第29話『防壁とモノリスと薬草』
クランノース山での大冒険から二日後…早くもレンリエッタはいつも通りの日常に戻っていた。杖を片手に指南書を読み漁り、呪文を練習する時間も今では変哲もない事である。
服を見繕う毎日もそれは良い物だったが、魔法もそれに劣らず夢中になれるのだ。
それと、墓地にて採取した幽鬼の石はエラフィンがカヴルの下へと持って行き、ペンデュラムに加工中である。完成には数日を要するものの、エラフィンの折り紙付きとなれば期待も高まるものだ。
ある日の朝、エラフィンは珍しく自分から新しい呪文を教えると言い、レンリエッタを広間へと呼び付けた。
「さて、触媒を作っている間にいくらか魔法を使えるようにしないとね。新しい呪文を教えてあげるよ」
「え!?ホントに!?やったー!!何の呪文!何の呪文を教えてくれるの!?」
「まぁまぁそう慌てず騒がず…まず最初に教えるのは防壁呪文だよ。」
「防壁呪文?」
「言うなればバリアってことさ、ありとあらゆる危険から身を守る魔法ってこと。」
レンリエッタはカーペットの上で胡坐をかきながら、エラフィンから防壁呪文について教えを受けた。
防壁呪文とは読んで字の如く、魔力の膜…所謂バリアを作り出す魔法である。術者または他人を危険から守る場合において外せないもので、汎用性と実用性に長けた魔法なのだ。
古くから戦争や決闘などで用いられており、日常生活における万が一の事態でも充分に役立ってくれるので、覚えておいて損は無し……もっとも、覚えて損な魔法など無いのだが…
「発動出来ればまさに無敵の防御!…だけど少なからず弱点もある…何か分かるかい?」
「弱点?うーん……分からないや…守るときに弱点なんて出来るの?」
「あるよ、もちろん。まず防壁呪文は二種類存在するのさ。」
「それのどこが弱点なの?」
「この二種類が厄介なのさ……極端に言えば物理的な衝撃を防ぐバリア、魔法を防ぐバリアってな感じで別れてるの。物理に強いのは魔法に弱く、その逆で魔法に強いのは物理に弱いってこと…」
無敵防御と謡われる防壁呪文の弱点とは、まさに一長一短な点だ。
防壁呪文は大きく分けると二種類存在するのだ。対物理用呪文と対魔法用呪文である。
前者は物理的な衝撃にめっぽう強く、酸素すらも遮断するのだが、魔法に弱く防ぐことが出来ない。後者の対魔法用呪文はそれとは逆に魔法に強く、物理的な干渉を防ぐことが出来ないのである。
なので戦闘において防御を張る際は向かって来る脅威のみならず、数手先を読む必要もあるのだ。
「じゃあ二つとも張れば?」
「それが出来れば苦労はしないのよ。良いかい?防壁呪文だって魔法なんだ、意識を向けなきゃ当然防御力は弱まる…同時に使うってんなら脆い盾が二枚出来上がるってことなの。」
弱点に対して同時に張れば良いと言う者も居るが、大きな間違いだ。魔法は意識で発動させるもの、防壁呪文はただでさえ不安定な魔法なので同時に使おうなんて愚か者の考え…二兎追う者は仕留められてしまうのだ。
だからこそ完璧な防壁呪文を発動する際は最低でも2人以上は必須なのだ。…しかし、対防壁呪文も存在するので過信は禁物である。
無敵と謡われるくせして、結構弱点は多かったりする…それが防壁呪文。
「なんだかあんまり強くなさそうだね…」
「まさか!この呪文で命を救われる事だって少なくないのさ。さぁさぁ、早速練習開始だ!まずは手本を見せるからよーく見ておくんだよ!今回教えるのは物理防壁の呪文、ディフェクトスだ」
「はーい!ディフェクトス…」
「イメージは壁、風も光も遮断する無敵の城壁を想像するんだ。そして唱える時は力強く…杖を構えて…ディフェクトス!!」
エラフィンが【ディフェクトス】の呪文を唱えると、彼女の前方に薄く輝くガラスの様な壁が現れた。よく目を凝らしておかないと目視出来ないほどクリアな壁…前に幾度か使っていたとレンリエッタは思い出した。
「物理防壁は魔法以外を全て遮断する…音も光も空気も…」
「じゃあそれで相手を閉じ込めたら…窒息しちゃうの?」
「そりゃもちろん。相手が対防壁呪文を知って無ければ、そのまま窒息してあの世行きさ。」
物理防壁は使いようにもよるが、時として相手を死に至らしめる事も出来るのだ。閉じ込めて空気を遮断すれば窒息するし、音を遮断すれば声は聞こえず、光を遮断すれば何も見えなくなってしまう…
もちろん即席の足場として利用する事も出来る、頑丈なバリアは多くの分野において汎用性に長けるのだ。
「さぁ今度はレンの番だよ。イメージは壁、発音はハッキリと力強く!」
「イメージは壁…力強く……ディフェクトッ!!」
レンリエッタは早速呪文を唱えた。頭の中に浮かべたイメージは城壁…図らずとも二日前、クロフロス村を訪れた際に村の外部を覆っていた壁が思い浮かんで来たので、そのままイメージとした。
そして力強く、腹の底から湧き上がる声を吐き出すようにレンリエッタは呪文を詠唱した。すると、驚くことに初回からズオンッと光の壁が現れた!……ちり紙ほどの薄さと大きさを持つ壁が…
しかしレンリエッタは予想外の成功に歓喜した。
「あぁ!やった!!初めてなのにもう出て来た!」
「凄いじゃないか!初級呪文だけど始めっから出来る奴はそういないよ…!」
「ちっちゃいけど、強度は…」
レンリエッタがそう言いながら現れた壁へ手を近付けてみると、スッと指が当たった瞬間にバリアはパリーンと粉クズと化して散ってしまった…見た目通りの強度である。
こんなものではハエの突進も防げないだろう。
「あ、あぁ!壊れちゃった……」
「強度の方はやっぱりペラペラね…けど発現出来たんだから後は簡単よ、ひたすらに大きさと頑丈さを追求するのよ!」
「うん!大きさと、丈夫さ…だね!」
助言を受けたレンリエッタは呪文の練習に取り掛かった。壁の出現自体は出来るとしても、丈夫で大きな壁を作り出すのは簡単ではない……少なくとも、呪文を唱えるだけではダメだった。
大きくすれば一瞬で崩れ去り、逆に強度を増せばその面積は猫の涙か雀の額。
これまでの呪文に比べて圧倒的に難しかった。
「…ディフェクトス!うーん…小さい……ディフェクトス!!…あっ、崩れちゃった…」
「大きさと強度の両立は難しいからねぇ、うんと集中するんだよ。」
「そんな事言ってもなぁ……なんかヒントとか無いの?」
「甘えるんじゃないよ、自分の力で頑張りなさいな。」
「はぁーい……ディフェクトス!…やっぱりどっちも取ろうとすると中途半端になっちゃうなぁ…」
「(発現出来てもあの様子じゃまだ掛かりそうね…)」
エラフィンは派手な羽ペンと分厚い本を手にレンリエッタの呪文練習を眺めた。強度を取るか、大きさを取るか……その吟味に苦しむ彼女を見れば、防壁の真意に辿り着ていないと心中で思うのだった。
防壁とは必ずしも強度、体積のみならず…まだ気付けていない【要素】が残っている事に気付くまで、後どのくらい掛かるのだろうか…
そんな風に考えていると、グリスが紅茶の乗った盆を片手に広間へとやって来た。
「おや、本日は新しい魔法の練習でございますか?」
「あ、グリス…エラフィン先生から防壁呪文教えてもらったの!私ね、もう出せるんだよ!」
「出せたところで危険から身を守れなきゃ意味は無いのよ?」
「分かってるよぉ…でも難しくて…」
「お嬢様、頭を悩ませるのも練習の内でございます。そう焦らずとも大丈夫ですよ。」
レンリエッタは一旦練習を止め、紅茶を嗜みながらエラフィンの様子を眺めた。相変わらずエラフィンはペンを持ち、もう片手に持った分厚い本へと何かを閃いたように書き記している。
グリスが「一旦手を止めては?」と言っても、彼女はお構いなしに本へと筆を走らせては、ウムウムと満足そうに笑った。
「エラフィン様、せめて…ティータイムだけでもゆっくりと…」
「いんや、邪魔しないでおくれ……むっ…そうだねぇ…カーッ!私ってばパーペキねッ!」
「エラフィン様の没頭癖にも困ったものですね…今朝も朝食の席に着いてから急に本を取り出して数十分……少しは控えて頂きたいものですよ…」
「だよね……ねぇ先生、すっごく夢中になってるけど、その書いてる本って何なの?日記?」
「え?いやいや、違うよ…これは魔術書、言うなれば魔法の発動を手助けしてくれる本の事さ。」
朝食すらも投げ出して没頭する本の正体は魔術書であった。時々エラフィンが身に着けるものであり、魔法使いにとっては切っても切れない関係にある道具である。
エラフィンは一旦ペンを止めると、本をパタンッと閉じてレンリエッタへ渡した。レンリエッタは開いて読んでみたが、書かれているのは見るも頭痛の走るような文字と数字とよく分からない言語の列であった……どこか昔に学校で習った計算式によく似ていた。
「うーん……これって何が書いてあるの?数字の計算みたいだけど…」
「魔法式さ。古代文字、現代文字、魔法数字を組み合わせたものよ。」
「言うなれば魔法と魔力を調整するための道具でございますね。」
「さっぱり分からないよ…」
中に書かれているのは魔法式というもので、かなり大雑把に説明すると…魔法の発動と魔力の流れを完璧にコントロールするための方程式であり、魔術書に書き込む事で本を通して魔法式を体内で発動できるのだ。
…もちろんそれ以上に語る事もあるが、レンリエッタのようなトーシローにはまだ早い概念なのでエラフィンは「気にしなくて良い」と言って会話を終わらせると、茶をグイッと呷った。世の中にはまだまだ知る必要も無い事もあるのだ。
「そっかぁ……まぁ凄いものなんだね…じゃ、私は呪文の練習に戻るね。」
「ああ、練習あるのみさ。よーく練習すれば、すぐに扱えるようになるよ。」
「鍛錬が無駄になる事はありませんからね、私はいつでも応援してますよ。」
「ありがと。」
何はともあれ、まずは練習あるのみ……レンリエッタは紅茶を飲み干すと再び呪文の練習へと戻った。
それからまた一日が過ぎて翌日、早くもレンリエッタは段々と防壁に関するコツを掴み始めた様で、昨日に比べてバリアは厚く、大きくなり始めていた。昨日は紙切れサイズだったものも、今では厚紙ほどの強靭さを手に入れている。
「ディフェクトス!…うん、昨日より強くなってる気がする!」
「流石だね、一日でここまで持って来れるとは大したもんじゃないか。このまま時間を掛けりゃ、一週間くらいで実用まで漕ぎつけるかもね。」
「えっへへぇ!褒められちったぁ…!」
「どれ、練習上手なお弟子さんには新しい魔法を教えてやろうかね。」
「えぇ!?良いの!?もう新しい呪文を教えてくれるの!?」
なんと練習ぶりに感心したのか、エラフィンはつい昨日ディフェクトスを教えてくれたばかりだと言うのに、さらに新しい魔法を教えてくれるらしい。
レンリエッタは目を輝かせ、昨日と同じくカーペットに座り込むとエラフィンの話をジィ―ッと噛み付くように聞き始めた。
「さて、今回教える魔法だけども…ハッキリ言うが難しいよ、数ある魔法の中でも特にね。だけどレンが目指す糸魔法を習得するにあたっては外せないものさ。」
「それってどんなの!?ねぇ、教えてよ!」
「うふふふ…ま、そんなに慌てずとも直ぐに見本を見せてやるさ。こいつは呪文じゃ無くて魔法、唱えずともこういう風に念じると…」
エラフィンは目を瞑り、手のひら同士を近付けると魔力を溜め始めた。レンリエッタはその様子をジーッと一秒も見逃さないよう、食い入るように観察した。
すると、程なくてエラフィンの両手間にビリっとした電気が走ったかと思えば、その瞬間…黒い立方体が突如として生成され、ゴトンッ!と床に落ちた。まるで手品のような光景にレンリエッタは何を思えば良いか分からなかったが、自信満々なエラフィンの顔にとりあえず拍手をした。
「お、おぉ…!」
「さて!こいつが何か分かるかしら?本をよーく見てれば分かると思うけど…」
「えーっと……ごめん、よく分からなかった…」
「なんだって?んもう……これはモノリス魔法さ、空気中の魔力原子を亜金属として生成する物理魔法の基本中の基本よ。」
エラフィンが披露してくれたのは【モノリス魔法】と呼ばれるものだった。空気中の魔力原子に固形化の魔法を与える事で、亜金属と呼ばれる鉱石に変換するもので、糸魔法などの物理グループにおける基本魔術である。
今回作り出したのは立方体だが、工夫次第で複雑な形も生み出せるのが最大の強み。なので建築と防御では利便性を誇るものの、亜金属は時間の経過と共に喪失して行くので使い道は限られる。
エラフィンが作り出した立方体は劣化対策をしていなかったので、すぐに塵と化してしまった。
「糸魔法は物理系の中でも屈指の難度を誇るのよ、まずはこのモノリス魔法を使いこなせるようにならなきゃ糸なんて無理無理!」
「で、でもすっごく難しいんだよね?出来るかな…」
「まぁ急がなくても平気よ、元からすぐに使わせるつもりで教えたわけじゃないし。だから呪文練習の合間にちょくちょく試してみると良いさ、あと数年もすれば本格的に教えてやれるからそれまでの辛抱ね。」
「す、数年……そっかぁ…」
レンリエッタは数年と聞いて愕然としたものの、糸魔法の習得は容易でないと考えれば、当たり前の事だった。
エラフィンのマネをしてみたが、もちろん使えるハズも無く…ただ目を瞑って一秒一秒が過ぎて行くのみ……レンリエッタはすぐに防壁呪文の練習に戻った。
さて、そんな風にまた二日が過ぎ、レンリエッタは勉強半分練習半分の時間を過ごしていた。練習によってコツを掴んだおかげか、バリアは着々と強固となり、その大きさも持続時間もかなり伸びて来た。
今では大人一人が寝転べそうなくらいの大きさと、辛うじて数秒触れる事が出来るほどの防御力を実現している。
レンリエッタは自身の成長性を感じつつ、リビングで指南書を眺めていると、エラフィンがやって来るなり前触れもなく言った。
「レンリエッタ、そろそろ新しい薬でも調合してみないかい?」
「え?薬?…どうしたの、急に…」
「ここ最近はどうにも呪文ばっかだろう?薬の調合も修行の内だって言っただろう、まさか最初で最後の薬があれだなんて言わないだろうね?」
そう言いながらエラフィンは部屋の隅に飾られた火付け薬の瓶を指で差した。あの薬はレンリエッタが少し前に調合ったもので、失敗作なのだが…グリスが記念にと飾っているのだ。
だいぶ色が薄くなった薬を見てレンリエッタは、確かに…と頷いた。
「そういえばそっかぁ……じゃあ今日は調合してみようかな…」
「そうこなくっちゃねえ!作った薬は買取所へ持って行こうじゃないか、ちょうど新しいのが出来たんだよ。」
「へぇ~……まさかそれが目的だったり?」
「あははは!どうだろうねぇ~、ま…調合するなら部屋は自由に使うと良いさ、気長に待たせてもらうよ。」
エラフィンがふらふらと歩きながら温室へと向かったのを見て、レンリエッタはバタンッと本を閉じて立ち上がった。思えばここ数日間、冒険と練習に忙しかったので薬を調合する暇などまるでなかったではないか、調合の知識を忘れないうちに何か作っておくべきだろう。
そう考え、レンリエッタは調合の間へと向かうと、レシピ本をチェックする事に。
「えぇーっと…前に使ったのが……そうそう、これこれ…今度は絶対に騙されないもんね…」
レンリエッタが手に取ったのは『意地悪な子供向けの調剤書』…以前にも利用したレシピ本であるが、題名の通り意地悪な部分があるので、今回はきちんと目を通しておく。
パラパラとページをめくり、レンリエッタは良い薬が無いか調べ始めた。この前は少し派手だったので、今回は穏やかなモノにしようと思いつつ、ページを捲り続け…やがて指を止めた。
「これが良いかな、痛み止め……うん、材料も三つだけだし。」
今回選んだのは『簡易痛み止め』というもの。材料は3つのみ、作成手順も簡単、効果は頭痛や胃痛に効く程度…まさに望んでいた通りのレシピだ。
レンリエッタは本のページを良く眺め、材料を調べた。必要なのはモルフィー草、ペインバイの実、ネバムシという昆虫だけ……どれも聞いた事あるし、在庫もありそうだ。
作り方も水を沸騰させる、具を入れる、混ぜる、完成というお手軽さ。きっとメルキンにすら作られるだろうとレンリエッタは笑いながら、レシピを台にセットしようとしたが、ふとページ下部の警告文が目に入った。
「むっ……全て新鮮な材料を使用すること…?」
やっぱり上手く行かないのが魔法薬というもの。
警告によれば材料は全て新鮮なもの、つまり乾物や時間が経ったものは使用できないのである。こればかりは予想外であった…
「げぇ……じゃ、採って来ないと…温室にあるかな…」
レンリエッタは温室に無いか確認しに行く事にした。
調合の間から出て廊下を広間とは逆の方向に進んで行くと、邸宅の裏に位置する温室へと到着。ドアを開ければ、ブワッとした湿気とジメジメした暑さが襲って来る…
温室はガラス張りの部屋で、希少な薬草などを栽培している部屋だ。果樹から根菜など様々な植物が根を伸ばし、台に乗せられた鉢植えがずらりと並ぶ光景は圧巻であるが、如何せん暑くて湿っているのが難点か。
レンリエッタが入室すると、奥で気色悪い紫色の植物にこれまた気味の悪い薬品を注いでいたエラフィンがくるりとこちらを向いた。
「なにか用かい?それとも、もう出来たってんじゃないだろうね?」
「ううん。調合に使う材料を探してて…新鮮なのじゃないと駄目だって本に書いてあるから。」
「なるほどね…言ってみな、何が欲しいんだい?」
「モルフィー草とペインバイの実、それからネバムシ…は無いと思うけど。」
材料名を聞いたエラフィンは期待とは裏腹に少々渋い顔をした。
「痛み止めね……協力してやりたいけども、悪いがどれも無いよ。」
「えぇー!?無いの?そんなぁ…こんなにいっぱい植物があるのに…」
「一体この世に何種類の植物があると思ってるんだい?無いモノは無いよ!」
「うぅ…」
温室に並ぶ植物は数あれど、残念ながら探しものはどれも無い様子。
レンリエッタはがっくりと落ち込んだものの、エラフィンは付け足すように言った。
「そんなもん、自分で作らなくともそこら辺にいっぱいあるさ。今回は外に出て自分で採って来たらどうだい?」
「え?あるの!?この森に?」
「もちろんよ、よっぽど不毛じゃない限りどれもそこら辺にボーボーよ。」
だが落ち込んでいたのも束の間、探していた薬草はどれもこれもそこら辺に自生していると言うので、レンリエッタは調子よく再び元気になった。
ここ数日、外に出ていないので気晴らしがてら薬草採取しに行くのも悪くないだろう。今日は絶好の散歩日和なのも相まって気持ち良さそうだ。
「じゃあ自分で採って来る!図鑑とカゴを借りても良い?」
「ああ行っといで、けど必ず日暮れまでには戻るんだよ。」
「はーい!」
というわけで、レンリエッタは読書から調合に、調合から採取にと忙しくシフトチェンジしながらも、せわしなく部屋へ戻ると身支度を整えた。相変わらずバタバタと落ち着きのない毎日だが、楽しい限りだ。
動きやすい服に着替えたレンリエッタは魔法のカゴを手に持ち、中へ『森林動植物図鑑』を放り込むと、春の日差しが眩しい外へと元気よく飛び出した。温かな陽は気持ち良く、もうすぐ梅雨がやって来るのを感じさせる…
まず無鉄砲に森を歩き回る前にレンリエッタは図鑑を開いて目当ての植物を探し始めた。いつぞやの弟子入り試験を思い出すが、今回は頼もしい図鑑が相棒だ。
「なんだか懐かしい感じ……どれどれ…」
レンリエッタは重苦しい図鑑を開いて、三つの材料の特徴と主な自生場所を確かめた。
賢い魔法使いは一つずつチマチマ読むのではなく、一気に読んでしまうのだ。思えば前もこうすれば良かったのだが……まぁ細かい事は良いだろう。
一通り眺めた後はバタンッ!と勢いよく本を閉じ、深く呼吸してから歩き出した。
「さーてと!材料なんてサクッと集めて、さっさと調合しちゃおう!どーせすぐ見つかるに決まってるでしょ!」
気楽な考えで森の中へと入って行くレンリエッタ……甘っちょろい気分はやがて数十分もすれば完全に消え失せていた。
ぽかぽかと照り付ける太陽は体力を奪い、森林の入り組んだ根の道はさらに気力を奪うのだ。レンリエッタはへとへとになりながら薬草を探し続けたが、エラフィンの口ぶりとは逆に見つかりそうな気配はない…
「はぁーっ!疲れたぁ……暑いし…草は見つからないし…先生ってば、あんなこと言ってたのに…もう!…うわッ!?」
レンリエッタはやけになって石ころを蹴り飛ばした。余計に体力を使ってしまい、さらには勢いのままばったりと倒れてしまった…
森は日陰だらけだが、この暖かさ…もとい暑さは変わらないものだ。レンリエッタは起き上がるのも億劫になり、しばらくの間はそのまま倒れ続けて木漏れ日を眺め続けた。
すると、こういう時に限って変な妄想ばかり浮かんで来る……人間の世界は今、どうなっているのだろうか…自分が居なくなったテイラーは…まぁやっていけてるだろうし、学校も自分が居なくなって清々しているのかもしれない…
そう思うと、悔しいような、寂しいような……そんな気持ちが湧いて来る…
「はぁ……(なんかなぁ……)」
「なーにやってんのさ。」
「え?先生?」
その時だった、レンリエッタの視界へ、ひょこりと見下す顔が現れた。エラフィンだ、長杖を持ってつば広の帽子を被ったエラフィンがレンリエッタを見下ろしていた。
唐突な登場にレンリエッタがガバッと立ち上がると、彼女は特に何か言うまでも無く、黙って水筒を差し出して来た。
「な、なにこれ…」
「何って水筒に決まってるでしょ、こんな暖かい日に水分も持たずに出るなんて命知らずも良いところさ。さっさとお飲み、じゃないと本当にぶっ倒れちまうよ。」
「うん…」
「いいかい、人間の世界と違ってここの春は暑いんだ。それに夏はもっと暑くなるよ。」
レンリエッタは水筒の蓋をコポッと開けると、堪らず飲み始めた。中は……水だ…キリッと冷えていて、ゴクゴク飲むと食道がツンとして痛くなった。
「ぷはっー!い、生き返ったぁ…ふぅ………ところで、先生…なんでここに?」
「暇なんで様子を見に来たのさ、そろそろ材料を揃えて帰ってくる頃だと思ったんだけどねぇ…その様子じゃ、さてはひとつも見つかってないね?」
「う、うん……お恥ずかしながら…」
「ま、薬草探しなんて誰でも躓くもんさ、体力勝負ってのが魔法使いが一番苦手な分野だからね。」
やはりエラフィンは全てお見通しであった。
くすくすと笑う彼女にレンリエッタも釣られて少し笑ったが……笑ったところでどうにもならないのが現状である。さっさと薬草を探さなくては。
「って…笑ってる場合じゃないや、薬草を探さないと…」
「そんなら手伝ってやろうか?私の力があれば百人力だよ?」
「……ううん、自分の力で探したい。」
「そうかい……そんなら後を付いて行くよ、そのくらいなら許してくれるだろうね?」
「いいよ、もちろん。」
レンリエッタはエラフィンの力を借りず、自分の力で何とかしてみせたいと思い、協力は断った。ここまで散々お世話になって来ているので、少しくらいは自力で何とかしたいものだ。
しかしながら、いつもはエラフィンの後を付いて回る事が多いので、逆に付いて回られるというのはなんとも不思議な感覚であった。
それにエラフィンは薬草探し中にちょっかいを掛けて来るので少しうざったい…「そっちには生えてないよ」や「そこで見つかるのかい?初耳だよ」などと茶々を入れて来るのだが、彼女なりの親切心らしいのでレンリエッタは黙って聞き入れた。
「それにしても、思い出すねぇ…ずっと昔に母親と一緒に野草探しをしたもんだよ。」
「母親…?先生にも母親っていう存在が居るの?」
「私の事を何だと思ってるんだい…そりゃいるさ、畑から生えて来たわけでもあるまいし。」
「そっかぁ…先生のお母さんも凄い魔法使いなの?」
「いいや、一族でも有数の能無しって呼ばれてたね。」
野草探し中、エラフィンがふと漏らした母親の話にレンリエッタは耳を傾けた。
エラフィン(とその妹クライラ)の母親…ミエレナは魔法の名家とされるファングステン一族の中では屈指の能無しと呼ばれており、それまでの先祖はもちろん、娘であるエラフィンにすら遠く及ばなかったらしい。
なぜそうなったのかは分からないが、エラフィン曰く「どの名家にも一人か二人、そういう奴が居る」とのこと。
「そうなんだ……そう言えば、思ったんだけど…先生って人間で言えば100歳以上生きてるんだよね?」
「ああそうさね、我ながら歳を喰ったもんだよ……そんで何が言いたいのさ、年増だって?」
「ううん、そうとも言えるけど……その、先生って誰かと…結婚、したりしないのかなって…」
ふとレンリエッタは疑問に思ったことを言ってみせた。
エラフィンの年齢は人間で換算すれば100年以上は生きているのだが、そこまで生きて来て誰かを好きになったり、結婚したりしないのか……どうしても気になった。
すると彼女は少し笑い気味に言った。
「結婚?するわけないでしょ、私にとって永遠の伴侶は魔法よ。」
「仕事と結婚するってこと?それってモテない人が言い訳の為に使うって昔聞いた事あるよ。」
「なっ…言っとくけど、モテなかったわけじゃないよ!昔はブイブイ言わせたもんさ、私と結婚したいって奴が何人も来たけど、貢がせるだけ貢がせて断ってやったね!」
「わーお、男殺しだねぇ。」
エラフィン曰く、昔は異性からそれほどの興味を持たれていたらしい。嘘か本当かはまるで分らないが、少なくともヘビっぽい見た目になる前は普通の姿をしていたらしいので、本当なのかもしれない…
「けど、こいつとは結婚するのもアリ…って思った奴も居るさ、たった一人だけね。」
「えぇー!?それってどんな人!?ねぇどんな人!」
「アハハハハ!教えてやんないよ!けれど魔法の腕は確かだったさ、特に氷結魔法に関してはね。」
「なるほど…氷結魔法………まさかお父さんじゃないよね…?」
「そんなわけないだろう…教え子とそんな風になるなんて考えた事も無いよ…」
すっかり話し込んでしまった二人は、その後しばらくしてから焦った様に野草探しを再開したとさ…
エラフィンは結局その人物については教えてくれなかったが、魔法の腕を認めさせるだけの力量を持つなら相当の実力者であるに違いないだろう。レンリエッタはいつか会えたらいいなと思う反面、果たしてそんな者が本当に居るのだろうかと疑問に思うのであった…
つづく…
今回のワンポイント
【モノリス魔法について】
著:マーカ・セイモン(物理魔法学者)
『物理的な物体を構築する物理魔法においてもっとも基本とされるのが【モノリス魔法】である。空気中の魔力原子へ固形化の魔法を唱える事で【亜金属】と呼ばれる物体に変換するのだ。亜金属は炭素に近い成分構成をしているものの、酸素や光に反応して塵化してしまい、物体維持の魔法を唱えない限りはすぐに崩れて消えてしまう。生み出す際にもっとも簡単とされる形状は立方体、もしくは正八面体と言われており、より複雑な形状を生み出す時はかなりの修練と根気を必要とする。世界で最も精密と言われたモノリスは前生歴980年、ケイゾン・マルドー氏が創り出した『白鳥の調』という作品で、水面から飛び立つ白鳥を模った美しいモノリスであった。大きさは精々手のひらサイズであったが、創り出すまで約半日が掛かったとされ、また持続時間も僅か3時間ほどだったと言われている。現在でも年に数回、モノリスの精度と造形技術を競い合う大会が不定期で開催されているので腕に自信のある者は参加してみると良いだろう。』




