元厨二病と初戦
顔を上げ耳をすます。
「......声?」
それは人の声だった。微かな音量だが、明確に日本語を誰かが話してーーーいや、叫んでいる。
「ーーーゃ、ーーーか、ーーーけて、ーーー助けて!」
「っ‼︎」
間違いない。「助けて」と、そう誰かが叫んでいるのだ。
悠太は二つの可能性を想定した。
一つは先ほどの獣に誰かが襲われている可能性、そしてもう一つは他の何かに襲われている可能性。
声が徐々に聞こえるようになった事を鑑みるに何かに追われている事は明白。もし前者なら例え俺がボクシングの世界チャンプでも解決する事は出来ない。しかし後者でかつ、声の主を追う者が俺の手に負える範疇のものであるならまだ活路はある。
徐々に声が鮮明になってくる。
「子供の声......か」
小学生くらいだろうか、甲高い女の子の声だ。
先ほどの獣の放つ死の気配が脳裏をよぎる。それだけで背筋がゾクッとした。
その子には悪いが今回ばかりはリスクが高すぎる。片田舎のDQNとは訳が違う。俺は奥歯を噛み締め、ゆっくりと両手で両耳を塞いだ。
「仕方がない......俺が巻き込まれるわけにはいかないんだ.....」
『仕方がない......俺が巻き込まれるわけにはいかないんだ』
「......」
口にした後に気がつく。その言葉は俺が幾度となく耳にした、心から嫌いな言葉だった。
「ーーーけて! ーーーて! ーーーか!」
両耳を塞いでも微かに聞こえてくる。
助けを呼ぶ声。
「俺はーーー」
決めたはずだった。
俺はあいつらのようにはならないと。
優しい人間になるんだと。
困ってる人を助けてあげられる人になると。
どんな人でも受け入れられる人になると。
ーーー誰かの救える『英雄』になるんだと。
「ーーー俺はっ‼︎」
巨木から飛び降り、声が聞こえた方に駆け出す。
絡みつく雑草を振り切り、横たわる倒木を飛び越える。
(間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合え間に合えっ‼︎)
木々を抜け、開けた場所に出た。
狼、だった。
いや、俺の知る狼とは全く違うのだが、その顔は狼そのものなのだ。毛皮というのか、皮膚も狼のそれである。しかし、それ以外が決定的に違う。二足で立っている。二足で立っている上、その手には鉈と思しきものを持っている。
(コボルト、だったかに似てる......?)
身長が1メートルほどのそいつは昔読んだファンタジー小説に登場したモンスターに似た特徴をしている。コボルトは歩む足を止め、ギョロリとした双眸で俺に視線を向けた。
「あ......あ」
「っ!」
やはり、女の子だった。
コボルトの歩んでいた先、およそ3メートルにへたり込んで後ずさりしてたのは10歳に達しているか否かというほど幼い女の子。その碧い瞳いっぱいに涙をたたえ、小刻みに身を震わせていた。
コボルトは一瞬俺に視線を向けるもすぐに少女の方に向き直した。そして、手にした鉈を振り上げる。
もう、迷いはしなかった。
勢いよく地面を蹴り出す。自分の得物は木刀だということを完全に忘れていたが、コボルトと少女との間に割って入ったことにより少女に直接刃が届くことはないので守る事はできる。守る事だけはできる。
「ふっ‼︎」
「ga⁉︎」
当てどころが良かったからなのか鉈が木刀に食い込むことすらなかった。鉈を弾かれた事により空いたどてっぱらに蹴りを叩き込む。2.3メートルほど吹っ飛ばされたコボルトは苦しそうに地面でもがいていた。
「だ、大丈夫⁉︎」
後ろを振り向く。少女の両膝は擦りむいており、頬は泥で汚れている。幸いにして大事には至っていないようだ。
「え、あ......」
ひどく混乱しているのか少女は口をもごもごさせ、身振り手振りで何かを伝えようとしている。
「もう大丈夫。危険だから少し下がってて!」
少し手を合わせてわかったが、コボルトはそこまで強いわけではなさそうだった。蹴った感触も軽く、なんなら肋骨の一本くらいは折ったのではないかと思うほどだ。
「ち、違うんです」
少女は伝えることが纏まったのかようやく言葉をを発した。
話している言語は日本語なのだが、瞳は碧かった。髪は黒いので、ハーフか何かだろうかと思っていたその時、奥の木々の間から何かが顔を出した。
「コボルトはそいつだけじゃないんです!」
コボルト......? まさか本当にあのバケモノの名前はーーーいや、問題はそこじゃない。
顔を出したのはコボルトだった。それも4体ほどの。
「なーーー」
現れた4体のコボルトは先程俺が蹴り飛ばした個体の周りに集まり、一言ほど何か鳴き声を交わした後こちらに視線を向けた。
「逃げろ!」
咄嗟にあげた声だった。
「え」
「いいから逃げろ!!」
コボルト自体は何も問題ではない。問題はあいつらが持っている鉈だ。
見た感じそんなに切れ味があるわけではないだろう。それでもそれが5本もあるとなると流石に無傷でいられる自信はない。
「けどお兄さんが......」
「俺はいいから早く!」
膝がガクガク言ってるのを少女にバレないように必死になっているというのによく言ったものだ。さっきの獣とはまた違う。「予感」ではなく「可能性」。普通に死もあり得る状況に恐怖心が心を満たす。今にも泣き出しそうなのに自制心の最後の一雫がそれを押しとどめてくれる。
「......絶対に助けを呼んできますから! ……だから! お名前を! お名前を教えてください!」
名前、名前か。
少女もわかっているのだろう。「万が一」の自体が起こった場合、突然現れた命の恩人の事を何も知らずに終わってしまうという事を。
にしても名前かーーーそうだ。
いつだったかこんなシチュエーションを夢見たこともあったかな。
全くもってカッコつけられる状況ではない。
一度は捨てた名前だけどーーー
ーーーもう一度だけ力を貸して欲しい。
「俺の名前は『殲黒の風』‼︎ 通りすがりの英雄だ‼︎」