然だ。馬鹿じゃないのか。
俺は嫌だ。
俺はそんな定理に乗っかって、"何か大きなもの"に動かされて、人間的成長とやらをうそぶいて、あいつと離れ離れになる運命を正しいと思うだなんて、まっぴら御免だ。
失われる未来に恐怖した。
今離れた距離が、明日にはもっと広がり、明後日にはもっともっと広がり、やがては手の届かないところにいってしまう現実に慄いた。
取り戻したい。
取り戻したかった。
現状から、その先へ、俺は、美月との関係を――――"より強固な状態"へと昇華させたかった。
だからこそ、告白して撃沈した。
撃沈。
轟沈に至らなかったのは奇跡だろうか。
俺の精神は大破の所でストップし、中学の途中からは立ち直ってくれたので助かった。
そうだ。中学。
中学時代は楽しかった。
楽しかった、ってのは美月に失礼か。
でも、楽しかった。
美月は寂しそうで、俺は馬鹿な子供で、世界は敵だらけで、大変だった。
でも、楽しかった。
この矛盾は両立できた。
不幸ってのは、耽溺できるものだから。
弱さも駄目さも、残念さも不幸せさも、慣れてしまえば、楽しめてしまう。
でも、だからこそ、抜けだそうと心に決めた。
いつまでの耽溺の中にいるわけにはいかなかった。大人の理を否定した俺だったが、そこから逃げてきた俺だったが、だからといって、目をそらし続けるわけにはいかなかった。なにより、美月には、もっと、『耐え忍んで生きる』以外の世界を見て欲しかった。
俺のエゴだ。
でも、エゴで構わない。エゴでいいから前に進みたかった。
中学を卒業し、俺たちは高校生になった。
高校生の美月は伝説のヒーローだった。
変身名《英雄戦士》。
アイツは別クラスになって、狗山さんや猫谷さんなど、仲良しの友達ができた。
孤独じゃない。
二人だけじゃない。
もっと、いっぱいだ。
やがては両手で数えきれないくらいの友人が美月を囲むのかもしれない。
その中に俺もいれたらいいなと思う。……いや、違う。一緒にいてやると思う。美月の距離が広がっていく今の現状は、まるで、小学生の時と同じだと、何となく思った。
しかし違うのは感じる思いの差異だ。
あの時感じなかった寂しさが、胸の奥を突き抜ける。
そうだ。
(だからこそ)
俺は対峙する。
「そーちゃん」
決勝戦。
美月が前に立っている。
--世界は英雄戦士を求めている!?
6月23日。
土曜日の午後。
決勝戦から30分前――――。
「好きだ。美月」
衆人環視の中。
俺は言った。
美月は俺を見た。
驚いた顔で。
当然だ。
当然すぎる。
俺の心臓は、俺の血流は、俺の脳髄は、いろいろとエラーを起こしている。
分からない。
不安定な意識がグルグルと回ってるのが感じられた。
でも。
「好きだ。決勝で、俺と戦って欲しい」
俺は耐えた。
美月は驚いたのを通り越した、呆然としたのを突き抜けた、がらんどうの人形みたいな表情で、
「……」
と、声ならぬ声を響かせ、
「……フフ、美月さん言っただろ」
葉山の声も素通りし、
「……私は」
わずかだけ発した。
そして止まった。
美月は。
葛藤しているのかもしれない。
いろんなことから。
世界として、責任者として、俺に対する罪悪感、申し訳無さ、身勝手さ、あまりにも、大きなものを抱えすぎてしまった、あまりにも勝手すぎる。
そう思っている。
……の、かもしれない。
本当は面倒で「どうやって断ろう」とか考えてるのかもしれない。
(止めておこう……ネガティブな思考は禁止だ)
俺は待った。
1秒、2秒、10秒……きっと、体感ほど時間は経ってないのだろう。
俺にはもう1時間も、2時間も待ってるように感じられる。
それくらいに、時間が停止し、あらゆる全てが動きことを止めていた。
(限定解除なんて目じゃない……濃密な、時間)
だが俺は待った。
当然だ。
これも戦いなんだ。
美月は、応答してくれる。
ならば、俺はいつまでも待てる。
待つことができる。
「そーちゃん」
美月は。
俺は。
「私も――――好きだ」
----------THE WORLD SEEKS THE BEST OF HERO----------
世界は英雄戦士を求めている。
かつて、少年の知らない場所で戦ってる女の子がいた。
彼女は苛烈な運命を背負って、戦い続けなければいけなかった。
少年が与えることができたのは、つかの間の安らぎと平穏だけであった。
しかし、少女は運命からは逃れられなかった。
やがては戦い続ける運命の果てに、少女は世界の彼方へと消えていった。
消えた少女のために、少年は強くなろうと決意した。
誰よりも負けない、強さを手に入れようと努力した。
しかし、少年は強さの途中で思い知った。
自分の目指す頂に、少女が待ち受けていることに。
それもそのはずだ。
少女は戦い続ける運命、少年が憎んだ世界そのものになっていたのだから。
少年の強さは矛盾した。
少女を守るための強さが、少女を倒す力となった。
少女を救う祈りが、少女を貫く刃となった。
少女はそのことを知っていた。
だからこそ、少年のことを拒絶し、その存在を無視した。
――――けれど。
「戦うこと。それがそんなに不幸なのか?」
彼は、彼女は知った。
答えは周囲にたくさんあった。
血を流すだけが戦いじゃないと。
倒れ、貫くだけが強さじゃないと。
それは現実を見ていないことになるのだろうか。
「いいや、ならない」
世界は、明瞭な意志さえあれば、現実と結合できる。
反映は可能だ。
いつだって戻ってこれる。
少年は対決を向かえる。
大好きな少女との戦いを。
それは悲しみなんかじゃない。
楽しさと、喜びと、幸福にあふれた戦いだ。
少女は思い知った。
戦いにも、希望はあると。
世界と現実の境界線など、実にあやふやなものだと。
少女の前には少年の姿。
かつて自分がそうだった「英雄戦士」。
受け継いだヒーローが立っている。
「そーちゃん」
「ん?」
「不思議なことは消えないよ。ずっと」
私たちはあらゆる過去を引き連れて、明日を目指す。
消えはしない。俺たちはいろんな俺たちとともに歩いて行く。
これから決勝戦が始まる。
どうか最高の試合になることを願う。
次回「第124話:ヒーロー達の決勝戦」を宜しくお願い致します。
掲載は1~2週間ほどを予定しています。