愛の痛み
美しい満月と星々が空を彩り、仄かな光に部屋が照らされるそんな夜、いつもと同じように妻に就寝の挨拶を終えたエリゼは一人静かな自室へと戻り、そのまま眠りについた。
それからどれくらいたった頃であろうか、何事も無く、静かに規則正しく寝息を立てていたエリゼは急に胸がざわつくのを感じ、息を荒らげながら起き上がった。
根拠も何も無い不安に駆られ、なにか嫌なことが起きると感じたエリゼはなにか思いつくとこがあったのか、ベットから急いで降りると、焦ったように部屋を後にした。
そしてしばらくしてエリゼが自身の妻であるミシェルの部屋に辿り着くと、エリゼはノックをすることも無く、急いで部屋の扉を開いた。
すると部屋にはミシェルがいたが、酷く虚ろな目で星空に手を伸ばし、開け放たれた窓から今にも飛び降りようとするかのように、窓に足をかけていた。
『ミシェル!!』
エリゼがミシェルを止めようと名を呼ぶと、ミシェルはエリゼの方へと振り返り、今まで表情のなかった顔を悲しげに歪めながら、それでも止めないで欲しいと願うかのようにエリゼを見つめた。
『ミシェル!!』
ミシェルのそんな態度に耐えきれなかったのか、エリゼはミシェルの元へと急いで駆け寄ると、今にも窓の外へと落ちていきそうなミシェルの身体を強く抱き締め、窓から遠ざけた。
『ミシェル…ミシェル…なんでこんなことを…』
エリゼはミシェルの身体をもう離さないとでも言うかのようにさらに強く抱き締め、目に涙を浮かべながら、ミシェルに問いかけた。
元々ミシェルには想い人がおり、彼の犯した罪のせいでミシェルは精神を病んでしまっていたが、自身も似たような想いを抱くエリゼはそれでも献身的にミシェルを愛し、支えていたつもりであり、何故急にこのような事態になったのかエリゼには分からなかった。
しかしエリゼの問いにミシェルが答えることは無く、ミシェルは唯々暗い部屋の中で何故かつけっぱなしになっていたテレビの画面を悲しげに見つめていた。
エリゼはミシェルが何を見ているのか気になり、自身もテレビな方を向いたが、そこで流れている内容を目にし、やっとエリゼは事態を把握した。
テレビは繰り返し犯罪者となってしまったミシェルの想い人がテロを起こし、そこで死んだことを告げており、その事を聞く度、ミシェルはそっと涙を流していた。
そしてそんな様子のミシェルにエリゼはかつての自分自身を重ね、少しだけ辛そうに顔を歪めたが、そっとミシェルを離すと、サイドテーブルに置いてあったリモコンを取り、そっとテレビを消した。
そしてまたミシェルのそばに座り込むと、今にも壊れてしまいそうな彼女を今度は優しく抱き締めた。
『ミシェル…』
『……』
『ミシェル…お願いだから逝かないで…』
『…どうして?』
エリゼに抱き締められながら、未だに消えたテレビを眺めていたミシェルはエリゼの言葉にやっとエリゼと視線を合わせるとぽつりと呟いた。
『愛してるんだ、君を…だからもう…』
『……』
『だからもう…失いたくない』
『……』
エリゼはかつて愛した人を失った時の辛さを思い出し、その痛みに耐えるかのようにミシェルを抱き締める腕に力を込めた。
ミシェルはそんな風に辛そうに想いを伝えるエリゼを口を閉ざしたまま、唯々じっと見つめていたが、その想いの強さに耐えきれなくなったのかそっと顔を伏せた。
そして自身の想いを溢れさすかのようにぽつりぽつり口を開いた。
『…私の…全部私のせい…』
『…どうして?』
『…私が…アレを…』
『ミシェル…』
『私が彼を好きになってしまったから…!だから…!』
ミシェルは辛さに耐えきれなくなったのかそう叫び、声を上げて泣き始めてしまった。
しかしそんなミシェルをエリゼは優しく抱き締めなおすと、ゆっくりと落ち着かせるように頭を撫で、優しい声色で話しかけた。
『誰かを好きになることは悪いことではないよ』
『…っでも!!』
『彼は確かに道を間違えた…それは君への想いがあったからかもしれない…でも…それでも…』
『…私が…あの日…』
『ねぇミシェル?僕はこれでも君に感謝してるんだよ?』
『…えっ?』
互いに辛そうな顔をしながら想いを語る二人だったが、急なエリゼの話にミシェルが驚いたように顔を上げると、その視線を受け止めたエリゼはにこりと優しく笑った。
『彼女が結婚してしまってどうしようもなかった時、君と結ばれて、やっぱり最初は望まない結婚だったけど、それでも君は僕にまた誰かを愛する気持ちを教えてくれたから』
『……』
『僕は彼女が死んだ今も彼女を愛しているよ…それは君が彼を想うのと同じようにもう変えることの出来ないものではある…それでも僕はそんな君とずっと一緒にいたいんだ』
『……』
『同じ愛を同じ痛みを知る君だから』
『…ごめんなさい』
笑顔のまま自身の想いを語るエリゼにミシェルはいつの間にか嬉し涙を流しながら、自身が愛されていることに気づけなかったことが申し訳なくなり、エリゼに謝った。
『謝らなくていいんだよ』
『…でも』
『いいんだよ』
そう言ってエリゼは再び優しく笑うと、その優しさにミシェルはつっかえが取れたように涙を溢れさせ、エリゼの胸の中で優しいエリゼの腕に抱かれながら泣き続けた。
そしてそんな二人を窓から差し込む月光は優しくまるで二人を見守るかのように照らしていた。