元厨二病と見知らぬ森
森。
その光景は「森」としか言い表すことができない。
燦々と輝く太陽、雑草はいずれも6メートルは超えそうな大木が無数に生え、雑草は生い茂っている。
「...........森ぃ?」
あまりに素っ頓狂な声だが、そんなことを気にしていられるほどの余裕はいまの悠太にはなかった。
「え.....いや.....ありえないだろ」
悠太は自分の頬を力一杯つねってみる。
「.....夢じゃないのか」
弱々しくだらんと両手の力が抜けた。ゴキゲンに輝く太陽を見上げる。
「てことは.....俺は何らかの原因でどっかの森の中に瞬間移動しちゃったわけか」
木々の向こう側に人工物は見えない。先進国日本と言えど国土の大半は山だし、こんな森もきっと沢山ある。故にここがどこなのかは特定することはできなかった。
「とりあえず......歩くか」
悠太には一つ最優先してしなければいけないことがあった。
それは水の確保。
六月といえど普通に気温は高く、半日も何も飲まずにいれば脱水症状になりかねない。ただまぁ、家の近くよりかは涼しいのでもしかするとここは東北の方なのかもしれない。
「って、さりげなく俺瞬間移動した事受け入れちゃってるな......」
雑草を掻き分け進んで行く。
大体は見たことのあるような木々や草花なのだが、たまに見たこともないようなものもある。
「変な植物ばっかだな......そうか、離島っていう可能性も......っと、なんだあれ」
悠太は幾重にも重なるように生えている木々の間に一本の巨木を見つけた。その巨木はとても力強く根ざしており、相当な樹齢であるように見える。
「あの木の実食べられるかも」
視線の先にあるのは赤と黄色のグラデーション模様の、林檎によく似た木の実だった。それらは巨木になっており、その巨木もなんとなく登れそうなくぼみが所々にある。
「よっと」
悠太は巨木に登りながら考える。あの木の実が食べられるかどうかは置いておいて、はたしてどうやってここから家に帰ればいいのか。
可能性の一つではあったが、もしここが離島なのだとしたら無人島である可能性も否めない。船が出なければ本土には戻れない。悠太の脳裏には先の大戦で本土に長年戻れなかった軍人がよぎっていた。
「ん......とれた!」
右手を目一杯伸ばし、木の実を手にする。
林檎とはやはり少し形が違ったが、その感触は自分のよく知る果物と同じだった。
悠太は木の実を手に巨木に腰掛け用とした時、腰に刺した木刀が邪魔になった。
「あ! そういえば呼び出しくらってたんだった!」
今になって思い出す、ここにくるまでの顛末。
突然の異常事態に忘れていたが、この木刀を持ち出したのは呼び出しをしてきたDQNに抵抗するためだったのだ。
「あぁ〜〜〜困ったなぁ〜〜〜」
まず間違いなく今から呼び出された場所に時間までに行くことは不可能。そもそも帰られるかどうかを考える段階なのだから当然といえば当然だが......
顔を足の間にうずめ、横を見やる。
「悪いことしたなぁ......」
最早病気だということは自覚していた。
後天的な特異体質。俺は困っている人を見ると足が勝手に動いてしまうのだ。
しかし、余計なお世話だった場合も多く、今回のように結果的に迷惑をかけてしまうことばかり。
「......もうやめよう」
深くため息をつく。
色々なことを考え、頭の中がぐるぐるとしているそんな時、草木を分ける音が聞こえた。
「!」
この音が聞こえるということはなんらかの動く物体があるということ。それが動物なら食料や地理特定のヒントになるし、人なら言葉が通じなくても助けを呼ぶことができる。
この森の中に飛ばされて早数十分。突然の出来事にパニックになっていた心に希望の光が差し込んだ。
いずれにしてもおとなしく様子を伺わなければいけないーーー
ーーーこの選択がいかに懸命だったかを、悠太は後に実感することになる。
「ーーーーーーーーーッッッッッッッ⁉︎」
そこにいる「ナニカ」。
見たこともない禍々しい風貌の「ナニカ」がのっしのっしと今悠太が登っている巨木の下を歩いていた。
全長は3メートルほどの四足歩行。その全身は紫色の毛に覆われ、四つの足には執念さえ感じるほどに生命を殺すことに長けた大きく鋭い爪が。その双肩は雄々しい筋肉に張られ、血の脈動に全身が蠢く。狼とも虎ともとれる頭部に大きく開かれた口からはだらしなく涎が滴っていてーーー
「ーーーhrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr!!」
「ナニカ」を言い表そうとするならば「獣」という言葉しか合わないであろう。
獣は数秒間にわたって巨木の下を嗅ぎ回っているようだった。
ーーー我ながらよく口を塞いだ、いや、「抑え込んだ」ものだと思う。
視界に獣を捉えた瞬間感じたもの。あれは間違いなく「死の確信」だった。生まれてこのかた機能したことのない「本能」が大音量で警報を鳴らしたのだ。
叫びを上げようとした口を手が咄嗟に抑えた。それ故に下の獣に気付かれずに済んだわけだ。
獣はいまだに巨木の根元を嗅ぎ回っている。
心臓の鼓動が1秒ごとに大きくなっていく。今の俺はあの獣がいかにして俺を殺すか鮮明に想像できるほどに頭が冴え渡っていた。
爪で腹を引き裂く。
牙で喉笛を噛み抉る。
凄まじい膂力をもって体を吹き飛ばす。
いずれも一般人である俺を屠るには十分すぎる性能を誇る。
ーーー死にたくない。
ーーー死にたくない。
ーーーどれほどの時間が経ったのだろうか。
獣が巨木の根元を去ってから幾分かの時間は過ぎているとは思う。
しかし、それでも俺の身体は動くことができなかった。
今までに感じたことのないほど新鮮で鮮烈な「死の気配」過負荷とも呼べるストレスによって俺の全身は硬直していた。
ようやく意識が体に合う。
「ーーーーーーっかはっ‼︎」
何度も噎せる。存在しない酸素でもって活動を続けた脳は鋭い痛みを発し、極限まで動体視力の増していた二つの眼球は手元の木の実を残骸にピントを合わせることができないほどに疲労している。
「はぁ......はぁ......」
全身を襲う疲労感。
体はもうここから離れたくないと叫んでいる。しかし、それはそれとして周りの資源の情報は把握しなければならない。
陽も落ちかけている。
この巨木の上が十分な高さを有していることはわかった。しかし、ここにもそう長く居られる訳ではないのだ。
少なくともあの獣とまた遭遇する危険性があるのだから。
(だめだ......眠い......)
極限の緊張状態から解放された身体は激しい睡魔に襲われた。
疲れたというのもある。安心したというのもある。しかしそれ以上に、もう何も考えたくなかったのだ。
(とにかく少し寝よう......これからの事を考えるのは起きてからでもいいや......)
薄く閉じていく瞼。意識は深く沈もうとしていた。
「ーーーーーーーーーなんだ?」