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短篇

開くな!!

作者: 半ノ木ゆか

 夏空の下。鉄とコンクリートの廃墟に一頭の黒馬が駈けてきた。フミが慌てて降りて、錆びた柱につなぎとめる。青草が熱風に揺れる。


「講義が済んだらすぐ戻るからな」


 撫でるフミの手を振り払い、いなないた。


「パロール、暴れるなって」


 柱がポッキリと折れた。フミが目を丸くする。すんでのところで捕まえて、もっと頑丈そうな柱につなぎ直す。


「絶対に逃げるなよ」


 念を押して、彼は廃墟の奥へ飛び込んだ。




「遅刻してすみません!!」


 つぎはぎだらけの小屋にフミの大声が響いた。学生たちはぴたりとお喋りをやめた。小屋中の視線が彼に集まる。


 顔を真っ赤にして、いつもの席に着く。前方には傷だらけの黒板が掲げられていた。教授の姿はなかった。友人のレターが話しかけてくる。


「フミ。君は中身、何だと思う?」


「中身?」


 首をかしげるフミを、レターは小突いた。


「知らないの? あの大遺跡のこと」


 フミはさっきの恥かしさも忘れて、身を乗り出した。


「詳しく教えてくれ」


「……北の沙漠で、地の底まで続くような長い階段が見つかったんだよ。村人が降りてゆくと、突き当りに分厚い扉があった。開けようとしたけど、びくともしないらしい。表面には古代文字がびっしり刻んであった」


「私は昔の人のお墓だと思う」


 リピが話に割って入った。


「文章は、きっと死者を弔うための物だよ。高貴な人が、たくさんの副葬品と一緒に眠っているんじゃないかな」


「いや、僕は宝蔵たからぐらだと思う」


 レターが言った。


「墓ならそこまで深い穴は必要ないって。あの大戦争から守るために、世界中の美術品を地下深くに隠したんだよ」


 別の学生が言う。


「沙漠の奴らは、失われた文明の利器が入ってるって言ってたぞ。テレビや自動車や宇宙船が、オレたちを待っているのさ」


「――今日の講義は取りやめです!」


 教授の助手が小屋に飛び込んできて言った。三人に声をかける。


「君たちは研究室に来てくれませんか。手伝ってほしいことがあるんです」




 研究室の机に紙が広げられる。人の背丈ほどの縦横があった。見たこともない文字がびっしりと並んでいる。


「片道半日かけて階段を降りたんです。拓本を採りに」


 ぼろぼろの服を翻し、助手が誇らしげに言った。教授が拓本に目を見張る。


「ありがとう……。発掘隊が扉をこじ開ける前に、急いで解読しましょう」


「はい!」


 手書きの辞書を何十冊も運び込む。


 フミは研究室をちらちらと眺めた。彼がこの部屋に入るのは今日が初めてだった。窓際にガラスの箱が置いてある。そこに、馬の頭くらいの大きさの、白いラッパのような道具が収められていた。部屋はすすと埃だらけなのに、ガラスの内側だけ時が止まったようにまっさらだった。


 鉄棒で拓本を指しながら、教授が言った。


「この碑文には文のまとまりが百以上ありますね。同じ内容が百以上の違う言語で書かれているのでしょう。三人は、各々の文字体系を特定して下さい。私たち二人は言語を特定しながら、意味を読み取ります」


 フミは耳を疑った。


「ちょ、ちょっと待って下さい。昔は言葉が何種類もあったんですか?!」


 助手が頷く。


「君は戦争のあとの生れだから知らないのでしょう。この地球では五千以上の言語が話されていたんです。国や地域や民族によって違っていて、お互いに話が通じませんでした」


「だけど、民族の征服や言語改革で、ほとんどの言語が絶滅したの。人々はわずらわしい旧言語を捨てて、科学者たちの作った世界共通語を使うようになった」


 リピが言った。レターが溜息をつく。


「僕もこの研究室に通うまで知らなかった」


「じゃあ、今俺たちが話しているのって……」


 フミが声を震わせる。教授が鉄棒を置き、言った。


「戦前の言語とは何の繋がりもない、人工言語です」


 フミは自分の唇に触れた。


 この言葉は教師だった祖父から学んだものだ。祖父も同じ言葉を話していたと、フミは信じていた。フミは祖父の声を覚えていないが、彼から受け継いだ言葉を話していると思うと、近くで見守ってくれているような気がして、心強かった。


 だが、本当は歴史の浅い、作り物の言葉だった。フミたちとその祖父母とは、全く違う言語を話していたのだ。世界中の言葉を殺した昔の人間たちを、フミは憎んだ。


 五人がそれぞれ違う辞書を開く。


「……これは『漢字』だ」


 フミが言った。


「こっちはみんな『ラテン文字』だった」


 レターが呟いた。


「これは『デーバナーガリー文字』ですね」


 リピが報告した。


 西の空が赤く染まる。助手は震える手で辞書を見せた。ある単語を指差す。


「先生……これ、誤訳じゃありませんよね……?」


 教授は深呼吸をして、言った。


「間違いありません」


 三人も辞書を覗き込み、真っ青になった。すかさずリピが尋ねる。


「助手さん。発掘隊が扉を開けるのはいつですか」


「今朝、遺跡の階段を登る途中ですれ違ったので――」


「今すぐ止めなくちゃ!」


 レターが叫ぶ。助手が言った。


「誰か、私と北の沙漠へ行ってくれませんか」


「俺が行きます!!」


 フミの大声が研究室に響いた。


「俺、声の大きさなら誰にも負けません!」


 教授は意を決したように鉄棒を摑んだ。窓際のガラス箱に一振りする。四人が耳を塞ぐ。ガシャーンと鳴って、白いラッパ型の道具があらわになった。


「戦前に使われていた、拡声器という機械です。これで発掘隊に伝えて下さい」




 拡声器を抱えて飛び出したフミは、ポッキリと折れた柱を見つけた。


「パロールのやつ……また逃げたな!」


「僕の馬を貸そう!」


 友人が白馬の手綱をフミに握らせる。フミは彼の手を強く握り返した。


「レター、ありがとう」


 助手を乗せた馬が走り出す。白馬に跨ったフミに、リピは言った。


「人類が生き残れるかどうかは、フミくんにかかってるんだよ。開いちゃいけない扉を開く前に、早く」


「今度は遅刻するもんか!」


 人骨とマイクロプラスチックの沙漠を、白馬は風のように駈け抜けた。


 地平線に夕日が沈む。赤い光が点々と灯っているのが見えた。助手が言う。


「あれが遺跡の入口です!」


 赤く見えたのは、たくさんの露店の篝火かがりびだった。見つかって二日も経っていないのに、どこから集まってきたのだろう。遺跡への階段前には舞台まで設けられていて、村長らしき人が何かを語っている。若者が酒を片手に笑い合っていた。


 二頭が群衆に突っ込む。人混みはワッと二手に分かれた。白いたてがみが夜闇に映える。


 拡声器の電源を入れると、耳を割るような高音が流れた。人々がどよめく。村長が高らかに演説する。


「――機械文明への扉が、今、開かれるのです」


「開くな!!」


 拡声器に言葉を吹き込む。満天の星々の下、フミの大音声だいおんじようが沙漠に響き渡った。


「みんな逃げろ!! 核廃棄物が入ってるんだ!!」




 開くな!!(終)

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