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プレゼント彼女との同棲生活が楽しすぎて、毎日が幸せです。

作者: ゆずあめ

「続編キボンヌ」の声を頂き、前回の5倍のボリュームで仕上げました。糖度も5倍です。



 クリスマス、サンタさんに『プレゼントに彼女が欲しい』と言ったところ、クラスメイトであり、お隣さんでもある『佐倉 雪』さんが贈られて来ました。


 そして、俺こと『雨音(あまね) 夏樹』は雪を受け取り、生涯にわたって大切にすることを誓ったのでした。



 ここまでがクリスマスの話だ。

 時は進み、今日はは夏休み前日の終業式。

 友達より先に彼女が出来た俺は、この夏休みは雪と過ごすことが確定した。



「夏樹君、明日から夏休みですね。どこか遊びに行きましょう。プールとかどうですか?」


「お〜、学生カップルらしいじゃん。じゃあ明日、水着買いに行ってから何処のプールに行くか決めよう」


「はい! 初日からデートですね......えへへ」



 教室の隅の席で帰る用意をしながら、雪と話す。

 休みが始まって早々のデートに、家でしか見せない笑顔を教室で零した雪。


 普段はぼっちと思われている雪が俺と話しているだけでも珍しいのに、更には笑顔を見せたことによって周囲がザワつき始めた。



「帰ろう。家でダラダラしたい」


「はい。今日の晩ご飯のおかずも買って帰りましょう」


「そうだな......って」



 気付いた時にはもう遅い。

 クラスメイトが注目する中で『晩ご飯のおかずを買って帰りましょう』という雪の発言のせいで、一瞬にして場の空気が凍った。


 今まで2人とも友達が居ない故に隠せていた関係が、夏休み前という学生の癒しのせいでバレてしまった。

 夏だと言うのに異様に寒く感じる空気。

 目の前の雪は顔を真っ赤にし、否定する気すら失わせてくる。


 これは......クラス的にマズイのでは!?



「楽しみすぎて浮かれちゃったか?」


「うぅ......はい」


「そっか。とにかく帰ろう。昼もまだだし、予定も立てないといけないしな」



 別に付き合う前からお互いに一人ぼっちだったし、特段浮いたとしても問題ではないな。

 強いて言えば友達になれそうな人が0になっただけで、0に何を掛けても0なように、変わることは無い。


 冷や汗が止まらない状態で雪の手を取った俺は、重い足取りで教室を出て正面玄関に出た。


 俺はゆっくりと靴を履き替えて下駄箱に上履きを戻すと、雪が深く頭を下げた。



「ごめんなさい、夏樹君。私のせいで......」


「気にしなくていいよ。クラス内には同棲までしてる人は居ないと思うけど、付き合ってる人は普通に居るからな。差程変わらん」


「でも、同棲は結婚の前準備みたいなものですし!」


「だから? それで俺と雪の関係に茶々を入れる奴は馬鹿だと思うし、そもそも友達も居ない俺達に時間を割く何て馬鹿な奴は居ないだろ」


「まぁ......そう言われれば言い返せませんが」


「校則に反してる訳でもないんだ。寧ろ堂々と胸を張るのが良いんじゃないかと、私夏樹は思いますがね」



 意外だとか珍しいとは言われるかもしれんが、それだけで済むなら高校生活に支障をきたすことは無いだろう。

 それに何か言われたとしても、雪を大切にすると誓った俺からすれば、彼女を守る為にあの手この手を尽くすつもりだ。


 こう言っちゃあ何だが、頂き物だからな。

 大切にしないとバチが当たるってもんだ。



「それにしてもプールかぁ......最後に行ったの小5の夏休みだな」


「6年ぶり、ですか?」


「うん。当時仲の良かった友達と行ったのが最後だな。小6でその子が転校してから、友達と遊びに行くこと自体無くなったよ」



 別に何でもない、親の転勤という都合で俺の友達は街を去った。

 ただそれだけの理由だが、俺にとってはかけがえのない友達が離れたことにより、誰かと遊ぶ機会自体が無くなったんだ。


 でも、今はどうだ?


 クリスマスに急に出来た彼女と同棲生活が始まり、孤独だと思われた高校生活に、爆発的な変化が与えられた。

 友達以上家族未満の親しさで接することが出来る相手が居る。この環境に感謝し、沢山遊ぶのが今の俺がやるべき事なんじゃないだろうか。


 知らんけど。



「......えっと、夏樹君は泳げますか?」


「俺? 泳げるよ。中学は水泳部だった」


「そうなんですか!? 私は家庭科部だったので、運動はからっきしで......」


「じゃあ教えてあげるよ。俺でよければ」



 本音を言えば、教えたい。

 でも小さな気恥しさからか、紛れ込んだ卵の殻のような不純物が言葉を濁す。


 言って欲しい。『是非』と。

 そして答えたい。『こちらこそ』と。



「是非、お願いします。夏樹君」


「こ、こちらこそ。雪」



 頭を掻きながら答えた俺は、ソワソワした気分のまま、今日という1日を終えるのだった。




◇ ◇ ◇




 そして翌日──



「くん......夏樹君。夏樹君、起きてください」


「......あと5時間」


「どれだけ寝るつもりですか! もう!」



 折角の夏休みなのでぐっすり寝ていた。

 蝉が爆音のファンファーレを奏でる7月の下旬だと言うのに、朝から活動を開始するなんて勿体ない。


 雪が俺の体を強く揺さぶるが、今の俺には揺りかごに揺られている気分だ。



「夏樹君? 休みだからと言って、生活リズムを崩すのは体調不良の原因にもなります。私は夏樹君が苦しむ姿を見たくありません。どうか起きてください」



 瞼を少し開けてみると、健気な表情で訴えかける雪が目に入った。

 流石の俺も好きな人にここまで言われれば、起きない訳にはいかない。



「そこまで言われたら......まぁ」


「着替えはこちらです。さぁ、早く早く!」


「へ〜い」



 何だこのテンションは。

 遊園地に遊びに行く日の子どもかよ。

 そうツッコミを入れたくなるが、テカテカと輝く雪顔を見れば、そんな無粋な台詞は口に出なかった。


 そうして雪の持ってきてくれた服に着替えた俺は、これまた用意周到に作ってくれた朝食を頂いた。


 キラキラとした瞳で急かす雪は、本当に愛らしい。

 あどけなさの残る仕草と丁寧な敬語のギャップに萌えるが、今はどことなく可憐な少女の割合が高い。



「さて、雪よ。ポニーテールとはまた萌え殺しか?」


「はい。うなじにエロスを感じるん......でしたよね?」



 家を出る前、雪の髪型に気付いて口に出すと、俺の前でクルっと半回転してから艶のある黒い尻尾髪を上げて見せた。

 白のワンピースがふわりと舞い、パンツが見え──


 ない。


 更に、ふわふわと香る優しい甘い香りに鼻腔を擽られ、反射的に目を逸らしそうになる。



「どうですか?」


「か、可愛い......です」


「うふふっ! 目で追っちゃいます?」


「体全体で追っちゃうよ。凄く魅力的だ」



 背中を向けているのをいいことに、雪の全身をを包むようにして抱きしめた。

 最初はビクッと反応した雪だが、胸の前に持っていった俺の手に優しく触れた。


 言葉を交わすことなく右手に頬擦りをする雪。

 ひんやりとした柔肌を撫ぜる感触が心地良い。



「大好きです、夏樹君。ずっと前から」


「そう言ってくれる雪が好きだよ。これからも」



 惹かれ合うように顔が近付く俺と雪。

 たった数秒しか見つめ合っていないのに、もう数分は経ったような感覚だ。

 息がかかるような距離で、雪はそっと目を瞑った。



「んっ......」



 触れ合うようなキスをした。ファーストキスだ。

 ムードも何も無い状況だが、逆にその方がギャップが生まれるというもの。



「えへへ、初めてのキス......ですね」


「はは、意識すると緊張するな。顔熱っ」



 自分でも分かるほどに顔に熱が集まっていく。

 雪も同じように頬が上気しており、色気がある。

 まだ朝だというのに、イケナイ空気感だ。

 これがもし、夜なら──なんて。



「行こうか。何気にちゃんとしたデートは初めてだし」


「た、確かに。私たち、初詣ぐらいしか一緒に遊んでませんね」


「雪に似合う可愛い水着、選ぼうな」


「はい! 夏樹君の水着も、ですよ!」



 可愛く付け足す雪の頭を撫で、手を繋ぐ。

 玄関のドアを開けて1歩を踏み出した瞬間、俺達は初めてちゃんとした恋人らしいことをしていると自覚した。


 夏の蒸れた空気が妙に清々しい。

 蝉の奏でるレクイエムが厭に静かだ。

 陽炎も大人しく見えるし、気分はまるで春だ。



「楽しいな! なんと言うか、心が踊るよ!」


「私もです! これが幸せ......なんでしょうか」


「多分な! これからもっと幸せにしてやるからな!」



 舞い上がった気持ちで言葉を紡いだが、次の瞬間にはその言葉の意味を自分で再認識してしまった。



「な、夏樹君? そそそれはつままり......」


「待て、落ち着くんだ。今のはそう、言葉の綾だ」



 慌てて額に手を当てて弁明した。

 すると雪は、これまでに見たことが無いほどの暗い表情でこう言った。



「では......その気ではないと......」


「それもまた違ーーーう!!!」



 落ち着いて状況を整理した俺は、パッチリと目を合わせた。

 キスしそうな程に顔を近付け、震える唇を動かして撤回する。



「ちゃんと時間をかけて手順を踏んで、一緒に幸せになれると判断したら結婚しよう」


「ひゃ、ひゃい!」



 このテンパリよう......もしや雪さん、最後の部分しか聞いてないな?



「ゆ、雪?」


「不束者ですが、宜しくお願い致します」


「俺まだプロポーズしてな......はぁ」



 まぁいいや。多分これからするだろうし。

 今の『好き』が『愛』に変わるのは時間の問題だし、今はじっくり煮詰めるように気持ちを育む時間だ。


 前に本で読んだことがある。

『交際とは結婚の準備期間・及び最終チェックである』

 と。



「まずはちゃんと恋人すること。それと俺に大切にされること。今はこれから始めよう」


「もちろんです! まずは、ですね!」



 先程よりキラキラとした眼差しに変わった雪さん。

 結婚に強い憧れでもあるのか、やや興奮気味だ。

 俺はしっかりと雪の手を握り、初デートの地であるデパートへと歩いた。




「夏樹君夏樹君、ちょっといいですか?」


「はいはい雪さん。どうされたかな?」


「あそこに見えるの......クラスメイトじゃないですか?」


「ん〜〜〜?」



 久しぶりに外食をした俺達は、メインミッションの水着を探しに行く途中に、雪がちょいちょいと袖を掴んできた。

 指をさす方向に視線を向ければ、確かに高校生くらいの女子が数人で固まっている所を目撃した。



「......誰だ? 山田?」


「うちのクラスに山田は居ませんよ......」



 適当なことを言ったら衝撃の事実で返された。

 そっか......山田、居なかったんだな......



「放置でいいだろ。それよりも雪の水着が優先だ」


「えへへ、見られちゃうかも、ですね」


「寧ろ見せつけて行け」



 男らしく雪の手を取って先導した俺は、高校生の集団なぞ気にせず服屋へと足を動かしたのだった。





 そして夕方になると、晩ご飯のおかずを購入し、何事も無く家に帰った。


 雪は『サプライズとしてどの水着かは教えません!』と言って、肝心な試着シーンを見せてくれなかったので、対抗する形で俺も試着姿は見せなかった。


 ただ、候補に上がっていた白のレースが施されたビキニ......あれだったら一瞬で悩殺される未来が見えるぞ。


 水着を軽く服の上から当てるだけでも分かったんだ。


 雪さん、本当に良いスタイルをお持ちなんだと......



「にしてもプールかぁ......人、多いんだろうな」



 入浴中の俺は明日の行き先である市民プールの状態をイメージしながら、肩の先までどっぷりと浸かった。

 雪のスタイルなら、ナンパされるかもしれない。

 俺が弱々しいと、俺にヘイトが向くかもしれない。

 雪の美貌を独り占めしたい......などなど、挙げればキリがない思考にお熱だった。


 のぼせる前に上がった俺は、寝巻きに着替えて雪の待つベッドへと向かう。


 部屋の明かりは豆電球で薄暗い。

 風呂で失った水分を補給してからベッドの前に立つと、パッチリとした大きな目が2つ光った。



「早くおいで、夏樹君」


「う、うん」



 何故か今になって緊張してきた。

 これまでに何度も同じベッドで寝ているというのに、初デートの後のせいか、初々しいカップルのような緊張感がある。


 ぎこちない所作で布団に入ると、正面から雪が抱きついた。



「ど、どうした?」


「......絶対に離しません。もう、独りは怖いです」



 自信のある笑みを浮かべ、雪は頬を俺の胸の辺りに擦り付けた。

 柔らかくもあり、少しひんやりとした感覚がとても心地良く思考を蕩かせたが、それと同時に雪が独りの寒さにはもう耐えられないと言っているのだと理解した。


 この冷たさは孤独。

 この柔らかさは心。

 吐く言葉は蓮華のように心が安らぐ。


 彼女に向けられた視線は、いつも冷たかった。


 優れた容姿を僻むように、捻れた意思の黒い視線。

 努力で取った学年1位の学力を利用してノートを借りる、浅ましい藍色の視線。

 しまいには、あることないこと言いふらされ、それが嘘だと気付かない者による虚言者と非難する赤黒い視線。


 周囲の環境を憎まずには居られないはずのに、雪はずっと独りで耐えてきた。

 決して他人のせいにはせず。

 決して環境のせいにはせず。

 洗練された職人の思考のように、常に己と戦い続けた。


 そんな中で耳に入ったのが、クリスマスイヴの夜だ。


 一人寂しい思いをしていた俺の放った、サンタへの願い。『プレゼントは可愛い彼女が欲しい』という、俗に塗れた汚い願い。


 本来なら空中で散り散りになるこの願いを、雪は叶えてくれたのだ。

 ミニスカートのサンタのコスプレをして、従兄弟に頼んで宅配便を装って俺の元に来た。


 どうして俺の元に来たのか、それは以前にも言っていたが、今でも心配だ。


 本当に俺が彼女の相手が務まるだろうか。

 本当に彼女を幸せに出来るだろうか。

 本当に俺は、雪が──



「大好きだよ」



 口に出ていた。

 こんな俺を好きになってくれた雪が堪らなく愛おしくて、時々見せるドジな姿が微笑ましくて、昔とは違う成長した彼女の変化に気付けることが、本当に幸せだと知ったんだ。



「夏樹君......」



 抱きしめる手に力が入る。

 もう、絶対に独りにしないと。

 奪われた青春を、俺と一緒に塗り替えようと。

 2人で一緒に、幸せになろう。


 様々な想いを込めるうちに、どんどん雪が好きになる。


 気が付けば暗がりの中でキスをしていた。

 マーキングのような、お互いがお互いの大切な人であることを示すように。


 サラサラと流れる雪の髪から抱きしめ、唇を重ねる。


 そしてたっぷりとお互いの認識を擦り合わせると、雪の寝巻きが段々とはだけてきた。



「夏樹君......私......!」



 いい......のだろうか。このまま身を任せても。

 俺は雪を、傷つけてしまうんじゃないだろうか。

 これは......『愛』を確かめ合う行為なんだろう?

 まだ『好き』だと認識してる俺には、挑む権利すら無い想いのダンジョンだ。


 ボーッと思考を巡らせると、雪の唇が脳を溶かす。

 徐に入れられたそれは、俺の理性を破壊するように雪の唾液で塗り替えられていく。


 心の奥底ではダメだと分かっていても、目の前に居る自分が抵抗の意思を全く見せない。

 次第にお互いが分からなくなるほどに混ぜ合わさった頃には、雪はもう裸と言える状態だった。



「な、夏樹君......お願い、します」


「雪......」



 最後の確認だ。これを承認してしまえば、俺達は大人の階段を3段飛ばしで進むことになる。

 責任という大きな荷物を抱えた状態で3段飛ばしなんて、ひ弱な俺では転落してしまうだろう。



「......ダメだ」



 怖い。雪に同じ人生を歩ませてあげることが。

 怖い。一時の感情に身を任せることの愚かさが。

 怖い。雪を......傷つけることが。



「夏......樹......君?」


「雪、ダメだ。俺は雪の人生を確約出来る男じゃない。この先の責任から......逃れたい卑怯な男なんだ」



 拒絶するように、俺は手のひらを出した。

 恨まれたっていい。自分の身も守るのは自分であり、大切な人の身を守るのも俺だと嬉しい。


 でも、その結果がこれなんだよ。

 雪の未来の為に、今の俺は拒絶する。

 雪に明るい生活を送って欲しいが為に、雪の想いを全て遮る。


 卑怯と言われたっていい。そんなの覚悟の上だ。

 でも、間違ってるとは言わないで欲しい。

 これで間違っていたら、俺......



「んむっ!?」



 ガバッと起き上がった雪は、俺に馬乗りになって唇を奪う。

 細い腕からは想像も出来ないほど強い力で、俺は為す術なく雪の餌食になる。



「夏樹君は優しすぎます。もっと自分勝手に生きるのが、人間という生物の中の、高校生という人種でしょう?」


「もう十分自分勝手に生きてきた。これからは雪の為に生きたいんだ」


「......だめ、です」


「どうして?」



 震えた声で言葉を漏らす雪。

 それは何か、期待を裏切って欲しそうな目で。



「私は、夏樹君に傷つけて欲しい。君の元に来た時から、私は君の物になった。だからいっぱい、私は傷つけると......そう......信じていたのに......!」



 欲望と絶望の混じった言葉だ。

 大切にして欲しいのに傷つけられたい。

 そんな、矛盾を抱えた真っ黒な言葉。



「雪? 聞いてくれ。大切にするということは、傷つけないことじゃないんだ。人間は、幾ら大切にしていても、些細なことで傷がつく。優しい人と言うのは、雪を絶対に傷つけない人のことを言うんだよ」


「......それが──」


「俺は雪を傷つけないんじゃない。雪に傷がついたら、一生懸命に治して、また一緒に過ごす人なんだ。何度も傷がついても、俺は何度だってその傷を癒す。それが俺の抱く、『大切にする』という言葉の在り方なんだ」


「っ......!」



 俺は優しい人間ではない。時に人を傷つけるから。

 でも俺は、人を大切にする人間だと思っている。

 傷がついた物を補修し、前と同じ姿にならなくてもいいから修理し、共に過ごす。


 あの日、隠れんぼで虐められて傷ついた雪を、俺は癒してあげたい。そして、その先も一緒に居たい。



「君に傷をつけよう。まずはその敬語を外さないか?」


「え......?」


「敬語じゃない雪は、嘘偽りのない本心で語っているんだ。言葉遣いなんか、俺相手に気にすることじゃない。雪のありのままの姿を俺は見たい」



 傷というには優しすぎることだろう。

 でもそれでいいんだ。

 雪は俺の......大切な人であると示したいのだから。



「......同級生と距離をとるための敬語なんです」


「うん。それで?」


「夏樹君相手に敬語を外したら......私の中で、何か大きなラインを越えるような気がして、怖いんです」



 震えた声だ。

 きっと、怯えているのだろう。

 自分という存在を大きく見せるようで、その先にある未来を押し潰してしまうようで......怖いのだろう。

 だけど俺のやることは変わらない。

 雪の傷を癒し、同じ時間を過ごすこと。


 雪の幸せはきっと、そのラインの向こう側にある。



「いいよ。どんなに飛び越えても受け止めるからさ」


「でも......」



 強情な子だな。もっと自分に優しくしてくれ。

 雪の頭を撫でると、彼女の震えが治まった。

 すると潤んだ瞳を俺に向け、唇を動かした。



「本当に......受け止めてくれる? 夏樹君は私を......変わらずに好きで居てくれる?」


「もちろん。俺は雪という存在を好きになったんだ。例え敬語だろうと敬語じゃなかろうと、雪が雪で在り続ける限り、俺は雪のことが好きだよ」



 ハッキリと言い切った。

 今思えば、これが愛なんじゃないかな。

 目の前の姿が好きなんじゃなくて、隣に居る存在を守りたいと思えることが。



「うぅ......ぅぅぅぅ!!!」



 泣きじゃくる雪を抱きしめた。

 明日はプールに遊びに行くっていうのに、俺は雪に溺れんばかりに抱きしめた。


 ただ彼女を受け止めたくて。

 ただ彼女を癒してあげたくて。

 俺に出来ることが、抱きしめるくらいだった。



「すぅ......すぅ......」



 気が付けば雪は寝息を立てていた。

 泣き疲れたようなタイミングだが、その表情はとても穏やかだ。


 もう夜も遅いのに、泣かせてしまって申し訳ない。

 不安でいっぱいだっただろう。

 自分の意思で変化を起こすことは、並々ならぬ覚悟を強いられる。


 それを無意識で出来る者が増える世の中だが、雪は出来な......違う。出来ないんじゃない。違う方法だっただけだ。


 近くに頼れる人が居れば、雪は変われる。

 自らを変化させようとしてくれる、発破剤があれば。

 それが多分、俺だった......いや、俺がなったんだ。


 良い変化になるかは分からない。

 でも、どんな雪でも受け止めるのが俺の役目だ。

 それが『大切な人』の仕事だから。


 それが──



「愛し合う人の在り方、だから」



 布団を掛け直し、雪の頭を撫でる。

 温かい彼女の体に触れていると、自然と深い眠りに入った。




◇ ◇ ◇




 朝になると、俺は雪より早く目が覚めた。

 反転した時計を見るに、今は6時半のようだ。



「......寝る前より近い」



 寝相で動いたのか、雪の顔がすぐ目の前にある。

 穏やかに寝息を立てる雪が堪らなく愛おしくて、ついつい頬を触ってしまいそうになる。


 さて、どうしたものか。

 

 普段は雪に朝ご飯を作ってもらっている事だし、今日くらいは俺が2人分作ろうかな。

 でももう少し彼女の寝顔を拝みたい......けど朝ご飯が......クッ! これがジレンマかッ!?


 そんなこんなで思考がウロウロしていると、不意に雪の瞼がスっと開いた。



「おはよう、雪」


「おはよう......ございます。なつきくん」



 寝起きのせいか、舌が回らない雪が可愛い。

 雪はぐーっと伸びをすると、おもむろに俺の首に腕を回し、体を引き寄せた。



「おはようのちゅー、です」


「本当に? いいのか?」


「はやくぅ」



 ね、寝惚けてない? 大丈夫なのか?

 後で恥ずかしくなって悶絶したりしないか?

 俺ならするぞ。5分後に顔を真っ赤にする自信がある。


 でも雪のお願いだしな。


 そう思って俺からも抱き寄せると、そっと唇を重ねた。



「......んへへ、幸せぇ」


「蕩けてんなぁ。朝ご飯作るから、先に顔洗っておいで」


「は〜い」



 キッチンに立った俺は、フレンチトーストの材料を取り出し、卵と牛乳と砂糖を混ぜながら考える。



 学校では孤高のお嬢様とも言える容姿をしている雪が、自分から朝のキスを求めて蕩ける姿を見ると、自分だけが知っている彼女の姿ということに得も言われぬ気持ちが湧き上がった。


 背徳感なのか、独占欲なのか......この気持ちに名前を付けるのは無粋な気がするが、今は雪との生活がとても楽しい。


 今後もずっと、俺だけの雪で居て欲しい。

 サンタからの一生物のプレゼントなんだ。大切にしたいし、愛し続けたい。



「な〜つき君! 何作ってるの〜?」



 切ったパンを液に浸けていると、顔を洗い終わった雪が後ろから抱きついてきた。



「フレンチトースト。甘めがいい?」


「うん! 私達ぐらい甘いのがいい〜!」


「おいおい、砂糖が足りなくなるじゃないか。一応ストックもあるが......絶対足りなくなるぞ」



 昨日からグッと距離が近くなったんだぞ?

 幸せ糖度も10倍ぐらい上がったし、この家にある甘味料では俺達が1番甘いはずだ。



「えへへ、嬉しい。すりすり〜、すりすり〜!」



 背中に頬を擦り付ける雪と、その感覚に悶絶しそうになる俺。

 普段は俺が雪の後ろから抱きついてるのに、雪の方から抱きつかれるとこんなにも嬉しいとはな。


 たまには雪の代わりにキッチンに立つのも悪くない。



「夏樹君は、将来いいパパになりそうです」


「パ、パパ?」


「はい。私や家族などの、大切な人が料理を作れない時。夏樹君は率先してキッチンに立って、2人分の料理を作ってくれるでしょう?」


「当たり前だ。他にも家事は全部俺がやるぞ」


「それこそがパパに求められる力ですよ。お金だけじゃなくて、心も支え合って生きていく......夏樹君はきっと、競争率が高いです。でも、もう私がゲットしちゃいました。世の女性は私を羨むことでしょう」



 自信満々に『ゲットした』と言われ、俺は無意識に背筋が伸びた。

 今の発言から考えるに、雪はもう、俺との未来を......?



「それ、俺の方も言えることだぞ? 雪の高い生活能力のサポートは、一緒に生きる上でこの上ない環境に変わる。賢くて時間の使い方も上手いから、人生の密度が高くなる」



 多分、俺達の相性は良い。

 お互いに思い合う気持ちがあるから、どちらかがダウンした時にカバー出来るんだ。


 ただ、お互いに甘えやすい面が危ない。

 今の環境が当たり前だと思っていると、小さな認識の齟齬から喧嘩したり、一方的な支えになって折れてしまうことも考えられる。


 だから俺は、常に自らを律する心を鍛えている。

 1人でも、2人でも、心に芯を立てておけばそうそう崩れることはないからな。



「いいなぁ......夏樹君との子どもなんて、絶対に良い子ですもん。男の子だったらモテモテになりますし、女の子なら社会を引っ張る強さを持ちます」


「サポートって、実質的な支配だからな。確かに社会を引っ張る強さはあるかも」



 いつの間にか雪がフライパンにバター入れ、温めてくれていた。

 こういう小さなサポートも、雪の強みなんだ。



「ありがとう。もう焼くだけだし、先座ってるか?」


「いいえ。最後まで一緒です。抜け駆けしません」


「そ、そうか。ありがとう」



 最後まで一緒......最後まで一緒......

 自分の行いに責任を持ち、俺と共に居てくれる雪。

 昨夜の事は思い出すべきか? いや、辞めておくか。


 人間誰しも理性が優先され続ける訳じゃない。

 本能からの欲求には、理性は勝てないからな。



「どうしましたか? そろそろひっくり返した方が」


「あ、うん。雪は可愛いな〜と思っただけ」


「えへへ、ありがとうございますっ......!」



 ぽっと頬を赤く染める雪。

 あぁ、手を離せないのが残念で堪らない。

 今すぐにでも撫でたいのに、悔やんでも悔やみきれない。



 そうしてもどかしい気持ちを抑えながらフレンチトーストを完成させると、2人で美味しく頂いた。




「さてと、そろそろ行きますか。おプールに!」


「はい! 行きましょう! 第2回のデートです!」



 外に出る準備を整えて、いざ出発だ。

 今回の目的地は、隣の市にある遊園地とプール、そして動物園が合体した娯楽施設だ。


 クリスマスにホテルの利用者を調べるくらいに暇だった俺だ。周辺の娯楽施設やその混み具合、利用者の年齢層なども大体は把握している。


 その中でも今回の目的地は、若者向けの新しいアトラクションが増えたばかりの場所だ。



「お、大きな場所ですね! それに凄い人の数です!」


「人気だからな。ここから3つに道が別れているから、はぐれないように手を繋いで行くぞ」


「......ずっと繋いでますけどね」


「大義名分というヤツだ。気にするな」



 昨夜の一件でお互いに『好き』から先に進もうとしている意思を確認したし、少しずつだが距離を詰めたい。


 そんな想いが重なってか、気付けば手を繋いでいた。



「人、多いなぁ。初めて夏休みに遊んだかも」



 夏季休暇が始まってすぐだと言うのに家族連れの集団が多く、この行列だけ気温が5度は高そうだ。



「私もです。人に酔っちゃいそうです......ふふ」


「確かに。でもプールはすぐだ。冷たいぞ〜」


「もう、そこは『人じゃなくてお前に酔ってるんだ』って言うところですよ?」


「え? う〜ん、ずっと酩酊状態だから分かんないな。最近は常時多量摂取状態だからさ。ほら、今も手から吸収してる」



 クイッと右手を持ち上げて見せると、何故か強く握り返された。



「そのまま私に酔いなさいっ! なんて......」


「可愛いな。でも依存するのは怖いから、用法用量は守らないとな。雪の方も気を付けてくれよ? 共依存になったら俺達は終わりだ」


「はい。執着はしないようにと、常々考えています。ですが......夏樹君が誘惑するので、負けてしまいそうです」


「えぇ? 俺、誘惑してる?」



 距離感が近すぎるせいか、意識出来ていないな。

 同じ家で過ごす人なんて家族しか居なかったし、恋人以上家族未満の意識だからか?


 いやでも、俺は雪を異性として見てるしな......う〜ん。



「ふふ、教えません。実は女の子の求める行動をサラッとやってのけていると気付かない限り、私の言いたいことは伝わりづらいので」


「え〜? じゃあゆっくり考える。あ、そろそろプールだな。あっちの売店が両方の更衣室の間にあるから、そこで待ち合わせしよう」


「分かりました。では、また後で」



 ダラダラと話していたら着いてしまった。

 もう少し話していたい気分だが、今日は遊びに来たんだ。

 お喋りは今度にして、雪の水着姿を拝まねば。


 俺はササッと水着に着替え、日焼け対策にパーカータイプのラッシュガードを装着すると、ロッカーの鍵を腕に着けた。


 水着もラッシュガードも、どちらも黒で揃えたぞ。

 あんまり俺は青や赤などの、色が似合わないタイプだから仕方ない。



「よし、適当に待っておこ〜っと」



 売店の近くで立っていると、妙な違和感を覚えた。



「......見られてる?」



 お、男がパーカータイプのラッシュガードを着るのが珍しいと言いたいのか? 周囲からチラチラと見られるような気配を感じて、少しむず痒い。


 そうして居心地の悪い中で雪を待っていると、同い年くらいの女子二人が俺の前に歩いて来た。



「お兄さんカッコイイね〜! 一緒に遊ばない?」


「ウチら結構ここ来てるからさ、楽しい場所知ってるよ〜?」



 こ、これは......逆ナンッ!?


 まさか逆ナンパが現実に存在するとは思わなかった!

 しかも標的が俺とは、コイツら目ェ腐ってんのか!?

 明らかに俺よりカッコイイしお金もってそうで優しそうな男が大量に居るだろうが!!



「ごめんなさい。彼女を待っているので。でもお誘いありがとうございます。お2人ならもっと良い人と出会えると思うので、自身の魅力を磨くと素敵な女性になれますよ」



 秘技! 借りてきた猫大作戦ッ!!!!!!


 説明しよう! 借りてきた猫大作戦とは、明確に歳が近いにも関わらず敬語で接し、当たり障りの無いことを言ってその場をくぐり抜けようとする作戦である!!


 因みに初めて使った作戦なので、イレギュラーには対応出来ません。テヘペロ!



「え〜? でも彼女さんよりウチらの方が良くな〜い?」



 ......今、何つった?



「そうそ〜! 私らって結構可愛いしぃ、お兄さんにピッタリって言うかぁ〜」



「あ゛? お前らが雪の魅力に適う訳無いだろ。馬鹿も休み休み言え。初対面で大切な人を貶すとか、お前どんな教育受けてきたんだ? 気持ち悪い。はぁ......気分悪いわ。だから人と話すのは嫌いなんだよ」



 俺は幾らでも貶してくれて構わない。

 だが雪を、会ったことも見たことも無い奴が貶すことは我慢ならない。


 久しぶりに(はらわた)が煮えくり返る思いをしたわ。


 昔も確か、小学校で大切に育てていた花を踏み荒らされた時にこんな思いをしたな。

 あの時は手が出ちゃって問題になったけど、今の俺は我慢が出来る子だ。


 ......大丈夫、落ち着け。手を出したら傷害罪で終わりだ。いや、口で言ってもアウトなんだけどさ。



「そ、そんなに言わなくたってよくない!?」


「──夏樹くん!」



 後ろの方から雪の声がした気がする。

 でも今は目の前の問題を片付けないと。楽しむものも楽しめない。



「じゃあ例えばお前に婚約者が居たとして、俺がソイツのことを貶してもお前は平常心で居られるってのか? え? そいつは殊勝な心だ。尊敬するね。因みに俺は我慢が出来ない。今すぐにでもぶん殴りたい思いを抑えるのに精一杯だよ」


「「............」」



 相手の気持ちになって考えてみろよ。

 俺は既に恋人が居ると言ったんだ。それなのに食い下がるって、どういう思考回路の持ち主なんだ?


 俺には到底理解出来ないし、理解したくもない。


 だって俺がそんなことをされたら、大切な恋人を裏切るように言われた気がして、頭がおかしくなりそうなぐらい腹が立つんだ。


 貪欲は転じて執着にもなる。

 考えを改めて、男探しをして欲しいところだ。



「夏樹君、お待たせしました。そちらのお2人はお友達ですか?」



 丁度いいタイミングで雪が来てくれた。

 俺はすぐに雪の手を取ると、立ち竦む2人を横目に歩き出した。



「俺に友達は居ない。ましてや、女友達なんかな」



 最後にそう言い放つと、俺と雪は一緒に流れるプールの側までやって来た。


 そしてここに来て初めてちゃんと雪の姿を見て、その美しいスタイルに暫く口が開きっぱなしだった。



「ど、どう......ですか?」


「......天使」



 やっと出た言葉がそれだけだった。

 だって美しすぎるんだもん。仕方ないじゃん!


 肌が白い雪に似合う、白と黒の縞模様のビキニ。

 胸もそれなりに大きいお陰で魅力が倍増しており、普段からは考えられない露出の量に目が奪われる。


 そして俺とは正反対の真っ白なラッシュガード。

 前のファスナーを開けているせいで、柔らかな奥行きが垣間見える。


 もう......天使としか言いようがない。



「えへへ、夏樹君もとっても似合っていますよ! 寝ている時にペタペタ触っていたので少し知っていますが、意外と筋肉がありますよね? 全身に均等に発達しているので、とても男性的で魅力があります!」


「あ、ありがとう......ございます」



 寝ている時に触られてたのか......俺。

 筋肉に関しては『確実に運動不足になるお前には、この最強のストレッチを教えてやる!』と、父さんに教えてもらったストレッチしかやっていないからな。


 多分そのお陰かな? 不自由しない体力がある。



「やばいな。今更緊張してきた」


「実は......私もです。目のやり場に困りますね」



 付き合いたてのカップルみたいだな、俺達。

 でもこのドキドキ感こそ、男女の遊びに於ける醍醐味というものじゃないか?



「お、泳ごうか。と言っても人多いから、最低限浮きながら推進力を得る方法しか教えられないけど」


「お願いします、先生!」


「うむ。愛弟子よ」



 2人で入念に準備運動をしてから入水すると、流石に夏の高気温もあってか少しばかり(ぬる)く感じた。


 パッと見た感じ水に入る恐怖心は無さそうだし、流れるプールから外れて人の少ない場所に移っても良さそうだな。


 でもまずは、雪とイチャイチャするのに没頭しよう。



「水中で目は開けられるか?」


「水中で?......ちょっと、試します。見てください」


「ほいほい」



 俺は先に潜って目を開けると、続くように雪も潜り込み、ぷくーっと頬を膨らませた顔で頑張って目を開けようとした。


 そして少しだけ目が開くと、口から大量の空気を零しながら浮上した。



「どうしたどうした」


「ど、どうしたじゃないですよ! 変顔して待ってるなんて卑怯ですっ!!」



 ポカポカ胸を殴ってくるが、可愛さに負けて全く痛くない。



「いや〜、お気に召さなかった?」


「......うぅ! め、召しました」



 召したんかい! 喜んでくれたなら嬉しいけどさ。



「それは良かった。次は奥のプールに行こう。あっちは人が少ないから、海に行った時に役立つテクニックをおしえるぞい」


「海、ですか。海も行きたいですね〜!」


「海は危険だからな。2人で楽しく遊ぶ為にも、生存術として身に付けた方が良い。ちょっとだけ真剣にやるぞ」



 真剣に学び、楽しく覚える。

 中学の時、水泳部の顧問が教えてくれたことだ。


 土台となる知識を真剣に学ぶことで、高密度の基盤を作り、その上に応用術を楽しく乗せることで基礎と共に応用も強く記憶に残る。


 パニックになった時でも体が動けるよう、しっかりと基礎作りをしなければならない。




 そして1時間ほど水中での体の動かし方や着衣時の即席浮き輪の作り方、更には漂流した時の長時間維持できる浮き方を教えていると、あっという間にお昼になった。



「とても勉強になりました。夏樹君は山本五十六の言葉のように教えてくれるので、凄く分かりやすかったです」


「......ど、どちら様で?」


「知りませんか?『やってみせ、言って聞かせてさせてみせ、褒めてやらねば人は動かじ』という言葉を残した海軍の方です」


「へぇ。褒めてやらねば人は動かじ、ねぇ......」



 短歌調の名言、だろうか。

 俺は自分が教えられる立場にあった時、どうしたら一番覚えやすいかを知っているから試しただけなんだがな。


 それを言葉にして残すとは、素晴らしい人も居たもんだ。



「夏樹君、良ければお勉強は私が教えましょうか? 私は実技が苦手で座学が得意なのですが、夏樹君は逆でしょう?」


「あ、そういう事ね。お互いに持っているものと持っていないものが逆だから、教え合えば完璧な存在になれるということか」


「ですです。凸凹コンビ、というヤツです」



 ふんす、と鼻を鳴らす雪。

 でも俺は勉強が好きじゃないからなぁ。

 だけど、雪に教えてもらえるなら頑張りたい。



「是非。将来を歩む上で、お互いの得手不得手は知っておきたいしな」



 もっと深く、雪を理解したい。

 そう思っていると、雪がぼーっと歩き始めた。



「将来......お互い......へぁっ!?」


「前を見なさいな。危ないぞ」



 危うくプールに落ちかけた雪を抱き留めると、雪はそのまま顔を真っ赤にして離れなかった。



「ありがとうございます......温かい」


「雪さん? 行きますよ〜。起きてくださ〜い」


「だ、大丈夫です! ちゃんと起きてますから!」



 ホントかなぁ? 一向に離れる気配がしないし、そろそろ注目が刺さるから逃げたい気分なんだが......

 その事に気付いたのか、これまた雪ははにかみながら俺の手を取り、前を歩き始めた。


 触れたら周りが見えなくなっちゃって、可愛い奴め。



 それからは、売店で昼食をとってからウォータースライダーで遊んだり、流れるプールでひたすら流されたりと、楽しい時間を過ごして本日のデートを終了した。


 そして帰り道。

 夕陽が空を赤く染める街を歩きながら、ずっとくだらない話で笑い合っていた。


 クリスマスに家に来た時より格段に笑顔が増えた雪。

 彼女と出会えたこと、そして一緒に居られる日々が、俺にとってかけがえのない物となった。



「夏樹君」


「ん〜?」


「また一緒に遊びに行こうね」


「お、おう......また行こうな」



 ドキッとした。普段は敬語の雪が自分から歩み寄ってくれると、俺は途端に弱くなっちまう。


 よし、気を強く保て、雨音夏樹。お前は大丈夫だ!



「雪」


「なんですか?」


「大好きだよ」


「っ! わ、私も好きでしゅ!」



 可愛い。



「今日は俺がご飯を作るよ。デートのお礼に、な」


「楽しみにしてますね。そして見せつけてあげます。『料理は雪に任せた方が良い』と」


「ほほ〜ん? いいさ、見てな。俺の方が美味しいって言わせてやる」


「そうですか? では、負けたらどうします?」



「負けたら? そうだなぁ......この先、一生に渡ってご飯を作ってくれないか? あぁ、ちゃんと手伝うから安心してくれ」



「え......そ、それって......」


「さぁ? どうだろうな」



 雪の顔が赤い気がするが、夕陽に照らされているからだろう。

 ということは俺の顔も赤いということだが......きっとこれも夕陽のせいだ。うん。そうしよう。



「不束者ですが、よろしくお願いします」


「謙遜しなさんな。雪は絶対に立派なお嫁さんになるよ。俺の」


「はい! 夏樹君も、優しくて頼りがいのある立派な旦那さんになります! 私の!」



 きっと、なれるはずだ。

 違う、絶対になるんだ。


 雪の立派な旦那さんに。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 久しぶりに読んだけど、MAXコーヒーよりも、グラブジャムンよりも甘かったです。 控えめに言って最高でした。
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