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第2話『ソルジャーパレードと祝福の光』

 コートを台無しにしてしまった次の日の早朝もいつも通りだった。レンリエッタを起こしに来る者が居ない事を除けばの話だが。

 しかし、誰が起こしに来るまでも無くレンリエッタは誰よりも早く目を覚まし、ただひとり…部屋の中でぐったりとしていた。体を動かす元気は無く、皆に顔を合わせる勇気も無かった。当然ながら食欲も無い。

 自慢でも無い白い髪の毛を指で摘まみながら日の光に当てた。白い輝きを放つそれは心情と反して煌びやかであった。


「(最悪……今までで一番の失敗…)」


 原因はメルキンの悪巧みであったがそれ以上に自身の不手際に対してレンリエッタは悔いた。

 机にいつまでも張り付いてコートを眺めていたのだ、さっさと居間に行っておけばこうならずに済んだ。そういう考えが頭から離れなかった。


 それから少しの時間が流れ、変わらずぐったりしていたレンリエッタの耳に恐れていた声が入って来た。

 昨日の青年と店主のペンスーンの会話だった。


『ああ!なんて事をしてくれたんですか!これは…だ、大事な物なんですよ!確かにボタンを直してくれとは言いましたがこんな染みを作れとまでは注文してないでしょう!!』

『誠に申し訳ございません…私達の不手際です、弁償します。』

『お金で買える物じゃ無いんです!!これが無いと終わりだ…あ、ああ!おしまいだぁッ!!』


「うぅうう…すごく怒ってる…」


 耳を塞ごうとも1階から聞こえて来る声にレンリエッタは罪の意識を感じずにはいられなかった。声から分かるように彼はかなり怒っている。

 ペンスーン一人に謝らせていいものか、と思ったがレンリエッタは謝る気も起きなかったし自分が謝罪に出たところで悪化するだろうと確信していたのでその場からは動かず出来るだけ聞かないように耐えるだけだった。

 青年は出て行かずに喚いて嘆くばかりだったので、やがてペンスーンの口調は『お引き取りください』から『出ていけ』というものになり、最終的に『衛兵を呼ぶぞ!』という脅しで青年の声は聞こえなくなった。その代わり、誰かが部屋へと近付いて来る音が聞こえた。

 考えなくとも聞いただけで分かる、嫌味なコツコツという靴の音はミシェンであった。レンリエッタがベッドから飛び起きて姿勢を正した瞬間にドアは開いた。


「よくもやってくれたね、このクソ女…アンタのせいで旦那が謝る羽目になったのよ…!」

「ごめんなさい…許してください…!」

「いいや、駄目だね。今回ばかりは容赦しないよ」

「ヒィッ!!な、何をする気なんですか…」


 ミシェンは凄まじく恐ろしく、そして憎しみを込めた表情でレンリエッタへ迫って行く。その手には鋭い大きなハサミが握られており、すぐに何が起きるか理解させた。

 髪の毛を斬る気だ、ずっと前々から何度も狙って来た髪を斬り裂こうと言うのだ。

 レンリエッタは形相と光るハサミに怖気づき、後ずさりしたが机が背に当たればもう逃げ場はない。


「反省の足りない子はハサミで髪の毛を斬るよ、曽祖母からの決まりさ。そのふざけた白髪を散髪してやるよ。」

「や、やめて!やめてください!お願いします!!うぎッ!?ぁあ!!」

「大人しくしな!さもないと耳を斬り落とすよ!!」


 ミシェンは彼女の髪の毛を掴み取ると縄を引き寄せるように乱暴な手付きで手繰り寄せた。もうその勢いだけで数本が抜けそうだったが、決して一本たりとも離れる事は無い。

 レンリエッタは痛みと恐怖から抵抗したがヒョロヒョロの少女如きが敵う事も無く、頭を抑え込まれて刃が髪を伝うのを感じた。そしてグッと押し込むような力も感じたが…


「くっ…!この……あぁ!このクソ白髪め!!なんだってこんなに固いんだい!!」

「ひぃいい!!もうやめてください!痛いッ!痛いよッ!!」


 レンリエッタの髪の毛は驚くほど固かったのでハサミはまるで鉄でも挟んでいるかのように微動だにしない。ミシェンは何度も何度も精一杯の力を込めたが結局斬れる事は無かった。


「はぁ…!はぁ……もういい!一生そこに居な!干乾びて死ぬまでね!!」

「ひーっ…はぁ…た、助かった…!」


 やがてミシェンは諦めてハサミを放り出すときつく言い付けてから部屋を出た。髪の毛がボサボサになったレンリエッタは助かったと確信すらや否や、ベッドに項垂れて安堵の溜息をついた。

 ミシェンが白髪について癇癪を起こしたのは今回が初めてではない。過去に幾度となく彼女はレンリエッタの髪の毛にケチを付けてはどうにかしようと試行錯誤を重ねていたのだ。

 ある日は包丁で斬り落とそうとしたり、またある日はペンキで黒く染めようとしたのだがどちらとも上手く行かずに今に至る。白髪はまるで呪いの様だった。


「でも…これからどうすれば良いんだろう…本当に死ぬまで此処に居られればいいのに…」


 ミシェンは死ぬまで此処に居ろと言い付けたが、本当そうできたら楽なものである。誰にも邪魔されず衰弱死していく事が出来るならレンリエッタは喜んで受け入れるだろう。

 だがきっとその前に邪魔が入るに決まっている、今までだってそうだった。5歳の頃、仕置きと称して真夏の倉庫に閉じ込められた時は干乾びる寸前で給水許可が出たので助かったし、髪の毛に火を点けられた時は窓から飛び降りる前に水を掛けられた事で一命を取り留めた。

 なので恐らく今夜か明日頃、誰かが部屋へと尋ねて来るだろう。そして言うのだ「さっさと出ろ、墓代を稼いでから死ね」と。




 ――レンリエッタの予想通り、やはり翌日の早朝になってから部屋を出るように促す者がやって来た。意外にもその者とはミシェンやペンスーンではなく、ベリーであった。


「レン、いつまで寝てる気?さっさと起きて仕事をしないと承知しないよ。」

「……もう仕事に戻って良いってこと?」

「良いも何も昨日は休んでおいて今日もだんまりなんて甘えが過ぎるに決まってんでしょ、早く着替えて持ち場に行きな。さもないと絞め殺すよ。」

「わ、分かったよ…直ぐに行くって伝えといて…」


 許可、と言うより命令を受けたレンリエッタは多少心が安らいだように感じた。

 そしてその後はテキパキと素早く身支度を整えると2階の居間へと向かったが……皆、レンリエッタを居ない者と扱うかのようにまるっきり無視していた為にとても静かだった。レンはメルキンがあからさまに視線を逸らしていたのが少し滑稽だと感じた。


「(そうなるのも無理はないよね……とりあえず軽く食べたらさっさと仕事場に行こう…)」


 レンリエッタは怒鳴られたり絡まれたりするよりも無視される方が百倍マシだと実感しながらその日の朝食を水とパンだけで済ませると「早く消えろ」という場の空気に追い出されるようにして下へと降りた。

 結局、その日の朝に言葉を交わした相手はベリーのみだった。なので朝から嫌な思いをちょっとしかせずに済んだ点では実に幸運と言えよう。


 レンリエッタが自身の作業場へ行ってみると、そこには今日のに加えて昨日の分の仕事が待ち受けていた。穴開き、ほつれ、剥がれそうなワッペンなど…様々な問題を抱えた衣類が大量に吊るされている。

 どうやらこの店の者達はチマチマとした作業を好まない様だ、だが生きる意味を与えてくれる事には感謝するべきなのだろうか。


「(それにしても今日は一段と色鮮やかだなぁ…何かあったっけ…)」


 早速仕事を始めたレンリエッタは補修する衣服が色鮮やかだったり、煌びやかである事に気が付いた。それに今日はやたらと来店を告げるベルが鳴るのも聞こえる。

 テーラーは年末以外に大売り出しなどしないので何か大きな祭事でもあっただろうかと思い出そうとしながらレンリエッタは生地を切り出していると、急にドタンッと開いた作業場のドアに目をくれた。

 そこに立っていたのは……今朝と同じくベリーだった。その腕には外行き用の空色のドレス(厳密にはハイウエストのワンピース)を抱えている。

 ベリーはニヤッと笑ってはレンリエッタの顔を引きつらせ、嫌味な声で話し掛けて来た。


「ねぇレ~ン?ちょ~っとばかりアンタに頼みごとがあるんだけど?」

「な、なにか……そのドレス、どうかしたの?」

「そうよドレス、このお気に入りの可愛いドレスちゃんが問題なのよ。さっきクローゼットから引っ張り出したんだけど気持ちの悪いクソ虫が生意気にも食い荒らしててね、穴が開いてんのよ。」


 作業場を嫌う彼女が珍しく尋ねて来た理由はやはり補修の依頼であった。

 レンリエッタはハッキリ言うとベリーが嫌いだったが針仕事は好きだったので断る理由(というより権利)は無かった。


「じゃ、そこ置いといてよ。」

「午前中に仕上げなさいよ、他のよりかは必ず優先して!あと…ジュースはぶちまけないでね?」

「分かってるよ……あぁちょっと待って、聞きたい事があるんだけど。」


 仕事を引き受けつつもレンリエッタはベリーへ何かあるのかと聞いてみる事にした。彼女は「はぁ?」怒気の混じった声を漏らしたが足を止めて珍しく質問に応じてくれた。


「ねぇ、何かあったっけ?こんなにお客さんが来るのは珍しいから…いや、いつも閑散としてるって言いたいわけじゃ無いんだけど…」

「はぁ…アンタのおつむには参るわね、明日はパレードの日って前々から言われてたじゃない。」

「え?そうだっけ?……聞いてなかったかも…けどパレードかぁ…」

「言っとくけどアンタは留守番よ、気味の悪い白髪で祭日を無駄にされちゃぁごめんよ。」


 そう言ってベリーは部屋から出て行き、レンリエッタは溜息をついた。

 日頃から店に閉じこもったり、誰とも会話らしい会話を行わない彼女にそのような知らせは来なかったが明日はパレードだと知ればやたらと客が多かったり依頼が多いのも頷ける。みんな、遅すぎるのでは?とレンリエッタは思った。


 そしてパレードと言うのは国の平和と公室(と多少の腐敗)に忠誠を誓うクークラン国立軍による軍事パレードである。毎年春に開催され、その日は二流街が最も賑わいを見せるのだ。

 規則正しく並んだ兵隊たちの行進や楽団による演奏、滅多に見れない装甲車や戦車に戦闘機などがお披露目されるのでレンリエッタは是非とも一度は行ってみたいと夢見ていたが、生憎毎年の如く留守番である。


「(行ってみたいなぁ……こっそり抜け出しちゃおうかな…)って…いやいや、ダメダメ……これ以上迷惑は掛けられないよ…それに一人なら悪くないかも…」


 残念に思う反面、家に誰も居なければ姉妹の寝室に侵入したり台所でつまみ食いが出来るかもしれないので悪くないかと考えつつレンリエッタはベリーの服を補修し始めた。これを着たベリーが男の目を引くために妙な歩き方をする光景が容易く想像できた……やっぱり留守番の方がマシだ。



 その日の仕事はいつもよりかなり多かったが無事に終える事が出来た。

 店を閉める前に配送のトラックがやって来て、ペンスーンは補修した衣類を全て配達員に渡したため作業場はがらんと静かになり、明日は一日休めそうだとレンリエッタは少し気楽な気持ちになった。

 そして昨日は丸一日絶食していたので今日は珍しく食事がしたいと呑気な考えをしていたがやはり家族は冷たくあしらうだろう。そう考えて2階を無視して寝室へ戻ろうとした彼女に朝から口を利かなかったミシェンが声を掛けた。


「レンリエッタ、部屋に戻るのは食事の後にしな。」

「えぇ!?い、良いんですか?」

「チッ…嫌なら良いさ、その代わりアンタは一生飯抜きだよ。」

「いや!食べます!」


 なんとミシェンが……驚くことにあのミシェンが夕食を振舞ってくれると言うのだ。レンリエッタは夢でも見ているのかと思うほどに奇妙な感覚に襲われたが、すぐダイニングへ向かうと家族の分とは別にきちんともうひとつスープの入った皿があった。

 流石に席は無かったが、温かい料理を食べるのは本当に久しぶりだった。ミシェンとメルキンは心底嫌そうな顔をしていたが、レンリエッタは笑顔を抑えるのに必死である。


「(きっと…きっと明日が信じられないくらいの厄日になっても文句は言わないよ…こんなに良い日が来るなんて思わなかった!)」


 台所で立ち食いするという哀愁漂う光景とは裏腹にレンリエッタの心情は実に晴れやかである。いくらミシェンの料理とは言え、久方ぶりの温かい食事は本当に美味しかった。

 たとえ明日が生涯最大の厄日になろうともレンリエッタは構わないと思えるくらいに幸せを感じていた。

 やけに具の少ないスープをあっという間に平らげたレンは礼を言って寝室へ戻ろうとしたが、またもやミシェンが呼び止めた。まさか吐き戻せなんて言うんじゃなかろうかと思いきや、その鋭い口から出てくる言葉はまたもや予想外なものだった。


「レンリエッタ、明日は早く起きるんだよ。寝坊したら承知しないからね。」

「え?明日は休みじゃ無いんですか…?」

「店は休みさ、だがアンタは留守番じゃ無くて一緒に来るんだ。感謝しな。」


 ミシェンの口から飛び出した言葉にレンリエッタは頭がパンクしそうになった。

 まずは礼を言おうかとしたがどうにも上手く言葉が出ず、最初に出たのは疑問だった。


「……ほ、本当に行って良いの?パレードに?」

「まぁアンタを残しといたら店に何するか分かったもんじゃ無いからね、これ以上ウチに被害をもたらすわけにはいかないんだよ。」

「あ、ありがとうございます!明日は必ず早く起きます!ありがとうございます!!」

「おだまり!分かったならさっさと部屋に戻りな!」

「はい!!」

「チッ……あ~あ、明日はアイツ抜きで楽しめると思ったのに…」


 レンリエッタは一気に胸がグッと熱くなり、何度も二人へ礼を伝えた。ペンスーンは我関せずと言った無表情で相変わらず無言を貫き、メルキンはあからさまな嫌悪の表情を浮かべ、ベリーは静かにスープをかき混ぜた。

 ミシェンの言い付けに従い、レンリエッタは直ぐに部屋へと戻ったがウズウズとした感情が抑えきれなかった。パレードに行ける、生まれて初めてパレードに連れて行ってもらえる…もしかしたら明日は空から純金の雨が降って来るかもしれない…それほど非現実的で嬉しい事だった。

 その日の夜、レンリエッタはさっさと寝てしまいたいと思ったがどうにも高ぶる気持ちを抑えきれずに眠りに就くまでいつもより少しの時間を割いた。



 次の日、いつもより早めに時計をセットしていたレンリエッタはベルと共に飛び起きるなり外を眺めてみたが金どころか水の雨すら降っていなかった。しかし、その代わりとして空から大量のキラキラとした光のようなものが降り注いでいるのに気が付いた。

 去年は窓から外を眺めていたが、こんなに煌びやかなものは降っていなかった。


「わ、わぁ!去年はあんなの無かったのに…すごいなぁ…!」


 茶色の瞳孔をキラキラと輝かせ、窓を開けたレンリエッタはそっと光を手に取ろうと腕を伸ばしてみたが光は手のひらをすり抜けて屋根へと落ちると消えてしまった。まるで正体が分からなかったが、時折目にする残光に似ている事は分かった。


 しばらく光を手に取ってみようと試行錯誤するレンリエッタだったが、何やら隣の部屋(メルキンの部屋)が騒々しい事に気が付き、少しばかり壁に耳を当て聞いてみる事にした。


『ちょっとメルキン、香水貸してくれない?ミントはダメ、人受けが悪いわ……リンゴはいつも悪い事が起きるの…そう、ヒナギクのを貸して!』

『えぇ!?嫌よ!あれ一番高いやつじゃない!姉さんってば香水代を浮かせるのは止めてって!』

『いいじゃない!ちょっとだけ!妹は姉に与えるべきなのよ!』

『ンもう!姉さんのケチにはホント感心するわ!』


「あはは、また喧嘩してる。」


 香水に関して揉め合う()()の会話を盗み聞いたレンリエッタはクスクスと笑ったが自身も早く身支度を整えなければならない事を思い出すと、直ぐに着替え始めた。

 タンスを開いて左側、そこには滅多に着る事の無い白い外行き用のワンピースは待ち望んでいるかのようにぶら下がっていた。今日に関しては気持ちの悪い虫も居ないし、服自体もとても綺麗な状態だったのですこぶる調子がいい。


「(帽子も被った方が良いよね……うん、ちゃんと頭を隠さないと…)」


 白い服に身を包んだレンリエッタは次に麦わら帽子を手に取って深めに被った。この帽子は厄介の種である髪の毛を隠すのにそれはまぁ役に立つもので、大体出掛ける時はこれを被って行く。

 珍しく姉妹から譲られたものなのだが…ドブに落ちた帽子を被れるほどあの二人は逞しくなかった様だ。

 レンリエッタは一旦帽子を取ると、髪の毛を一本の太い三つ編みに結んでから再度帽子を被って準備を終えた。こんなにも堂々と振舞えるのは一体何週間ぶりだろうか…

 

「レンリエッタ!さっさと準備を……なんだい、今日に限っては馬鹿に早いじゃないか。」

「えへへ…おはようございます…」

「…ふん、可愛くない子だね。図々しいったらありゃしない…」

「(良かった、今朝はそれほど怒ってないみたいだ…)」


 黒い服を着込んだミシェンは様子を見に来るなり、レンリエッタに対してムッとした表情を浮かべると色々とブツクサ言いながら直ぐに出て行ってしまった。今朝は機嫌が良いらしい、変に怒鳴ったりしないのが何よりの証拠だ。

 これ以上部屋でグダグダしているとまた文句を言われるかもしれないのでレンリエッタはさっさと2階へと降りる事にした。廊下に出ると隣の二部屋からはまだバタバタと音がするので二人とも準備に手間取っているらしい。


「(うぐっ…この匂いは……ミシェンさんの香水だ…!)」


 2階の居間へと降りたレンリエッタは真っ先に鼻を突く強い香りに気が付いた。グッと立ち込める甘く喉を焼け付かせるような強烈な匂い…紛れもなくミシェンの香水であった。

 キッチンでは香りの張本人であるミシェンがコーヒーを沸かしており、居間のソファでは毎朝の如くペンスーンが新聞を眺めていたがその姿は深緑色のスーツにオールバックと見慣れない恰好である。レンリエッタは二人に朝の挨拶を交わすもミシェンは無視、ペンスーンはちょっとばかり目を配らせてきたが何も言わずに興味を新聞へと戻した。


 いまいちどう振舞えば良いか分からなかったレンリエッタは部屋の隅で外の様子を眺めながら時が過ぎるのを待っていると二人の悪魔が仲良く居間へと降りて来た。

 ベリーとメルキンだ。二人そろって同じ形の違う色をしたケープ付きの細いドレスを着こなしていた。それぞれ空色と黄色で統一しており、頭にはつば広の帽子まで被っている。

 二人の香水が混じって嫌な匂いに満たされて行くのを感じながらレンリエッタは改めて「外面だけは良い姉妹だなぁ」と実感した。


「どうお母さん?」「似合ってる?ママ?」

「まぁ!二人とも…よーく似合ってるわよ!だけど、悪い男を引っかけたりしちゃダメよ?」

「あはは!まさか、女狐じゃ無いしそんなことしないわよ。」

「でぇ~もぉ?…アンタは相変わらずみみっちい服ね、レェ~ン?」

「う、ぅう…」


 着飾った娘たちの姿にミシェンは誇らしげに抱きしめ、ペンスーンは特に何か言う訳も無くちょっと視線を送るだけだった。今日に限った事では無いが、どうにも彼は体調が優れないらしい。

 そして相変わらずというか、外出時はいつも同じ服を着ているレンリエッタに対してメルキンは舐め腐った顔で挑発した。彼女の瞳にみみっちい自分を見たレンリエッタはすごく惨めな気分に襲われた。


「そう言っちゃ可哀そうよメルキン、だってレンのタンスは私達の靴下すら収まり切らないのよ?」

「あは!それもそうね!きっとアンタの部屋に住んでるムシは随分とひもじい思いをしてるでしょうね!あーっはっはっはっは!」

「きっとムシも食べたがらないよ、私の服なんて」

「だったら自分が食べられないように殺虫剤を体に塗って寝ることね。そうすりゃアンタの体臭も少しはマシになるでしょ、タンス臭いわよアンタ。」


 せっかくの気分が台無しになりそうだったが外を見ればキラキラと降り注ぐ光が心を弾ませてくれた。しかし、どうにも光について話す事の無い家族の様子を察するに、見えているのはレンリエッタのみらしい。

 ますますと光についての謎が深まるばかりだが、考えるだけ無駄だろうと疑問に思う事を止めた。


 流石に朝食は出なかったが、何も食べなかったのは皆同じ。レンリエッタを除く4人はコーヒーのみを摂取してから外へ向かう事にした。

 レンリエッタはおしとやかに階段を降りる三人に続いて下へと降り、その後ろでは具合が悪そうなペンスーンが気だるげな表情を浮かべて階段を降りて来た。彼の事が少しばかり心配になりそうだ。


「流石に今日は人が多いわね、どさくさに紛れてお尻を触られちゃったらどうしようかしら。」

「そんな不届き者が居たら衛兵に殴らせるから安心しなさいな。」

「姉さんにそんな事する人が居たら是非ともお近づきになりたいわ、きっと世界一度胸がある男の人よ」

「あらあら、だとしたらメルキンのボーイフレンドは耳が無い人になるでしょうね。」


 冗談を言い合う二人をよそに、レンリエッタは人混みに賑わう大通りを眺めて胸を躍らせた。見る限り人、人、人、そして悪魔、さらに人ばかりだ。

 広場方面の空からはバンッという火薬が弾ける音が聞こえ、うっすらと演奏のような音楽も聞こえたが溢れる人の話し声や賑わいにかき消されて上手く聞こえない。

 そしてペンスーンは何度も何度も腕の時計を眺めては溜息をついた。


「あなた、大丈夫?もう同僚さん達へ会いに行くの?」

「いいや…まだ時間がある、パブで一杯引っかけてから向かうさ…どうにも落ち着かん、歯が震えそうだ。」

「あなたの上がり症にも呆れるわね…まぁ良いわ、けれどレンリエッタはどうする気?」

「連れて行けるもんか、追い出されるだろ。お前が見とけ。」

「まぁ!私に押し付けてお酒を飲みに行くなんて…!まぁいいわ、今日だけですからね!」


 ペンスーンは少し落ち着かない足取りで三人へ別れを告げ、飲み屋街へと消えて行った。どうやら落ち着かないのは同僚に会うためらしい。

 同僚と言っても元同僚である、厳密に言えば軍人だ。ペンスーンは従軍経験があり、かつての仲間達と時々昔話に興じる事があるのだが今日は何か大きな任務でも任されている様だ。

 なので緊張をほぐすためにレンリエッタを押し付けて特効薬を引っかけに向かったのだが、まぁ彼女等が良い顔をするはずも無かった。

 ミシェンは青白い顔でレンリエッタへ迫り、賑わいでは消せない恐ろし気な声で言い付けた。


「いいかい?絶対に…絶対に問題を起こすんじゃないよ、少しでも何かしてみな……年末まで作業場で寝る羽目になるよ」

「わ、分かりました…トラブルは…絶対起こしません…」

「だったら来な、けれど何か欲しがったりするんじゃないよ。アンタに割く金も時間も無いんだ。」

「はい…(おっそろしいなぁ…)」


 レンリエッタは彼女へ何度も忠誠を誓うとやっとこさ解放された。その後ろでは姉妹が楽しそうに笑っており、もう既に厄介な予兆を感じずにはいられなかった。

 その後、ようやく四人は広場へと向かって歩き始めたが、レンリエッタは彼女等より数歩ほど後ろへ下がり、無関係を装うかたちで歩く事となったが、人混みが多いせいで逸れないように追って行くのがやっとなのであまり景観を楽しむ余裕は無かった…


 しばらく歩いて一行は賑やかな広場へと到着した。石畳の床に立派な噴水、そしてたくさんの人々とほどほどの悪魔が行き交う広場は広いおかげで周囲を見渡せるほどの余裕があった。

 広場から少し行った先の大通りでは朝から楽団が『我が国と子供たちよ』を演奏しており、大迫力の音楽に合わせるように芸人たちがパフォーマンスを披露していた。こんなにも晴れやかな光景を見た事の無いレンリエッタは好奇心からもうどちらを向けば良いか分からず、追加の首か目が欲しくなった。


「ねぇママ、アイスクリーム買ってもいい?」

「ええ良いわよ、ベリーも食べる?」

「もちろん、だってもうお腹ペコペコ…朝はコーヒーだけだったし。」

「(アイスクリーム…い、いいなぁ…)」


 メルキンがアイスクリームをねだった為、ミシェン達は近くの氷菓子屋へと向かった。今朝は春の日でもかなり涼しい方だったが、今日に限ってはアイスも飛ぶように売れている。

 レンリエッタは羨ましがったが、当然買ってもらえるわけも無かったので二人が舌鼓を打つ様子を眺めることしか出来なかった。いやらしいことに、二人ともイチゴの入ったアイスクリームを買っていた。


 レンリエッタは二人が食べ終わるまで待たされる羽目になったのだが、ふと路地裏の近くに目を配らせてみると一匹の悪魔が地べたに座り込んで空から降り注ぐ光を手に集めていたのが目に入った。

 その様子に思わず見入ったレンリエッタは我慢できずに聞いてしまった。


「それ、見えるんですか?」

【……あぁ…お嬢ちゃん…ダメだよ、悪魔に声を掛けちゃ…】

「でも…その光、見えてるんですよね?」

【…こいつは驚いたねぇ、この世界で私ら以外に()を見れる子が居たなんて…】


 その悪魔は老婆だった。カサカサに乾き切った白い腕と足がボロキレのような服からはみ出し、額には折れてひしゃげた薄赤い角が一本生えている。

 悪魔はレンリエッタが光を見れると知ると、興味深そうに彼女の顔を眺めた。濁った赤い瞳で見つめられたレンリエッタは少し不気味な感覚に陥った。

 悪魔は光について知っているらしい。


「この光って何なんですか?時々…見えるんです、場所とか…モノとかが光っているのを。」

【遠い昔の名残さねぇ……この国で禁じられた()()がまだ使われていた時期の忘れ物さ…】

「アレ…?アレって一体何なんですか…?」

【言えないよ…とても…とても言えたもんじゃないよ…だけどこの光は素晴らしい祝福さ、きっと()()()()()でもお祭りをしているに違いないねぇ、私達悪魔を…仲間を祝福してくれる……()()()()()()()()の祝福さ…】


 老婆の話を聞いたレンリエッタはますます謎が頭に浮かんだ。

 アレとは、あっちとは、ファンクスモントとは…次から次へと尽きない疑問が湧くばかり。パレードへの興味は完全に無くなってしまい、レンリエッタは目の前の老婆に対して並々ならない好奇心が止まらない…

 だが、その好奇心も後ろから自身を呼ぶベリーの声を聞けば身を潜めた。こうしてはいられない、彼女等の下へと戻らなければ。


「あの!お、お婆さん!いつも此処に居るんですか!?もしよろしかったら今度学校の終わりに此処へ来ます!その時に色々と話してくれませんか!?」

【……まぁ気が向いたら来ると良いさ、老婆の話に興味があるならね。】

「なら今度来ます!それではまた今度!!」

【……はは、転ぶんじゃないよ…】


 レンリエッタは老婆にまた会う約束を取り付けると、いそいで路地裏から出てベリーの前へと現れた。幸いにもミシェンの姿は無かった、ついでにメルキンの影も。


「ちょっと!アンタどこ行ってたのよ、路地裏なんかで何やってたわけ?」

「ごめん…ちょっとうるさいのに慣れなくて……二人はどうしたの?」

「貴族のボンボンがそこまで来てるって話に乗っかって金持ち鑑賞に行ったわよ。そんで私がアンタのベビーシッターを押し付けられたの!」

「ベビーだなんてそんな…」


 どうやらミシェンとメルキンは貴族の青年へ会いに行ってしまったらしい。特に興味の無いベリーは貧乏くじを押し付けられ、レンリエッタを監視下に置く羽目になったというわけだ。

 だが、どうにもこの二人きりという状況は嬉しくなれなかった。大抵こういう時はろくでもない事が起きる前兆である。5歳の頃、花火を服の中で破裂させられたり老人に杖で殴られた時も悉くベリーと二人きりだったのだ。

 急いでミシェン達と合流しようと提案したレンリエッタだったが…


「駄目よ、私はあんなのに興味なんて無いし。せっかくのパレードなんだから楽しまなきゃ損でしょ?アンタだって居るわけだし…」

「…へ、変なことしたり……しないよね…?」

「どうかしらね?」


 まさに危機である。


つづく…

今回のワンポイント


【ウェアクローステーラー】

『シープ通り、星と34番地に店を構える昔ながらの仕立屋。営業時間は朝7時から夜17時まで。代々仕立屋を営んで来たウェアクロース家の者達が経営する仕立屋で主にスーツなどの紳士服からドレス、帽子まで幅広く取り扱っている。服の修繕は早い上に腕が良いと評判だが、一部では気味の悪い子供を労働させているという妙な噂が流れている。だが『国民が選ぶ馴染みの店百選』に選ばれたり、時折一流街からも依頼が来るので噂に負けず元気に営業中。現在の店主はペンスーン・マイチ・ウェアクロース氏である。彼は退役兵ながら今の仕事に精を出しており、こんなコメントを残している。「ミシンを扱うのは簡単ですよ、機関銃に比べればの話ですが。」』

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