第92話:ヒーロー達のかつてない戦い(A)
桃さんについてのお話をしよう。
本名は猿飛桃。狗山さんの侍女。つまりはメイドさん。忍者(自称)。けど、多分、本当。
変身前は、黒髪短髪の小さな女の子。愛らしい見た目。背丈はあゆと同じくらい。感情のない声と、氷のような表情が特徴的。
変身後は、鈍色の楔帷子の上から、桃色の忍装束を羽織っている。頭には桃色の頭巾。顔には白色の仮面、その下の表情は読み取れない。
読めない、感情。
変身名は、《裏戦国絵巻》。
世界から――干渉されなくなる能力。
それは例えば、この世界が物語の中だとしたら、彼女は語り部という視点から意図的に除外されてしまう。
この世界がイラストだとすれば、彼女だけが別レイヤーの存在として、非表示化されてしまう。
この世界がゲームだとすれば、彼女はプログラム上のコメント文として、処理動作から無視されてしまう。
いるけど、いない。
存在するけど、存在しない。
世の中を矮小で壮大な一つの空間だと括って考えた時に、彼女は“いないもの”として扱われてしまう。
むしろ、そう或るように、彼女自身が世界に働きかけてしまう。
(いるけど、いない……そんな夢みたいなチカラ……)
チカラを発動した彼女は、何者にも干渉されない。
同時に、それは、彼女自身も、誰にも干渉できないことを意味する。
例えば、俺が攻撃しようとしても、彼女は殴れない。
彼女という個体に限定して、攻撃という影響を与えることはできない。
それは、世界そのものを、空間そのものを攻撃しない限り。継続する。
完全な没交渉。完璧な相互不干渉。
世界そのものから隔離されたような。
まるでミラーワールドの住人みたいだ。
(……スゴイけど、何だか寂しい力だ。狗山さんを見守るのには、最適な能力なんだろうけど……)
ずっと、見続けること。
干渉すらしないこと。
それは確かに楽だろうが、一方で明らかな苦痛を伴うはずだ。
(けど、今は違う……)
彼女は今、物語の舞台の上に立っている。
観測者という安寧な立場を捨て、怪獣ジャバウォックという強大な敵と相対してる。
その判断が正しかったのか、間違っていたのか、俺にはわからない。
そもそも俺に評価する資格はないと思う。
彼女は、自分で選んだのだ。
俺たちの前に姿を見せると。
自らの姿を世界に晒すと。
俺たちのために、狗山さんのために、美月のために、そして――自分自身のために。
今の状況は、決して良いとはいえない。
むしろ、最悪といってもいい。好転は難しい。
桃さんの判断、意志を伴った行動が、必ずしも事態を好転させるとは限らない。
全能性の否定。
彼女もまた青春的危機に瀕している。
純粋な現実の前で、大きな一つの岐路に立たされている。
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「あゆ……」
あゆが倒された。
岩壁の隅で動くことなく止まっている。
夏の終わりに見るセミのように。硬くその身体を閉ざして動こうとしない。
「あゆ……」
もう一度その言葉がこぼれた。その瞬間に。
「ぎゃぁぁああああ”ああぁぁぁああぁぁぁぁぁ”ぁぁぁぁぁぁ”ぁぁぁぁぁぁaaぁあぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――ッッ!」
響く、狂音。
ノイズ混じりの、叫び。
破滅を伝える序曲の様に、鼓膜を揺さぶり身体を震わし心を壊してくる。
怪獣ジャバウォック。俺は見つめ返す。本当の怪獣を。獰猛な本性を露わにしたその最強を。
(化獣め……っ!)
弱りそうな心。どうにか激励して勇気を蓄える。
頑張れ、頑張れっと。
死ぬほど悔しい、泣きたいくらい悲しい、が、でも、それでも、――今は現実を受け入れなくちゃいけない。
目を背けたい気持ちを打ち砕き、その先の一歩を踏み出さねばならない。
(――認識しろ、そして、戦え)
あゆが倒された。
怪獣ジャバウォックによって一瞬で天井まで吹き飛ばされて、落ちてきたところをとどめを刺された。
当のジャバウォックは、俺の数十メートル前方で勝鬨に近い咆哮を上げている。
人を馬鹿にした哄笑は止んで、目にも怖ろしい憤怒も消えて、今は王者の風格さえある“化獣然”とした、獰猛で知的で圧倒的な様子で、俺たちを威嚇している。
上げる声、その声に、人類を怖がらせる潜在的な毒でもあるように。
俺の心を奥底からふつふつと揺さぶる……。
(畜生……っ超怖ええなー)
本気だ。
本気なのだ。
怪獣ジャバウォックは、《本気モード》になっていた。
かたや対するヒーローは、今や俺と桃さんの二人だけに減っていた。
(くそぉ……こんなんありかよぅ……)
敗戦、濃厚。
明確な絶望が俺たちの未来にはあった。
本気になったジャバウォックはもう油断はしないだろう。あゆの砲撃に苦しめられたジャバウォックは、もう俺たちを馬鹿にしない。
全力で狩りにくる。
それは死の宣告をされるのと同義だった。
(どうする……?)
自問しつつも俺の中では『一つの答え』が生まれていた。
命がけの判断。最良の手段。
しかし、それすらも、うまくいかない。
成功させるための算段をつけなきゃいけない。
(そのためには、まず、桃さんと合流しなくては……)
彼女は右斜め数メートル向こうにいた。
今の状況。
仲間と合流するのも命懸けだ。
俺はじりじりと身体を動かし、機会を探る。
「……ギャぁぁァ……?」
しかし、俺の微細な動きも今のジャバウォックは見逃さない。
目敏く察知し、疑念に満ちた声を俺たちにぶつける。
ドシンッ! ドシンッ!
地ならしするように大地を叩く。
つり橋の上に立たされたような不安定な状態に晒される。
岩石の集合体である両眼が、個別の生命体の如く俺たちの間を交差する。
「ぎゃぁぁ”ぁ~~ぁ」
充満する殺意を込めながら、ジャバウォックは両腕を高らかに上げた。
巨大で重厚な二本の腕がゆっくりと頭の上まで伸びる。
そのまま。
隕石が落ちる様に。
豪腕が大地に降り注ぐ。
「ギャァラッァン!」
地盤が、材木の様に、砕けるっ。
粉砕され、俺たちの位置まで――一気に侵攻するッッ!
割れた、割れた、割れた地面が、大波のように、盛り上がり、迫り来る。
「う、うぉぉ、」
「うぉ、ぉ、ぉおぉおぉぉ……っ!!」
「うぉぉ、ぉぉおぉおぉぉぉ、ぉぉぉおぉぉおぉぉぉお……っっ!?」
地震ってレベルじゃない。
地盤、そのものが隆起した。
立っている地面が浮き上がりすぐに俺はバランスを保てなくなる。見える世界が傾斜する。俺は両目がおかしくなったのかと混乱する。
右脚を強化。
まだ無事な安定した足場を確保し、力強く蹴る。一気に横移動。桃さんのいる場所へ合流を急ぐ。
「桃さんッ!」
叫び俺は近づく。桃さんも俺にあわせてこちらに飛ぶ。
しかし、
「ギャッ!!」
と、ジャバウォックが空気を掻いた。
まるで沼地を泳ぐカエルのように、怪獣ジャバウォックは空気を掻いた。
それは嵐を呼んだ。
(は?)
奴の両腕の動きに合わせて、大気が激しく揺らめいた。風が、台風の如き強風が、いきなりこの大広間に吹き荒れた。空間が歪むようだ。砂があがり岩があがり煙があがり四方八方に入り乱れた。
「なっ、ぁ……!?」
砂塵が渦巻いて全身を貫いた。
それだけじゃない。
跳躍して空中に飛んだ身体がぐるりと反転した。
頭が地面で足が天井。
豪風に弄ばれるように俺の自重が崩壊する。
「な、なっ、なぁ……っ!?」
ありえねぇ。馬鹿なっ。
くるくるくるとその場で回転する俺は必死に態勢を保とうとする。
俺はブーストを点火。
軌道修正を目指して急いで桃さんのもとへ。
「ギャッッッ!」
と、ジャバウォックはさらに腕を回す。広間の荒ぶりは悪化する。
まるでハリケーンだ。俺のブーストは全くの用を成さず、竜巻に呑まれた小鳥みたいに翻弄される。
(ぐっ……、や、やばっ……!)
トドメとばかりに、視界の向こう側で、ジャバウォックの巨大な両顎が開かれた。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA
AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA
AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――――ッッッ!」
猛烈な、咆哮。
鼓膜が、破けるっ!
三半規管がうまく働かない。
痛い、痛い痛い痛いっ!
近距離でガラスを引っ掻き回された時の数百倍の衝撃。
(ぐっ、ぐっぅ、痛っ……っ!?)
空中を飛ぶ俺は殺虫剤を浴びた害虫のように悶える。
ふらふらとした意識を戻そうと必死に頑張るがそれでも頭がまわらない。混濁の中でどうにか大地に降り立てないか考えるが地盤は崩れたままで無理だとすぐに理解する。どうにかこうにか空中でバランスを保って現状を回復しようとするが決してうまくはいかない。
そうしている間にも酩酊感は募る。
平衡感覚が狂っていくのがわかる。焦り戸惑いで俺の意識は混乱する。
(や、やばいっ、やばい、やばい、やばい……これは、やばいっ!)
今の俺、隙だらけだ。
このままじゃ、絶対、殺される。
俺は機能不能になりつつ理性を制御しながらジャバウォックの動きを確認しようと両目を強化する。
「ギャァァァァ~~~~ァ……」
見えた。
奴は、咆哮を放つのに並行して、大きな顎の中から“光の粒子”のようなものを漏らしていた。
どす黒いジャバウォックの身体から、煌めく何かが生まれつつある光景はなんだかとても奇妙に思えた。
そのギャップ、違和感が、俺の精神の根底で眠る危険信号に引っかかる。
(な、何かが……、来るっ――!?)
異様さはすぐさま危機感に転化し、
俺は必死に超変身のボタンを連打した。
せめてもの全身強化。どうにか防げないか試みる。
しかし、そんな俺の準備すら終わる前に。
ジャバウォックは――放射した。
その口から、流れる、美しい、一筋の、光――。
エネルギーの凝縮体。咆哮のうねりと共に放たれる。
「あ――――」
恐怖。
と、戦慄。
破滅を感じさせる、一切破壊の白色光線が――。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA――――――ッッッッッ」
俺の視界を純白に染め上げた。
第92話:ヒーロー達のかつてない戦い。
Bパートに続く。




