02 『猫鳴館』
ようこそおいでくださいました。
ここはあの世とこの世の狭間にある旅館、『猫鳴館』。
およそ五百年もの歴史ある由緒正しき温泉宿でございます。
ここに来られるお客様は、行き場のない生き物の魂や、現世での役目を果たした魂。なかには、神様と崇められるお得意様もいらっしゃいます。
どなた様にも分け隔てなく、最高の『おもてなし』をするのが私たち猫娘の務め。
可憐、妖艶、誠実、静謐、絢爛にして雅やかなる選り取り見取りの猫娘たちの、まごころ込めた一流のおもてなしを、心ゆくまでご堪能くださいませ……
……と、申しますのが、我らが『猫鳴館』の謳い文句でございます。現世を去った後、私が身を置かせてもらっている場所です。
罪を犯す間もなく生涯を終えてしまったので、極楽浄土的な場所に行くこともできたそうですが、件の如く未練タラタラでしたので、それならば、と偉い人(?)が誘ってくださいました。
クロちゃんを始め、猫鳴館で働くたくさんの猫娘と同じく、猫耳と猫尻尾が生えた時はなにがなんやら、「どうして?」とおききしたところ、「かわいいから」と言われました。それは確かにそう。
本来であれば、私はとっくの昔に一人前になって、猫鳴館が誇る猫娘の一匹として働いているはずなのですが、長らくウジウジとしていたので、いまだ見習い未満の飼い猫状態です。
享年十一歳。猫鳴館に来た当初は、幼児と少女の中間の愛らしい姿だったのですが、飼い猫としてウダウダと暮らすこと幾年、今や立派な少女の姿になってしまいました。残念ながら、可憐でも、妖艶でも、誠実でも、静謐でも、絢爛にして雅やかでもありません。
この世界に年齢の概念があるのかどうか不明ですが、この見た目で見習い未満の猫娘は……私以外、見たことがありません。
せめて見習いにならねば、なんとなく恥ずかしい。
幼児の姿で一流の猫娘もいますので、なおのこと心苦しい。
世間体と空気を読む能力は、死んだ後も残るようです。
「でもそれって、わたしがガマンすれば問題ないよね?」
「そういうことじゃない」
クロちゃんに言うと、ほっぺたをぐにぃ~されました。
「ず~っと一人でああしてても、楽しくないでしょ? ちゃんとお手伝いできるようになれば、毎日やることいっぱいで楽しいよ? 友だちもできるし」
「できないよぉ~~……わたしクロちゃんみたいにできないぃ~~……」
クロちゃんは出会った時から少女の姿をしていました。
曇りのない爽やかな顔立ちで、茶色い猫耳と尻尾もかわいい女の子。ショートカットに揃えた髪や、動きやすく肩と膝を出した着物が良く似合っています。
その上、背筋に芯を感じる凛とした佇まいで、言動もたくましくって頼もしい、少年のようなカッコよさを併せ持つ素敵な女の子です。
きっと私より長く生きて、いろんな経験をしてから現世を去ったのでしょう。だからクロちゃんは、色んなことが上手にできるんだと思います。
(いいなぁ、クロちゃんは……)
私が通い詰めている猫鳴神社は、猫鳴館の裏手にあります。
石階段と石畳とちょっとした薮の道を抜けたら、そこはもう猫鳴館の裏庭の裏口。
竹の戸を開けると仄暗い廊下に入れまして、奥からバタバタと忙しそうな音が聞こえて来ます。厨房や洗濯室の喧騒です。
一人前の猫娘は、お客様に直接『おもてなし』をするため、まったりとしたお仕事をしているのですが、見習いと見習い未満の猫娘は、こうした裏方でバタバタしてます。
私もたまに手伝いことはあるのですが、上手くできないので、めったにしません。
「滅多にしないから、上手くならないんだよ」
クロちゃん、正論ネコパンチ!
「だってぇ……みんな楽しそうにお喋りしながらお仕事するでしょ? わたし入っていけないでしょ? そしたらだんだん気を使われてる空気になってぇ……「ミケちゃんだいじょうぶ?」とか言われた日にはもう、何をどうしていいのか泣きたくなっちゃって……それをまた気づかわれて、その場がどんどんいたたまれない空気に……ああ、わたしはここにいないほーがいいんだぁってきもちになって、ああ、ダメ。帰る」
「ここが宿舎でしょ?」
「井戸のそばに住むぅぅ……」
ウダウダ言いながらも、クロちゃんに引っ張られて廊下を歩いて行きます。
猫鳴館は広くて、どのくらい広いかというと……私が暮らしてた病院の三倍くらいは広いです。猫鳴神社など、周辺の施設も入れると、さらに三倍は広いでしょうか。いや、五倍? 十倍? 広すぎて分かりません。
裏口から入って裏方の建物を通り、渡り廊下を抜けると、私たち猫娘が寝食する建物があります。
お客様をお迎えして、おもてなしをする猫鳴館の本館は逆側。私のような見習いの見習いは踏み入ることすら恐ろしい神聖な建物です。実際、一番最初に案内されて見て回り、それっきりなのでした。
「クロちゃんどこ行くの?」
泣きそうになりながら、手を引くクロちゃんにききます。今日はガッチリと手を掴まれ、逃げる隙がありません。本気の本気みたいです。
「談話室。顔合わせだよ」
「誰と?」
「同期になる子だよ。明日から『おもてなし』の稽古が始まるんだ。私とミケちゃんと、もう一人の三人組でね」
「聞いてない! そんなおそろしいこと誰が決めたの!?」
「何度も言ったよ。その度、ミケちゃんは頭の耳塞いでさ、「あーあー聞こえない聞こえなーい」って」
深々とため息を吐くクロちゃん。
そんなことやってた気がする私。
こんなに頼りになるクロちゃんですが、実は最近になって猫鳴館に来たばかりなんですよね。テキパキと仕事を覚え、もう一人前の一歩手前。
ギリギリ幼児と言えなくもないころからいるくせに、いまだ見習い未満の私とは大きな違いです。
「決めたのは、猫神様だよ」
そう言われて、背骨と尻尾がピーンとまっすぐになりました。
渋々クロちゃんの後ろを辿っていた爪先が、自然と前に向かいます。手を引かれて歩いていたのに、いつの間にか、手を繋いで歩く体勢になっていました。
もはやこれまで。覚悟が決まります。
でも不安なのは不安。泣きそうです。
ぐすんと鼻をすすって廊下を曲がり、もひとつ曲がり、談話室はすぐそこに迫っていました。
いつもは廊下まで話し声が聞こえるほど賑やかなのですが、今はほとんどの猫娘が出払っているのか、めずらしく静かな雰囲気でした。
長い廊下の途中に開け放たれた引き戸があり、蓬色ののれんがかけられているのが見えます。その中が談話室です。
かなり苦手で、いつも避けている場所でした。
「もう一人って誰ぇ……? 私の知ってる子? クロちゃんと二人の方がいいよぉ……」
「ミケちゃんは会ったことないんじゃないかな? 私と同時期に来た子だし。向こうも知らないって言ってた。先に待ってるはずだよ」
もう一人……どんな子だろう?
一緒にお稽古を受けるのですから、長い付き合いになることは確定です。クロちゃんみたいな子だったら……う~ん、置いて行かれそうで、ちょっとヤだ。
大人しい子がいいですね。私のように。ちょっと物腰の弱い子の方が、まだなかよくできそうです。あ、年下の可能性もありますよね。幼児で一人前の猫娘も珍しくありません。そうだ、それが良きです。年下で物静かな子。大人しい子猫ちゃん。来たれ。
「お待たせ、連れて来たよ?」
クロちゃんの手をぎゅっと握り、祈りながらのれんを潜りました。
「Yeaaaaahhhhh! We are a new team! Hoooooo!!!!!!!」
パーンと打ち鳴らされるクラッカー。
揺れる金髪。翻るスカート。
和風ならざる何者かが、飛びかかってきました。