11 『ペルシャの呪い』
もちろんお稽古は中断しました。
とりあえず、部屋にある座布団をありったけ集めてペルシャちゃんに被せ、私は医務室へダッシュ!
ですが、なんとタイミングの悪いことに無人です。
部屋に入ることはできるのですが、薬の戸棚には鍵が掛かっていて、担当の猫娘でなければ開くことができません。
医務室係りの猫娘はどこ?
私にはさっぱり分かりません。
この時間、大半の猫娘は猫鳴館のお仕事をしています。
それでも、全員が全員ではないはず。
「ふんばれミケ!」
自分で自分を励まし、踵を返しました。
今日は雨。
お散歩に出る猫娘もいないでしょうから、誰かいるとしたら、談話室です。
お休み中の猫娘がいるかもしれない。ある程度、猫娘歴のあるお姉さまなら、医務室係りの居場所も検討がつくでしょう。
さらに望むなら古株のお姉さま! 長年お勤めのお姉さまなら、医務室係りを兼任している可能性が高いのです。
バクバク高鳴る心臓を押さえつけながら、走ります。
急いで走っているから……それもあります。ペルシャちゃんが心配、それもあります。
でもそれ以上に、ひとりで談話室に入るのが怖い。
中から話し声がする時は、決して入らないと決めていました。
だって、私が入ったら気まずい雰囲気にしちゃうから。
二度とするもんかと決めたこと破るのは、初めてのことでした。
誰かいたとして、それが古株のお姉さまだったとして、私は話しかけられることができるでしょうか?
入った途端、言葉が出なくなって、変な目で見られて終わる未来が脳裏を過りました。
怖さが増して、心臓がさらに高鳴ります。
でも、怯えてる場合じゃないでしょう!
火事場の馬鹿力で、弱気を払いのけました。
「すみませんごめんなさい! 手を貸してください!」
蓬色ののれんを両手で開き、談笑中のお姉さまたちに向けて、叫びました。
◇
期待が叶い、医務室兼任の古株のお姉さまがいらっしゃったので、その後はテキパキと進みました。
ペルシャちゃんをお稽古室から医務室に運び、ベッド(足のついた畳式のベッドなところ、さすが猫鳴館だと感心しました)に寝かせて熱を測ったり、着替えさせたり、お薬を飲ませたり、おでこに冷えたタオルを乗せてあげたり。
「疲れが溜まってたんでしょう。寝てれば元気になりますよ」
と、古株お姉さまが言ったのを聞いて、ようやく息をつきました。
「あなたは……ミケ? よね?」
「はい、そうです」
「ビックリした……別の子かと思った」
古株のお姉さまが、頭をポンポンしてくださいます。
「前に見た時より、大きくなったわね」
「いいえ、あの……猫神様やみんなのおかげです」
うやうやしく頭を下げて、引き上げるお姉さまたちを見送りました。
ペルシャちゃんをひとりにはできないので、私は医務室に残ります。ベッドの横に椅子を持ってきて、ちょこんと控えました。
相変わらず、ペルシャちゃんの顔が赤いです。色白なので、なお赤く見えます。呼吸も苦しそう。
お薬も飲んだので、これ以上できることといえば……タオルを交換することくらいでしょうか。桶に水を汲んできて、冷やす準備をしました。
手の甲を軽く当てると、もうぬるくなっていたので、早速取り替えます。
「いいよ、行って」
最初は、誰に言われたのか分かりませんでした。
「ありがとう、私は一人で大丈夫。今のお姉さま、お休みっぽいから、上手く言えば稽古つけてくれると思う。いい機会だから、行って」
パチクリとして、ペルシャちゃんを見下ろします。
「あなたは……ペルシャちゃん? だよね?」
「うん、そう」
「あの、喋り方……」
おでこの濡れタオルに触れて、ペルシャちゃんは自白するように言いました。
「キャラ」
はて、「キャラ」? とは?
つまり、演じていた? わざわざ?
カタコト日本語の外国人キャラを?
「どうして? キャラ?」
「だって、分からなかったから……」
「わからなかった?」
「日本人の女の子ばっかりで、どうすればなかよくできるか、とか……」
ペルシャちゃんは私とは逆方向に瞳を寄せて、ますます顔を赤らめて、はずかしそうに言います。
なんだ。
なぁーんだ。
私といっしょだったんだ。
「…………ぷっ」
笑いを堪えると、ペルシャちゃんがほっぺを膨らして鋭く睨んできました。
でも、今はききません。むしろ、かわいい。
「なに?」
「かわ、かわわ……かわいいなって……どうして今、やめたの?」
「ここまでされて、「アリガトゴザイマース」だと、なんか……後でモヤモヤすると思ったから。ちゃんと言った」
「…………ぷっ」
両手で口を押さえ、身体を丸めてプルプルします。
濡れタオルでペチンと叩かれました。
ききません。無敵です。
「ほんと、雨の日は、キライ……」
ペルシャちゃんが遠くを見るようにして、ぽつりと零します。
深く追求しない方が良い言葉だと、直感しました。
きっとクロのように、最期の日の記憶なのでしょう。
聞き逃したことにして、別の話題を探します。
「ゆっくり休もう? ペルシャちゃん、がんばりすぎだよ」
叩きつけられたタオルを桶に浸け、冷やしてペルシャちゃんのおでこに戻しました。
ペルシャちゃんはしばらく天井を睨んだ後、ひとりで呟くように言います。
「だって、がんばらなきゃ……不安にならない?」
「どうして?」
「何かできなきゃ、必要とされないでしょ?」
「そうなの?」
「必要だと思ってもらうには、何かできなきゃ、ダメなの」
「そんなことないよ」
ペルシャちゃんが自分のことを話してくれて、心に絡まっていた紐が解けていくような感じがしました。
そして、今、私がやるべきことが、はっきりと分かりました。
ペルシャちゃんの手をギュッと握り、逆の手は頬を捕まえて、ちゃんと顔を突き合わせて、目を見て、繰り返し伝えます。
「誰もそんなこと思ってないよ」
緑色に輝くペルシャちゃんの瞳を見て、夏の通り雨の後の緑を思いました。
キラキラと力強く輝いて、とってもキレイ。
「一度にたくさんやろうとしない。物事を上手するコツだって、猫神様が言ってた。だから、急いでたくさんやろうとしちゃダメだよ。ひとつずつ、やっていこ?」
熱いほっぺをふにっとしながら、もう一言付け加えました。
「いっしょだから、だいじょうぶだよ」
「なにが大丈夫なの?」
パンと音が鳴って、両手と頬に鋭い痛みが走りました。
何が起こったのか、理解するのに時間がかかりました。
だって初めてのことだったから。
いつ死ぬともわからない子供に、わざわざ手を上げる大人はいませんでした。
そんなか細い生涯で終わった私を、哀れみの目で見て噂をすることはあれど、敵意を向けてくる猫娘はいませんでした。
両手と頬がジンジン痛くて、目の前には、目尻に涙を溜めて、怒った顔をしたペルシャちゃんがいて、ああ、私は叩かれたのだと、ようやく理解しました。
「ねぇ、ミケちゃんのこと、必要にしてる人って、いる?」