第97話:女子寮潜入(C)
私は上の空で授業を聞いていた。
「――――であるため、変身名とは私たちが変身するためのキーワードとなります」
それは、私が夜遅くまで起きて能力の発現を行なっているからじゃない。
「この中でプログラミングの経験がある人がいれば、変身名とは関数名のようなものだと説明できるでしょう」
それは、私が深夜に目を覚まして悪夢に悩まされているからじゃない。
「より正確にいえば、変身名は、ヒーローエネルギーというオブジェクトをインスタンスする際に宣言する変数名だと呼べます。ここでは混乱するので詳しくは説明しませんが」
私は、混乱しているのだ。
「変身名は自由に付けられる名前です。私たちの変身装置は変身名を宣言をせずとも暗黙的に変身を行なってくれますが、より強力で正確なヒーローエネルギーの運用を行いたいのならば、変身名の宣言は可能な限り行うようにしましょう」
私は、今週末に迎える“ある現実”に対して混乱しているのだ。
そこでチャイムの音が鳴る。
「それでは本日の授業はここまでとしましょう。皆さん、お疲れ様でした」
気がつけば、四限の授業が終わっていた。
生徒たちはそれぞれ学食に向かう。
私は目の前の席に座る狗山さんに話しかけた。
「あ、あの……狗山さん……」
「美月ちゃん! 今度『遊びに来る時』に何か食べたいものはあるか!?」
「え、ええと……」
私は口をつむぐ。
今度遊びに来る時。
遊びに来る時……。
その言葉が私の頭の中で何度も繰り返される。
「何でも言ってくれ! 私の自活力は魔王軍で悪魔大元帥を名乗れるレベルだ」
「…………な、何でも……」
「ん?」
「狗山さんも好きな、ものなら……何でも……大丈夫です……」
「了解したっ! ならば私の本気を見せてあげよう!」
狗山さんは「……ということは……間違いない……」と小声で呟きながらスマートフォンを取り出しレシピの構想を練り始めた。
いやいや、昼飯食べようよ。
(まぁ……そうだ、そういうわけなんだ)
そうなんだ。
私は、混乱していた。
今週末――友だちの家に遊びに行く、そのごく自然な出来事に対して。
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「そして、俺は15歳の男子高校生であった」
そーちゃんが女子寮の前でモノローグ調にそう言った。
「そ、そーちゃん、先陣は任せたよ……。私は後衛で魔力の回復とかしてあげるから」
一方の私は突っ込むことも忘れて後ろに隠れてハムスターみたいに立っていた。
今週の土曜日――当日、私たちは狗山さんの住む寮の前に到着していた。
想像以上に綺麗な寮でありその見た目に私は気圧された。
ビビってる私にそーちゃんは呆れた視線をよこす。
お 前 が 行 け よ
正論だった。私は何も言い返せない。全くもって世間は辛い。
私はそーちゃんの文言に気づかない振りをしてそのまま後ろに隠れ続けた。
そーちゃんはため息を吐き、
「じゃ、じゃあ行くぞ……美月」
そう言って、中に入った。
女子寮の中はまるで高級旅館のように整備されていた。
「おお……」
私は感動の声をあげる。もっとボロい場所をイメージしてたけど、さすが大平和ヒーロー学園、無駄なところにお金をかけている。
(これなら寮生活も楽しそうだなぁ……)
集団生活なんてできっこないのをわかっていながら、そんなことを勝手に考えた。
実際、入寮の話は来ていたが、そこまでは理事長の恩恵に預かれないとお断りした。甘えすぎると人として駄目になるし、そこまでの借りは作れないと言ったのだ。
(まぁそれはもちろん表向きの理由で――)
私は彼の方を見る。
そーちゃんは顔を赤くしながら私に先に進むよう提言した。
女の子ばかりの空間に戸惑っているのだろう。観察すればかなり無防備な女の子も何名かいる。私は心の中で「仕方ないなぁ」という気持ちになる。
私はわざと時間をかけて目的の部屋に向かった。
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「アイスティーしかなかったけど、構わないかな?」
あーいいっすね。
私たちは狗山さんのお部屋に到着した。
緊張していた私も、部屋の中に入ってからは意外と落ち着いてきた。
室内は無駄なく整頓されていた。
(…………すごいなぁ)
それは何だか人工的な整頓さというか、要するに『本来あるべきものを全部しまいこんだ』のような綺麗さだったけれど、私は気にしないことにした。
(…………なんかおっきいクローゼットがある)
何だかやけに大きなクローゼットがあるのにも気づいたけれど、私はスルーすることにした。
……実際はその押入れには、大量のグッズやら特殊な本やら何やらと、桃さんの居住スペースである屋根裏に通じる階段があるのだけど、そのことを私が知るのはまだ先のことである。
(女子力高いなぁ……)
この時の私は純粋に狗山さんの女性としての力に圧倒されるばかりだった。
「お待たせしたぞ、二人とも」
そうして私たちが圧倒されていているとまもなく料理が到着した。
――それは神の料理。
カレーだった。
----------THE WORLD SEEKS THE BEST OF HERO----------
私は子供舌という言葉が嫌いだ。
味覚の未熟さを指弾するような物言いが嫌いだ。
まるでカレー・ハンバーグ・お刺身・唐揚げ・ステーキが好きな人間を、いや、そもそもそうした食べ物を愚弄したような言葉じゃないか。
美味しいものは美味しい。
そこには大人も子供も関係ない。
確かに私もカレーにお肉が入っていれば至高で、そうじゃないカレーなんてカレーじゃないから今すぐ是正されるべきだと、そんなことを考える機会もあるが、それはそう考えても言葉にしちゃいけないのだ。
……おっと、そういいつつ、言葉にしてしまった。よくないよくない。私としたことがとんだ差別発現を。
とかく、あらゆる物の評価に大人も子供も関係ない。
これは食べ物に限った話じゃない。
そうだな……『物語』だってそうだ。
物語に、子供も大人も関係ない。
絵本だって、児童文学だって、経済小説だって、純文学だって、ライトノベルだって、歴史小説だって、ネット小説だって、新聞の投書だって、アニメだって、ドラマだって、映画だって、演劇だって、詩だって、漫画だって、ビジュアルノベルだって、なんだって。
面白いものは面白いのだ。
ジャンルという瑣末さに囚われてはいけない。
そこには大人と子供の境界線などとうに消失している。
もちろん、向き不向きはあるだろうけど、それが否定される要因にはならない。
しちゃいけない。
さっきのカレーの件では肉のないカレーなんてカレーじゃないからこれからはカレーという言葉なんて名乗らないでいただきたいと酷いことを言ったが、(そこまで言ってない)
そのカレーが、美味しければいいのだ。
本質的に“美味しい”という一点を穿てばいいのだ。
あらゆる年齢は関係ない。
無論、好みの差はあるだろう。しかし、それはあくまで、好みの問題なのだ。
子供は、大人の味に歩み寄るべきであるし、大人は、子供の味に寛容であるべきなのだ。
そもそもだ。
大人と子供。
何故この二つを分ける必要がある。
何故分けた必要がある。
子供は大人にならなくちゃいけないし、大人は子供に戻ることはできない。
生を受けてモラトリアム期間を経て社会との適合を行い大人になることが――人間的成長だなんて。
誰が決めたのだ。
私は逡巡する。
子供は大人に進化する。
大人は子供に退化しない。
それが正しい。それが正しいと決めつける。
そうした思想、そうしたあり方、
区分し変化することが当然だと考えるその価値観、人類の臨在感そのものに私は疑問を投げ掛ける。
……なんだか、そーちゃんみたいな言い方になってしまった。
ともかく、今の私が言えることは唯一つ。
「カレーそれは神の料理……!」
私は超大喜びだったのだ。
「うむ、好物と聞いていたのでな」
狗山さんが超絶カッコイイ顔で笑う。
「うん、ありがとうっ!」
私も思わずそう返してしまう。やべぇ、素だった。私は赤くなる。
「……おおおおおおっ! い、いや、当然のことをしたまでだ」
狗山さんは私の赤面に気づくこともなくそう応えた。何だか狗山さんも顔が赤い気がするけど、どうしたんだろう。
(まあ、いいや、とにかく……私はお腹がすいたのだ)
~~~美月のグルメ~~~(私自身が孤独の体現者だという高度な自虐的ギャグ)
私は目の前を見つめた。
真っ白なお皿にライスとカレーが均等に並べられている。
お洒落なレストランで食べるような透き通ったカレーライスではない。
ふらりと立ち寄った定食屋さんに置いてある温かな家庭的なカレーだ。
夕方、疲れてへとへとで帰ってきた時に晩御飯で食べることになるあのカレーだ。
カレーのとなりには氷の入ったよく冷えたアイスティーが置かれている。
(……いただきます)
私はスプーンを手に持ち、カレーのルーに触れる。
程よい抵抗感。それをすくいライスの一部にかける。白いライスにカレーの色が混じる。私はその上でに程よく崩れたジャガイモを加える。さらにお肉も。この具材は煮崩れしているわけでもないのに、簡単に切れる。満足感のある大きさだ。なのにスプーンで切れる。時間をかけて作ったのが伝わってくる。
(……こういう、ちゃんとジャガイモの形が残ってるくらいがいいんだよな)
私はご飯とルーを軽く合わせる。
そのままジャガイモも加えてスプーンを口元に近づける。
一口目。
(…………うん)
私は食べる。
さらにもう一回続ける。
今度はお肉を。続けてジャガイモを。
ルーとご飯を綺麗に合わせつつ、ご飯とルーの境界線を崩さず、上手に横断する。
辛味は強くない。適切な味の濃さ。
クセのある香辛料などは入っていない。
シンプルで、具材の入った、私の望んでいるかたちの、カレーらしいカレーだ。
(…………うん、うんっ)
私はカレーを口に運ぶ。
喉に乾きを覚える。よく冷えたアイスティーを飲む。
(…………美味しいなぁ)
喉に冷たい飲み物が通る。カレーでほてった私の喉元がするりと潤う。
カレーの辛味があるから、紅茶の持つ苦味と甘味がより引き立つ。
(水……意外と水よりいいかも……)
外はよく晴れており、気温も暑すぎず丁度いい。
窓からは陽光が差し込んでくる。
休日のゆっくりとした時間。
美味しいカレーと清涼感のある飲み物。周囲には私の大好きな人と私を大好きな人。
この上ない幸福。
幸せだ。
私はそこで気づいた。私は孤独じゃない。
食事は誰にも邪魔されず、自由で、なんというか救われてなきゃいけない、というけれど。
でも、今の私は孤独じゃないのに、こうも自由で、救われている。
この矛盾が成立している奇跡に、私は驚きと感動を覚える。
(……そうか)
私は気がついた。そーちゃんと狗山さんの存在に。
その瞬間、私の内側にたまった世界が外側へと広がり光を放った。
ああ、美味しい。
……私は幸福だ。
私はカレーをもう一口すくう。
「うまいね! そーちゃん!」
私は笑顔でそう言った。心からの言葉だった。
「ああ、結構ガチで美味いな、俺にはこの料理の腕の方が羨ましい……」
そーちゃんもこの美味しさに驚いているようだった。
普段の生活では彼のほうが料理を担当することが多いから、嫉妬のような気持ちもあるのだろう。
私はふふ~んと鼻歌でも歌いたい気持ちになってカレーの続きに着手した。
「そういえば食後にケーキも用意したんだった。よかったら食べてくれ」
「ケーキ!」
私は飛び跳ねるようにそう言った。
こんなテンションで狗山さんに引かれないか心配したけど狗山さんは何一つ揺らぐことなく優しげに微笑んでいた。
あ……やばい、超楽しい。
「ありがとうっ! デザートにして一緒に食べよう!」
そんなことまで言ってしまった。
----------THE WORLD SEEKS THE BEST OF HERO----------
それからの私はちょっと楽しすぎて語るのが憚れる。
ある種の精神的高揚を覚えて、恥ずかしいことを言ったり、恥ずかしいことを言われたり、抱きついたり、抱きつかれたりした気がする。
……狗山涼子ちゃん。
彼女はいつの間にか私の中に深く浸透していた。
自分でも気づかない内に。
私のやんわりとした壁を物ともしないで入り込んでくれた気がする。
(……私、こんなに幸せでいいのかな)
不思議な気持ちになる。
もちろん、私の過去が今の私を幸福させちゃいけない枷になるだなんて、私はそこまで真面目じゃないし、物語的じゃないし、自意識過剰じゃないから、そんな風には思ってないけど。
でも。
(こんな幸福な、楽しいことがあると、ちょっと……戸惑う)
混乱してしまう。
私は“幸せ慣れ”してないのだ。
ちゃんとした楽しいことにそんなに出会ってこなかったのだ。
多分、私は……。
人生の充足に戸惑っている。
この瞬間が永遠になればいいなんて思ってる。
(えいえんはあるよ……なんてね)
現在、私たちは近くのお風呂屋さんにまで来ていた。
女子寮にも浴場はあるのだけど、女湯しかないので、そーちゃんが入れないのだ。
(ふぅ)
私はお風呂が好きだ。
あんまり熱すぎないお湯で出来るだけ長く浸かるのが好きだったりする。
(なんていうか、考え事をするのに向いてるんだよね。お風呂って)
大衆浴場の場合だとまた変わってくるのだけど、でも、この銭湯は人が少ないし、お湯にゆっくり浸かっているのはそれだけで気持ちがほぐれる感じがして好きだった。
「…………おお」
「…………これは、目の毒だな……」
「解せない……これは早急に対策を講じなくては……」
もはや親友と化した涼子ちゃんは、私の身体をチラチラ見て、それだけ言い残すと先にお風呂からあがっていった。
早く牛乳を飲みたいんだとか。
お風呂上りだもんね。一杯いきたいところだよね。
(最近、いろんなことがあったからなぁ)
こうして落ち着いて何かを――建設的な気持ちで――考えるのは久し振りだったかもしれない。
私自身と涼子ちゃんとそーちゃんについて。
涼子ちゃんとあんなに仲良くなれたのは嬉しかった。
その理由に関して、今もまだ不確かなところはあるけれど、うん、そのうちわかってくるかもしれない。
そーちゃんに関しても、私は近いうち『覚悟』を決めなきゃいけない時が来ているんだと思う。私はずるずる行っちゃったけど、そのうち、そのうち……。まあ、時間はある。ゆっくりと決めよう。
「――――光陰矢のごとし、ですね。美月様」
そんな時だった。
いきなり声をかけられた。
私の考えを見抜かれたような気がして、私はどきりとした。
声のほうを振り向く。
いつ間にか私のとなりには可愛らしい女の子がお湯に浸かっていた。
黒髪短髪。
幼い顔立ち。
お人形さんみたいな無表情さ。
私はこの女の子の名前を知っていた。
「猿飛、桃さん……」
「はい、お久しぶりです。美月様」
猿飛さんは透明な肌を桃色に火照らせていた。
彼女は私を見た。
私の顔を見て、私の身体を見た。
「……涼子様がお上がりになられたのも頷けます」
なんだろう、馬鹿にされたわけじゃないんだろうけど、なんか馬鹿にされた気がする。
「猿飛さん、お久しぶりですね……いつも、姿が見えないので」
「はい、涼子様と美月様をお守りするため、普段は消えているのです」
まるで動物の生態を語るように桃さんはそんなことを言った。
彼女は私の隣の席であって、私の隣の席でなかった。彼女は、授業中に決して姿を見せないのに、出席だけはちゃんと確保している謎の少女だった。
「あの……いきなり現れるのって……どうやってるんですか?」
「私は狗山隼人様から変身装置の常備を許されています。これは単純に私の変身名《裏戦国絵巻》の発動結果に過ぎません」
「ああ、プログラミングで言うところのコメント文になれる能力でしたっけ……?」
「物語の視点から逃れる能力ともいえます」
どっちでもいいや……私はどちらにせよそう思う。
「ちなみに見た目が変わっていないのも、理事長のちからですか?」
「はい、鴉屋博士の新発明だそうです。見た目を変えずとも能力を発動させるものだそうです」
「あのオジサンまた変なもの作ってるんですね……」
私はそういいながら、この前であった彼の一人娘の姿を思い浮かべた。
「どのみち猿飛さんの能力は稀有ですね。世界に干渉できるってことは終焉崎さん系統の能力ですし」
ヒーローの能力は、三つに大別できる。
自分を変えるか。
世界を変えるか。
自分と世界を変えるか。である。
普通のヒーローは、君島優子さんタイプの“自己変革”の能力を持つ。
しかし、たまに桃さんのように、ヒーローエネルギーが、自己ではなく、世界に影響を与える場合がある。
姿を消したりとか、何もない空間を走ったりとか、エネルギーを見えなくしたりとか、他人を操ったりとか、そういうことだ。
まあ、最後のは『私の系譜』に近いけど……。
「それで、ご用件はなんですか? 猿飛さんがただで姿を見せるってことはないでしょう?」
それこそ入学してから数えるほどしか顔を見せてくれていない彼女だ。
彼女が現われたのならば、そこには意味が潜んでいるはずだ。
「はい――涼子様と美月様が仲良くなられた。そう思い、私はお話したことがあるのです」
「……仲良く」
私はそうつぶやく。お風呂の中で口をぶくぶくと泡立てる。
そう言われると……ちょっと、はずい。
のぼせたみたいに赤くなってしまう。
しかし、桃さんは気にせず続けた。
「おそらく涼子様の口からお話なさることはないでしょう。ですから、私の口からお話しておきたいと思うのです。涼子様の過去について」
「涼子ちゃんの……過去……」
はい、と桃さんは続けた。
涼子ちゃんとそーちゃんは何してるかな。
ふと、そんなことを思った。
そして、桃さんは語りはじめた。
――美月瑞樹と狗山涼子の出会いの話を。
次回「第97話:女子寮潜入(D)」をお楽しみください。
WORLD編も半ばを超えました。次回は狗山涼子の過去編。掲載は3日~6日以内を予定します。