美VS了
美しいものがあるから醜いものがある――この世は、表裏一体だと、誰かが言った。ぼくは、その意味がよくわからなかった。醜いものがあるから、美しいものがある? それは、比べただけでは?
べつに、美しいものがなくたって、醜いものあるし、醜いものがなくたって、美しいものはあるだろう。
ぼくには、理解ができなかった。わからない。光と影ならわかる。あれは間違いなく表裏一体だ。入力と出力もそうだ。あれも、どちらかがなければ、成り立たない概念だろう。だが、美と醜はどうだろう?
美しいものは、絶対的に美しいのでは? なら、醜いものがなくたって、美しいものは存在する。……うーん、どういうことだろう。なにが、表裏一体で、なにが表裏一体ではないのかが、わからなくなってきた。
ぼくの思考は正しいのだろうか。そもそも、ぼくは、思考ができているのだろうか。それすらも、わからない。どうやら、ぼくは、やつと戦わないとならないらしい。美とぼくは――戦った。
だけど、どうしたら、勝てるのかがわからなかった。どうしたら、美に勝てるのか、そもそも、勝ち敗けの概念が、美にあるのかどうかも、わからない。こんなんでは、勝負にならない。
どうやら、今回は、獲物を使うことはなさそうだ。弾丸の装填はしないまま、やつと対峙した。それだけだった。それだけで、なにもかもが良くなった。
美には――この世の理を、全て、どうでも良くさせるのか。美しければ、それで、いい。なんだか、単純明快過ぎて、拍子抜けする言葉だった。
美がなくたって、生きるのに困るほどではない。だけど、美がないと、良いとは言えない。美がないと、醜もない。相反するもの同士は、関係するということか。醜いものが悪いものだとすれば、醜くないものは、良いものだろうか。
そんなこと言ったら、なんだってそうじゃないか。ぼくは、美と醜は、密接な関係にあるとは思わない。だけど、関係があると、考える人がいることは、なんとなくわかる。
つまり、ほとんどの物事は相対的だと、そうわかっている人がいるのだろう。だから、醜いものがなければ、美しいものもないのだと、そういう、考えになるのだろう。
――でも、やっぱり、美は絶対的だと思う。相対するなんて、美の概念に相応しくない。美がなければ、醜もないなんてことは、ないと信じたい。
ぼくはやつに言った。
「お前がいるから、醜が目立ってしまうんだろ?」
美は、なにも言わなかった。ただ、そこにあった。




