第4話『14歳の誕生日』
テーラーに戻ったレンリエッタは直ぐに自室へと戻り、悪魔の言葉を思い返していた。
14の階段を昇る前に荷物をまとめておいた方が良いと言うのなら、それは間違いなく明後日の14歳の誕生日に迎えが来るという意味だろう。
なんたって今日は3月の40日である、来月の14日まではちょうど24日もあり、今年は13月までだ。それに今年は輪歴320年なのだから最も近い414年までは90年以上もある。
「明後日の誕生日……でも、誰が迎えに…まさかあの人が?…でもあの人って一体…」
レンリエッタは迎えが来ると勝手に考えていたが…一体誰が迎えに来てくれると言うのだろうか?思えば生まれてから14年近く経つが自身の家族に対して知っている事は何ひとつ無かった。
ウェアクロース家は自分を孤児院から連れて来て、駒使いにしていると言っていたが思えばその孤児院の名も何処にあるかもまるで知らない。と言うより教えてくれなかった。
ミシェンもペンスーンも教えてくれと言えば「知らなくていい」や「こっちが知りたいよ」と返した。それでもしつこく食い下がっても殴られたり首を絞められたりするのでそれ以上は追及など出来るものではなかった。
レンリエッタは一瞬、あの細身な悪魔が他愛も無い冗談を言ったのかと考えたが、どうにも彼が嘘を言っているとは思えなかった。パレードと今日に会っただけなのだが、どうにも他人とは思えないのだ。
「(やっぱりあの人…私の知り合いなのかな……でも悪魔が…?)」
しかし、悪魔が知り合いだなんておかしな話だと思った。レンリエッタは人間である、悪魔を雇った事も無ければその雇用の仕方も知らないほどに彼等に対する知識が疎いと来た。
なので知り合いなど出来るはずも無いのだが……とにかく、レンリエッタは荷物を纏める事にした。
そして……全く手を動かさずとも荷物を纏める事に成功した。なんたってこの部屋に荷物らしい荷物は無い、鞄も無ければ財布も持っていないのだからレンリエッタは自分以外にも持って行くモノなど何も無かった。
「(だけど私を迎えに来て何処へ連れて行くんだろう…孤児院?まさか…そんなわけないか…)」
さらに当たり前だが、迎えに来ると言っても一体何処へ連れて行くというのだろうか。本当の家族の下にでも連れ出してくれるのか?何処かに白髪の父親か母親が待つ場所でもあるのだろうか。
レンリエッタは辛い事があった時、何度も「本当の家族が迎えに来てくれる」という妄想をしていた時期があった。娘と呼んでくれる父親と自分を愛してくれる母親がやって来て、この場所から連れ出してくれるのだ。そうしてちゃんとした学校へ通い、友達も出来て、立派な大人になるのだと……本当に愚かな妄想だった。
ベッドへと座り込み、色々と物事に深けていたレンリエッタだったが、その時部屋を開けて尋ねる者がひとり……ミシェンだ。中々降りて来なかったのでしびれを切らしたのだろう。
白い顔にムッとした表情を浮かべ、まるで忌まわしい何かを見つめる様な目付きで彼女を睨みつけた。レンリエッタは背筋が凍るような恐怖に襲われた。少なくともブリスに脅されるよりずっと怖かった。
そしてミシェンはお得意の怒鳴り声で言い付けるのだ。
「いつまで部屋にいるんだい!さっさと仕事に戻りな!」
「ご、ごめんなさい…すぐに行きます…」
「まったく……グズと言うかノロマと言うか…アンタみたいなのを抱えてると負債が増えるばかりでしょうがないね!」
「……なら追い出せば良いのに…」
彼女の言葉にレンリエッタはつい返事が口から出てしまった。まずい!と思って口を閉じたがもう遅かった、ミシェンはギンとした瞳でレンリエッタを睨み、額には青筋を浮かべている。
優れた予言者でなくともこの後どうなるかはお見通しだろう。レンリエッタは直ぐに耳を塞ごうとしたが遅かった。
「なんだいその言い方は!!それが育ての親に対する口の利き方かい!!」
「うぅう……だってお金が掛かるなら追い出せば良いのに…」
「追い出せるもんならさっさとそうしてるさ!!」
「じゃあなんで私を追い出さないのさ…」
そう聞くとミシェンは「そりゃあ…」とだけ口にすると思い出したように口を閉じてしまった。明らかに怪しかった、口に虫が飛び込んだわけでもないのに急に閉じるとは何か隠しているに違いない。
レンリエッタの疑問は確信に変わった、ミシェンは何か知っている。彼女が此処に居なければいけない理由を…
「どうして私を追い出さないの?なんでなの!」
「うるさい!!いいかい、アンタはこの店で一生を過ごすんだ!そうすればすぐに私達に感謝する事になるさ!!」
「此処で一生を過ごすなんて絶対に嫌だよ!それに明後日の誕生日に迎えが来てくれるもん!!……あっ」
「な……い、今なんて…!」
またしてもレンリエッタは余計な事を言ってしまった。
迎えが来るという言葉を聞いたミシェンは酷く驚き、ただでさえ白い顔がもっと白くなった気がした。そしてレンリエッタへ「此処に居ろ」と伝えると直ぐに下へ通りて行ったかと思えば、今度はペンスーンも連れて戻って来た。
ペンスーンは重い声でレンリエッタへ聞いた。
「レンリエッタ、どういうことだ。」
「どうも何も……悪魔に会って、その人が誕生日までに荷物をまとめろって言ったんだもん…」
レンリエッタが軽く説明してみるとペンスーンも顔色を変えた。やはり何かあるのだろうかと思っていれば、彼等はヒソヒソと静かに話し始めた。
声を抑えているつもりだろうがレンリエッタはすぐそこに居たので声は丸聞こえだった。
「あ、あなた…どうしましょう……まさか…アイツ等が来るんじゃ…」
「バカな事を言うな…そんなわけ……あり得ないさ…」
「でも……もしかしたら…そうよ、衛兵を雇いましょうよ…そうでもしないと…」
ミシェンは普段とは打って変わって怯えている様子だった。初めて見る姿だったのでレンリエッタは妙な感覚に襲われたが、それ以上にペンスーンの顔が妙だと感じた。
いつもなら石のような無表情で「寝言を言ってないでさっさと働くんだ」と言い付けて来るものだが今日は違う。とても…とても思いつめたような顔をしている。
そしてミシェンがあまりにもうるさいのでしゃがれた声で大きく言った。
「その必要はない!誰も迎えに来るものか!!二人ともさっさと持ち場へ戻るんだ!!」
「で、でも…私確かに…」
「黙るんだ!お前を迎えに来る奴なんて居るものか!!もういい!今日は来るな!明日まで部屋から出るな!!」
「あぁ!あなた…!ちょっとッ!!……ッ…」
そう言い付け、ペンスーンはドカドカと落ち着かない足取りで下へ降りてしまった。慌ててその後を追うミシェンは去り際、レンリエッタを睨みつけたが何か言う訳でもなく降りて行った。
ひとり取り残されたレンリエッタは床へトスンッとヘタレ込んだ。すると少ししてから帰って来たメルキンがギョッとしたような顔でそーっと部屋を覗き込んで聞いた。
「……あんた、何したのさ…」
「…さぁ……」
聞きたいのはレンリエッタの方だった。
普段は温厚と称するべきか、まるで感情を見せない鉄面皮のペンスーンがあそこまで声を荒げるのは滅多に見た事が無いし、それが自分に向けられたのは初めてだった。ただひとつ分かる事は彼らが何かを隠している事だけだ。
もはやレンリエッタの好奇心は彼らの謎に向いている…
その日の夜、レンリエッタはベッドへ寝転がり、窓から差し込む月光で照らされる机を眺めていた。こんなに明るければ照明が無くとも手紙が書けそうだが出す相手も書く道具も何も無い。
「明後日……迎え、来るのかなぁ…」
勝手にそう解釈していただけだが、迎えは本当に来るのだろうか。一抹の不安が過る中、レンリエッタの脳内に浮かぶ最悪のシナリオは数十年後にこの部屋でひとり寂しく死んで行くものであった。
仕事が嫌いというわけでは無かったが、誰にも看取られる事無くこの世を去る瞬間を想像するのは非常に悲しいことだ。寝る前というのは本当に嫌なことばかり頭に浮かんでしまう…
翌日のこと、レンリエッタは部屋を出ても誰にも何も言われなかったので許されたのだろうと解釈した。もっとも、何も言われないというのは文字通り無視されているも同然だったが。
だが今朝はいつもと違う事が幾つかあった。まずペンスーンは昨日よく眠れなかったのか目の下に隈を浮かべており、ミシェンは部屋中のカーテンを閉め切っていた。メルキンが外を見たいと言って少しでも開けようとすればミシェンは瞬く間に「閉めなッ!!」と怒鳴った。
両親の様子に対して姉妹は少し困惑していたが、いつものように学校へと出掛けて行った。
「(二人とも…なんであんなに神経質になってるんだろう…)」
ペンスーンとミシェンは気が触れている様だったが決して店を休むなんて事は無く、二人ともそれぞれスーツと帽子を仕立てた。だがペンスーンはコーヒーを何杯も飲み、ミシェンは客が来たり外で物音がする度に一々驚いていた。
一方でレンリエッタはいつも通り。むしろ二人の様子が少し面白かったのでちょっとだけ針の具合が良かった。
当たり前だがその日の営業は何事も無く終わった。17時を告げる機械時計の鳴き声を聞いたミシェンはハーッと息を吐き、ペンスーンはドアから通りを念入りに眺めると直ぐに店を閉じてしまった。
そして二階へと上がるとベリーとメルキンを呼び寄せた。
「おいベリー、メルキン…妙な奴らに会ったりしてないよな?」
「ううん、私もベリーも変な人に会ったりしなかったけど…」
「どうかしたの?なんでそんなに……怯えてるのさ?」
「怯えてなどいるものか……良いか二人とも、明日は家から出るんじゃないぞ」
「えぇ~!?明日は劇場が…」
「何があっても家から出るな!一歩も外に出てはならん!!」
ペンスーンは二人へ何度も「変な奴らに会っていないか」や「悪魔に話し掛けられなかったか」と聞き出した。二人は首を揃えて会っていないし話し掛けられもしていないと答えた。
するとペンスーンは明日は家から出るなと言い付け、文句を垂れようとするメルキンに満足な発言を許す暇もなく怒鳴りつけた。メルキンは泣きながら部屋へと戻り、ベリーはまるで意味が分からないという表情で部屋へと戻って行った。
レンリエッタは何かを言われずとも此処に居てはならないと判断して部屋へと戻ろうとしたが、二人の話が聞こえて来たので階段の半ばで足を止めて聞いてみる事にした。聞き耳を立てるのは悪いが、そんなこと知ったものか。
「あなた…どうしましょう……明日は…あれの誕生日じゃないですか…」
「だ、大丈夫だろう…多分な……店はいつも通り開ける…だが悪魔は一匹だって近付けるなよ…」
「でも、もし来たら…渡してしまえば良いのよね?あんなのが居たらウチは…」
「バカを言うな!あんな奴らに渡せるものか!!…どうせロクな結果にならん……だからアイツも…」
「(アイツ…?)」
ペンスーンは『アイツ』と口にした途端に言葉を止めてしまった。ミシェンも何か言いたそうに一瞬口を開いたが何も言う事なく静かな時間が流れた。
息を殺していたレンリエッタはアイツの正体が何なのか気になってしょうがない。
「もういい……お前は女らしく飯でも作っとけ…この話題は二度と口にするな…」
「あらそうですか…ならあなたは男らしく威張っていてくださいな!でもひとつ言っておきますけどね、私は元々反対だったんですよ、あんなのを娘たちと一緒にこの家に住まわせるなんて…!」
「レンリエッタはもうじき普通になるさ、お前が嫌いな……その、アレも…今まで無かっただろ。」
「ですけどあれは小さい時からずっと変な事ばかり言うじゃありませんか!やれ光がなんだの、やれ悪魔に挨拶して来ただの…気持ちが悪いったらありゃしない…」
「………」
レンリエッタは会話を聞くのを止め、そっと階段を上がって小さな部屋へと戻った。キッチンからはぶつくさと垂れ流す小声が流れて来たが、その全てがまるで聞き取れなかった。
色々と気になる事が浮かんだが…心の底で疼くショックが何よりも強かった。あの二人の会話からして自分は普通では無いと確信したからだ。
光が見えるのも、悪魔に話し掛けられるのも全て普通じゃないから……きっと髪が白いのも同じ理由だ。そしてその普通じゃない部分は一生消えないし、治らないものだろう。
それからどれほどの時間が経ったのだろうか。部屋に時計が無いので今が何時何分なのかは分からないが、外の景色はすっかり真夜中だった。
「時計がほしいなぁ」と呑気に考えるレンリエッタ……彼女はもう14歳になっていた…
レンリエッタにとって誕生日とは特別に嬉しかったり、かと言って悲しむような日でも無かった。祝ってくれる友達が居らず、プレゼントが貰える事も無かったので結局のところ彼女にとって誕生日とはただならぬ日であった。
しかし、今日は違う。レンリエッタは確信している、この先幾度となく誕生日が訪れようとも今日ほど特別な日は絶対に来ないと。
「(ついに……私、14歳に…なっちゃった………迎えはいつ来るのかな…)」
レンリエッタは朝、誰かに起こされる事も無く落ち着かない心境で目が覚めた。いつもなら寝起きの数分間は頭がまともに働かないものだが今日に限っては抜群に冴え渡っている。
それもこれも今日…レンリエッタは14歳になったのだ。一昨日に出会った悪魔の話を(多少強引にも)解釈すれば今日、迎えがやって来るはずだ。
しかし、今のところ……そういう気配はまるでない。いつもと変わらない早朝であり、今しがた起きて来たであろうミシェンがドア越しに声を掛けて来た。
「さっさと起きな!」
「は、はい…(まだ朝早いもんね…)」
まだ早朝……焦る時では無いと自分に言い聞かせながらレンリエッタはいつものようにタンスを開き、またいつものように服にへばり付いていた変な虫を追い払ってから着替えた。
そうして二階へ降りてみると、相変わらずミシェンがコーヒーを沸かし、ペンスーンは新聞を眺めていた。ベリーとメルキンはまだ寝ているらしい。せめて祝いの一言でも欲しかったが、期待するだけ無駄だろう。
「(何か一言でもくれればなぁ…)」
「……レンリエッタ…」
「は、はい!?なんですか!?」
「言っとくけど誰かが来るなんて妄想は止めときな、どうせアンタを迎えに来る奴なんて一人も居ないよ」
期待していた胸を打ち砕くかのようにミシェンは無情な言葉を言い付けた。レンリエッタは言い返す気にもなれず、チラッとペンスーンに視線を送ってみたが彼は相変わらず無表情を貫いていた。
この女に何が分かるのか、とレンリエッタは思ったが口に出す事は無かった。それどころかまるで気にしていないように振舞って見せた。
「……ま、せいぜいぬか喜びしてれば良いさ…言っとくが今日は一歩も店から出さないよ。」
「………」
レンリエッタは言い返せない自分の情けなさに腹が立ったが、感情を表に出さずに耐えた。きっと誰か来てくれる、そう信じて黙ったまま下の作業場へと降りて行った。
作業場はいつも変わらず出迎えてくれた。机と椅子に裁縫道具……どれもこれも慣れ親しんだものだ。レンリエッタはこの部屋こそが自分の家なのかもしれないと思った、それほど安心できる場所なのだ。
それから少ししてレンリエッタはいつものように自身に課せられた仕事をしていた。今日も今日とでやる事は多かったし、休まる暇も無かったがソワソワとした感情だけは隠しきれなかった。
何度か扉の『チリン』という呼び鈴が鳴る度にレンリエッタはハッと耳を澄ませたがペンスーンの「いらっしゃいませ」という声を聞いてはがっかりするのを繰り返していた。仕事を始めてもうすぐ2時間が経つと言うのに……何かが起きようとする気配はまるで無い。
さらに3時間が経った、もう昼食時だ。レンリエッタは昼食など許されていなかったが、今はお腹など減っていない…むしろ一抹の不安で胸がいっぱいだった。
まだ昼時、そう言い聞かせてレンリエッタは仕事を続けた。大丈夫だ、きっと来ると言い聞かせて…
そしてしばらくが経ち、午後も落ち着いて来た頃…レンリエッタは変わらず作業場の机に就く自分に対して危機感を覚えていた。手を動かす速度は大きく下がり、もはや不安は大きくなっていた。
そんな、おかしい…この時間帯になっても来ないなんて…きっと何か手違いがあったはずだ。そう信じていたが……次第に陽が傾いて行き、空は青からオレンジ色へと染まりかけていた。
「(思い違い…だけどそんなこと……でも…)」
レンリエッタは時計の針が進む度に気がおかしくなりそうだった。カチ…カチ…と進む時計が段々と自分に対して「お前の一日はもうすぐ終わる、諦めろ」と語り掛けているようにも思えた。
数分が過ぎ、さらにまた数分が過ぎ、そして…大きな4時を超えて段々と5に迫り始めていた。
「来る…きっと来るに決まってる…ここから私を…ぅッ」
ここから自分を連れ出してくれる、と言おうとしたレンリエッタは自信が無くなって行くのを感じて言葉を詰まらせた。思えば馬鹿な判断だ、何処の誰かも知らない悪魔に「荷物をまとめてください」と言われただけで迎えが来ると解釈するなんて。今日いつもと違った事は幾つかあったかもしれないが、それ以外はほとんど何ら変わりない一日である。
誰も「誕生日おめでとう」とすらも言ってくれなかった。
「………」
17時まであと20分、まだ時間はある………あと15分、あと15分もある………あと10分、外は暗くなってきている…
あと5分、もうダメだ…
――そして17時が来た、もう店を畳む時間だ。
レンリエッタは失意の底に沈んだような気分で作業の手を完全に止めた。結局今日も変わらなかった、おそらく明日もその明日も…一生変わらないだろうという考えが頭にくっきりと浮かんだ。
17時を告げる機械時計の声が鳴った瞬間にペンスーンはいそいで店を閉め、ガチャンとドアのカギを閉めた途端に安堵の息を漏らした。そしてミシェンはレンリエッタの居る作業部屋へと真っすぐに向かって行き、ドアを開けるなり言ってみせた。
「どうだい!アンタを迎えに来る奴なんて居ないだろう!アンタは一生此処に居るのさ!!」
「………」
「もう二度と外へは出さないからね、生意気を言った罰さ!」
「………」
自信満々にそう言う彼女に対してレンリエッタはぐうの音も出ないほどに落ち込んでいた。そして結局、人生とは都合よく変わらないものであると痛感した。
ミシェンの「さっさと部屋へ行きな!」という命令にレンリエッタは逆らうことなく、うつむいて作業部屋を出た。その姿を見たペンスーンはどこか安心した様だった。
「通りを見てみな!悪魔の子一匹すら居ないさ!」
「ミシェン……少し落ち着け…」
興奮してタカが外れたような声で勝利を謳歌するミシェンにペンスーンは落ち着くように説得したがまるで聞く耳を持たない。ミシェンは階段を昇ろうとしたレンリエッタに対して何度も「ざまぁ見ろ」と言い捨てた。
本当に惨めな一日だった、そしてきっと今後数か月は惨めなままで過ごす事になるだろうとレンリエッタは確信しながら階段を昇った。
チリンチリンッ…
「え?」
だがその時だった。
チリンチリンと閉めたハズのドアから呼び鈴が鳴った。三人は一斉に音のした方へと振り返った…そこには一人の悪魔が立っていた。
【どうも、お迎えに上がりました】
白いスーツとシルクハットに身を包み、ひょろ長な手足の細身な悪魔…片腕にステッキを引っかけたその姿はまさしく、あの悪魔だった。
迎えが来たのだ。
つづく…
今回のワンポイント
【クークラン公国における誕生日の祝い方】
著:ヒマリヤ・ルールオ(某地区の聖者、42歳)
『誰にしも必ず訪れる誕生日は祝われるものだが、それはクークランも同じことである。クークラン式の誕生祝いに欠かせないものと言えば、甘味だろう。誕生日を迎える者の年齢が13より下ならパティマリールートを使用したパティマケーキが良いとされ、それより上ではフィングハーブとチョコレートを使用しやチョコハーブプディングがよく振舞われる。当日の食卓には不吉という理由から貝類と甲殻類が外され、肉類と果実が多く並ぶ傾向にある。贈り物に関しての仕来りはあまり無いが、一部の地方では15歳となる者へ宝石を贈る習慣があるとされていた。……なお、大昔のクークランでは50から55の者を老止と呼ぶ儀式で葬る習慣があったと言われるが、実際の記録はあまり残っていないので真偽は不明である。』