03 『九カ条』
突然の抱擁と頬擦りで、心がどこかに高跳びしました。
放心状態で固まってると、そのままほっぺたに……とんでもなく柔らかい、とんでもなく心地よい、何かが触れ、「ちゅっ」とかわいい音がしました。
ほっぺちゅーされた。
「な……っっ!! にゃ……っっ!! なにゃにゃにゃにゃにゃ!!??」
唇の感触が残るほっぺを押さえ、その場に座り込む私。
金髪の女の子は頭の猫耳をぴょこぴょこさせ、満面の笑みを浮かべています。
今にもまた、ガバーっと抱き付いてきそうです。
……と思ったら、両手を広げて迫ってきました。
「にゃ――っ!! にゃにゃにゃ――っ! にゃ――――っ!!」
その瞬間、私はかつてない俊敏な運動性能を発揮しました。
四つ足で床を走って逃亡、壁際の本棚に飛びついて、よじ登り、天井との隙間に身体をねじ込み、「フシャーッ! フシャーッ!」とその者を威嚇しました。
「Oh……Cute……」
敵は何やら満足そうな顔です。
私を見上げてほっこりしてます。
「ペルシャ、やめてあげなさい」
「ハーイ、これくらいにしマース」
と言いつつ、また手元でクラッカーをパーン。
「ニホンゴ! ハナス! アナタ!」
「落ち着いてぇ~……ミケちゃんがカタコトになってるよ?」
クロちゃんが本棚の下に歩み寄り、どこからか取り出したねこじゃらしをフリフリしてきます。
そんなもので落ち付けるワケがない。
怖いやら恥ずかしいやら、本棚の上でプルプルです。
「さっき話した同期だよ。ほら、二人とも自己紹介して」
「ペルシャはペルシャデース!」
金髪碧眼にして洋装の猫娘が、両手を上げて名乗りました。
私やクロちゃんを始め、猫娘はだいたい和服を着ているのですが、この子はヒラヒラとしたお洋服を着ています。
お肌も透き通るように白く、お顔も小さく、同性の私の目から見ても輝くように可愛らしい、西洋のお人形さんのような女の子です。
猫鳴館には色んな猫娘がいると、知ってはいたのですが……ここまで個性的な子は初めて見ました。
「ほらミケちゃんも、降りて来て自己紹介しなさい」
そんなこと言われても、あまりの異文化を前に身体が動きません。
「…………ミケ」
涙声で、ようやく名前だけ絞り出しました。
クロちゃんがねこじゃらしをフリフリしてます。
ペルシャちゃんなる猫娘が両手を広げて待ちかまえてます。
「よくできたねぇ~……大丈夫、もっとできるよぉ~? 降りといで~?」
「ナカヨシ、シマショ?」
「そんなこと言われたってぇ……」
ただでさえ、同年代の女の子とどう接していいのかわからないのです。
クロちゃんは私のペースに合わせて、徐々に徐々に時間をかけて距離をつめてくれたので、お友だちになれましたが……あんなイキナリ、どーんってきて、ガバーってきて、ほっぺちゅーまで……怖い。
ペルシャちゃん怖い。
どうしていいかわからない。
私、この子と一緒にお稽古していくの……?
ああ、始まってないのにもう逃げ出したい。
「ミケちゃんは内気だから、気を使ってあげてって言ったのに……」
クロちゃんがようやくペルシャちゃんを叱ってくれました。
その調子です。
お願いクロちゃん、助けて。
「Sorry……早くナカヨシ、したかったデス」
「だってさ。悪気はないんだよ、びっくりしたよね、もう大丈夫だよ」
何がどう大丈夫なのか説明して欲しいです。
「私もやられた時はびっくりしたけど、いい子だよ?」
……え? クロちゃんもされたの?
……なんかヤだな。苦手意識に加え、好感度がやや下降。
「わたし……お稽古しない。もうずっと見習い未満でいい……」
「そんなこと言わないの。やるんだよ、三人で」
「二人でなかよくやって……私のことは放っておいて……」
天井と本棚の間でプルプル……。
そんな私を困った顔で見上げる二人。
ねこじゃらしのフリフリも止まってしまいました。
「ン~~~~……ナカヨシ、二人でシマス?」
不意に、ペルシャちゃんがニマリと笑いました。
(あ、この子……)
それは明らかに、悪戯を思いついた顔でした。
視線は私に向けたまま、クロちゃんにピッタリと身体を寄せます。
「ミケちゃん、ペルシャとナカヨシ、してくれないデス……かなしー」
クロちゃんの腰に腕を回し、甘えるように抱き付くペルシャちゃん。
クロちゃんもクロちゃんで、困り顔を浮かべながらその頭をナデナデし始めました。
「そうだねぇ……悲しいねぇ。ミケちゃんと仲良くしたいよね」
「ン~~~~……ダメならペルシャ、二人でも、イーですよ?」
好感度が下がっていたのは、私の方だったようです。
ペルシャちゃんはクロちゃんに頬擦りしながら、私に挑発的な笑みを向けるのでした。
……くやしい。
私の友だちはクロちゃんしかいないのに、クロちゃんは誰とでもなかよくできます。ペルシャちゃんもあんな風だから、お友だち作りは得意そうです。
一人前になったら、二人はもっとたくさんの猫娘となかよくなるでしょう。
その時、私なんか、いなくてもいいワケで。
くやしいけど、私は、何もできません。
何もできないまま、一人ぼっちになって行きます。
きっとそうなるんでしょう。
それでいいです。
涙がうるっと湧き出て来ました。
「猫鳴館の九カ条~~」
その時、ぬるりと、柔らかい声が響き渡りました。
途端に背骨と尻尾がピーンとまっすぐになり、涙が引っ込みました。
「この猫鳴館には、猫娘が必ず守らなければならない九カ条がございます」
蓬色ののれんをくぐり……いえ、頭の耳が触れることもなく、のれんの下を通り抜け、小さな猫娘が、私たちの間に入って来ました。
「ひとつ、前世の名・記憶を他の者に明かさないこと。
ふたつ、お客様には好意を抱かないこと。
みっつ、マタタビに触れる際は猫神の承認を得ること。
よっつ、お客様とはいかなる時も添い寝をしないこと。
いつつ、他の猫娘とは仲良くすること。」
私と、クロちゃんと、ペルシャちゃんを低い位置からぐるりと見回し、その小さな猫娘……私をここに招いてくれた張本人の偉い人(猫?)、猫鳴館が主、「猫神様」が、繰り返し、微笑んで言いました。
「他の猫娘とは、仲良くすること」