第96話:壇上挨拶(A)
「久し振り……美月瑞樹ちゃん」
「美月ちゃん言うな」
入学の数週間前。
私は狗山隼人と数年来の再会を果たした。
場所は大平和ヒーロー学園の理事長室。
彼は変わっていなかった。
変わらない優しげな表情で――私を歓迎してくれた。
「どうだいこの学校は、なかなか綺麗なところだろう?」
「駅から遠いのに腹立ちました」
「ええっ!?」
狗山隼人は困った声を出した。威厳のほつれた様子で横目を逸らして言った。
「……それは仕方がないんだよ。安全性の面を考慮したら交通網の近くには置けないんだ」
「本当は?」
「……お役所の偉い人にそう言われた……。本当は都心のど真ん中に作りたかったんだけどな、せっかく余った土地があるんだからって連盟の人たちにも怒られて……」
「そういう立ち回り下手なところも、変わらないみたいですね」
私は笑った。
嘲るような笑い方ではない。純粋な好意を含んだ笑みだった。
「それでご用件は何ですか? ……もしかして、私を半ば強制的に入学させた理由を、ようやく説明してくれるんですか?」
「ああ、それについては後々――」
「私を“半ば強制的に”誘った理由、――説明してくれるんですか?」
「……それについては申し訳ないと思ってるよ」
「十五歳の女生徒を、三十代半ばの男性が、“半ば強制的に”、誘った理由――説明してくれるんですか?」
「…………もしかして、怒ってる?」
「怒ってないですよー」
「怒ってるじゃないか」
しょんぼりする狗山隼人。もはや威厳などなかった。
この人はいつもそうだった。
戦場では完全無欠の強さを誇る戦士なのに、対面で話すとただの子供に成り下がるのだ。
(これで相手の油断を誘っているのなら、まだ老獪な戦士として畏れられるんだけど……)
「美月ちゃん、機嫌を直してよ。ほら、学費も半額免除してあげたじゃないか」
「全額じゃなかったんですね」
「じゃ、じゃあ全額にするさ! 大人だからね、それくらい俺の権力なら楽勝だよ」
「人をお金で釣る大人、最低だと思います」
「いや、大事だよ、お金。俺、30過ぎてからようやく気づいたんだから」
(……この人、素だからなぁ……)
素で、こんな感じなのだ。ナチュラルにお子様なのだ。
しかし、彼が本物の“狗山隼人”であるのも揺るぎない事実だった。
人類で初めてヒーローに変身し、
世界中の怪獣の約五%を単独で撃破し、
各国主要都市に拠点を置く世界ヒーロー連盟の総理事を務め、
その英雄性と壮大なイメージ戦略の結果、
人類に“ヒーロー”という概念を植え付けた歴史の革命者。
それが、彼、伝説のヒーロー“狗山隼人”なのであった。
「……ひさびさに美月ちゃんに会えたと思ったら、ひねくれた性格に磨きがかかってた……」
「人を昔から変だったみたいに言わないでください」
現在、三十四歳。
まだまだ若い。
なのに、これだけの功績を残してる事実が信じ難い。
化け物だ。彼のような人間こそ、本当の化け物と呼ぶべきだろう。
「そういえば、美月ちゃんを呼んだ理由だったね」
「……本当に話してくれるんですか?」
私はジト目で彼を見た。
今まで散々ごまかされてきたのだ。信じられない。
「話すさ。なぜなら私は狗山隼人だからね」
何が「なぜなら」なのか意味不明だったが、狗山隼人は本当に話してくれた。
「実は今日の本題とも関わってくるんだが、現在、“ある計画”を進行中でね。
その計画の主賓として君に参加して貰うべく、この学校に招いたんだ」
「……“ある計画”、ですか?」
そして、私は聞かされた。
その荒唐無稽な“計画”の内実を――。
----------THE WORLD SEEKS THE BEST OF HERO----------
「おー見た目は普通の教室だな」
「そ、そうだね」
狗山隼人との再会から数週間後。
私は大平和ヒーロー学園に入学した。
そして現在、幼馴染のそーちゃんと、Sクラスの教室の前に立っていた。
「それじゃあ。俺も自分の教室に向かうから元気でやれよ」
「う、うん……」
私はぎこちなく答える。
そーちゃんは別のクラスだ。Dクラスという名前のクラスだ。もっと奥にあるらしい。
つまり、ここでお別れということだった。
「元気だしな。今日は午前中で終了の予定だし、帰ったら昼飯でも一緒に食おうぜ」
「う、うん…………ありがとう、そーちゃん」
素直にお礼する。
申し訳ないが、毒づく元気もない。
私は緊張していた。めちゃくちゃ緊張していた。かーなーり緊張していた。
(うっわぁ~、あ、新しい環境ですか……)
新しい学校。
新しい教室。
新しい友達。
そのすべてが私の敵であり、私を緊張せしめる原因の正体だった。
(いやいや、駄目でしょ。そんな考えは)
私は頭を振る。
(そりゃあ、中学時代みたいに全部無視できれば楽なんだけど……)
心を閉ざして、誰とも通じない。
あらゆる外的要因をシャットアウトして、心を内側に向ける。
周りからも「あの人は無口な人だ」と認識されるので誰からも話しかけられなくなる。
確かにそれなら私の世界は平穏だ。静かで、落ち着いている。
喜びもないが、苦しみも少なくて済む。孤独は遅効性の毒薬になってじわじわと私の心を浸食するがそれでも崩落までの時間は稼げる。
(……けど、ダメだ)
ダメなのだ。
私は生まれ変わると決めたのだ。
そーちゃんと。そして、自分自身と。
(青春を、めいいっぱい楽しんでやるんだ……)
そう決めたんだ。楽しむと。これからの生活を。
地味で平凡だけど、だけど幸せで楽しい「普通の高校生活」ってやつを。
(人間は「うまくやりたい」という“期待”があるから緊張すると聞く。私がこうも緊張するのは、つまり期待の裏返しなんだ)
ならば、応えなくては。
私の期待に。私自身が。
隣をみると――そーちゃんが心配そうな視線を向けていた。
(……そーちゃんには、本当にお世話になった)
もう言葉で語り尽くせぬほどに。
思い出すだけで涙が出てくるくらいに。
彼がいたから生きてこれた――中学時代。
(だからこそ、私は『一人立ち』をしなきゃいけない。彼が頑張ってきたことに、“結果”を与えるために。彼の努力に、報いるために)
故に――今ここで私がすべきことは、彼を安心してDクラスに向かわせること。
私が一人でも大丈夫だと、彼に判断させること。
ぐっ、と小さく拳を握った。
私は硬くなった口元を『無理矢理に』釣り上げた。
あえて冷笑的に、あえて独善的に、
偉そうに他人を馬鹿にした風をよそおって、内なる感謝を出さぬように、
――笑って、みせた。
(強がること、それが私にできる唯一の餞なのだから)
そして言った。
「そうだね……そーちゃんと違って、Sクラスに入れた私はマジで勝ち組だもんね」
そーちゃんは一瞬驚いた顔をした。
目をぱちくりと瞬かせた。
けど、すぐに表情を戻した。彼はこう言った。
「――言いやがったなこの馬鹿」
コツンと、
優しさのこもったげんこつを、私の頭に加えたのだった。
そーちゃんは穏やかな顔をしていた。
私は苦笑して、演技じみた大袈裟な動きで、いたずらっ子のように舌を出し、
「それじゃあ不肖美月瑞樹、行って……まいります」
「おう、行ってこい」
背中を叩かれた。
ガソリンを注がれた車のように、私の心が熱く満ちた。
ギアが入り、気持ちのエンジンがかかる。
その力強い感じを忘れぬまま、私は教室のドアを開いた。
(さぁ、運命の一歩だ)
そーちゃんの視線は、私がドアを閉める瞬間まで続いていた。
(……ふぅ)
ここが、Sクラスか。
さあ、頑張れ美月瑞樹。
高鳴る鼓動を静めて、周囲を見渡した。生徒はまだそんなにいな――
「――――君が、美月瑞樹ちゃんか……」
と、心が落ち着くより早く、
いきなり、
声を掛けられた。
「えっ……」
振り向いた。
声の主はすぐ近くにいた。
教室の扉の真横に立っていた。
それは、美しい少女だった。
(えっ……)
私が反応するよりも早く彼女は近づいてきた。
つかつかと軽快な靴音を鳴らし私の前に立ち私の至近距離までにじり寄った。
ゆっくりと、
腰を落とし、
片手を胸元に当て、
片膝をつき、
中世の騎士が忠誠を誓う時のように、
私の前に跪いた。
「えっ……」
この短時間で三回も「えっ」と言ってしまった。
そんなどうでもいいことを思った。
私がそんな風に現実逃避して現在の状況の認識を怠っていると、
目の前の少女が――名乗った。
「私の名前は――“狗山涼子”」
澄んだ声だった。
青空のように澄んだ声だった。
それでいて堂々としていた。
見ると曇りない美しい緋色の瞳をしている。
彼女は姫君に出逢えた騎士のように私を正視した。
「あなた、は……?」
問いかけに彼女は答えた。
「私の名前は狗山涼子。変身名《血統種》。狗山隼人の一人娘にして、最強のヒーロー達の魂を受け継ぐ者だ」
狗山隼人の娘……。
私の脳裏にあの理事長の顔が浮かぶ。
「久し振り……美月ちゃん。再会できて私は光栄だ」
美月ちゃん……。久し振り……。
その言葉、その名前、その表情に、私は狗山隼人の姿を思い描いた。
そして、私は導かれるように、数週間前を思い出すように、とっさにこう返してしまった。
「美月ちゃんって言うな」
(……あ)
しまった。
後悔しても全ては遅い。
私の高校デビュー初日。
私の生活はクラスメイトに暴言を吐くことから始まった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
次回「第96話:壇上挨拶(B)」をお楽しみ下さい。
全3~4パートを予定します。掲載は3日~5日以内を予定します。