九話 鋳物の火鉢売り
第九話です。
1980年頃、下妻の辺りには毎年晩秋の頃になると東北のほうから『鋳型の火鉢売り』という行商人がやってきました。鋳型の火鉢売りは大きな鉄製の火鉢を一つ背中に担いで北のほうから歩いてやってきて、集落の各家を端から廻って、それが売れた時点で北に帰って行きます。私の住んでいた下妻辺りも冬の寒さは厳しかったため火鉢は重宝しており、毎年一人二人しか集落に行商人も来ず、謂わば早い者勝ちのようにしか買えない鋳型の火鉢は高価でもあったため田舎の集落では一種のステータスのような代物でした。
そんなある年の事、私の同級生の『ヒデアキ君』が自分ちのじいちゃんをだまして100円とったそうで、親父にぶん殴られて泣きながら田んぼ道を歩いていたところ、火鉢が売れて北に帰る途中の火鉢売りに声をかけられたそうです。
その火鉢売りの爺さんは優しかったそうで、客の家で貰った『ゴク』という砂糖菓子をヒデアキ君にあげて『コレやっから泣ぐな』と言ってくれたそうで、ヒデアキ君もその爺さんを完全に信用してしまったそうです。
ヒデアキ君はそのあとしばらく火鉢売りの爺さんと二人で田んぼ道の端に座ってゴクを食べていたそうですが、そのうちに火鉢売り爺さんはヒデアキ君に『オメよぉ、ほんとにこのままウヂさ帰りだがねぇんなら、オラと一緒に来っか?』と言われたそうです。
流石にヒデアキ君もこの時まだ小学4年だったため戸惑いや躊躇いみたいなものを大いに感じたそうですが、しかしまた子どもが故の冒険心のほうが勝ってしまったそうで、安易な決断でヒデアキ君はその日の夕刻から火鉢売りと共に北に向かって旅立ってしまいました。
しかし、その8日後、ヒデアキ君は一人で歩いて集落に戻って来ました。
ここまでは無事にヒデアキ君が戻って来て『めでたしめでたし』でしたが、後にヒデアキ君が話した『火鉢売りとの旅話』がとにかくヤバくて、新聞にも載ったし、その後、行商の鋳型の火鉢売りがいなくなりました。
ヒデアキ君の話によると、鋳型の火鉢売りは宿屋などには泊まらず、わざわざ獣道のような山道を歩いて行くそうで、ちょうど一日歩くくらいの間隔で山の中に秘密基地のような小屋があって、それらの小屋を中継しながら東北と関東を行き来しているようだとのこと。そして、それらの各小屋の中には2、3個の鋳型の火鉢が置いてあり、背負って行った火鉢が売れたら次の小屋の中にある火鉢をピックアップしてまた次の場所へ向かうというシステムでやっていたそうです。
そんな各小屋は、各山の所有者が把握してるのかしていないのか分からないほど人里から離れた山の奥深くにあり、四畳半も無いくらい狭い板間のボロ小屋もあれば、ヒデアキ君が3日目に訪れた小屋などは二間で二段ベッドも設置されていた大きな建物で、先に二人の男と一人の若い飯炊き女まで常駐している小屋だったと言います。
ただ、その小屋での夜、ヒデアキ君はその小屋にいた若い飯炊き女から『逃がしてやっから夜中になったら逃げろ』と言われ、その女に半ば無理やり逃がされたことで集落まで戻って来たそうです。
その当時、ヒデアキ君は意味が分かっていなかったそうですが、飯炊き女が夜中にヒデアキ君を山の下の舗装道路まで手をひいて案内しながら『火鉢売りは子供がささらって仲間集めしてんだがら付いでっちゃダメだ。』と言ったそうです。
ヒデアキ君も『ほんじゃオメもさらわれだのげ?』と聞くと、女は『飯炊いだりやられだり、仲間なんつったって女はろくなもんじゃねぇ。オメはあんな大人になんじゃねぇ、早く逃げで全うに生きんだかんな。』とキツいキツい口調でヒデアキ君に言ったそうです。
大人達はこの証言の意味をすぐに察したようで、すぐに警察沙汰になり北関東、東北エリアの広範囲で一斉に『山狩り』が行われ1982年に火鉢売りの一斉摘発が新聞に載りました。
なんの因果か分かりませんが、ヒデアキ君って6人兄弟の5番目で家は元々貧乏。ヒデアキ君が中学三年の時に母親が生活苦から自殺。ヒデアキ君も21歳の時に自殺してしまっています。
第九話