第2話 朝の電車
朝の電車のホーム。
それは、桐宮奏にとって『地獄の入り口』とも言える場所だった。
「兄さん、乗らなきゃいけないですか?」
「大丈夫。俺がいるから心配するな」
「はい………」
「誰かーこの甘い甘い兄妹を何とかしてくれー」
隣にいる舞が気怠そうに言った。
それもそのはず。
現在、桐宮兄妹は人目も気にせずにピタリと身体を寄せ合っている。正確に言えば、奏の方が湊の腕にくっついている。その姿は恋人同士としか言えない。
「それにしても、奏の『アレ』嫌いもどうにかなりませんかね………私が入る隙がどこにもない………」
最後の方は小声になる舞。
「そうだな。まあ、これでも1年前と比べたらマシになった方だ。無理に急いで解決するようなこともない。時間が解決してくれるのを待つしかないだろ」
「先輩も大変ですね―――奏の男性恐怖症は」
そう。
奏は現在進行形で男性恐怖症だ。それもかなりの深刻な。
『アレ=男性』が、目線を向けるだけで本能的に背筋に寒気が走り、少し触れるだけで首筋に毛虫がいたように動揺する。
これが発症したのは1年前だが湊が言った通りこれでもマシになっている。1年前は男性の視線を10秒間向けられるだけでも失神にまで至っていたほどだ。
そんな中、奏の支えになったのが兄の湊だった。世界で唯一奏に普通に接することのできる男性である。
なぜ、奏が男である湊に男性恐怖症が発症しないで、他の男には発症するのかは、また別の話。
『もうすぐ1番線に伏獅成行きがします。下がってお待ち下さい』
電車到着のアナウンスが流れた。
アナウンスに合わせて、黄色い線まで下がる人たち。
ものの数分で電車が線路と車輪を擦れさせた音ともに来た。
湊と奏と舞は黄色い線のすぐ内側にいた。
その時、小さな振動が湊たちに伝わった。
地震である。
日本人の湊たちは地震が来たことに警戒した素振りも見せなかった。こんなことは日常茶飯事で慣れていたからだった。
しかし、その地震は徐々に大きくなっていった。
結果、人が立っていられなくなるほどの地震が湊たちを襲った。
大きな地震に駅の所々から悲鳴が上がる。天井から吊り下げられている駅名が書かれた看板が左右に揺れる。
もうすぐホームに入りかけていた電車は地震のせいで運転手がブレーキをかけるタイミングを失っていた。必然的にそのままのスピードでホームに飛び込むことになった。
「きゃっ!」
地震でバランスを失った奏が倒れた―――線路の方向に。
ゆっくり奏の身体が倒れていく。
「奏!」
湊が倒れる奏に手を伸ばすが、あと少しというところで手が届かない。
「兄さん!」
倒れる奏が必死に手を伸ばす湊に向かって手を伸ばした。その小さな手を湊の手が捕まえた。2人の身体は線路の上に飛び出していた。
しかし、時は既に遅し。
その2人に向かって、ブレーキをかけていない電車が迫っていた。
キキキキキィィィィッ!!と電車の前に飛び出した2人の姿を見た運転手が慌ててブレーキをかけるが、電車は止まることなく2人に向かって突っ込んでいった。
「先輩!奏!」
舞の悲痛の叫びがホームに響き渡った。