第3話 森の小屋
「ここは………?」
湊が目を覚まして、起き上がった。
しかし『目が覚めたら病院のベッドの上でした』という展開ではなかった。
目が覚めた場所は、地面の上だった。辺りを見回してもあの駅はなく、見慣れた建物もない。
しかも、地面はコンクリートとかではなく柔らかい土。
頭がぼおっとしている湊の目にまず入ったのは、葉が生い茂ったたくさんの木々だった。森のような背の高い木が湊を見下ろしている。上からはいくつも重なった葉のカーテンの隙間から太陽の光が差し込んでいた。
「奏は!―――よかった」
そんな幻想的な光景に目を奪われていた湊はすぐに奏のことを思い出して、辺りを見回そうと意識を外に向けると、自分の手を握っている奏に気付き、ホッと息を付いた。電車で跳ねられたような傷もなく、息もちゃんとしていた。
奏の制服や綺麗な髪が土で汚れるわけにはいかないので、湊は静かに握っている手を外して、地面に倒れている奏の身体をそっと起こして、そこらへんにある大木を背もたれにして座らせた。
「さてと………」
奏の隣に腰を下ろしてた湊は思考を切り替えて、冷静に今の状況を整理し始めた。
湊の頭の中では、駅で電車が来るときに地震が起きて、奏の身体が線路に倒れたになったのを自分が手を伸ばして奏の手を掴んだときに、電車のブレーキ音が聞こえてきた、ところまでは覚えていた。
(死んだんじゃないのか………?)
湊は回想から死を考えたが、いやいやと首を振る。
(今こうして俺と奏は生きているし、身体に電車に跳ねられたような痛みや怪我はないから、それはないと思う。まあ、ここが死後の世界だという可能性はなくはないが)
ふと、携帯はどうだろうか、と思い、制服のポケットから携帯を出して、画面に表示されているアンテナを見てみるが、アンテナは1本も立っていなかった。
ここは圏外か、と嘆息する。
さて、本当にここはどこだろうか?と思考は振り出しに戻る。
次に思い立ったのが、
(まさか、異世界トリップ………?)
オンライン小説では定番のキーワードになる単語だ。湊もそういう小説はいくつか読んだことがあった。
これならいくらか説明がつく。根拠や理論など全く無視した結論だが、これなら納得できると湊はでうんうんと頷く。
「ん、んぅ………あれ?兄さん?」
「目が覚めたのか、奏」
目が覚めた奏は身体を起こすと、辺りを見回して目をパチクリさせた。
どうやら、目の前に広がる森を理解できないらしい。
「に、兄さん………ここは、どこですか?」
「わからない。俺もさっき気付いて、この状況だ」
「でも、さっきまで私たち、駅で………あっ!兄さん!大丈夫ですか!怪我とかないですか!」
奏が急に声を上げて湊に聞いてきた。
「急にどうしたんだ?」
「どうしたんだ?じゃありません!兄さんは私を助けようとして、電車に跳ねられそうになったんですよ!心配するに決まっているじゃないですか!」
「少し落ち着け、奏。俺に怪我とかないし、それに奏自身もそういう怪我もないだろ」
「あ……そう言われればありませんね。どうしてでしょうか?」
湊の言葉で落ち着いた奏が首を傾げる。
「怪我よりも、ここがどこかだ。どうやら、俺たちはとんでもない状況下にいるらしい」
「とんでもない状況?」
また首を傾げる奏に、湊は異世界トリップのことについて話す。
奏はオンライン小説は読まないため、異世界トリップがどういうものかを説明する。
案の定、奏の反応は、
「いくら兄さんでも、そんな話信じられません。もし、それが本当なら元の世界に帰れないじゃありませんか」
「俺だって信じたくはない。だけど、ここが死後の世界だ、と考えるよりは、ここが異世界と考えて、俺たちは生きていると思った方がいいだろ。生きていたら、元の世界に帰れる可能性があるかもしれない」
この状況をポジティブに考えようとする湊に、うんうん、と奏が笑顔で頷く。
心の中では、さすが兄さんです、と思っているのかもしれない。
◇◆◇◆◇◆◇◆
このまま座っていても、埒があかないということになり、湊と奏は森の中を歩くことにした。
携帯は電池節約のために、2人とも電源は切った。もしかしたら、もう電源を入れないかもしれない、と思いながら。
「兄さん、重くないですか?」
「重くないし、このくらい平気さ。なんなら、奏をおんぶしてあげよっか?」
「し、しなくいいです!それに、この歳でおんぶは恥ずかしいです!」
「冗談だよ」
何が重い重くないかといのは、湊が持ってる2つの学生鞄のこと。1つは湊の学生鞄でもう1つは奏の学生鞄だ。なぜ、湊が奏の学生鞄を持っているかというと、ただ単に自分の妹を気遣っているだけの話である。
さらに、知らない場所で何が起こるかわからないということで、湊が先頭を歩き、その後ろを奏が歩いていた。
「それにしても、綺麗なところですね。こんな綺麗な場所私は初めて見ました」
そう言いながら、奏が上を見上げる。
「日本にもこんな綺麗な場所はないかもな。空気は澄んでいて、マイナスイオンも満ちている気がする」
森の景色について話していたら、少し開けた場所に出た。
その場所の中心には、ポツンと小さな小屋が建っていた。壁は木の丸太が積み重なってつくられており、屋根の煙突からは白い煙が出ていた。家の横には畑があり、何かの作物の葉が土から飛び出していた。
紛れもなく、人が住んでいる証拠だ。
湊と奏はようやく見つけた人工物に一目散に駆け出した。木製のドアには呼び鈴はなく、手でノックすることになった。
2人はここの家主にあった事を全て話すつもりでいた。信頼できる人ならいいが。
もし、ここが異世界ならこの世界についてのイロハを教えてもらい、元の世界に帰る方法を探しながら暮らしていく。考えたくはないが、ここが死後の世界なら、その現実を受け止める覚悟だ。
「誰かいませんかー!」
湊が手の甲でトントンとノックする。その後ろには奏が湊の服の裾を掴んでいる。
約30秒後に、ガチャとドアがゆっくり開けられた。ドアが開けられたことにまずは安心する2人。
そして、出迎えてくれたのは―――。
湊の顔目掛けて突き出された棒だった。
湊は条件反射で首を横に傾けて突き出された棒を避け、棒を突き出した犯人の手首を掴み、もう一方の手で真っ直ぐ腕の関節も掴み犯人の身体をこちらに引き寄せると同時に、棒を持った腕を犯人の背中で捻り上げるようにする。捻り上げられた腕の痛みから手から棒が地面に落ちる。
ここまでで、棒を突き出されてから約1秒。
「に、兄さん!?」
急に自分の兄が攻撃をされたのに驚いたのか声を上げる。
湊は奏の声に応えず、真っ直ぐ犯人に視線を向ける。
「痛だだだだっ!こら、止めんか、馬鹿者!」
そこで初めて、湊は犯人の容姿に気付いた。
犯人の身長が湊より遥かに低くく、奏よりも小さい。
そして、捻り上げた腕は細く、もう少し湊が力を入れれば折れてしまうほどだった。
「止めんかと言っておるのが聞こえないのか!もう少し年寄りを労ら………むっ」
途中で犯人の台詞が止まる。少しやり過ぎたか、と思った湊は捻り上げた腕を解放することにした。
解放された犯人がこちらに顔を向ける。顔を見たら婆さんだった。
「なぜ、襲った?」
湊が警戒を解いた婆さんに聞く。
「この辺りは、人がいないからのう。人が訪ねてくることなどないのじゃ。だから、流れの賊かと思って先制攻撃を仕掛けただけの話じゃ。どうやら勘違いのようじゃの。すまなかった」
一応、理屈は通っている。
湊たちがここまで来るのに、人っ子1人見ていない。この辺りに住んでいるのは、この婆さんだけだろう。
婆さんはそれだけ言うと、家の中に入っていった。急に会話を切られた上に、ドアの外に放置された湊たちは、え?どうすればいいの、と互いに顔を見合わせる。
「ほら、何をしておる。さっさと家に入らんか。初めてのこの家の訪問客じゃ。茶くらいは出すぞ」
婆さんが湊たちを家の中に促した。