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第7話『サタニズム街』

 レンリエッタはひどい悪夢を見ていた気がした。重い瞼を上げると黄ばんだようなクリーム色の天井が目に入り、身を起こすと綺麗に片付いた部屋が目に入った。

 夢ではない、ここは間違いなくヘルドの世界でグリスの部屋だ。窓から差し込む温かな日差しがとても気持ちがいい…そして、ちょうど部屋の主が箒を片手に奥の部屋からやって来た。


「おや、おはようございますお嬢様。昨夜はよくお休みになられましたか?」

「うん…なんとか……でも変な夢が…」

「ほう…どのような夢でしょう?悪夢ですか?」

「えーっと……思い出せないや…」


 レンリエッタは悪夢を見たとはハッキリ覚えていたが夢の内容に関しては綺麗さっぱり頭から抜け落ちていた。思い出そうとしても全くもって無駄だった。

 ボーッとした頭が段々と覚醒して来た頃、レンリエッタはソファから立ち上がると窓から外を眺めてみた。そこから見えるのは昨日に見た大通り。人間ではない人々が通りを行き、空には何か変なものに跨った者達がビュンッと飛んでいく様子が見え、色とりどりに並ぶ店は興味を引いて来る。

 レンリエッタは改めて自分が人間の世界から移動して来た事を実感した。


「わぁ……やっぱりここって違う世界なんだ…」

「もちろんでございます。もし眠気が残っている場合は顔をお洗いになられてはいかがでしょうか、お手洗いはそこの扉となっています。」

「うん、そうしておく。」


 どうにもまだ夢心地と言ったレンリエッタは完全に目を覚ますために洗面所へ向かった。意外にも洗面所は普通だったが、至る場所におかしな点が見られた。

 バスタブの近くには『ミキシンズのビーストシャンプー』の瓶がいくつも並び、洗面台には色の違う石鹸が4個と鮮やかなブルーの液体瓶が数本あった。ラベルは無かったが部屋中に立ち込めるツンとしたミントの香りがこの瓶から放たれている事が分かる…香水なのだろうか?


「なんだろうこれ…すごくミントの香り…」


 興味をそそられたが無断で弄るわけにもいかなかったのでレンリエッタは冷たい水で顔を素早く洗うと、近くに掛かっていたタオルでしっかり拭いてから足早に出た。

 部屋に戻るとグリスがちょうどソファとテーブルを片付けていたところだった。どちらも軽々しく持ち上げ、帽子の中に押し込んでいる…あの中はさぞかし散らかっている事だろう…

 そして彼がその二つを仕舞い込んでしまったということは、いよいよ部屋の中に残る家具は無くなったのだ。がらんと空いて、とても寂しく広々とした部屋になった。


「ねぇグリス、なんで部屋を片付けちゃうの?」

「もうこの部屋は必要ないからです、今日からはエラフィン様の所でお世話になる約束ですので。」

「そうなんだ……ねぇずっと聞きたかったんだけどエラフィン様ってどんな人なの?」

「そうですね…エラフィン様を一言で表すとするならば……魔女、でしょうか。とても強く、才に溢れた素晴らしき魔術師でございます。かつて多くの魔法使いを育て上げ、世に送り出して来た方です。旦那様もその一人でした。」


 レンリエッタはそう聞いてエラフィンという魔女に会いたくなったが、それと同時に不安もやって来た。どうにも自分がそんな偉い人から魔法を教わる事が出来るのだろうかという不安だ。

 それに今まで魔法のマの字も知らなかった自分に出来るのかという心配もやって来た。


「その人…私なんかに魔法を教えてくれるのかな…だって私すごく頭が悪いんだよ、学校にも行けなかったから…」

「その点はご安心を、エラフィン様はずっと昔からお嬢様の面倒を見ると約束していました。それにお嬢様の頭は決して悪くありません。きちんと学べば必ず魔法は扱えるようになります。」

「そうなんだ……ありがとうグリス…ちょっとやる気出たよ。」

「お役に立てて嬉しい限りでございます。さて、部屋を掃除したらすぐに出かけましょう。今日は本当に忙しくなりますよ。」


 グリスの激励に不安が小さくなったレンリエッタは一層とやる気が出てきた。早く出掛けられるようにと掃除を手伝おうとしたが彼は「お嬢様の手は煩わせません!」と言って許してくれなかった。

 だが数分後にはもう部屋の掃除も片付けも全て終わり、二人は颯爽と建物を出ていた。

 人間の世界よりも幾分か赤い空が照らす通りは大いに賑わっている。悪魔達(ヘルド)が行き交い、立ち並ぶ多くの店からは様々な声が聞こえて来る。活気にあふれる街を見てレンリエッタはまたしても元気が出てきた。


「さて、これから信用保管庫へ向かいますよ。」

「信用保管庫?」

「銀行のようなところでございます。残された財産は全て保管庫にて厳重に守られているのです。」

「財産…!」


 色々と見て歩きたい衝動を抑えつつ、レンリエッタはグリスの後を付いて歩いて信用保管庫とやらへ向かう事にした。財産と聞いて金銀財宝が思い浮かぶレンリエッタだったが、決してそのような物は残っていないらしい。

 グリスは少し低い声で説明してくれた。


「ヘイルホーン家が襲撃され、崩壊して間もなく財産の殆どが奪われてしまいました。それまで味方だった多くの名家の者達がこぞって土地や屋敷、魔術権利などを奪い合ったのです。もちろん金銭的な財産もですが。」

「そうなんだ…でも残ってるの?」

「もちろんでございます。旦那様はお嬢様が生誕した同じ日に口座を作り、大金を預けていたのです。言うなれば誕生祝いですね。」

「わーお、お父さんに感謝しなくちゃ。」


 レンリエッタはまさか自分のような者に財産なんて滅多なモノがあったとは思いもしなかった。物心ついた時からお金とは程遠く無縁な生活を送っていたのだ。

 きっと口座と財産を持っているとミシェン達に知られていれば瞬く間に没収されていた事だろう。ここが人間のとは違う世界で本当に良かった。


 保管庫までの道中、レンリエッタは我慢強く様々な誘惑から耐えなければ無かった。道中で見た『A~Cクラス触媒専門店のマンシーズ…ロッドにワンドにペンデュラムも。』ではショーウィンドウに飾られた光り輝く杖やらペンダントが目を引いたし、『アリンクスの精霊ショップ』では奇々怪々で興味深い動物たちが所狭しと並んでいて面白そうだった。

 レンリエッタは精霊ショップの前で角を生やした青いヘルドに話し掛けられた。


「やぁ!そこの銀ギラギンなお嬢ちゃん!精霊はお持ちかな?」

「精霊…?いいえ、持ってません…」

「だとしたら買わないと!君のような年頃の女の子にはフラピルあたりが…」

「申し訳ございませんが私達は急いでますので。」


 しかしグリスが追い払ってくれたおかげでレンリエッタは誘惑に打ち勝つ事が出来た。その後もパティスリーや薬屋など色々な店を外から眺めては通り過ぎ去って行くと、ついに二人は目的地へ辿りついた。

 一言で表すならずぶ濡れの廃墟だ。まるで長い間、海の底に沈んでいたかのような建物の至る場所にヌチャッとした海藻やフジツボがへばり付き、水も無いのにポタポタと水滴の音が聞こえ、挙句の果てには水光の網目模様がくすんだレンガの壁でゆらゆらと揺れている。

 そして見上げてみると錆びた真鍮の看板に『サーフェイス信用保管庫』と書かれている。ここで間違いなさそうだが…本当に大丈夫なのだろうか…


「……ねぇ、ここって…本当に大丈夫なの?」

「確かに見た目はお世辞にも良いとは言えませんね。しかし王国で最も厳重なる保管庫と言えば此処しか無いのです。中へ入りましょうか、床は濡れていないので大丈夫ですよ。」

「うん…」


 レンリエッタは建物の正面に位置する両開きの重いドアをくぐり、中へと入った。するとどうだろうか、そこは外見とは裏腹にとても見事な場所だった。

 長く続く大理石の受付には奇妙な鱗とエラの付いたヘルドが座って仕事に励み、部屋のずっと奥には驚くほど巨大な水槽がひとつ置かれていた。巨大水槽には奇妙なことに魚などの生物は居らず、その代わり大きな金庫が沈んでいる。

 床のカーペットは湿り気ひとつ無いし、部屋全体が明るく見事な造りだった。レンリエッタはまるで此処が宮殿の一室かのように思えた。


「う、わぁ…!ここ…本当にすごいや!こんな立派なところ初めて見たよ!」

「ここで働くマーヘルディアンたちは気高く、芸術を好む種族なのでございます。お嬢様は絶対になさらないと思いますが彼らの芸術を侮辱するような事は命取りとなりますのでご注意を…」

「うん…肝に銘じておく…絶対に侮辱しない…」

「よろしい。では早速受付へ向かいましょうか、スムーズに事が進めばよろしいのですが…」


 少し不安が混じったような声でグリスはレンリエッタを連れ、近くの受付へ向かった。そこでは一人の魚人ヘルドが待ち構えており、水滴が垂れ落ちる丸眼鏡の向こうから赤黒い瞳で二人を睨みつけた…

 だがグリスは臆することなく、話し掛けた。


「こちらはレンリ…いえ、ハーマイカお嬢様でございます。うめきと34番の金庫から引き出しにやって参りました。…あと、私めは従者のグリスでございます。」

「えーっと…こんにちわ…」

「……ハーマイカ、ハーマイカ………あぁ、帳簿にありました。うめきと34番金庫でございますねぇ…こちらは血縁手形となっておりますがよろしくて?」

「問題ございません。」

「ならば少しお待ちくだされ…すぐに係の者が向かいます…」


 銀行員は身の毛もよだつようなしゃがれた声の持ち主だった。あんまりジロジロと見て来るのでレンリエッタは職員がやって来るまでの間、多少わざとらしくとも目線を逸らせずにはいられなかった。

 ふと目線を逸らした先には表のと同じような真鍮の看板が立て掛けられていた。『お客様の大切なもの、お守りいたします。我ら××××××(読めない)がお守りいたします。水の底にて沈む財産は怪物がお守りいたします、盗人は決して赦しません。』と書かれている…少し不気味だ。

 そしてレンリエッタが文字を読み終えたと同時に職員がやって来た。彼もまたマーヘルディアンであった。


「さぁこちらでございます、直ぐに金庫へお連れしましょう。」

「これはどうも。お嬢様、行きますよ。」

「え?う、うん!」


 グリスとレンリエッタは職員に連れられ、その場を後にした。向かった先は部屋の奥に位置するエレベーターであり、同じようなものが幾つも並んでいるのが見えた。

 年季が入ったエレベーターはギギッ、ガガッと嫌な音を立てて地下深くへと降りて行く。カチカチと点滅する電灯や遠くから聞こえる謎の音が非常に恐ろしかったがグリスが傍に居るので安心できた。

 途中、レンリエッタが職員に目を向けると彼はグィッと鋭い歯を見せて笑い、「なにか御用でしょうか?」と聞いて来たので思い切って気になった事を聞いてみることにした。


「あの、なんでさっきの広間にあった水槽に金庫が沈んでたんですか?」

「あぁ…あれは私達の保管庫を簡潔に説明する為でございます。私達は大喰らいの水と呼ばれる特殊な聖水の中に金庫を沈め、大切に保管するのですよ…とても大切にね…」

「…それってどんな水なんですか?」

「とても恐ろしいものですよお嬢さん……一度入ってしまえば二度と上がれませぬ、沈んだ瞬間体が動かなくなり…どんどん引き込まれてしまうのです。盗人が入ろうものならあっという間に溺死でございます…私達も例外ではございませぬ。」

「ひぇ~…」


 話を聞いてレンリエッタは震え上がった。しかし、その様子を見ていた職員が愉快そうに笑っているとグリスがムッと彼を睨みつけて黙らせてしまった。

 それからしばらくして、エレベーターはガッチャンと音を立てて止まり、扉を開けた…到着した様だ。慣れたようにエレベーターから出る二人に続き、レンリエッタも恐る恐る出てみると、そこはさらに驚くべき場所だった。

 広間にあったものよりさらに巨大な水槽が幾つも…数え切れないほど並んでいるのだ。明かりもまちまちとしか点いていない暗い部屋にいくつも並んだ水槽は不気味極まりない…例えるとするならば生物のアルコール漬けと言ったところか…その全てに金庫が沈んでいるのでまさしくそれに見えた。


「こちらでございます…絶対に逸れないようお願いしますよ。」

「お嬢様、大丈夫ですか?」

「だいじょうぶ…ちょっとだけ怖くて…」

「確かに此処は不気味でございますね…ですがその方が盗人対策にはもってこいでしょう。」

「ええ、まさしく…その通りです。」


 しばらく歩くと職員はひとつの水槽の前で止まり、二人も止まった。目の前に佇むのは巨大な水槽…とその水槽に沈む二つの金庫…どちらが自分のだろうか。

 レンリエッタが見上げていると職員が話し掛けた。


「ハーメイカ様、水槽を手で触れてください。血縁手形となっています。」

「えっと…うん…」


 レンリエッタは言われたように水槽にペタッと手を張り付けてみた。ひんやりとした肌触りが伝わったが、その瞬間…手を置いた場所に光る模様が現れた。

 直ぐに手を離すとゴゴゴと凄まじい音と共に振動が周囲に伝わる…水槽の中に目をやってみると片方の金庫がひとりでに浮上しているのが見えた。


「さぁ少しばかりお下がりになられてください。過去に300人ほどが金庫に押し潰されて亡くなっていますので。」

「わぁー!!」


 金庫はザバンッと水槽から飛び出ると、レンリエッタ達の前にドスンと置かれた。とても巨大な金庫だ…重厚な金属で作られ、ハンドル型の取っ手が付いていたがあからさまに大きすぎる上に手が届かない場所にある。そして不思議なことに金庫は全く濡れておらず、水滴ひとつも無かった。


「金庫の準備は完了でございます、お開きになられてください。」

「開くって…無理だよ、ハンドルは凄くデカいし、届かないよ…」

「お嬢様、この金庫は魔法仕掛けでございます。手で触れるだけで開くのですよ。」

「ご安心を、急に襲ったりはしませんので。」


 魔法仕掛けと聞き、妙に納得したレンリエッタは金庫に触れた。すると先ほどと同じような紋章が一瞬だけ現れると、ハンドルがガガガガッと回り出し、ついに金庫の扉が開いた。

 とても恐ろしく巨大な金庫の中身…いったいどれ程の財産が眠っているのだろうかと期待を胸に覗いてみると…


「……あれ、中身はこれだけ?」

「そんなはずは…確かに旦那様は大金を遺したはずですが…」


 金庫の中に入っていたのは薄汚い革製の袋がひとつ。

 呆気に取られたレンリエッタがその袋を持ち上げると、中からジャラジャラと細やかな銭の()が鳴り響いた。グリスも残された財産がそれだけだったとは知らずに慌てたが…職員はキッパリとした目でその袋を観察し、感極まった声で言った。


「それはまさか……おお、なんという宝なのでしょうか…!」

「宝?この…袋が?」

「ただの袋ではございません!それは必要の財布でございます!」

「必要の財布?」


 職員が言うにはこの革袋は必要の財布と言うらしい。レンリエッタはこんな薄汚い袋を宝と呼ぶなんてよっぽど貧困に喘いでいるのだろうと彼を哀れんだが、グリスもそれを聞いて思い出したように言った。


「あぁ!そうでした!旦那様のコレクションにそのような袋があったのを思い出しました!私はてっきり財産と一緒に奪われてしまったのかと思っていましたが…まさかそれが必要の財布だったとは……よほどお嬢様の事を大切に想っていたのですね…」

「ねぇ分からないよ!必要の財布ってなんなの?」

「その財布はとても貴重なライグガマの革で作られたものです、内部に膨大な収納を持ち、必要な時に必要な分だけ中身を取り出す事が出来るので必要の財布なのです。まさかそのような宝を見る事が出来るとは、私も此処に勤めていた甲斐があったというものです…」


 グリスも職員もすっかり興奮していたが、レンリエッタはとりあえず便利な財布だという情報だけを受け取った。そして試しに紐を緩ませて中身を見てみると…見事に内部は黄金一色だった。

 ギラギラと光る金貨が数え切れないほどに押し込まれており、手を突っ込んでみれば明らかに袋の大きさ以上に腕が伸ばせた。


「さてさて…金庫は水に戻しますがよろしいですかね?」

「うん、中身はバッチリ持ったから大丈夫です。」

「中身は無くとも金庫は此処に仕舞っておきますので何か預けたい場合は是非ともご利用ください。」

「もちろん、きっとまた来ます!」


 財産を受け取ったレンリエッタ達は金庫がまたしても水に沈んで行くのを観察してからエレベーターに乗り、元の広間へと戻った。建物から出て、まっさきに浴びた日差しが妙に懐かしく、とても明るく思えた。


「グリス…財布、預かっててほしいんだけど…私失くしちゃいそうで…」

「いいえ、それはお嬢様の物ですのでご自身でお持ちになってください。きっと旦那様もそれをお望みになられます。」

「そうかな……うん、そうだよね。」

「ですが…絶対に必要な時にだけ使うようにしてくださいね?その中身は大金ですが一生を暮らせるほどではありませんので。」

「もちろん!私こう見えても我慢強いから!」

「お嬢様の決意が固い物だと私めは願いますよ。」


 レンリエッタは財布を自分で持つことにしたが、絶対に失くしたくないので服の中へと仕舞い込んだ。思えばこの服もひどく地味だが役に立ってくれているものだ…針があれば仕立て直せるが、今はそれどころでは無いだろう。

 さて、余裕が出たせいか先ほど以上に通りが賑やかに見えて来た。レンリエッタは周囲をぐるりと見渡してからグリスに次はどうするのかと聞いてみた。


「それで、次はどうするの?」

「役所の方へと向かいましょう。お嬢様の戸籍を正式にこの世界に移すのでございます。」

「それってすごくややこしそうだけど…大丈夫なの?色々と…」

「必要な書類は全て揃っているのでご安心くださいませ。もう面倒事はすべてあちらの世界で済ませていますので…本当に面倒でしたが…」

「グリスって私の知らないところで頑張っててくれたんだね…ありがとう…」

「あぁ!そんな!もったいないお言葉でございます!」


 二人は次に役所へと向かい始めた。グリスの話からするに面倒な作業は全て終わらせてきたらしい。彼の苦労ぶりには驚かされるばかりだが、自分の知らない所で着々と事が進んでいると知るのはどうも奇妙な思いにさせてくれる。

 そしてもちろん役所への道中も誘惑が多かった。見た事も無いような植物が並ぶ花屋には鋭い牙を携えた食肉植物がうよめき、ある店の前ではレンリエッタと同じくらいの子供たちが楽しそうに会話していた。


「ぼく今度の誕生日に()()()買ってもらうんだ、夏のレースに出られるまでには上達するよ。」

「まさか!夏のレースはストーム杯だろ?秋のフォレスト杯にしておけよ。」

「でも姉ちゃんが言ってたよ、フォレスト杯は3()0()()()()の幼児向けだって…」


 ちょっとばかり気になる話題もあったが、道中は本当に面白かった。今は急いでいるせいでゆっくり見られないのが残念だったが、レンリエッタは今度また来れるなら思い切り見ようと決心していた。


 保管庫ほどの苦労はなく、二人は役所とやらへ到着した。先ほどの建物が随分と年季が入っていたのでこちらはどんなボロ小屋かと思っていたが、意外にも綺麗な見た目をしている。

 灰色の積まれたレンガが古風な…というより、ほとんど昔の要塞のような場所だった。七色のステンドグラスが光り輝き、入り口の上部に掲げられた傷一つない看板には『クランクス王国役所:サタニズム街支部』と書かれていた。


「ここは綺麗なんだね。さっきの保管庫は……えっと、ちょっと見た目が凄かったから。」

「役所は国の運営する施設でございますからね。ですがお嬢様、内部にはゴーストがたくさん居りますので驚き過ぎないように気を付けてくださいね?」

「ゴースト?それって幽霊ってこと?」

「はい。彼らは空を自由に飛び、物体を透ける事が出来るので事務作業にはもってこいなのです。ですが困ったことに人々を驚かせるのが好きすぎるのです…なので彼らが調子に乗らない程度に無視してくださいませ。」


 レンリエッタはゴーストと聞いてピンと来なかったが、内部に入れば直ぐにそれがどのような存在か分かった。だだっ広い役所の広間を赤や青、緑色など不気味に光る霊体が縦横無尽に飛び交っているのだ。

 幽霊たちはトレーに書類を乗せ、素早く様々な受付や奥の部屋へと飛んで行く。だがピカピカに磨かれた大理石の床にはちっとも彼らの姿は反射していなかった。

 驚いたようにあたりを飛び交うゴーストたちを眺めていたレンリエッタとシャキッと立つグリスの下へひとりの職員がやって来た。彼は幽霊ではなく、生身の…ヘルドだ。どうやら幽霊たちの仕事はあくまでも雑用であり、受付などは生身の者が担当しているらしい。


「ようこそお越しくださいました、本日はどのようなご用件で?」

「戸籍の移動でございます。」

「でしたらあちらの国民課へどうぞ。呪い相談課と奴隷解消課の間でございます。それと、くれぐれも足元にはお気をつけくださいね、最近ゴーストたちは叫びに飢えておりますので…」

「(叫びに飢える…?)」


 職員の不穏な言葉に疑問を浮かべるレンリエッタだったが、直ぐにその意味を知る事となった。グリスに付いて行き、受付へ向かう途中でレンリエッタはぐにゃりとした何かを踏んでしまったのだ。

 一体なんだ?…顔だ!レンリエッタが下に目線をやると、苦痛の表情を浮かべた人間の顔が浮かんでいたのだ。レンリエッタはつい大きく叫んでしまった…


「ギャァーーーッ!!」

「ッ!?お嬢様!いかがされましたか!?」

「あぁいけません!!叫んでしまうと…!」


【ギャーッハッハッハッハ!!叫んだぞーッ!!】


 その瞬間、床の顔が飛び出したように現れた。正体は幽霊だった、銀色に光るおぞましい顔の幽霊が歓喜の声を上げて役所中を飛び回り始めた。

 それに感化された他の幽霊たちも瞬く間に暴れ始め、至る場所で書類が散らばり、不気味な笑い声や歌声が響き始めた。もう役所中はパニックだ、職員たちは幽霊たちに「やめろ!」と命令したがまるで彼らは聞く耳など持ち合わせていなかった。


【あの小娘が叫んだぞーッ!アーッハッハッハ!!】

「お嬢様、お怪我はございませんか?」

「怪我はないけど…ど、どうしよう!!私が叫んだせいで…」

「ご安心ください、すぐに対処します…なにせ今月に入ってから3度目ですので……幽霊たちよ!鎮まれ!!ラハイオッ!!」


 職員は懐から取り出した短い杖を振り上げ、「ラハイオ」の呪文を唱えた。すると杖先から放たれた強い閃光が広間を包み、幽霊たちは固まったように動きを止めるとバタッと虫の如く床へ落ちてしまった。

 先ほどまでの騒ぎは嘘のように静まったが、広間は紙だらけだ……するとまた違うの職員が今度は両手で持つような杖を振りかざし呪文を唱えた。


「ムーキス!!」


 彼が呪文を唱えると紙は誰が触れずとも勝手に舞い上がり、元の場所に戻った。机の上へ山積みとなり、天井の至る場所に備え付けられた幽霊用のキャビネットへ仕舞われて行く紙たちはまるで蝶の乱舞のようだった。

 すぐに役所は元通りになり、倒れていた幽霊たちも起き上がると渋々働き始めた。ただ一匹、レンリエッタを脅かした個体は床から伸びるおぞましい黒い手に捕まり、下へと引きずられて姿を消してしまったが…


「ごめんなさい…」

「いえいえ、大丈夫です。よくある事ですので…ですが困ったものですよ、アイツ等には…便利なんですけどね。」


 そう言い終えると職員は後始末をしに何処かへ行ってしまった。レンリエッタはグリスから念入りに怪我が無いかと調べられると、再び国民課の受付へと歩き始め、今度は障害も無くやって来れた。

 受付で相手をするのはやはりヘルドであり、世にも珍しい…頭上に光る輪っかを浮かべた人物であった。


「ようこそいらっしゃいませ、本日はどのようなご用件でございましょうか?」

「戸籍を移しにやってまいりました、必要な書類は全て揃っております。」

「それは素晴らしい!ではこちらの紙に必要事項を記入してください、その間書類をチェックいたしますので。」

「うーむ……お嬢様は…デミヘルドで……年齢は…」


 グリスが手続きを行っている間、レンリエッタは隣の『呪い相談課』に目を向けてみた。すると黒いローブを羽織った男が受付で何かしら会話しているのが聞こえた…


「叔父が竜鶏になる呪いに掛かってしまったんです…呪いが強すぎて解術師もお手上げ状態で…」

「でしたらヒルラシア治療寺院への紹介状を…」


 聞き慣れない単語にまたしても興味と疑問が湧いて来るが、これ以上聞くのは止めておいた方が良いかもしれない。レンリエッタは反対側の『奴隷解消課』にも目を向けたが誰もおらず、職員が暇そうにしているのが見えた。

 そしてしばらくして、グリスは紙に必要な情報を書き終えた。驚くほど綺麗な字でスラスラと書かれていたのでレンリエッタには一文字も読めなかった…


「書類の方には問題がなさそうですね………用意されていないものを除いて」

「おや、書類に不備がありましたでしょうか?きちんと必要なものは揃えたはずですが…」

「保護者および後見人の欄に書かれているエラフィン様の情報がありません。それにそのレンリエッタ様との関係性についてですが…」

「エラフィン様はお嬢様の師となるお方です。法律上師弟関係は保護者に部類するかと思われますが。」

「だとすれば正式な師弟契約証とエラフィン様の必要書類を用意してから再度来てくださいな。」


 あまり手続きに詳しくないレンリエッタから見ても明らかに上手く行かなかったのが分かった。どうやらレンリエッタの師匠となるエラフィンの情報と正式に指定契約をした証が必要になるらしい。

 二人は何も出来ず、役所を後にするしか無かった。


「まさか書類に不備があったとは…申し訳ございませんお嬢様…」

「いや、大丈夫。また来れば良いよ…けど、どうするの?」

「予定を変更して早めにエラフィン様の元へと向かいましょう。契約はすぐに終わるので大丈夫ですよ。」

「じゃあやっと会えるんだね…その、エラフィン様って人に…」

「ですが…ここから遠いので特殊な移動手段を用意する必要がありますね……少々お時間を要するので一息つきましょうか。」


 二人は予定を切り上げ、すぐエラフィンの元へと向かう事になった。彼女の住居は此処からずっと遠い場所にあるので特殊な移動手段を用意する必要があるとグリスは説明した。

 それが何なのかは詳しく教えてくれなかったが、グリスは移動手段を確保する間『ヘーブンズの氷菓子パーラー』でアイスクリームを買ってくれた。パーラーではサワーリコリス味やハニーチーズ味など色々なアイスがあったが、レンリエッタは面白みのないチョコレート味を選んだ。変哲も無い味だったが、とても美味しかったし安心感があった。


「エラフィン様って…すごい人なんだよね?」

「ええ、もちろんですよ。私が知る魔術師の中で最も偉大なお方です。」


 グリスの話を聞いたレンリエッタはちょっとだけの不安と好奇心、これからの生活に対する妙なやる気を感じながらアイスを舐めた。

 いよいよエラフィンという魔女に会える……果たしてどんな人なのだろうか…


つづく…

キャラクタープロフィール


【グリス=ディークル=レーズ】年齢:129歳 性別:オス 血液型:BT型

種族:エル・ビーストヘルド 身長:220㎝ 毛色:黒 瞳色:琥珀色

生後精霊:赤い空 得物:従士のステッキ 特技:手品、お世話 職業:従僕

誕生日:14月2日のザーナロス座


『レンリエッタおよびヘイルホーン家に仕える従者。モグラの獣人を両親に持つが、曾祖父にエルヘルドと呼ばれる古代悪魔が居るため少々異形である。性格は極めて忠誠心が高く、常に丁寧な言動を心掛けているが時々化けの皮が剥がれて粗暴になる。自身を窮地から救い出してくれたヘイルホーン家、特に当主フォーメンに厚い忠誠を誓い、家名を穢す者に容赦はしない。実は魔法を扱えない一族の出自だがエラフィンを始めとした様々な魔法使いから魔術道具を授けてもらう事で手品等を使用できるようになっている。余談だが従叔父に首斬り従士として名高い処刑人が居る。』

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