15 『猫魔山』
お客さまにお部屋でまったりとくつろいでいただくことが猫鳴館の本懐ではありますが、時には、身体を動かしている方がくつろげる、といったお客さまもいらっしゃいます。
そんなお方をおさんぽにお誘いするのも猫娘の務めでございまして、本日は私ミケ、初めて猫鳴館を飛び出し、外でのお稽古に挑みます。
こちらの世界に来てからとずっとウジウジして引きこもっていましたから、外出そのものが初めてでもあり、ワクワク、ドキドキの反面、不安もどっさり。
クロちゃんやペルシャちゃんがいっしょだったら、まだ楽しみが勝ったのでしょうが、二人(二匹?)はそれぞれ別々のお姉さまに付き添っていて離れ離れ。猫神様もご自身のお仕事でご多忙のようです。
本日のミケは一人(一匹?)、先輩猫娘のお姉さまご指導の下、おさんぽお稽古です。
不安。怖い。もう帰りたい。
それでも、袴の帯を締め、ブーツの紐を結ぶと、ちょっとテンション上げ。
尻尾がくねくね、耳がぴょこぴょこしました。
「かっこいい……」
普段は浴衣に下駄なので、厚い生地の袴や皮のブーツの感触は新鮮です。
サイズもピッタリ。立つと地面から浮いているような感じがします。これならどこまでも歩いて行けそう。
用意して下さったお姉さまに感謝しながら、猫鳴館の勝手口近くをパタパタ歩き回りました。
そろそろ集合時間。お姉さまも来るころでしょう。
……と思ったところで、勝手口からお姉さまが出てきました。
「お、早いわねミケ。感心感心。靴、どう? 問題ない?」
「はい、この通り! ありがとうございます!」
足を持ち上げて見せると、お姉さまは呆れたような、困ったような、独特の位置に眉を寄せました。
「蝶結びが縦になってる。それに締め方が甘い。靴擦れするわよ? ちょっと足揃えて立ちなさい」
言いながら、お姉さまは私の足元に屈み、紐を解いて結び直し始めました。ギュっと強くブーツが引き締まり、ギッチリガッツリ、足と一体化していきます。
「あ、あの……自分でやりますから……」
「次からはね」
お姉さまの頭が自分の足元にある……なんともいたたまれない状況です。
「……うん、これで良し」
「あっ、ありがとうございます」
「どういたしまして……どっこいしょぉ~~」
お姉さまが重たそうに身体を持ち上げ、ぐぃぃ~と腰を伸ばします。
お名前は、ベンガルお姉さま。
二十代中盤の成熟した見た目をしていて、髪も長くてキレイで、文句なしに大人の女性なのですが……快活な性格が色気を押し殺していて、全く「お姉さま」って感じがしません。
気前が良く、気風が良く、面倒見が良く……言い切ってしまえば、「アネゴ!」って感じのお方です。
「あの……今日は誘って下さってありがとうございます」
「いいわよ、かたっ苦しいのはナシで。私も歩きたいと思ってたから」
時刻は早朝。
朝日の昇る方を遠く見上げて、ベンガルお姉さまは言葉を続けます。
「猫魔山、行ったことないんでしょ? そろそろ連れ出したいと思ってたのよね」
猫鳴館がご案内できるおさんぽ道は多々ありますが、その中でも最推し《メイン》となるのが「猫魔山」の登山道です。そのための袴姿に靴なのでした。
本格的な山登りには軽装ですが、猫魔山は猫鳴館からほど近くにあり、ムリなくおさんぽ程度に登れるゆるゆるコースです。
山頂には「猫見の館」という別館も控えていて、疲れたらそのまま泊まることもできるそうです。
また、猫鳴館の大女将……猫神様よりさらに偉い方がお住まいとの伝説で、そのご気分で山の天気や季節がコロコロ変わるのだとか。
未熟者や無礼者が立ち入ると、イタズラで狐や狸の姿に変えられてしまう、なんて噂もあったりなかったり。
長らく見習い未満を続けていた時代、「いい加減にしないと猫魔山に連れて行くぞ」とか、厳しめのお姉さまに言われたこともありました。(井戸にしがみつきました。)
「登山道はいくつもあってね、それぞれ名前がついてるの。「迎春花」とか、「瑞香」とか……今日は「鼓草の道」で行くわよ? 同期の子、クロとペルシャだっけ? それぞれ、別の道を教わるはずだから、また今度、三人で教え合いなさい」
「は、はひっ!」
あ、なるほど……いっしょじゃないのは、そういうこと?
「よろしくお願いします! さっそく行きますか?」
「待ってぇ……実はもう一人連れていくことになったから、紹介するわね」
「もう一人?」
「つい最近、猫鳴館に来た子なの。まだ見習いの見習いもできないから……ついでに外で遊ばせようと思ってね。ミケとなら話も合うと思ってね」
まだ見習い未満……ってことは、クロちゃんよりも最近になって来た子?
私も晴れて見習い猫娘となりましたので、ということは? なんと文句ナシの? 問答無用の? 私の後輩猫娘!?
嬉しさと感慨深さが大爆発……いや、待ちなさいミケ。ペルシャちゃんの時の失敗を忘れるべからず。
猫娘は見た目と職務歴が一致しないことが多々あります。(猫神様が筆頭です。)後輩だけど年上とか、ぜんぜんありえる。それだったらちょっと気まずい。
「ほらシロ、恥ずかしがってないで出て来なさい」
「え? もういるんです!? シロちゃんさん!?」
ベンガルお姉さまが勝手口を振り返り、呆れ顔でちょいちょい、手を振ります。
その戸板のかなり低い位置……私の腰くらいの位置から、白い猫耳がぴょこっと現れ、おそるおそる、かわいいお顔が半分出てきました。
見た目年齢、十歳ちょいくらい?
猫神様とどっこいどっこいのチビっ子です。
まだ……まだ分からない。
まだ、油断をしてはいけない。
顔半分を隠したまま、ふっくらほっぺを真っ赤に染めて、大きなくるくるのおめめで私を見上げ、今にも消えてしまいそうなか細い声で……見た目そのままの愛くるしい幼児の声で、その子が言います。
「ミケお姉さま……?」
私は感涙あふるるままに、その子に飛びつきました。
年下で物静かで大人しい子猫ちゃんっっ!!
実在しましたっっ!!