七話 ある親子
第七話です。
知的の入所施設で生活支援員をやっています。
30代男性のケース担当をしていました。
その人は所謂、統合失調症で、外見は一見普通に見えますが、ひどい妄想癖や一晩中手を洗うなどの強いこだわりがある人でした。
他県に住むその人の母親はごく普通の人で、息子の事をひどく心配して毎月欠かさず面会に来ていました。
しかし、息子の状態は悪くなる一方で、物投げや破壊行動、食事拒否や自傷なども見られるようになりました。
母親はそんな息子を悲観し、面会や相談支援の聴き取りなどの度に泣くようになり、最後には『もうあの子と心中するしかない』などと言うようになりました。
そんな中、その人の父親が亡くなり、その年のお盆に一時帰省する事になって母親が迎えに来ました。ちょうどその日、私は非番で出勤しておらず、他の職員が見送りを行ったそうですが、親子は普通に手を振って施設を後にしたそうです。その日の晩、私は自宅で不思議な明晰夢を見ました。並木のある綺麗な観光地のような通りを車で走っていると、通り沿いにある大きな三角屋根のみやげ物屋のような建物の前を、あの親子が歩いているのが見えて、私は少し通り過ぎた後に気になって車を停め、戻ってみようか考え始めたところで目が覚めました。状景とかが凄くハッキリした夢だったので、細部までハッキリ記憶に残りました。
それから3日が過ぎ、母子が施設に戻って来る予定日だったのですが、その日の夜になっても母子は戻って来ず、その日は私も出勤していたのでその利用者の母親の携帯に電話をかけたのですが繋がらず。とても真面目な母親でしたが、こういった施設ではそのような事態も少なからずある事なので、その日はそれほど気にする事も無かったのですが、その翌日も、そのまた翌日も母子は帰園せず、母の携帯も繋がらずと続いたので、さすがに4日目になって第二保証人に連絡をとってみたのですが、第二保証人の親戚は名前貸しだけの疎遠で初盆にも行っていないし春頃から連絡もとっていないので、その家がどうなっているかなど知らないとのことで、事態を警察に委ねました。
そんな中、実は私は、その母子が帰省したあの日の夜からほぼ毎晩、例のあの夢を見るようになっていて、ある夢はその場所に私もいる、またある夢は鳥の視点のように少し上空から地上を眺めているといった感じで日によって視点は違うのですが、その場所は最初に見た場所といつも同じ『あの場所』で、そこにいつも母子もいます。母子はその都度、笑顔で歩いていたり、真剣な顔で何か話していたり、母が泣いていたりといつも違ったシチュエーションで、それはあたかも親子の日々の日常を垣間見ているような感じ。しかも、景色の奥の奥まで鮮明に見えるようなハッキリとした夢。
警察は現在も行方不明として捜査を続けており、当然、私も施設のサビ管や施設長も何度も聴き取りを受けましたが、母子が失踪して一年半ほど経った今でも母子の行方は全く分かっていません。ど田舎なので監視カメラのある大通りも無いし、高速に乗った映像なども未だ見つからず、失踪前に母親が心中などと口にしていた事から、皆、心中している可能性が高いと内心思っているところですが、実際の行方は全く分からない状態が続いています。
しかし、未だに私は『あの母子が生活しているところ』の夢を週一くらいのペースで見続けています。その場所の『景色』は既に見慣れたものになっていて、その町は何度も細部まで見てみても、電柱や道路標識にしても、側溝や舗装道路の補修跡など見てもインフラとして完璧に『今ある日本の水準と一致』していても、実際に私がこれまでに見てきた何処の景色とも違うし、どんなに記憶を辿ってみても、そんな景色や建物を実際に見た事は無いんです。
しかし、母子は私が夢で見る『その地域』で今も日々『生活』していて、服も変われば髪型も変わるなど、自然に年を追う『成長変化』もしています。
当然ですが、こんな話は警察には証言していません。というか、当たり前ですが出来ませんし、証言したとしてもまともに相手にされないでしょう。
ごく短絡的に考えて、『突然消えた』母子はパラレルワールドみたいなところに入り込んでしまって、そこで楽しくやっているけど誰かに『ここにいるよ』と伝えたい想いがあって、偶然それを『受信』した私が『あっちの世界』を『垣間見る』だけの能力みたいなものを得た。みたいな状態なのかな、と思っています。
夢の中で母子に話しかけられればもう少し謎が解けると思っているのですが、未だに話をするということだけは出来ません。なんて言うか、私の声が届かないというか、『これ以上近付けない』バリアのような一線があって、そこを超えた時点で目が覚めてしまいます。多分、私の中の『踏ん切り』みたいなのも関係しているようにも思え、あるいは私も『もう戻って来られなくてもいい』と思ったら母子に話しかけて『あっちの世界』で楽しく暮らしていけるようになれるのかもしれませんが、その世界にそれほどの魅力があるのかどうかまだ見極めが付かないというか、その親子に自分の人生を賭けるほどの気にはまだなれないので、この不思議はまだ少し続いていきそうです。
第七話