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十五話 サトシ君(仮名)

第十五話です。

同じ地区に『サトシ君(仮名)』という2つ年上の子がいました。否、います。

サトシ君の家はこの一帯にあった唯一の医者の家で、白壁に囲まれた広い庭とバカデカい瓦屋根の家でした。

ただ、サトシ君はガタイが良くてイケメンな顔の少年でしたが少し知的障害のある子でした。

サトシ君は小さい頃から本当に北斗の拳のケンシロウみたいな見た目でしたが、小中学校の9年間を当時で云う特殊学級で過ごしていました。それは、彼の親が医者という世間的な体裁にこだわってサトシ君の事をどうしても養護学校(現・特別支援学校)には通わせなかったためそうなってしまったのですが、この一見立派に見える外見と実際の知能とのギャップが田舎町では却って目立ってしまい、当然のように大人から子どもまで隣の学区の人々にまで彼の名前は知れ渡り、凄まじいほどのイジメの対象になっていました。

それでも流石に学校だけはサトシ君の味方になってくれていたようで、サトシ君も出自は地元の医者の息子という事もあって、彼は中学卒業と同時に地元の工業団地にある某有名企業の大きな工場の工員として就職することが出来ました。

サトシ君は知的障害があっても根は真面目でおとなしい性格でしたし、障害の特性上、工場での流れ作業などのように一日中同じ動きを繰り返す事に飽きを感じないというか、むしろそれなら誰よりも仕事が出来るような性格だったため、彼は現在まで勤続40年近くになると思います。ただ、障害者雇用枠のようで昇給も昇進もしていないようではありますが。

そんなサトシ君が工場で働き始めて2年目くらいの時だったと思います。

サトシ君の父親である医者先生がある日突然脳溢血で倒れて、以後半身不随になって医者を廃業してしまいました。

当時は集落の大人たちが毎晩医者の家に集まって先生(彼の父親)を見舞ったりして、村をあげての結構な騒動でしたが、それでもなんとなく、私を含め集落の人たちも当時既に何処の家にも車はあったし、ちょっと熱が出た程度でも市内の大きな病院に行ってしまっていたので今さら近所に古い開業医が無くてもなんとかなるだろうな、くらいの気持ちはありました。

そんなこんなでサトシ君の父は円満に医者を廃業して早々に病院の建物は取り壊し、車椅子で日がな一日集落の中を回ったりゲートボール場まで行って近所の年寄りたちとおしゃべりをしたりと、すっかり集落の年寄りの一人としてのんびりとした老後を送るようになりました。

しかし、それから3年くらい経ったある真冬の晩の事、サトシ君の家で火災が起こり、大きな門のある白壁に囲まれたサトシ君の家は消防車が門を通れず消火活動が遅れ全焼、半身が不自由なサトシ君の父を担ぎ出そうとしたサトシ君の母は逃げ遅れて亡くなってしまい、その母に覆い被さるようにして父である医者様も亡くなっていたのが焼け跡から発見されました。

その時、サトシ君は夜勤シフトで工場で働いていたため全くの無事でした。

その後、サトシ君一人では出来るわけがないので行政か何かの救済措置があったのだと思いますが、医者様の家の大きな門も敷地を囲んでいた白壁も壊され、家があった広大な敷地は真っ平らな赤土の平地に整地され、やがてそのだだっ広い平地の真ん中にポツンと小さなプレハブ小屋が建てられました。

元々、医者様の家に行くまでは集落の通りから欅並木の未舗装の細い道を入って竹林や杉林に囲まれた奥に白壁が巡っていたので、白壁が無くなってもその先がどうなっているかなど行ってみなければ分からない状態だったため、火事の後に家の跡地が更地になってプレハブ小屋が建ったなど集落の人たちでさえ結構後になってから知った事でした。 集落の人たちがサトシ君を見舞おうにもサトシ君はシフト勤務で昼にいるのか夜にいるのかも定かではないし、昔から彼をバカにしていた自責の念もあって何と声を掛けて良いのか分からず、火事の跡地がどうなっているのか見に行く村人達もいなかったため、まさか小綺麗なプレハブ小屋が建っているなど知らないまま月日が経ってしまったという訳です。

やがて時が過ぎ、2020年頃かな、私も夜勤のある福祉関係の仕事に就いて4、5年経ったある夏の日の事。

夜勤明けで10時半頃に家の近くまで車で戻って来たとき、近所の墓場の一番大きな墓石に両手を伸ばしてしがみつくようにしてボロボロのTシャツを着た大柄な男がうつ伏せて倒れているのが見えて、私は墓場の横の通りで車を停めました。

ただ、私は一瞬迷いました。

その光景を一目見て『墓の供え物を採りに来た乞食があと一歩のところで行き倒れている』ようにしか見えなかったため、救命のための声かけをするべきか、関わらないに越したことはないのか。

しかし私は、とりあえず車から降りて、その人間がとりあえず息をしているかどうかだけでも確かめようと墓場に入って行って、その男に近付きました。

すると人の気配に気が付いたのか、倒れていた男は急に腕立て伏せをするかのように両手を地に付いて上身を起こし、膝を付いて立ち上がると私を振り返りました。それに驚いた私は思わず「なっ?」と変な声を上げて後ろに少し飛び跳ねてしまうほど怖さも感じてしまいましたが、直後にその男が口にした「あ!ノブ君!」(仮名 私の名前)という言葉を聞いて、一瞬で真っ黒い影の手が体に突き刺さって心臓を掴まれたみたいな物凄く嫌な感覚を感じました。

その乞食みたいな態の男はサトシ君でした。

「こんちわ。なんかしばらく降りだなぁ、ノブ君。」

「あ、あぁ。」

私ももう何年も職場の施設でこういった人たちを見てきていたので、今更昔みたいにコイツをまたイジメてやろうなんて気持ちはこれっぽっちも沸いて来ず、ただ、『またか』というくらいの気持ちと表情で今のいつも通りの業務の感じで対応しました。慣れというのは恐ろしいもので、一瞬で業務の心持ちになれる。

「そういやさぁ、ノブ君この前ラーメンバーのキラキラシール欲しいとか言ってたよねー。」

「あーっと、そうだっけか?」

「言ってたじゃん。ウチに今あんだよ、見せてやっぺか?」

「あー、今日はやめとく。俺今夜勤の帰りで眠くて。ウチ帰って早く寝たいんだわ。」

「ちーっとだげだがダイジだっぺよ。な?ウチさ来てみろなぁ。俺もこないだ夜勤だったし、ダイジだよ。」

サトシ君が近づいて来ると臭さが尋常ではなかったです。また、こういった人たちの思考は独特です。一般的な拒絶の意が通じない。

私は日頃からサトシ君よりももっと過激な精神の人も、30人を超す強度行動障害の人をいっぺんに作業場に入れて半日以上生活介護を行う超法規的な仕事をすることも普通にありますが、ただこの時はサトシ君を自分の車の助手席に乗せるという事だけは出来ませんでした。

臭いとか性格とか、どんなに慣れた施設職員でも本能的に嫌だと感じる相手っていうのはいるんですよ。別にその人の性格が悪いとか油症でハゲ頭が常にベトベトしてるとか、そういった事は大した問題ではなく、『なんとなく生理的に合わない』という感覚的なものが大きく、それはまさしく『天性』みたいなものなので後から努力して変われるものでもない。そうした天性を持った人こそ本当の哀れだと思うし、なぜ昔サトシ君が地域一帯の老若男女から拒絶されイジメられていたのか、この一瞬で察する事が出来てしまい嫌な気分になりました。

「じゃあ俺、先に歩いて行ぐがら車で追っかけて来いや。」

「あーっと、あぁ、そっか。とりあえず分かったわ。」

近所なのでサトシ君は私の家も知っている。無視して家に帰ってしまったら、きっとサトシ君は私を家まで迎えに来るだろう。

なんとも黒く、それでいて黄色くチカチカするような感覚の中、私はサトシ君が去ったしばらく後からサトシ君の家に向かって車を出発させました。

サトシ君の家へと続く未舗装の畦道は道の真ん中に雑草が生い茂っていて、バシバシと当たる草が車のバンパーの真ん中に傷を付けてるんじゃないかと思うと嫌でたまりませんでした。

「遅っせーなー。オレなんかもうさっきずっと前に着いでんだがんな。俺、車より歩くの早ぇから。」

「あぁ、そっか。」

私の当時の車はBMWのM3でした。どうでもいいですが。

「早くウチさ入れな。友だちウチに上げんのオメが初めてだがんな。喜べよ、嬉しがっぺ?」

「あぁ、まぁ…」

プレハブの中は当に床が見えない状態で作業着やらビニール袋やらで埋め尽くされていました。さらに生ゴミ臭が既に一段階浄化された、下手するとトリュフのような深い芳香にさえ感じるくらいの変な臭気に満ち満ちていました。しかも室内温度が常軌を逸して暑かった。

「いや、ちっと散らかってけど、その辺のゴミ除けて好きに座っててや。」

「あ、あぁ。そっか。」

私はゴミを除けたり座ったりする前に、とりあえずこの暑さと臭いをなんとかしたくて、部屋の奥まで行って窓を開けました。

するとその庭先というか窓の外の地面の感じに違和感を感じ、少し見たあと一気にゾッとしました。

窓の外の地面は真夏だというのにまるで霜が降りたように細かな『白色』が土に混じっていました。さらに、所々に作業着の裾と思われる紺色の布が地面から出ていました。

そう、サトシ君はビニールでも何でも、出た生活ゴミの殆どをプレハブの前の庭に捨て、そのまま耕して庭の土に混ぜ込んで処理していたようでした。集落のゴミ集積所にゴミを出すのが嫌だったのか、有料ゴミ袋の制度を知らないのか。

数十年かけて何度も何度も耕されていくうちにビニール袋は細断され、まるで霜柱くらいの大きさになって庭一面にまんべんなく均等に散りばめられて一年中冬の朝のような景色を成していました。

「いい畑だっぺ。シソだの大根っ葉だの勝手に生えてきて採って食えんだど。一応ちゃんと耕してっかんな。」

「あ、そうなんだ。」

プレハブの中に洗濯機が無く、物干し竿も無かったため恐らく、サトシ君は工場から支給された作業着なども洗濯せずに毎日着るだけ着て、汚れや臭いが限界に達したら庭に埋めて棄てるというパターンを繰り返してきたのだと伺い知れる。

正直、私はその時『めんどくせぇ』と思ってしまいました。

福祉の仕事をしている立場上、『こういう人』を見つけてしまったら社協なり市役所の福祉課に電話して、その人を施設に入れるための段取りをしていかなくてはならない『義務』みたいなのがあります。でも、夜勤明けだっだし、相手が昔から知ってる近所の人だったし、とにかくこの時は『めんどくせぇ』としか思えませんでした。

さらに予想していたとおり、サトシ君はラーメンバーのキラキラシールなど『きのうまでここにあったんだけど無くなっちまった。おっかしいよなぁ。』との事であるはずもなく。

ただ、『まあ、よがっぺよ』と言って、何とも言えない半笑いで振り返ったサトシ君の顔を見たとき、私は凄く悲しくなりました。

私は親が会社をやっていた事もあり、わりと裕福に育ちました。

中学の頃からバンドをやって、高校を卒業してすぐアメリカに渡ってL.A.で音楽稼業を10年続け、日本に戻ってからしばらく新宿住まいで音楽三昧。全国ツアーもやったしフジロックでグリーンステージにも立った。日本中の景色を見て美味いもん食いまくって酒も普通の人が一生かけて飲むくらいの量を20代のうちに飲んだと思う。派手すぎた生活の果てに田舎暮らしに憧れて、正直楽々と障がい者の面倒看ながら休日には片道50キロくらい高級車で悠悠自適にドライブするのが趣味の快適な日々。

一方、このサトシ君は幼い頃からイジメられて地区の子供会旅行にも参加していなかった。親の医者様は流石に車を持っていたが、子どもの頃には何処かにドライブなど連れて行ってもらっていたのだろうか。少なくとも親が脳溢血で倒れて以来、サトシ君は自転車以外の移動手段は無かったであろう。

何十年間も自転車で移動できる自宅から十数キロ圏内の景色だけの中で生きてきた事でしょう。

何十年も、毎日この白っぽい庭を見続け、何十年も筑波山が大きく見える景色しか無い、この景色の中だけでサトシ君はどうやって何十年も生きてきたというのでしょうか? この景色の中に何が見えたのでしょうか?

そう思った時、私は悲しくて悲しくて、もう自分の人生もサトシ君の人生も、もう充分頑張ったんだし、この辺で終わりにしてもいいんじゃないかと思ってしまいました。

第十五話でした。

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