プロローグ 独りの転生者
――なーなー、シキ
――ヴァイスハイトってドイツ語、どういう意味か知ってるか?
――知恵だろ。それがどうしたんだ?
――いや、特に。ただ……
――ただ?
――ヴァイスハイトって、知識をたくわえて俺たちに教えてくれるお前に、ピッタリな名前だと思わねえ?
――…………はあ?
――うわ、マジトーンで呆れられた
そんな風に馬鹿騒ぎをして、屈託のない笑顔をこちらに向けていた幼馴染の少年の顔は、もう随分とぼやけてしまった。
当然だ。彼と最後に会ってから――俺がこの異世界に転生してから、もう二十年と少し経っている。今世の記憶に押し流されて、前世の記憶はかなり薄れつつあった。
でも、知識を教えあったり、くだらない事で笑ったりした、その日々は、まだ忘れていない。
顔と声は、家族のものも朧げになりつつあるけれど。あいつとどんな話をしたか、家族とどんな風に笑ったかは、まだ覚えている。
幼馴染のことは、彼のことだけは絶対に忘れたくない、と思う。
……かつて話した「知恵」の名を持つ、今の自分。
これを彼が知ったら、どんな顔をされるだろうか。
爆笑するか、やっぱりな!と得意げな顔をされるか、それとも真顔で羨ましがられるか。
そこまで考えて、思考を止めた。
「バカだな、俺は……」
あの幼馴染にはもう会えるはずが無いのだし、万一会えたとして、こちらに気づく保証も無いのだ。
前世から随分と変わった自分の見目を思い浮かべて、俺は溜め息をついた。
……でも。
会えないと分かっているのに、どうしても思い出してしまう。
あの笑顔を、もう一度みたいと、思ってしまうのだ。
赤い月が昇る夜空を見上げて、ヴァイスハイトは……知恵の名を持つ転生者は、泣き笑いのような表情で佇んでいた。
補足コーナー
・ヴァイスハイト
ドイツ語で知恵の意味。Weisheit。
この作品の主人公の名前。恋焦がれる孤独な転生者。
「氷の貴公子」とかあだ名が付けられてそうなクールタイプ。