第42話『植物少女現る』
エラフィンから頼まれた盗人手袋の作成はケープに比べて苦労はしなかった。なんせ材料を調達する手間がなく、面倒な事と言えばヒルの革を繋ぎ合わせる程度のこと。
なのでレンリエッタは気持ちの悪い素材に対してゲーゲー言いながらもチャチャッと作業を終わらせてしまい、夕食の前には渡すことができた。
継ぎ接ぎだらけなので見た目こそただのボロくさい手袋なのだが、エラフィンは大いに気に入ってくれた。
「こいつは最高じゃないか!闇市場でも中々見ないほどの上物だよ!」
「まさか…そんなボロボロの手袋が?」
「もちろんよ!中古品はどれも指先が無かったり、誰かの手が詰まったりしてるからねぇ…!」
それを聞いたレンリエッタは絶対に手袋なんて中古で買ってやるものかと心の中で決意しつつ、自分の作ったもので喜ぶ彼女を見て満たされたような気持になった。
仕立屋ではいつも裏方だったので苦情以外はあまり聞くことが無かったのだ。
それはそうと、手袋をキュッと右手に装着したエラフィンはあくどい顔で『試してみるかね』と言った。
「そういえばまだ効果は確かめてなかったけど…ホントに使えるのかな」
「なぁに、こんだけの上物なんだから使えるに決まってるでしょ…さて何で試してやるか……そうだ!」
「なんだかすごく嫌な予感がする…」
「グリスで試してやろうじゃないの!」
エラフィンは手袋を使った最初で最後の犠牲者をグリスへ決めた。レンリエッタはまた彼が犠牲になるのかと哀れんだが、自分も効果が気になるので黙ってついて行くことに。
二人は盗人歩きでそーっと広間を出ると、よく磨かれた音の出ない廊下を通ってキッチンへと向かった。
そして壁に張り付くように覗いてみればいつものようにグリスが夕食の準備を行っており、小さなポッドでソースをかき混ぜながらオーブンの中で焼かれているフィッシュパイの様子を確認していた。
テーブルの上には丸々と太ったローストグースも大皿に乗っていたので今夜はごちそうだ。レンリエッタは腹が鳴りそうになるのを抑えながら、エラフィンを見守った。
「ふーむ…グリスは用心深いところがあるし…消音魔法を使ったほうが良いね。」
「音を消すってこと?そんな魔法があるの?」
「もちろんさ、悪いことをする時には外せない呪文よ。…でも前にも使わなかったっけ?」
「ううん、覚えてない」
「そうかい……そんじゃよく見ておきな…シーレント…!」
グリスはビーストヘルド故、気配には敏感なので(少々癪だと感じながらも)エラフィンは消音魔法を使って行くことにした。
消音魔法である【シーレント】の呪文を唱えれば、あら不思議……残念ながら見ただけでは何も変わらない。
「………えっと、消音出来てるの?」
『あーテストテスト…聞こえてるかしら?聞こえてたら右手をあげてちょうだいな。』
「先生……まさか口をパクパクさせて私をからかってるだけじゃないよね?」
『よし、ちゃんと出来てるね…』
とどのつまり消音魔法は第三者からすれば恐ろしく面白みのない魔法なのだ。エラフィンが何を言っても他人からすれば口を動かしてるようにしか見えないので効果を疑いがちだが、これ見よがしに地団駄を踏んでも一切音が鳴らないのを目の当たりにすればレンリエッタもようやく納得した。
気を取り直して、きちんと消音出来ていることを確認したエラフィンは先ほどまでのこそこそ歩きから一転、少し大げさな足取りでズカズカ歩き出すと、あっという間にグリスの真後ろへと到着してしまった。
もちろん物音ひとつしなかったのでグリスは自身に迫っている危機を知る由もなく呑気にソースをかき混ぜ続けている。
『まったく、相当鈍ってるね…たかが消音魔法程度で誤魔化せるなんて…』
「ひぇ~…あんな真後ろに居るのに全然気づかれてない…」
『さーてと…そろそろやってるかね!レン、こいつを試させてもらうよ!』
「ふーむ…(何やら妙な悪寒が…もしやレシピにミスでも…それともエラフィン様がまた何か企んでいるのでしょうか…)」
エラフィンは見守るレンリエッタに対してグッと拳を握って合図してから手袋を被った右手へ魔力を込め始めた。すると手袋はほんのりと淡く光り始め…
『………今ッ!』
「(あぁ!何か抜き取った!)」
次の瞬間、目にも止まらぬ速さでグリスの背中を突き刺すように手を伸ばしたかと思えば、エラフィンの手には既に盗み出された手帳が握られていた。あまりにも一瞬過ぎた為にレンリエッタは今しがた目の前で起きたことが上手く理解できなかったが、とりあえず効果がある事をしって心の中で歓喜した。
そしてエラフィンが随分と使い込まれた手帳を握りしめながら満足げに笑みを浮かべていれば、流石のグリスも異変には気が付いたようで…
「やはりレシピの確認を……むっ!手帳が…一体どこに……ヒィイッ!?エラフィン様!?いつからそこに…」
「ようやく気付いたのかい、このうすらとんかちめ。ちょいとばかし鈍りすぎだよ。」
「は、はぁ…?いったい何が何やら…あぁ!お嬢様まで!」
「えへへへへ…」
振り返ったグリスはいつの間にか後ろに立っていたエラフィンに寿命を縮めつつ、レンリエッタの存在にも気が付くと自分がろくでもない目に遭ったことをようやく理解した。
探していた手帳を手袋を嵌めた手で渡されればどんなに鈍感な男でも気が付くだろう。
「そんな!ひど過ぎます!二人して私めを恥辱の対象にするなんて!」
「ごめんグリス…私も手袋の効果が気になってて…それにエラフィン先生に逆らうのは怖いし…」
「ちょいと待ちな!私を一人で悪者にするんじゃないよ、アンタだって乗り気だったじゃないか?」
「うーん…否定はしないけど」
「それにグリス、アンタも昔に比べて随分鈍ったじゃないか。音を消した程度で気付かないんじゃ、アンタにも修行を積んでやる必要がありそうだね。」
「修行ですか?……うっ…いい思い出がありませんね…」
悪戯はさておき、修行と聞いたグリスは明らかに声のトーンを下げてしまった。普段は滅多なことで気を落とさない彼なのでレンリエッタは疑問に思って聞こうとしたが…
「どうしたのグリス、何か嫌な思い出でもあるの?」
「申し訳ございませんがお嬢様…聞かないでくださいませ…」
「ご、ごめん…」
「いえ!お嬢様に非はございません!それよりも…お二人共、ご夕食にしませんか?ソースのほうは今一つかもしれませんが…ちょうどパイが焼きあがりましたよ。」
グリスが珍しく嫌がったのでレンリエッタは引かざるを得なかった。それに夕食と聞いては疑問もすっ飛ぶほどお腹が空いているのに気が付いたので、それ以上は聞く気も起きなかった。
グリスはソースが今一つだと言っていたものの、十分に美味しかったのでレンリエッタは二皿分を胃に収め、エラフィンに至ってはワインを2本ほど開ける始末。つまり、いつものような楽しい夕食であった。
その後はほんの少しばかりモノリス魔法の練習をしてみたレンリエッタだったが、やはり刺激がビリッと来る程度で一向に進展は無かった…
それから早いもので2日が過ぎた。練習の成果と言えば、ビリビリを出すのに慣れた程度…しかしエラフィンは『いい予兆よ』と言ってくれたので自信だけは付いてきたと言うべきか。
練習はさておき、2日が過ぎたという事は寝坊金庫の中では約1年程度が経過しており、朝早くから2人はいよいよ石鹸を確認してみることに。
「さぁて、どうなってる事やら……ふむ、申し分ない熟成具合ね。」
「色が変わってるね。なんかチーズみたい」
古びた木製のハンドルをガラガラと回し、開かれた扉の奥に積まれていた石鹸はものの見事に熟成というより、発酵したような見た目になっていた。2日前(1年前?)は薄紫色でテカテカしていたのに今では黄土色でカピカピに乾いており、まるで忘れ去られていたチーズのようである。だが匂いは未だにフローラルで心地良いので不思議なものだ。
そしてレンリエッタとエラフィンはその石鹸を一個ずつ取り出すと包装紙に包んで紐で縛り、どんどん籠へ詰めていった。金庫いっぱいに作ったので最後の一個を包む頃には籠に大山盛りだ。
「今年は大豊作だね!こいつが全部売れれば元手の4倍は稼げるよ!」
「そんなに?いったい1個いくらで売るつもりなの?」
「高級品だからね…ま、5ケイルあたりが妥当だね」
「5ケイル!?そんなにするんだこれ…」
石鹸一個あたりの売値は脅威の5ケイル。並みの石鹸なら20個以上は買えるほどの値段なのでレンリエッタはギョッとした。
だがエラフィン曰くまだまだ高い石鹸はこの世にたくさん存在するらしく、最も高価なものは数十年に一度しか咲かない希少な花の蜜を使用したもので値段は…最低でも300モナスはすると言うのだ。
「それに比べちゃぁ見劣りするかもしれないけど、良い物には変わりないのよ。せっかくだし1個は使ってみようかね。」
「うわぁ…楽しみだなぁ…」
「そんならいい汗を掻こうじゃないの!今日はジャンジャン稼ぐよ!」
「アイアイサー!」
というわけで二人はサタニズム街で一儲け!…する前に朝食を摂り、忘れずに霊感クリームを塗ってから出かけるのであった。
偽薬を売るよりもよっぽど健全な商売なのでレンリエッタはいつにも増してやる気満々だ。青く澄み渡った空や容赦なく日差しを突き刺してくる太陽も相まって気分はまさに真夏の元気少女…
あんまりにも気持ちが良いので飛行杖をカッ飛ばしたい気分になったのだが、今日は籠いっぱいの石鹸をぶら下げているのでいつもより安全飛行をせざるを得ないのだ。
そんなこんなでいつも通り、例の店で石鹸を売ることになった二人だが…意外にも売り上げは良くなかった。道行く人々の一部は足を止めて眺めたり、手に取って匂いを嗅いだりしていたものの買わずに去って行くのだ。
「ちょっとちょっと!どういうことだい…なんで売れないのさ!?」
「やっぱり値段のせいかな…流石に高すぎるんじゃないの?」
「まさか!5ケイルなんて他の店で買うよりよっぽど安いさ!」
「ならみんな石鹸に興味ないんだよ…だって……言っちゃ悪いけど此処って清潔な人少ないし…」
だとすれば理由はひとつ…皆、石鹸などに興味は無いのだろう。
当たり前だが此処はラーム通りだ、首に賞金が懸かっていたり何かしらに追われる身の者も珍しくもないこの場所でわざわざ石鹸などが売れるだろうか?
レンリエッタの言葉にエラフィンはムスッとした声で「確かにね」と言いながら、カウンターに肘をついて通り行く人々を睨み始めた。
「ちょっと先生…睨むなんて…余計にお客さんが減っちゃうよ…」
「睨んでるんじゃないよ…ただ目が合ったやつに催眠を掛けて無理やり買わせようかと…」
「そ、そんなことしちゃだめだよ!」
「やーねー、冗談に決まってるでしょ。」
エラフィンの冗談は冗談に聞こえない事が殆どなので勘弁してほしいと思うレンリエッタであった。
そしてこのまま突っ立っていても売れるような雰囲気でも無いので、二人は早々に店を畳むことにした。在庫を半分以上も抱えることになるのは今回が初めてである。
水の出ない噴水広場にてレンリエッタは煮え切らない気持ちで籠の中の石鹸を揺らした。一方でその横に座るエラフィンはさほど気にしていないようだが、手帳に色々と書き込みながら「煮るか…」や「砂に混ぜるか…」などと物騒な独り言を呟いている。
しばらくの間、レンリエッタは座ったままやる事もなく暇を持て余していたが、遠くから聞こえてくる声がすぐにその退屈を取り払ってくれた。
「あ!レンリエッタ!」
「え?…あ!クリッツ、パンセ!」
自信を呼ぶ声にレンリエッタ(とエラフィン)が首を向けてみればそこに居たのは尻尾を振る茶色毛玉のクリッツとデカ眼鏡のパンセ……とその横に立つ謎の少女…
二人が足早に駆けて来るのに比べて少女は一足遅れて歩きながらやって来た。
「やっほーレンリエッタ!とエラフィンさん。二人でお買い物?」
「ううん、こっちは売る方だよ。」
「石鹸を作ったんで私の店で売ってたところさ。まぁ中々売れ行きは良くなかったけど…」
「お店持ってるんだ…何のお店なの?石鹸屋さん?」
「えーっと…雑貨屋さん…かな…?」
「へぇ~雑貨屋さんかぁ」
パンセの質問に対してレンリエッタはエラフィンよりも先に「雑貨屋」だと答えた。実際には(詐欺系の)ポーションショップなのだがCWPを営む一家の娘に対して『偽薬屋さんだよ!』なんて口が裂けても言えなかった…せっかくできた友達を失うかもしれないのだ。
エラフィンは言葉に出さずとも「ふーん」と言ったような顔でレンリエッタを見て意味深な笑みを浮かべた。
それはそうと、どうにも微笑み顔で凝視してくる謎の少女は無視できない。クリッツがあんまりにも頭を差し出してくるので撫でまわすのに忙しく、レンリエッタは視線でパンセに説明を求めた。
「え?あ、そうだった…紹介が遅れちゃったけどこの子はバーミン。…バーミン、この子がレンリエッタ。」
「ど~もぉ、私ぃ…バーミルティア・グリーンスリーブスでぇす。みんなからはバーミンって呼ばれてるよぉ。」
「こっちこそ!私はレンリエッタ、自由に呼んでいいよ。」
バーミルティア・グリーンスリーブス…通称バーミンはなんとも間の抜けたような伸びた喋り方が特徴の少女だった。肌は萌黄色と特徴的で、橙色に光る目と光沢のある黒髪が何とも眩しかった。
それと…かなり草の匂いがする。厳密に言えば青臭さに交じって土やら肥料っぽい匂いがするのでレンリエッタは思わず石鹸を差し出しそうになった。
しかし、パンセの友人となればもちろん仲良くしないなんて選択肢はない。
しかしながら、会話を聞いていたエラフィンがグリーンスリーブスと聞いて、どこか心当たりがあるような唸り声を出した。
「むっ…グリーンスリーブス?」
「先生、知ってるの?」
「聞き覚えがあった気がしてね…いや、気にしないでおくれ。気のせいかもしれないし。」
「えーっとぉ…たぶん…知ってると思いますよぉ…その、お祖母ちゃんが有名な人なのでぇ…」
「あ!そうそう!バーミンのお祖母ちゃんってばすごい人なんだよ!
バーミンの言葉にクリッツがブワッと起き上がるなり、興奮したような口調で喋りだした。
「バーミンのお祖母ちゃんってね……王宮魔術師だったんだよ!」
「えっ!?王宮魔術師!?ROWってこと?」
「……あぁ!そうか!アンタ、キャリオンの孫だね!顔がそっくりじゃないか!」
「え、えへへへ…よく言われますぅ…」
なんとバーミンの祖母、キャリオン・グリーンスリーブスはかつてROWに在籍していた王宮魔術師だと言うではないか。これにはエラフィンも思い出したように声を上げ、周囲の人々の視線を集めていた。
同じ王宮魔術師同士で知り合いなのだろう、エラフィンは彼女の顔をグイグイ見て「ホントにそっくりだね…」と何度も呟いた。
ちなみにキャリオン異名は『息吹の魔術師』らしい。
「アンタのお祖母ちゃんはホントにすごい魔術師だったからね…私が唯一尊敬する自然魔法使いだよ…」
「そうなの!?(先生が尊敬するってどのくらいなんだろう…)」
「特に樹海魔法なんて後釜のパラディシアだって真似できないほどだからね…」
「エラフィンさんって王宮魔術師に詳しいんですね。」
「ちょ、ちょっとね…仕事柄そういうのに詳しくて…あはははは…」
パンセの鋭い質問にエラフィンは興奮を抑えて雑な逸らし方でその場を回避した。一応、王宮魔術師としての肩書は表社会には伏せているのでレンリエッタの友人と言えども教えるわけにはいかないのだ。
「さて……そんじゃ私は帰るけど…レン、アンタは此処に残るかい?」
「いいの?」
「まぁ最近は修行も頑張ってるからね、たまには友達と仲良く遊んできな。」
「ありがとう先生!」
「ならちょうど良かった、あの日から会えてないしそろそろ誘おうかと思ってたの。」
エラフィンは気を利かせ、自分だけ帰ることに。ちょうどパンセたちもあの日以来全く会っていないのでレンリエッタを誘うつもりだったらしい。
なのでレンリエッタは籠を引っ提げて飛んで行くエラフィンを見送ってから、3人と一緒にサタニズム街を見て回り始めた。先ほどまでの気持ちはすっかり消え去り、楽しい気分がこみ上げてくる…家の外でも一人ではないと深々と思えてくるのは何とも感慨深いものだ。
4人はまず最初に『アーネスト・フレンローズの飛行杖専門店』へ向かい、高級杖のアイスプラズマをショーケース越しに眺めたり、安売りしている型落ちの品々を見ているとパンセがレンリエッタへ聞いた。
「そう言えば…レンリエッタ、もう飛行杖に慣れた?」
「もちろん、最近はいつものように乗ってるよ。」
「事故とかは起こしてない?大丈夫?」
「今のところはね…いつか建物に突っ込まないと良いけど。」
今ではすっかり乗りこなせている飛行杖だが、乗れるようになったのは他でもないパンセとクリッツのおかげである。2人の指導が無ければ今でもエラフィンの後ろに乗るか、ダサいブーツを使う羽目になっていただろう…前者はともかく後者は蒸れるので特に嫌だ。
そんな風に考えていると、クリッツが壁のポスターを見てから話しかけてきた。
「なら今年のストーム杯は二人とも出るよね?」
「どうかな…私、まだちょっと自信無いし…それに私の杖じゃダメかも…」
「ストーム杯?なにそれ?」
「ケインリルレースのジュニアカップだよ、毎年夏になるとやるんだよ。」
「…レース?競争ってこと?」
ケインリルレースやらストーム杯など聞きなれない言葉にレンリエッタは首を傾げるばかりだが、その様子を見たクリッツは愕然としたような表情を浮かべると、熱心に語りかけてきた。
「まさかケインリルレースを知らないなんて…世界最高のスポーツなのに…!」
「世界最高なの?ラグビーとかゴルフよりも人気があるの?」
「当たり前だよ!そんなヘンテコな名前のスポーツは知らないけど…断言できる!ケインリルレースは史上最高のスポーツだよ!僕、ナマでレースが見れるなら死んでも見るもん!」
「それはオーバーだと思うけど…でもすごく人気があるの。」
そのケインリルレースというのは、聞いてわかるように飛行杖を用いた一大レースの事である。数年に一度、周辺国から集まった著名なレーサーたちが長距離コースを数日掛けて飛び回り、競い合うのだ。
クリッツの口ぶりから分かるように、この世界ではかなり人気のスポーツに入る…大会が開催される際は何か月も前から席の争奪戦が繰り広げられ、周辺の街も観客でごった返しになると言われている。
もちろんレーサーもそれなりに美味しい思いが出来るのだ…なんたってレースに勝てば膨大な賞金が貰える上にスポンサーからは多額の支援が受けられ、しかもファン達からは神の如く崇められる…
よく見れば店中の至る所にレーサーたちのサイン入りブロマイドが飾られており、カウンターの後ろの壁に聳えるひと際大きな額縁には『伝説の操杖師ジョラセル、史上初の十連勝達成』と書かれた新聞記事の切り抜きが収まっていた。
店主のフレンローズ氏が彼のファンだという事は誰が言わずとも伝わってくる。
「へぇ~…じゃあクリッツはそのストーム杯ってのに出るの?」
「もちろん!今年は絶対に出る!ウビィ先生からも許可を貰ったもんね。」
「なら私も出てみようかな、ちょっと興味あるし。」
「是非そうしてよ!僕、実はちょっと心細くて…」
クリッツは今年のストーム杯というのに参加するらしいのでレンリエッタも興味が湧いてきた。ジュニア杯ならば同じような子供たちもたくさん出るのだろう。
しかしパンセはあまり良い顔をしなかった。
「やめておいた方が良いかもよ…だってストーム杯って…一番危険って言われてるし…」
「危険なの?」
「パンセってばオーバーだなぁ、そんなに危険じゃないよ。たかが嵐の中に突っ込むだけだよ。」
「嵐の中に突っ込むの!?」
パンセが乗り気じゃないのも無理はない、ストーム杯は四季で開催されるジュニア杯の中では最も危険と呼ばれるレース…
参加者は海の上を飛び、ストーム…つまり嵐の中を突っ切ってポイントを経由してから戻ってくるのだ。その嵐というのはもちろん暴風吹き荒び、雷雨が猛烈に降り注ぐ危険な環境…最低限の安全対策はされているが、過去には雷が直撃したり風に吹き飛ばされたりなどした参加者が搬送された事もあるので必ずしも安全とは言えない…
嵐を突っ切ると聞いてレンリエッタは驚いたものの…考えてみれば少し前に嵐の中を飛んできたばかりなのでさほど恐怖は湧かなかった。しかもその中で雷を釣ったのであれば驚く方が変である。
「まぁ大丈夫でしょ。私、嵐の中を飛んだことあるし。」
「もう…そんな冗談なんか言って…怪我したら大変だよ…」
「いや冗談じゃなくて本当に…」
「まま、いいじゃん!参加するかどうかは本人が決める事だよ!」
「でも…レンリエッタ、私はお勧めしないからね?」
「そこまで言うなら…もう少し考えてみようかな…」
そう言ったものの、パンセには悪いがレンリエッタの心は決まっている…ストーム杯は参加できるならしてやると…となると問題はエラフィンが許してくれるかどうかだが……なんだが二つ返事で許されそうな気がする。
エラフィンが笑いながら『良いね!出ると良いさ!』と背中を押す光景が容易に頭に浮かんだ。
そんなこんなでもうしばらく杖を見て回った三人は観葉植物に話しかけていたバーミンを呼び寄せてから店を出た。全員、この後どこへ行くなど考えてもいなかったのだが誰が提案するまでもなく、少し歩いた先にある本屋…『デッドウォッチ書店』へと入った。
店先のポスターには『指定魔本の回収は行っておりません』と書かれており、例のヘリクツ本は綺麗さっぱり店内から消えていた。
その代わりに『新学期用の指定教科書』というコーナーが設けられており、興味をそそるような教材本がいくつも積まれていた。
「あーあー、教科書なんて見るだけでも嫌になっちゃうよ…見てよ、心理学の教科書なんてこんなに分厚いし…」
「地層学に比べればマシだよ…ヘイドル先生の授業だって付いてくるんだもん…」
「でもぉ、薬学の本はそんなに厚くないよぉ……あ、そうでもないねぇ…」
レンリエッタを除く三人は教科書コーナーを憂鬱そうに眺めていた。それぞれ学校で苦労をしているのであろう、クリッツは辞書のような分厚さの教科書をパラパラと捲ってはため息をつき、パンセは本を見るなりあくびした。
そしてバーミンはと言うと……園芸コーナーへとさっさと行ってしまった。意外と我が強いタイプである。
なんとも寂しい気持ちになったレンリエッタは割り込むように聞いた。
「ねぇ、二人はどんなクラスに入ってるの?色々あるっていうのは知ってるんだけど…」
「そりゃあもちろん僕は幻影学…と心理学と薬学だよ。」
「私も薬学と地層学、それから作成学だね。バーミンは植生学と同じ薬学取ってるの。」
パンセ達の通うマクスロッド魔法学校には全部で10の学部が存在する。
細かい説明をすると長くなるので割愛するが、三人は共通で薬学部のクラスを取っている他にそれぞれの得意な学部も受講しているのだ。
変身魔法が得意なクリッツは幻影学と心理学…レンリエッタも知っているがパンセは作成学の他に地層学を受講しており、バーミンはもちろん植生学……やろうと思えば全部の学部も学べるらしいが想像するだけで疲れてしまいそうだ…
話を聞いたレンリエッタはますます学校に行ってみたくなった。
「いいなぁ、私も学校に行ってみたいよ…」
「そういうレンリエッタはあの…ドルフィン先生?っていう人からどんな事を教えてもらってるの?」
「ちょっとクリッツ!エラフィン先生だよ…」
「そうだったそうだった…で、どうなの?」
「色々教えてもらってるよ、薬の調合とか薬草の育て方とか…あと簡単な魔法とかも。」
だがもちろんレンリエッタにはエラフィン先生というそれはそれは偉大なるお方が居るので学校など不要なのだ。というか、行くのは許してくれないだろう。
しかしエラフィンから教えてもらったことも決して少なくは無いのだ。多くは言えないが調剤から薬草の植え替え、下級呪文からインチキ商品の売り方などなど…それはまぁたくさんだ。
「僕からすればレンリエッタの方が羨ましいよ、だってわざわざ学校に行かなくて良いんだし。」
「クリッツってばいつも学校で寝泊まりしてるじゃない。」
「週末以外はね。だから月曜日は嫌いなの。」
学校の話はさておき、それから三人は熱心に立ち読みに没頭するバーミンをそっとしておきつつ、文具コーナーへと向かい、魔法ペンやら透明インクなどの実用的な品々を見て回った。
しかし、そんな商品たちですら霞んで見えてしまうほどの逸品がまさに三人の目の前に現れた。
「スカイノート……これがあればいつでもみんなで会話できるね!」
「でもやっぱり高いよ…」
「この前は見間違えかと思ったけど…やっぱりこの値段は酷いよ…」
それは『スカイノート』と呼ばれるもので、同期紙を贅沢にもノート状にしたものだ。これがあれば一々手紙など出さなくとも瞬時に会話が可能であり、少年少女からすれば喉から手が出るほどの一冊である。
しかしその分お値段も中々張るもので、一冊当たりの値段は脅威の8ケイル…よっぽど潤っている者でなければ手の出せない値段だ。大人ですら買うのを躊躇うだろう。
なので三人はうらめしそうに眺める事しか出来なかった…
「8ケイルかぁ…僕の貯金が倍あっても足りないよ」
「私も新しい調合キットを注文したからお金ないんだよね…」
「うーん私は……いや、全然足りないや…」
クリッツの飛行杖貯金もパンセの懐も8ケイルを支払えるほど景気が良いはずもなく、レンリエッタの財布もあんまり調子が良くないのでますます残念な気持ちがこみ上げてきた。
スカイノートは名の如く三人からすれば空の上の存在…つまり手の届かない場所に存在するモノなのだ。
しかし、そこでクリッツが何かを閃いたように言ってみせた。
「あ!そうだ、みんなでバイトしてみようよ!」
「バ、バイト!?それってつまり…働くってこと?」
なんとクリッツはバイトをして稼ごうと言い始めた。生まれてこの方そのような文化に触れてこなかったレンリエッタは酷く驚いたが、パンセの方はあまり驚いた様子を見せずそれどころか少し乗り気にも見えた。
「確かに…薬を作って売るよりずっと効率が良いかも。」
「でしょでしょ?ねぇレンリエッタはどう思う?」
「わ、私は…わからないよ…だってバイトなんてした事ないもん…」
「何もそんなに恐ろしい事じゃないよ。ちょっとばかりお手伝いしたらお金が貰えるんだよ、杖を磨いたり植物の植え替えをしたり…」
「……服の仕立てなんかは無いの?」
「うーん、わからないや!」
クリッツ曰く1時間足らずで終わるような仕事ばかりらしいのだが、レンリエッタはどうにも迷った。金貨貯金を崩すのは気が引けるし、エラフィンにおねだりする気も無かったのでノートを諦めるかバイトをしてみるかの二択…
「……二人がやるなら…私もやってみようかな…」
「なら決まり!早速明日三人でバイトしようよ!」
「でもバーミンはどうするの?仲間はずれにするのは…」
「バーミンはバイトしなくても大丈夫だと思うよ…だって、めっちゃお金持ちだから。」
「そうなんだ…」
友人二人が付いているなら多少の不安には立ち向かえる気がしたのでレンリエッタは誘いに乗ってみることにした。バーミンは家が裕福なのでバイトなんてしたがらないと言うクリッツだったが、その後本人に聞いてみれば彼女の予想通り「私はみんなが終わるまで待ってるよぉ」と働く気はないようだ…羨ましい限りで。
というわけで突然ながらバイトなんてする事になったレンリエッタはどこか不安な気持ちに駆られるのであった……というより、エラフィンが許してくれるかどうかだが…結果は言わずもがな、容易に予想できたとさ…
つづく…
キャラクタープロフィール
【バーミルティア・キャリオン・グリーンスリーブス】年齢:45歳(人間で15歳) 性別:女性?
種族:マンドヘルド 身長:171センチ 肌色:萌黄色 髪色:黒 瞳:オレンジ
生後精霊:青いヒイラギ 得物:世界樹の化石杖 特技:自然魔法、時間魔法 職業:学生
誕生日:9月3日のズイマヤン座
『パウンセンの友人でありマクスロッド魔法学校に通う少女。家族は祖母に王宮魔術師のキャリオン(故人)と植物鑑定人の両親が居る。幼少期より植物関係に困らない家庭で育ったために植物さながらのマイペースさに加え、どこか怪しげな面を抱えてしまっている。とにかくやる事なすこと全てが遅いのでよくハブられたり置いて行かれたりするが本人はまるで気にしていないらしい。好きなものは大自然ときれいな水、嫌いなものは鉢植えや菜園など。どうやら大変裕福な生活を送っているらしく、そのせいで度々周囲とのズレに難儀することもあるようだ。』




