第98話:運命予兆(B)
恐怖から逃げたければ、できるだけ早く、熊の場所に帰らなくてはならない。
舞城王太郎『熊の場所』より抜粋
ずっとこのままでいい。
そんなふうに思っていた。
心の何処かで、このまま気楽に過ごせると思っていた。
入学してからあまりに楽しかったから。
純粋な幸福は本質的な目的を薄める効果を持っているから。
私は腑抜けていた。
そーちゃんにヒーローエネルギーを与える行為は日課になっていたし、よく見る悪夢も当たり者になっていて、心に受ける傷は以前よりも薄れていた。
どんなに辛いことも、それが続けば、日常の中に沈殿していった。
本当なら、沈殿し、毒のように私の心を蝕むのだろうけど、今の私は余りある幸福に満ちていた。
そうだ。
私は楽しかった。
だからこそ、忘れていた。
思い知るべきだった。
何も終わっていないのだと。
無視しても忘れても気づかない振りしても、“逃げられない過去”はいつでも私の側にいたのだ。
(言わなきゃ……)
卑怯者で裏切り者で欺瞞に塗れた私だった。
これからもそうなるかもしれない私だった。
でも、どうにかしなきゃいけない時が来てるくらい私にもわかっていた。
私は覚悟した。
5月の後半。
私の幼馴染、新島宗太くんが君島優子さんに勝利して、《限定救世主》という変身名を生み出したその日から。
(私のことを……そして、4年前のことを)
話さなきゃいけないと決めた。
私の秘密を、大切なそーちゃんに。
----------THE WORLD SEEKS THE BEST OF HERO----------
四年前、私の街に怪獣が襲った。
怪獣ジャバウォックとその手下のバンダースナッチたち。
超常的な実力備えた怪獣どもは狗山隼人を中心としたヒーロー連盟の人間たちを苦しめた。
私はそんな怪獣たちを相手に戦った。
強いという噂を聞いていたのに、さほど脅威を感じない彼らを内心馬鹿にしつつ、私は掃討を続けた。
破壊、破壊破壊破壊。
おびただしい量の瓦礫が生まれた。
怪獣たちがそれに合わせて消えた。
このまま全滅だ。
そう思い進撃を続けた。
私は怪獣ジャバウォックの居場所を発見した。
そこはそーちゃんの家だった。
私は――今だから理解できるし認められるし納得できることだが――怒っていた。
私の友だちを。
私の大切な、友だちを。
欺瞞だ。
自分の街を瓦礫に変えているのに、他人の大切なあれこれを平気で破壊するのに、彼の居場所を壊すことだけは許せなかったのだ。私は。
戦う理由なんかないと、そう嘯きながら、友だちが襲われると予感した途端に、私は炎のように怒り狂ったのだ。
私は突撃した。
今まで以上――その時の戦闘で一番の力を持ってして、私は怪獣ジャバウォックに襲いかかった。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおぉぉ――――――――ッッ!」
そして、それこそが、
「……ギャルルゥ♪」
怪獣ジャバウォックの真の狙いだった。
----------THE WORLD SEEKS THE BEST OF HERO?----------
「……くー」
意識が落ちていた。
落ちた意識が、揺り動かされた。
「……んー」
まぶたを擦りながら私は目を覚ました。
そこにはそーちゃんがいた。
「勝手に人の布団で寝てんじゃねえ」
「んー、そーちゃん? おはよ……」
場所は室内――そーちゃんの部屋だった。
「まだ夜の7時前だぞ」
そう言われて、時計を見る。針は「6」と「9」の数字を示す。外を見ると夕闇がかかっている。そーちゃんの顔を見ると「仕方ないなぁ」と苦笑している。なんだか恥ずかしい。私は顔が熱くなるのを自覚した。誤魔化そうと、言葉を探した。
「……朝じゃなくて?」
デコピンされた。
私が文句をいうと、何で俺の部屋にいるんだよと言葉を返された。
「いや違うんですよ」
「何がだよ」
「いや、今日も私が食事担当でしょ……そーちゃん帰ってくるまでのんびりしようと思ってて、自分の部屋戻るのも面倒だし、ぼーっとしてきて……」
私は話しながらこれまでのことを思い出してきた。
そうだ。今日は家に帰ってからいろいろ「覚悟決めなきゃ」とか難しいことを考えながら横になっていたら、だんだんとまぶたが落ちてきて、その気づいたら、……。
「なんてこった――って感じ」
お尻を蹴られた。
「布団まで出して寝てんじゃねえ」
「いたいー」
正論すぎた。何にもいえない。
涙目になりながら、私たちはお食事を始めた。
そーちゃんの様子はいつも以上にぎこちなく、なんだか変だった。
私は追求しないことにした。
こういう姿勢が今を作ってきた。それはわかっていた。わかってるんだけどね……。
「……不具合はいつか正さねばならない、か」
食事後、そーちゃんがぽつりと言った。
彼の部屋でのんびりだらんとしていた私は、その言葉がやけに耳に残った。
寝っ転がり彼から視線を背けていた私だったが、彼が私を見ていることだけは、なんとなく、感覚で理解できた。
「なあ、美月」
「んー」
ほら、きた。
私はできるだけ気のない振りをして声を返した。
限りなく重くしない。
この部屋では、そうしたシリアスさを伴った空気を起こさない。
私はそう決めていた。
フラットに、軽快に、ポップに。
私は携帯ゲームをピコピコと動かしながら反応を返す。
「英雄戦士チームの選考会があるじゃん」
ある。
以前だったら、適当にこなせばいいと思っていたイベントだったけど、今はそんなことを言えなくなっている。
「あるねー、そーちゃん本気で目指してるもんね。私のクラスもみんな出るよ。私もでるしー。でも、そーちゃんなら割と本気で天下とれるんじゃないかーって思うよ」
自分で言ってて空虚な言葉だと嘲笑したくなる。
辛い。
その辛さすら私の弱さだと思うとさらに辛くなる。
まあ、いいさ。私は私の歩みで行くしかない。今はそーちゃんが気づいてないと願うばかり、どうか、お願いします。
と。
そんな会話と思索の雑踏に、言葉の弾丸が放たれる。
「その戦いが終わったらさ、話したいことがあるんだ」
「話したいことー?」
くるりと身体をずらして彼のほうを見る。
見る。
見てしまった。
ああ。
私はすぐさま視線をゲーム画面に向ける。
ゆえに、沈黙。
しかし、すぐに言葉がつながる。
そーちゃんが言ったのだ。
「そうそう話したいことがあるんだ」
「今言えないこと?」
「今言えないことー」
「……ふーん」
私は終始気のない様子を続けていた。
嫌なやつだなぁ、そんな風に自分で自分を馬鹿にした。
「まあ、それだけだ。とりあえずそれだけ覚えおいてくれ」
そーちゃんは最後にそれだけ言った。
正直――私は彼が何を言おうとしているのか、わからなかった。
私からならともかく。
彼の方から。
そーちゃんが私にいうべきことがあるとは思えなかったのだ。
(……けど、)
でも、その時のそーちゃんが、その時の彼が、力強い覚悟を持っていることは、
私にも伝わっていた。
彼はいつでも戦ってきた。
いろんなものに。
限られた頭脳とその手足だけで。
答えなくては。
応えなくては。
そう思い、思いが高まり、気づけば、私は、
「私も……」
小さい声が口から生まれた。
「ん?」
「じゃあ、私も、戦いが終わったら話したいことがあるよ」
「話したいこと?」
言葉にするとは、何かを確定させる行為だ。
口にしてしまえば、もとに戻ることはない。
時間は不可逆なのだ。
「んー、それだけだよ。とりあえずそれだけ覚えてくれればオッケーだから」
だから、致命的になる前に渡しは会話を閉じた。
勇気はない。
でも、ないなりに、立ち向かいたい。
今、言うべきことは、言った。
そう思った。
そう思うことにした。便宜的に。
私とそーちゃんの何気ない一日はそうして終わった。
----------THE WORLD SEEKS THE BEST OF HERO?----------
日常の終わりは、戦いの始まり。
私は覚悟を決めた。
ずいぶんと迂回してきたけれど、それでも、「言おう」と覚悟を決めた。
もう後戻りはできない。
それから6月となり、英雄戦士チームの選考会が始まった。
鴉屋クロさんが表に姿を見せるようになったのは、個人的に驚いた。
そーちゃんは一次試験を無事に突破し、何と、真堂さんの実験体になったらしい。
彼女の夢は、最強のヒーローを作ること。
その際の目標として、君島さんを意識している。
学園最強にして、単純なヒーローエネルギーの総量で言えば私を凌駕する彼女――君島優子さん。その彼女に勝利経験があり、なおかつ私とのツテもあるそーちゃんを、真堂さんが実験体に選ぶのもうなずける話だった。
気があったのかもしれない。
そーちゃんは、優しいから、他人の持つ欺瞞の部分を否定しない。
嘘つきを、嘘つきのまま、受け入れる度量がある。
いや、ラインがあると言ってもいいだろうか。
彼は明るくて元気で、誰とでもそれなりに友だちになれる人間だけど、他人の持つ大切な一線――傷つけ合い苦しみ合う重要なライン――それを滅多に超えることはなかった。
他人のことがわかりすぎるせいで、あまりにも空気が読めすぎるせいで、優しくて誰よりも思いやりが深いせいで、彼は、他人の一線に踏み込まない。
踏み込んで、それ以上に進もうとしない。
一歩引いて、そういうものだと肯定する。
ひどい言い方だ。
これは私も同様だ。
私の場合、その距離感がわからなくなり、時に基地外のような行動を起こしてしまう。
下手くそなのだ。生きていくことが。
ぎこちない私と、そーちゃんは、そうして関わってきた。
それは幸せで、優しくて、心地の良い空間だったけれど、一方で、私と彼の関係が進まない要因になっていた。
「……不具合はいつか正さねばならない、か」
いつだったか、そーちゃんが言っていた言葉を思い出した。
彼の口からそんな言葉が生まれるだなんて。
私は驚いた。
もしかしたら、誰かに言われたのかもしれない。
(たぶん、生徒会長さんとか、涼子ちゃんとか、誰かに……)
ならば、彼も今の状況に「危うさ」を感じたのだろうか。
今を打開する、覚悟を決めたのだろうか。
(すごいな……強いな)
私は憧れる。
そういうところに。
純粋に。
(……さて、そろそろ私も行きますか)
授業が終わり、立ち上がる私に涼子ちゃんが声をかけた。
「いよいよか、……頑張るのだぞ、美月ちゃん」
「うん、ありがとう」
拳を叩き合い別れを告げる私たちに、猫谷さんが飄々とこう尋ねた。
「おう、美月。どこ行くんだ?」
私は答える。
「英雄戦士選考会」
今日は金曜日。
参加を決めた英雄戦士試験。
その第一次。
さあて――運命を揺るがしていこう。
英雄戦士試験開始。
次回「第98話:運命予兆(C)」をお楽しみ下さい。
掲載は3~6日以内です。




