元厨二病と見知らぬ天井
「グロッキー」
一時期の俺のアダ名はこれだった。
「グロッキー」
そう呼ばれ一人教室の掃除をさせられた。
「グロッキー」
そう呼ばれ女子の前で服を脱がされた。
「グロッキー」
そう呼ばれ便所に顔をーーー
「グロッキー」
「グロッキー」
「グロッキー」
「お前なんで生きてんの?」
「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっ‼︎」
額を伝う冷たい汗の感触。腕で拭い、息を整える。くしゃっとした柔らかい感触が俺の下半身を包んでいた。布団、もっと言えばベッドだ。風に揺れるカーテンの隙間から差す柔らかな光が質素な室内を明るく照らしている。
「いっ!」
両手両足、そして頰や腹部にいたるまで数々の場所にガーゼが貼ってあった。
「......あれ? 俺は」
朧げな記憶を引きずり出す。
確か、そう。俺はいつのまにかあの森の中に瞬間移動していて、見るからにヤバい獣に遭遇しかけて、そしてーーー
「目を覚ました!」
声をあげたのはいつのまにかドアのところにいた、綺麗なサラサラとした黒髪ショートで碧い瞳の少女だった。
服装はあまり目にしたことがないような布製品だが、どこかヨーロッパ系の民族衣装に通ずるものを感じた。
「君はーーー」
「お父さーーーーん‼︎ お兄さん目を覚ましたよーーーー‼︎」
少女は声をかける間も無く父を呼びに行ってしまったようだった。しかし、大事なところはそこではない。
「俺......生きてる......?」
途中までは思い出せた。
俺はさっきの子を逃がすために複数のコボルトと戦って、そして、勝ったのだ。
「そんでーーーあれ? その後俺はどうしたんだ?」
コボルトは確かに倒した。しかし、その後の記憶がない。
足音が二つ近づいて来る。一つは元気に木の床を走る音、そしてもう一つはゆっくりと踏みしめるように歩く音だ。
「お父さん遅い! 早く!」
「そんなに騒いだら迷惑だろう? もっと静かにしなさい」
少女に急かされて部屋に入ってきたのは古めかしい装束に身を包んだ四、五十代の男性だった。
男性の服、それはまるで神父が着る服にとても似ていてーーー
「この度は本当にありがとうございました......!」
突然男性は跪き、頭を垂れた。
「え......いや......え?」
突然の出来事に狼狽えてしまったが、一瞬遅れて事情を察せた。
「私はメルカの父でございます。この度は娘を救ってくださって、本当になんとお礼を申し上げればいいのか......!」
答え合わせをするように男性の口から身の上が語られた。
滅茶苦茶厳格そうな歳上に頭を下げられるのは悪い気分はしないのだが、こんないつまでも頭を下げられるのは申し訳がない。
「とりあえず頭をあげてください! 別に俺はそんな大層なことをしたわけではないです!」
「なんと謙虚な......ともかくお礼はさせてください。見慣れない服装をなさっておりますが、もしや旅人の方でしょうか?」
そう言われて自らの装いに視線を落とす。
紛うことなき制服である。
「......そんなとこです」
こんないい人そうな人に嘘をつくのはアレだが、厳密に言えば旅人というのも間違いではないはずなのでよしとした。「本当に珍しいお洋服ですが、どちらからいらしたのですか?」などとも聞いてきたので「言ってもわからないくらい遠いところです」と言っておいた。
「旅人であれば泊まるところなどはまだお決まりではないのではないでしょうか?」
無論、その通りだ。
なんならここがどこかわからないまである。
「えぇ、まぁそうですが」
「でしたら、是非ここにお泊りください。しがない教会ですが、雨風をしのぐことはできるでしょう。お食事などもご用意いたしますのでご心配なく」
「えぇっ⁉︎ いや、そんなお手を煩わせることを......」
「何を仰いますか! 私は聖職者ではありますが、そのことを抜きにしてもあなたは私の娘の命の恩人です! むしろこの程度の事しかできない事が歯痒く感じるくらいです!」
命の恩人。
今になってその言葉の意味が理解でき始める。
そうだ、小さい化け物だったとは言え、刃物を持った敵数体を相手に少女を助けたんだ。
手にいまだに残る鈍い痛みが帰ってくる。
ーーーーーーあの恐怖が。
「......では、お言葉に甘えて」
はにかんだ笑顔でそう告げると神父さんは満足したかのような表情を浮かべ、「ただいま暖かいスープをお持ちしますね」と部屋を後にした。
「......怪我はない?」
「うん! お兄さんが助けてくれたから!」
一点の曇りもないくしゃっとした笑顔に、俺は背中から伸びる暗闇を払われた気がした。
生まれてこの方大したことをした事はなかった。
けど、初めて何かを成せた気がした、少しだけ、自信が湧いた気がした。
「そうか、それはよかった。ところでまだお互い自己紹介をしてなかったね。俺は黒木悠太。君は?」
「私はメルカ! メルカ=アーレント!」
「メルカちゃんか。メルカちゃん、一つ質問があるんだけど、いいかな?」
俺の言葉にメルカちゃんは「いいよ!」と元気一杯に答えた。
そう、きちんと会話ができる人に会えたからには聞かなければいけない事がある。
「メルカ」という名前を聞いた時にもうかなり確率が上がってしまった知りたくない可能性。
小さな抵抗、また一つ生まれた恐怖を覆い隠し、俺は口を開いた。
「ここはなんて国なの?」
「ここ? ここはねー! メルセンファリア帝国って国だよ!」
あぁ、やっぱりそうか。
『|ここは地球ではないのか《・・・・・・・・・・・》』
「旅の方、暖かいスープをお持ちしました」
「ありがとうございます......すいませんが、少し一人にしてくれませんか?」
「......承知しました。ごゆるりと。ほら、メルカ」
パタンとドアが閉まる。
急に静かになった部屋は起きた時より少し暗くなっていて、カーテンを揺らしていた風も冷たくなっていた。
ーーー言葉が、出ない。
どんな原理かは知らないが、どうやら俺は「異世界」に飛んでしまったらしい。
中学の時にカッコつけて世界のことを勉強しまくったからわかる。間違いなく地球上に「メルセンファリア帝国」などという国はないし、そもそもどう見ても日本人ではない人が日本語を話していることも意味がわからない。
元いた世界が好きだったわけじゃない。
何なら嫌いだった。
なら、
『この胸を締め付ける苦しみはいったい何なのか』
それは底知れぬ恐怖であり、不安感であり、孤独感だった。
親は心配してるだろうか、友達はほとんどいなかったからあまり騒ぎにはなっていないかもしれない。
ともかく、俺は「独り」になってしまった。
ーーーただ、寂しかった。