声
―ドサッと、
床に何か落ちる音で目が覚めた。
朝だ。
身体を起こすと辺り一面、本の山。
今まで志友梨が寝ていたベッドでさえ本で作られていた。
さっきのはベッドにされていた一冊が落ちた音だ。
(悪夢を見てる気分だ……)
ここに居るという事は『魔眼』の事も夢じゃない。
頭を抱えそうになったところでドアからノックする音が聞こえた。
入ってきたのは久咲 蒼。
彼は入ってくるなり志友梨の顔をまじまじと見つめる。
「おはよう。顔色も良さそうで何よりだ」
すると久咲は後ろに持っていた紙袋を志友梨に差し出す。
「君の服、適当に見繕ってきた。いつまでも血塗れの服じゃ嫌だろ?あ、サイズは少し大きいかもしれないけど我慢してくれ」
「あ、ありがと……それと」
「ん?」
「ごめんなさい…血で本が…」
自身が横になっていた本のベッドに目をやる。
その何冊かに血が滲んでいた。
「ふ、ははは」
久咲は軽く笑った。
不思議そうな顔を志友梨がしていると、
「いや悪いね、急に笑って。意外と礼儀正しいと思っただけだよ」
「殺しますよ」
目の色が冷たくなる志友梨に、怖い怖いとからかうように久咲が言う。
「シャワーでも浴びてくるといい。話はそれからだ。君が途中で寝てしまったから話しそびれた事がいくつかある」
◇
「さて、昨日の話は覚えているかい?」
組み上げられた本を椅子として座る。
それから志友梨はコクリと頷いた。
死んだように眠る話。
魔眼が生み出す『剣』。
久咲の目的が『夜』に到達する事。
―そして私が『夜』に到達する為の『鍵』だという事。
確かこんな話だったと自身で再確認する。
「そういえば…」
、と切り出したのは志友梨のほうだった。
「『夜』に行きたいのはわかったけど、…そもそも『夜』に何があるの?」
夜を場所として解釈し、そこへ行く事が目的。
しかし、場所へ向かって終わりではないはず。
必ずその場所で何かをするという本当の目的がある。
「いや、本当に到達する事自体が目的さ」
「?」
「『夜』というのは当然本来は場所じゃない。そこへ到達するという事は僕らの住む次元より上の高次元になる事。“概念”に成り果てるか、もしくは“神格化”するしかない。僕ら魔術師の目的はそれなんだ。即ち高次元の存在こそが目的なんだよ」
「……………」
彼の言っている事の半分も理解できていない志友梨は相づちも打てず、ただ聴いているしかできなかった。
「『夜』へ到達する方法は数多あると言われている。だが、反対にそのほとんどが到達できないと否定する意見もある。要は正しい方法がわからないんだ」
「…………」
「1つ1つ試すのは時間の無駄だ。どれだけ時間があっても足りないくらい。正直、雲を掴むような話だ。でも、相手は方法を選択した。これが正しい道だとね」
相手。
『眠り』の魔眼を持つあの少女。
彼女は夜へ到達する方法を知っているという事。
「生け贄を捧げる、相手が選んだ方法だ。古来から神様へ繁栄、豊穣の祈りや神の怒りを鎮める為に人が捧げられてきた。選んだ道とはこれだ。人間を殺してその死を『夜の女神』へ捧げる」
やはり聴いても志友梨はイマイチ理解できなかった。
そんなので本当に『夜』に到達なんてできるのか。
いや、そもそも『夜』に到達というのも志友梨は完全には飲み込めていない。
「そうだったね、君は魔術について無知だった。簡単に言うと、死の収集。人を殺し続けて到達を目指すって事だよ。
昨日君が居た工場地帯、あの場所には“結界”が張られていた。人を吸い寄せる結界だ。無意識にあの場所に引き寄せられた人間を狩って、死を収集しているんだ。」
「はぁ、なるほど……どういう理屈かは解らないけど、相手が何をしてるのか解った」
難しい魔術の話は置いといて、相手が何者なのか、何かしたいのか、それが知れただけで十分だと志友梨は思った。
そしてあの少女、『眠り』の魔眼を持つ彼女が少し羨ましいとも思った。
ちゃんと目的があって殺している。
理由もなく衝動だけで殺している自分とは違うと比較してしてしまう。
「そこで志友梨。相談なんだけど、僕の目的の為に手伝ってくれないか?」
「……ん、わかった」
即決だった。
その答えに久咲は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「これまた意外だ。普通こんな事件に巻き込まれたら悩むか断るだろうに。昨日会ったばかりの僕は信用に足る人間かい?」
「頼んだのはそっちなのに…。助けてもらったし、それに殺人に理由ができるのは良い事だと思うから」
「律儀な殺人鬼だ。ともあれ有難い。よろしく仮宮 志友梨」
「…………」
口数の少ない彼女は言葉の代わりにコクリと頷く。
こうして2人は協力関係となった。
殺人犯と魔術師。
彼らがこれから如何なる道を選び進んで行くのか、また、何が待っているのか…。
◇
それから志友梨を家に帰すことになった。
家族も心配してるだろう、と久咲が言うと、
「家族は居ない」
いつも1人だと『死』の少女は言った。
「留守なのかい?」
志友梨は首を横に振る。
「―私が殺した」
声色は変わらない。
さも当然だと言わんばかりの声。
なるほどそれは殺人鬼らしい。
なるほどそれは『死』らしい。
「治癒魔術をかけたとはいえ、君はまだ怪我人だ。本当はうちに居てほしいけれど」
外に出れば、また襲われる可能性だってある。
が、彼女をいつまでもここに居させるわけにはいかなかった。
「私なら大丈夫」
そう言って志友梨はこの本が溢れる部屋を後にした。
「…行け」
久咲は何かに命令する。
直後、白い犬のようなシルエットが志友梨の後を追った。
「用心に越した事はない」
『帰しちゃっていいの?手の届く範囲に置いておきたいでしょうに』
話し掛ける声。
しかし部屋には久咲1人。
「お前が居るからだ。志友梨に被害が及ぶ」
姿なき声と久咲は会話する。
親しげに、まるで同居人がそこに居るように。
『猛獣みたいに言わないで。まぁでもあの魔眼の子が帰ってくれたのは正直に嬉しいわ。蒼を独り占めできるから』
その声は少女のものだった。
依然姿を見せず会話する。
「嫉妬深いからね、お前。志友梨には帰ってもらうしかなかったんだよ」
『あ、また嫌味言った?ふふ、でも私はそんな貴方が好きよ、蒼』
「………とにかく今後志友梨はここに来る事もあるだろうから、手は出すなよ」
久咲は大きく溜め息をつく。
厄介な奴に憑かれたものだ、心の中で呟いた。
これからどうしたものか。
積み上げた本に座り、顎に手を当てて思考する。
― さて、どう夜へ至るか。