ファーストキスはマヨネーズの味
母親が教育熱心だったことから子供のから塾に通わされていた。そんな母が変わったのは父の浮気が発覚してから。
父は、ただのプログラマーだったけど英語が出来て海外から仕事を受注するフリーランサーで。家で仕事をしなくてもいい、残業だらけの職場にありつけなくてもいい。
所謂デジタルノマドと言うやつ。
そんな父がなぜ堅苦しい性格の母と結婚したかと言うと…。幼馴染だったから。
しょうもない理由で結婚し、結局性格が合わなくて離婚することになったという。
なんでもっと早く離婚しなかったのかって、僕がいたから。多感な中学生に親の離婚は辛い。しかも原因は父にあったものだから、堅苦しい母と暮らすことになって。
ただまあ、母もちょっと世の中そんなに固くないと知ったようで。
市場経済が高度に発達した世界で、グローバル社会。
人に必要とされる技術が一つでもあったら機会なんてどこにでも転がってる。
それを掴むかどうかは本人の気質によるもの。
その事実を父の自由気ままな生活を目の当たりにする生活を十年も続けたら、さすがに昔ならではの、熱心な教育=成功という方程式だけが正解じゃないとわかってきたのだろう。
だったらもうちょっと早いうちに気が付いてほしかった。
いや、気がついてはいたはずなのに見て見ぬふりをしていたのか。
保守的な環境で育った人間は、いくら目の前で自分の価値観を揺らがすようなことが起きようたってそう変わるものじゃない。
しかも母は、地元ではそれなりの名家の生まれだったようで…。
未だに母の実家に行くと面倒な習い事をさせようとして、何一つできない僕を馬鹿にしてくる従兄弟たちとか。
僕だって何もやらなかったわけではない。塾に通うだけだと健康に悪く、年を取ってから運動が出来る喜びを知らずにいるより知った方がいいと言うことで、いくつかスポーツを学んでる。冬にはスキー、夏にはテニス、春と秋は水泳。
体を動かすと頭の中もすっきりする。塾でたまった受験やらのストレスもどっかに飛んでいく。
ただ…、あまり友人が出来てない。塾で友人が出来たかと思ったら別の塾に通うことになって。テニスは個人指導が多く、学びに来る子たちがお嬢様かお坊ちゃまかで、仲良くさせてくれない。水泳は同年代の子がいなかった。若い大学生と混ざって…。
可愛がられるのはいいけど、積極的にこっちからコミュニケーションを取りに行くような性格でもない。
学校ではまじめな優等生と言うより、ただ勉強だけがうまく付き合いの悪い奴と思われてる。塾に行ってからスポーツを学ばされるから。週末はゲームをするか漫画かラノベを読むかで。
とにかく何が言いたいかと言うと、母が教育ママをしていたせいで、中学三年生になるまで友達一人できない生活が続いたということ。
コミュニケーションは良く取ってる。父ともよくあって話してる。だけど同年代の子が何を見て何を聞いて何を考えてるのがわからない。歌なんて父の影響でユーロビートとか…。なんでそっちなんだ。せめて歌詞があれば…。
だからか歌は絶望的に下手。ピアノとかは、習わされたので弾けるけど。
親の離婚が成立した中学三年のころに初めて困ったのである。塾はもう行かない。行ったら確かに学校の勉強を予習復習できるので成績は上がるけど、そんなに重要なのかと。
父からの受け売りだけど、義務教育は本当に義務でやってるもので、そうしているのは大人が死んだら次の世代が馬鹿になるのではないかと言う恐怖のせいで続けている部分が大きいという。
実際に人間は興味が出るか必要だと思ったら、いくら年齢を重ねても自分からそれに打ち込むようになるので、義務教育での勉強は程々で丁度いい、変に気負うこともない。
単純に学校で教える勉強が好きなら別だけど、そうでもないなら、自分が負担に感じないくらいにしなさいと。
成績はそれで少し下がった。前は全教科満点までは行かなくとも、学年十位以内には入っていたのに、40から60を行き来するようになったのである。
先生に何かあったのか聞かれて、親の離婚が子供にストレスを与えたんだろうと勝手に納得されて。あまりいい気分じゃない。
母は離婚しても仕事することなく専業主婦だった。
と言っても家賃収入の出るマンションを持ってて、そこから不動産収入が入ってくるんだよね。この理不尽さよ。母だって特に学生時代に勉強したこと活かしてないのではないかと。
上流階級には行かなくとも、英語で言うupper middle class、上位中産階級には行ってる気はするけど、中身はただの器用貧乏なボッチである。
見た目は…、スポーツで脱いだらまあ、悪くないけど、ただの中肉中背。
暗いところで見たら格好いい、明るいところで見たらあまり印象に残らない感じの顔、と、ある日酔った母に言われた。
「もっと男あさりでもしていればよかったのかな…。子供のころは彼がお兄ちゃんみたいに格好いいって思ってたの。彼がいいって…。」
なんて前置きがあったんだけど。
僕はつまみを作っていた。母は日本酒をちびちびと飲んでて。大人の女性の色香と言うか、そう言うのが漂ってるというか…。実の母なので何とも思わないが、人前に出せるような恰好ではないと思う。
「じゃあもっとつなぎとめる努力とかしてれば良かったじゃん。」
「そんなの…、やり方がわからないんだもの。きっと面白みもない女だとがっかりしたんでしょうね。」
「今も親父のこと格好いいと思ってるんだ。」
「うーん…。少しは…。あんたも父親に似て暗いところでは格好いいよね。明るいところで見てると印象薄いのに。」
「実の母なのにそれでいいのか。」
「実の母だから率直に言ってあげるんじゃない。変に自信つけてどうするの。」
「どうもならない。ただ僕が喜ぶだけ。」
「母親に褒められて嬉しいとか、子供じゃないんだから。」
子供だよ。中学三年の男の子なんて子供だよ。子供なら親に褒められたら嬉しいに決まってるだろうが。
と言う感じで、母は離婚してからの母はダラダラとダメな大人になりつつあった。体がたるんだら恥ずかしいとジムには通ってるけどそれだけ。もう毎日家でゴロゴロ。
家事も僕が殆どやってて。ロボット掃除機のおかげでちょっと助かってはいるんだけど。
まあ、春ごろに告白をされて一か月くらい付き合ったこともあったんだけど…。全然ピンと来ないというか。
試しに付き合って捨てたとか、そう言うのじゃない。彼女とは三年になってから僕が入ったテニス部の部長で…、互いに息が合ってたので、周りからも付き合っちゃいなよ、みたいな空気があったので。
それで勢いに乗って付き合ってみたら、互いが思っていたのと違ったというか。
僕はきりっとしているように見えるらしいけど、結構緩い性格である。
部長の子は、ふんわりとした雰囲気をしてるけど、実は負けず嫌い。
合わなくて当然だったかと。
手をつないだことがあるくらいで、それ以上は全く進んでない。何回かご飯を一緒に食べたりデートもしてたけど。
最初は好きだったのかな。ドキッとする時はあった。
ただ僕は基本的にマイペースで、人付き合いが悪いことを自覚している。
テニス部で誰とも友人と言う関係にすらなってない。ただの知り合い。
思春期の甘酸っぱい初恋だなんてそんなものかと、結局膨れ上がりそうな気持はどこへも行けないのではないかと。
これならゲームをする方が楽じゃないかと。結局夏休み終わりにテニス部をやめてしまった。うちの学校はそんなに強いわけでもなかったので、大会も予選で負けてるし、特に迷惑をかけることもなかった。
とまれこんな状況で友達付き合い…、できるわけないと思ってたけど、秋ごろに転校してきた男の子が結構僕と似た感じの生活をしてるのが発覚(?)して。
スポーツが出来るのにボッチ?陰キャ…ではないか、オタクではあるが。
そんな感じの。全然そうは見えないけど。
僕は漫画とかラノベをたくさん読んではいるけど、あれだ。別に一つの作品に強い思い入れがあるわけではない。
だからキャラのグッズとかを買い集めたりはしないのである。
主にゲームの方に情熱を燃やせる系。
やりこみ勢ってやつ。
一度手にしたらとことんやりこむ。
それでゲームをしながら気に入ったキャラとかのフィギュアはいくつかあるけど、アクションゲームのフィギュアとかただのいかつい筋肉質のイケメンとか、顔までほぼ隠れる鎧姿の美少女フィギュアとかなんだよね…。
萌えとかはあまり気にしない。普通に見るには見るが。
なのに彼はまあ、萌え系が大好きで、美少女物のアニメとか、特に百合が好き。
結構イケメンなのに、美少女物の作品を語る時に目がやばくなってるとか…。
そんなんでいいのか、楠。
それで中学最後の時は、それなりに楽しかった。男二人でクリスマスにゲーム三昧。バカやって、冗談言って笑って。
卒業して、彼と同じ高校に進学。
だがクラスは別々になった。進学校ではあったけど、そこそこの進学校と言うやつで、そんなにバリバリに勉強してます、とかの雰囲気ではない。
高校デビューしたりリア充が増えたり。僕には関係ないな。生活水準が似通った連中が通ってるだけあっていじめとかはなかったが…。ボッチがボッチしてたら誰も話しかけてこない雰囲気。
別にボッチではない。昼休みは楠と食べてるし。彼は…、最初は見た目でモテたようだが、すぐに中身がバレてオタクとしかつるまないという。残念過ぎるだろう。
僕は単純に話題についていけない。流行りの歌とか、芸能人とか、ドラマとか、まるでわからない。
季節は夏に迫ろうとしていた。せっかく高校生にもなったんだから彼女作らないだの聞いてくる母親の質問をのらりくらり交わしながら、年々ひどくなる台風の心配をする。温暖化と気候変動…、大変なんだよな。早く何とかしないと(遠い目)。
突然だけど、うちの学校は平成後半に建てられ、歴史なんて殆どないのと同じの、昔ながら学校ではない。校舎も現代的なつくりをしていて、大学と見まがうほど。
校則も緩く、髪を染めても咎められない、それでか芸能人の子とかも通っている。あまり興味はないが。
僕に言われてもわからんって。学校のアイドルとかじゃなく本物のアイドルとか。ただの職業でしょう。
ギャルみたいな恰好の子も結構多くいる。そんな奔放と言うわけでもないんだろうけど。さすがに不純異性交遊とか、生徒が妊娠しましたとか、その手の話は聞いたことがないので。
それでその日もなぜロシアはNATOをそんなに嫌うのかなどと、なぜ高校生がそんなものを考えているのかわからないものを考えながら下校準備をしていたんだけど。楠は新しくできた美少女ゲームのオタク仲間と何やらやることがあるらしく、僕には構ってもくれない…。
寂しくないんだからな。
ちょっと遅くなったのは日直だったから。
どっからか泣き声が聞こえて、最初は気のせいかなと思ったんだけど。立ち上がって教室を出たらその声は少し大きく聞こえて。
声が聞こえたのは隣の教室から。興味本位で覗いてみると、ギャルみたいな恰好の女の子…、と言うか多分本当にギャルなんだろうけど、隣の教室なだけあって、結構頻繁に目撃する女の子が机に突っ伏して泣いていたのである。
いじめがあるなんて話は聞いてない。多分何か個人的な事情によるものだろう。じゃあ気にしないまま通り過ぎるか。今更見なかったことには出来ないが…。
少し迷ってから教室の扉を開けて聞いてみることにした。
「どこか具合でも悪いんですか?保健室で薬貰ってきましょうか。」
「あ、うん?いや…、何でもない…。放っておいてくれると助かるんだけど…。」
女の子は顔を上げてこっちを見る。
明るい茶髪のセミロングで、いつもおしゃれな雰囲気のする、色白で手足の長い明るい子。大きな目と通った鼻筋で、まあ…、美人なんだよな…。
「そう言われても…。」
何か事件にでもなったら…。漫画の見すぎかもしれないけど、人の心にどのような闇が潜んでいるかはわからないものだ。僕だって親の離婚が決まった時点は色々荒れてて、父カードをこっそり使いサンドバッグを買って殴りまくったことがある。
それで指まで骨折して…、まさに僕にとっての黒歴史。
「じゃあ、慰めてくれるの?清水君…、だよね。」
「はい、清水です。ファミレスぐらいは付き合いますよ。」
どうせやることもないんだよな、家に戻ってもゲームするだけで。つい先日まで雨が激しかったのでテニスも出来ないし。
下心がないと嘘になるけど…。ギャルって、あまり僕みたいな人種とは関わらない気がするので、希望を抱いたりはしない。
性的なことに興味があるけど、別に羽目を外す大学からでもいいんじゃないかと、言うのは親父に色々聞かれたことで。同じ大学に通っている子を口説くのは、そんなにハードルが高くないと。
だって同じ大学へ来たってことは、将来の生活レベルが似通った場合が想定しやすいから。互いにリスクが少ないと知ってるので、積極的にになったらそれだけでいいと。
そんな親父は小学校のころからの付き合いで、四歳年下の母と結婚してたんだよなぁ…。
「汐崎ゆりか。知らないと思って…。それと敬語はいらないから。それともそういうポリシー?」
ポケットから汐崎さんにハンカチを渡す。
いつも持ち歩いているようにしている。何だかんだで便利なので。まさか女の子の涙を拭くために使われるなんて思っても見なかったんだけど。
「いや、別にそんなことはない。汐崎さんでいいのかな。」
「名前でもいいんだけど…、まあいっか。」
汐崎さんは僕の手からそれを受けとり、涙を拭いてから自分のポケットに入れた。
「洗って返すから。」
反論を許せない空気だったので引き下がる。ギャルの迫力…、近くで接すると少し怖い。やっぱりどこかの時点で慣れておけばよかったかな…。
「ファミレスもいいけどカラオケ行かない?パット歌いたいんだよね。」
「僕は歌わないけど、それでも良ければ。」
「なんで歌わないの?」
「下手なので。」
「ええ、いいじゃん。歌おうよ。」
酔っ払いか。まあ、思春期だもんな。僕も感情が不安定になる時とか多いから、何とも言えない。そういう時はスポーツで発散するかゲームで発散するかしてるけど。
汐崎さんはそれがカラオケと。
と言うか初対面でそれでいいのか。いや、顔くらいは知ってるけど。
「と言うか僕でいいのか。彼氏さんとかに見られたら…。」
「ああ…、実はね、その彼氏候補と思ってた人に振られたんだよね…。」
ええ…、それで放課後の教室で泣いてたのか。なんてべたな…。
「友達いないのか。男なんて皆狼だからな。」
そう言ったら笑われる。ぷははとそれはもう盛大に。
「何言ってるの。清水君って、ボッチなんでしょう?有名だよ?割と格好良くて運動も出来るのにボッチ。それはもう孤高の狼…。だから狼になるの?それに一人称僕とか以外過ぎるし。」
「仕方ないだろう、母が子供のころから俺なんて言うのは不良だって、意味不明なことを言って洗脳されたんだよ。」
汐崎さんはそれで爆笑した。
「あははは…、本当、印象と違う…。ああ、笑った笑った。ありがとう。」
「どういたしまして…。」
「じゃあえっと…、ウィンドウショッピングに突き合わせるのはちょっとあれだし…。やっぱカラオケがいいんだけど。あたしがおごるからさ。清水君のおかげで助かったし。」
「ああ、行けばいいんだろう、行けば…。」
それでカラオケに行くことになった。
飲み物を注文し、座って大人しく待つ。別に美少女と密室で二人きりだから緊張しているわけではない。ないったらない。
「あたしモデルの仕事してるんだけどさ。」
知らなかった。
「汐崎さん綺麗だもんな。」
「ありがとう、それで、事務所の先輩に惚れちゃって。新人のころから優しくされてさ。あたしのこと好きでこんな優しくしてるのかなって勘違いしちゃうじゃん?いけるって思うじゃん?そういう繊細な乙女心、わかるかな?」
どう答えればいいんだ。わかるわけないだろう、この野郎、みたいな…。
「彼女できたことないのでわからないかな…。」
「女の兄弟とかいないの?」
「いない。一人っ子。」
「そう、じゃあ将来の参考にでも聞いてて。」
マイペースだな…。
「おう…。」
「それでね、あたし以外にも親切にしてる子がいるなら、あたしだって勘違いしないで済んだかもしれないけど、あたしが一番最後に入ってて、あたしの後も幾人か入ってたんだけど、皆男の子で。事務所の皆とは仲良くしてるんだけど、なんか同い年の子とか、男の子だと皆自分のことでいっぱいいっぱいな感じ?」
汐崎さんはウーロン茶をゴクゴク飲んでから続ける。絵面だけ見るとお酒飲んでるみたいな気がしなくもない。
「それでさ、先輩に彼女いますかって、聞いたこと何回もあったの。さりげなくボディータッチとかしても、別に嫌がることしなくて。これは脈ありって、思ったらさ…。」
「好きな人がいたとか?」
「ゲイだって。女の子はそういう目で見れないんだって。」
なんて斜め上な展開…。
「告白のセリフとかちゃんと考えて、練習して…、勝負下着まで決めてたあたしがバカみたいでしょう?好きだったのに…。」
あ、また泣いて…。
隣に座っていたので、軽く肩を叩いて慰めようとしたら抱き着かれた。
これはちょっと、自分でも感じたことのない感覚に戸惑う。いい匂いするし…。
僕は母が父の浮気が発覚して泣いていたことを思い出して、軽く抱きしめてからぽんぽんと背中を叩いた。
ちょっとクラクラするけど我慢…。同年代の女の子と、それも美少女と…。
楠の奴が知ったら発狂するんじゃなかろうか。いや、二次元しか興味ないからそうでもないのか。知らんけど。
「こういう時同性の友達の方がいいんじゃないか。」
「ああ…、それはね…。実は…。」
実は?
「清水君も前々からいいって思ってたんだよね…。」
「は?」
実はビッチでした、的な?
「いや、今のなし。今のなしだから…!忘れて?ね?」
汐崎さんは何事もなかったかのように離れて、慣れた手つきで歌の番号を入力する。
忘れられるか、なんて聞けたらよかったんだけど。
結局その日は汐崎さんが歌うのを聞いて、僕にも歌いさせたら僕がそこそこ音痴なのが発覚して、それでもせっかくだからと歌いきったら汐崎さんは笑い転げて…。
それで駅前で別れて家に戻って。
軽く抱きしめた時の生々しい感触が頭の中からずっと離れられなかった。眠れない。
それから一週間ほど、何もなかった。いつもの日々だけど、悶々とする。
もしかして揶揄ってるのか。そんな風には思えないが。と言うか揶揄うにしても状況が凝ってるだろう、ウソ泣きまでしてそんなことをするなんてありか。
それともあれか。ただ弱っていただけで、僕のことはどうとも思わないのか。
そう思ってたら丁度一週間後の昼休みのころ、汐崎さんに呼ばれた。
皆見てる、めっちゃ見てる。だけどまあ、そんな漫画じゃないんだから、敵意とか妬みとかじゃなく、ただの興味本位で見られてるというか。
それで呼ばれてついて行った先は、ただの学校の裏庭だった。生徒たちがちらほら見えるけど、あまりいない。校舎から少し遠いんだよね、食堂と購買は裏庭とは反対側なので。
「実はさ、こんなの作ってみたんだけど。」
こんなのとは、と思って待ってたら、お弁当箱が、僕が渡したというか、まだ戻してくれないハンカチに包まれていた。
予備のハンカチを使ってたので特に不便ということはなかったんだけど。
「お弁当?」
「邪魔だった?彼女いるとか?それとも…、楠君と出来てるとか…。」
「違う。僕は別にゲイじゃない。偏見はないけど、僕がゲイじゃないというだけで…。彼女もいない。」
「じゃあ、えっと、いいんだよね?」
「まあ…、食堂に行く予定だったから、もらえるなら貰うけど。」
「よかった…。うん、あげるから。食べてみて。」
なんか卑猥な響きに聞こえなくもないけど。
並んで座って、弁当箱を開ける。
「汐崎さんの分は?」
「あたしはちょっと今はダイエット中かなぁ…。」
「モデルの仕事で?成長期にそんなことしたら大変なことになるよ。食べたから運動した方がいいって。ランニングとかなら僕が付き合うから。」
「ええ…、いいの?」
「パン、買ってくるから待ってて。」
「一緒に行ってもいいんだけど…。」
上目遣いで見られる。なんだこの可愛い生き物は…。
「いや、お弁当持って走るのもな。」
「まあ、そうだよね…。うん、待ってる。」
「食べたいパンはある?」
「レタス卵サンドイッチ。」
「わかった。」
走って買って、戻る。汐崎さんはニヤニヤしていた。
「何か嬉しいことでもあった?」
僕が聞くと。
「え、いや…、ええっと…。」
恥ずかしそうにしてる。だからなんだこの可愛い生き物は…。
「ほれ。」
ウーロン茶とサンドイッチを渡す。
「いくらだった?」
キャラクターものの可愛い財布を取り出して百円玉を数えながら聞いてくる汐崎さん。
「いいって、お弁当作ってくれたんだろう。」
「うん…。あまり自信はないけど…。」
「母親に助けてもらったんじゃないのか。」
「ああ、うちは父の方が専業主夫してるんだ。」
なるほど。
「じゃあお父さんの味と言うことか。」
「ほぼあたしが作ってるから。材料の用意だけパパにしてもらったの。」
言ってから顔を赤くする汐崎さん。パパって言ったの恥ずかしかったのかな。
「ニヤニヤするなし。」
ニヤニヤしてたのか。
おかずは定番の唐揚げとたこさんウィンナーと卵焼きにサラダ。
まあ、これくらい僕も出来るし、そう難しくもないよな。
「いただきます。」
お箸をもって手を合わせ、一口。
普通に美味しい。僕がやるのと大差ない気がする。
「どう?」
汐崎さんは少し不安げに見てくるので。
「美味しい。」
親指を立てて答えた。
「実は少し失敗しちゃってさ、もっと早く渡す予定だったんだけど。一週間もかかっちゃって…。」
「いいって。と言うか、ハンカチとカラオケに付き合ったお礼にしては豪華すぎる気もするんだけど。」
「ああ…、まあ…。」
なんかもじもじしてる。
ゆっくり味わって噛んで食べてると、汐崎さんもサンドイッチの袋を開けて食べ始める。
無言で食べ続ける。隣に好きな女の子が座ってるだけで普段より数段美味し…、好きな女の子…。
いや…、まあ…。僕は実はちょろいのか…。それとも美少女だからか…。理由なんてわからない。ただ気持ちがふわふわする。汐崎さんともっと一緒にいたい、もっとたくさんのことを一緒に経験したい、繋がっていたい…。
汐崎さんも同じことを考えているのかな。ちらっと横を見ると目が合って、そらされる。赤くなってる。僕も自分の顔を見なくてもわかる。赤くなってるだろう。
「汐崎さんは学校卒業したらどうするか決めてたりするの?」
「進学かな…、進学校だし…。そういう清水君は?」
「僕も進学。」
「どこ行くの?」
「近くの国立狙ってる。」
「あそこね…。あたし行けるかな。」
「勉強、自信ないなら見てやるから。」
「じゃあ、考えてみよっかな…。」
まあ、うん。
「ごちそうさまでした。」
手を合わせると。
「うん…、美味しかったならよかった…。」
弁当箱を横に置き、汐崎さんと向かい合う。
「ああ、美味しかったよ。それでさ、ちょっと早いかも知れないけど…。つい先週話したばかりで、僕がちょろいだけと言われたらそうかもだけど。」
「な、なにかな…?」
「汐崎さんのこと、好きになった。僕と付き合ってくれると嬉しい。」
「う、うん…、あたしも実は…。えっと…。」
もうこれ以上何も言わなくていいと、彼女を抱きしめる。
初めてのキスは、甘酸っぱくて、ほんのりマヨネーズの味がした。
それからは、デートを重ねて、夏休み中は、まあ、色々…。
彼女を作るのって、別に大学まで待ってなくてもよかったと思う。
親父にもそう言ったら。
「それは、お前が運がよかっただけ。普通はそうならないから。十代のころなんて自分以外の他人の感情なんてわからないから傷つけあうだけなんだよな…。」
「それは親父の世代での話じゃないかな。」
「今は違うってか。じゃあ俺も自殺して生まれ変わったらお前みたいな恋愛が…。」
「やめろ、あほ過ぎるだろう…。」
「そうなんだよな。俺次は女の子に生まれるって決めてるから、そんなうまくいったら十代に子供産むことになってきっと大変なんだろうな…。」
今のはちょっとツボった。
「あほ過ぎる…。」
「じゃあお前は男がいいのか。入れて出したら終わりだろう。女の子は何回も行けるんだぞ。」
爆笑してしまった。親父には勝てる気がしない…。
それにしても、贅沢な悩みかも知れないが、彼女はキスが大好きでちょっと困ってる。
学校ではさすがにできるだけ人目が付かない場所じゃないとしないように心掛けているけど、学校から一歩でも出たらもう…。
可愛いからいいんだけど。
「もっとキスして?」
そう強請られるとどうしようもできない。
「こんなんでいいのか。」
「いいんじゃない?まだ若いんだからさ。暖かいし…。」
「そうなのか…。」
「うん、こうしていても何も失うことなんてないでしょう?」
「誰かに見られないならな。」
裸で抱き合ってるとか、学校にバレたら停学になるって。
「全く、可愛いんだから。」
可愛いって…。
まあ、こんなのって、どこにでもあるような、ありふれたことなのかもしれないけど。
それは僕にとっては特別な瞬間で、失いたくないと思ったのである。
彼女も、彼女とのいられる時間も。