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第10話 窮地と焦燥


 正直、焦りもあった。自分一人で悠長に相手している暇はない。アイリが窒息死してしまう。急がなきゃ、急がなきゃ、急がなきゃ――と……。


 けれど、振り返れば、泣きじゃくっていたはずの彼の姿がない。跡形もない。

 この日一番の冷や汗があふれ出る。血液の拍動が加速して、呼吸が浅くなって――脳裏に様々な最悪がよぎった。


 見せられていた幻覚に狂い、足を踏み外して沼に落ちてしまったのか?周囲を音速で飛び回るブレイダーなどに知らぬうちに連れ去られてしまったのか?


 否、そのどちらだとしても、そのどちらでもないとしても……彼の姿がない事自体が、最悪の結果に繋がってると考えて間違いないのだ。

 きっと――彼は……トトは、もう、死んでいる……!!


 思い知る。シーアン・フォッグに向かった冒険者たちが帰らぬ所以を。


 訝しむ。確かに危険な場所であることは間違いないのだが――こうも立て続けに、休む間もなく襲い掛かるものなのだろうか……?と。


 けれど、現実はそんな思考をじっくりと巡らせるような余裕もないもので……。


 ぼくは、焦燥、苦しみ、痛み、悲しみ、恐怖――入り混じった感情の全てを振り払って、目の前の脅威、フェン・リッパーへと向き直る。


 泥の鎧を纏う翼竜が頭上の方からナナメに降下し、鋭い鍵爪を振ってくる。

 ぼくは、そこに直剣を合わせ――ようとして、フェン・リッパー側が、大きな翼を強く羽ばたかせてその場を大きく後退していた。


 嫌な……とてつもなく嫌な予感がして、周囲を見回した。すると、困惑に瞳を染めたバルザックさんと視線がぶつかる。


「な、なぜ、フェン・リッパーが退いていったんじゃ……?」

「……!!」


 言葉もでなかった。ただただ、同時にフェン・リッパーが退いていったという事実に驚愕することしかできない。だから、切羽詰まった状況であることを、一応の好機であることを忘却してしまう。


 そして――アイリが、泥塊の中にいる、ということを思い出した時には、もうすでにロゼッタさんが水魔法で泥塊を流しきった後だった。


「よ……よかった……!ありがとうございます、ロゼッタさん!」

「よくないわ……なんにも……何一つ……」

「え……?」


 ロゼッタさんの横顔が蒼白に染まっていた。

 ぼくは言葉を失う。濃霧で見通せないだけだと思ってた。そんなわけがないと、自分の目の錯覚だと決めつけて、現実の景色を見ないようにしていたんだと思う。


 けれど、ロゼッタさんが癒し、流しきった泥塊の中には――


 バルザックさんが、叫ぶ。


「トトも――アイリも、消え去ってしまったじゃとぉおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」


 眩暈がした。世界を疑い、自分を疑い、後悔するように何が起こったのかを考察しようとして――考えの及ばないことが起きたと思った。


 いや、実際は、泥塊を被せられる瞬間に退避して、どこかに隠れているとか、ぼくらが戦闘に必死になっている間に泥塊ごと連れ去られたとか、色んな可能性はあったとは思う。


 けれど、いっぱいいっぱいだった。とてもとても思考を纏められるような状況じゃなかったし――なにより突拍子もなさすぎた。トトの時とは違い、ちょっと考えれば、そんな可能性どれだけ低い確率で起こるのだろう、という結論に至るはずだ。


 世界が揺らぐ。船の上で波を感じるように、波打つ。


 けれど、ぼくらを取り巻く度重なる脅威はこれで収まらない。そもそも、フェン・リッパーが退避したこと自体が、異様だったのだ。


 ぼくらという獲物を残して、鎧を纏った狩人が姿を消した理由――そんなもの、どう考えたって一つしかない。


 霧の奥から、無数の羽音が、理不尽の到来を告げる不吉の音が鳴り響き始めていた。


 いつの間にか、ぼくらの前に戻ってきた栗色の女騎士フィオーナが、腰から銀色の曲剣を抜きはらって言い放つ。


 

「来るぞ……!ニードルズが……!!」


 新たな驚異の到来――それも、フェン・リッパーが巻き込まれることを恐れて、逃走を選んだ『極大の危険』がぼくらの前に姿を表そうとしていた。

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