07 『必殺!? 猫神様式おもてなし術!(後編)』
お客様を客室にお通しして、私と猫神様はお茶を汲みに向かいました。
お食事を用意する厨房は離れた場所にあるのですが、本館の中にも小さな厨房があり、そこでお茶とお茶菓子を用意することができます。お客様をお待たせしないための心配りです。
「あの……先ほどのお客様は、神様……なのでしょうか?」
お盆の上に湯呑みを置きつつ、ききました。
「お客様はお客様です。何者であろうとも関係ありません」
棚には小皿に取り分けた和菓子が並んでいます。和菓子作り専門の猫娘が毎朝作って、ここに補充しているのだそうです。
季節や天気によって品が変わるそうですが、今日は色鮮やかな桜餅でした。
餡の甘い香りと桜の葉の塩気が鼻孔をくすぐり、お皿に触れただけで、口の中が唾でいっぱいになってしまいます。
「相手によっては、手を抜いた仕事をするのですか?」
「いいえ、ごめんなさい……ちょっと気になっただけです」
お盆の上に急須、湯呑み、お茶菓子を揃え、客室に戻ります。
運ぶのはもちろん私の役目です。間違ってもひっくり返さないよう、緊張しながら、猫神様の背中に続きました。
「お茶をお持ちしました。失礼いたします」
膝ついて襖を開くと、お爺さんは縁側に出て、ぼんやりとお庭を眺めていました。
猫神様がお相手するお客様ですから、神様に違いないと思っていたのですが……どうにも、そうは見えません。病院に何人もいたような、普通のお爺さんです。
長身で背中もまっすぐなので、若々しくも見えるのですが、お顔には深い皴がたくさんあって、髪もお髭も眉毛も真っ白です。土色の袴姿をお召しになっていて、お荷物は何も持たれていないようでした。
「僕は……死んだのでしょうか?」
私たちを振り返り、お爺さんは静かに口を開きました。
「はい。現世でのお役目を、立派に終えられました」
床に置いたお盆を自ら持ち上げ、猫神様が縁側まで歩いて行きます。私は畳をすって客室に入り、襖を締めました。
お茶……私が注いでお出しするべきなのかな? ……と思った時にはもう、猫神様が急須に手をかけていました。
何をしていいのか分かりません。
とりあえず、襖の前に正座したまま、縁側のお二人を見守ります。
「立派なんかじゃ……ありませんよ、僕は」
お茶とお茶菓子を見下ろしますが、お爺さんは膝から手を上げませんでした。
「ここは、どういった場所なのでしょうか?」
「猫鳴館でございます。神様や、現世で役目を終えたお方が立ち寄り、ゆっくりとくつろいでゆかれる場所にございます」
「天国でしょうか?」
「幽世と現世の狭間のような場所です。天国はここより先にございます」
「そうですか……」
お爺さんが身体を傾げ、両膝をつき手を揃えました。
猫神様に向けて、深々と、額で床を叩くように頭を下げます。
「ごめんなさい。僕は間違えてここに来たようです」
「お顔をお上げになって下さい。間違いなどございません」
「いいえ、間違いです。こんな素晴らしい場所に、僕なんかが来て良いはずがありません。僕はまっすぐ、地獄へ行くべき人間です」
猫神様はお爺さんの肩に触れ、頭を抱きしめるようにして、白髪を撫でました。
「間違いなどございません。ここに立ち寄る必要があったから、お客様はここにおられるのです。そして来たからには、「もてなされて」いただきます。良いですね?」
「僕なんかには、もったいない」
「そんなこと、言わないで?」
猫神様がお爺さんを抱きしめる光景は、幼い孫娘が祖父をあやしているよう。
それはそれは、奇妙でやさしい光景でした。
私はただ、少し離れて見ていることしかできません。
何が起こっているのかすら、分かりません。
――とん。
猫神様が、お爺さんの背中を叩きます。
――とん。とん。とん。
涙を叩き出されるかのように、お爺さんが泣き出します。
「僕は、人生でたくさんの間違いを犯した」
「はい、そうですか」
「女の子をね、幸せにしてあげたかったんだ。でもダメだった。救えなかったよ。二人の孫も守れなかった。下の子は辛い思いをさせて、幼いまま死なせてしまった。上の子には大きな呪いを背負わせてしまった……僕が救ってあげるべきだったのに、何もできなかったんだ」
「はい、辛かったですね」
「無力が罪なら、僕は大罪人だ。地獄へ落ちるべきだ」
「自分を悪く言わないで? あなた様の冥福を祈っている人もいるでしょう?」
「いないよ、ただ一人も」
「では私が祈りましょう」
――とん。とん。とん。
猫神様の手が奏でる音が、心臓まで響いてくるようでした。
緊張や驚愕で荒ぶっていた心臓が、ゆっくり、おちついていきます。
「私が祈ります。あなたが安らかに眠れますように。魂が救われますように。どのような後悔や遺恨が追いかけて来ようとも、呪いに囚われませんように……あなたが、あなたを許せますように……心より想い、願います」
猫神様が柔らかく身を捩りました。
お爺さんは子供のように身を委ね、猫神様の膝枕で横になります。
縁側には春の日差しが降り注ぎ、暖かく二人を包み混んでいます。
――とん。とん。とん。
猫神様はお爺さんの身体を叩き、やさしく頭を撫でます。
そして気付いた時には、歌っていました。
――ねんねんころりよ、おころりよ。
――ぼうやはよい子だ、ねんねしな。
ゆっくりと、柔らかく、暖かい歌声が、心地よく、全てを包み込んでいきます。
傍で聞いている私まで、意識がとろけて、しましそうな、何もかもまどろんで、とろり、とろり、心の小さなモヤモヤが、どんどん小さくなって、こんなに小さいものなら、いっそすべてを、許してしまいそうな、そんなきもちに……きもちいい、きもちいい、歌声でした。
「……ミケ」
「はひっ!?」
寝落ち寸前で名前を呼ばれ、身を正しました。
じゅるりと涎を拭いながら顔を上げますと、猫神様が人差し指を唇に当てます。
「しぃ~~……」
耳を澄ますと、お爺さんの安らかな寝息が聞こえて来ました。
声を出さず、ペコペコ頭を下げると、くすくす笑われます。
「見ていましたね? これが、お客様を殺すということです」
あまりに壮絶すぎて、私にはなにひとつ分かりません。
ですが……「見た」。
それは大きく、確かなものとなって、私の中に残っていました。
自然と頭を下げ、「ありがとうございます」と口にしていました。
◇
何もしていないにもかかわらず、その日はそれで、私のお仕事は終わりました。
お客様はぐっすりと眠り、夕方に目覚め、引き続き猫神様のおもてなしを受けたそうです。桜餅のお皿も空になっていました。
夜は付き添わなくてよいのかと申し出ると、「休みなさい」と言われました。
「一度にたくさんやろうとしないこと。物事を上手するコツです。今日はもう十分。明日の朝、お客様をお見送りしますから、早起きできたらおいでなさい?」
必ず早起きします、と答え、その通りにして、翌朝のお見送りに付き添いました。正確に言えば、昼間に見た光景が物凄すぎて、一睡もできなかったのです。
私の知らない猫鳴館で、毎日あんなことが起きていたのでしょうか。
それとも、珍しいことだったのでしょうか。
なんとなく、前者のような気がしていました。
「お世話になりました。本当に……ありがとうございました」
「とんでもないことでございます。どうぞ胸を張って、行ってらっしゃいませ」
翌朝、猫鳴館を去ったお爺さんは、昨日より晴れ晴れとしたお顔をしておられました。
「あのお客様は、天国に行かれたのでしょうか?」
その背中がゆらりと歪んで、遠くの景色と溶け合うまで見送った後、猫神様にききました。
「さて、善人だったならそうでしょう。本当に悪人だったなら、地獄に行くでしょう。私たちには及ばぬことです」
「でも、猫神様は、あのお客様が救われるようにって……」
「はい、そうですよ」
ちょいちょいと、猫神様が屈むように手招きします。
顔の高さを合わせると、猫神様は私の両手を取り、じっと目を見て言いました。
「お客様の幸せを想い、願い、お祈りすることが私たちの役目です。ここを訪れた誰もが、苦しみから解き放たれますように。例え現世に、一人たりとも冥福を祈る者が居なかったとしても、私たちがその役目を担うのです。いいですね、ミケ」
深く頷き、強く「はい」と答えると、猫神様はさらに言葉を続けました。
「私は、ミケの幸せも祈っていますよ」