始まりのタナトス
『剣』。
刀身までも黒い禍々しいそれは突如現れ、男二人を串刺しにした。
「いや、これは……」
『剣』の出現を目の当たりにした仮宮 志友梨は刀身の根元を見る。
確かに死体を盾として扱った男のは貫かれていた。
しかし、盾として扱われた死体はその『剣』に貫かれたというより、
「生えてきた?」
盾となった死体の背中から刀身が伸びている。その根元からは一切血が出ていなかったのだ。
つまりは死体から『剣』が生えていた。
ルビーの瞳を持つ少女もその光景に唖然としていた。
「これは、……魔術?そ、それとも……」
少女は腕を組んで何か思考していた。
が、志友梨にそんな余裕はない。
洗脳されたと思しき人間がまだ残っている。
残りは4人。後ろの少女を合わせて5人。
ナイフがあるとはいえ、依然不利なのはわからない。
でも、手がないわけじゃない。
あの『剣』。
相手は丸腰だ。武器になるような物は持っていない。
ナイフよりリーチのあるあれを手にすれば複数人が相手でもなんとかなる筈だ。
しかし逆にここで相手に『剣』を奪われるのが一番まずい。それだけは……。
洗脳された者が近づいてくる。相変わらず動きは鈍いが、また突拍子もない事をするかもしれない。
志友梨は死体から『剣』を抜く。
『剣』の全身が姿を見せる。
黒くて分かりづらいが、細身の両刃でちゃんとグリップもある。刃渡りは80㎝程。形は西洋の剣だった。
「っ……、ここは撤退か」
あんな剣を取り出されては勝機はないと判断して、この場を去ろうとする少女。
その一瞬、志友梨の方を一瞥して呟く。
「あの眼、やっぱり……」
一方で『剣』を手にした志友梨は不思議な感覚に飲まれていた。
妙に手に馴染むのだ。
まるで昔から愛用していたような、
まるで身体の一部のような。
―構える。
剣術の心得はないが、十分に渡り合える筈だ。
まずは一番近くにいる男に斬りかかる。
上段、右上から左下へ一閃。
相手に避ける機動力はなく、命中する。
が、やはり問題はここからだった。
後方に控えていた別の男が斬られた男を勢いよく蹴り飛ばした。
目眩しのつもりか、心で呟きながら『剣』で斬り払う。
返り血も気にせず前に向き直ると、2人の男が手の届く範囲まで接近していた。
左側の男は拳を握り、顔面目掛けて放つ。
間一髪でそれを回避すると次の攻撃が飛んでくる。
右側の男が蹴りで志友梨の足を払う。
バランスが崩れ、志友梨の身体は倒れるしかない。
―そう、通常ならば。
『剣』を地面に突き立て、それを支えにして殴ってきた男の顔を蹴る。
志友梨の足が地に着く。
それと同時、右側の男が掴みかかる。
しかし悲しいかな。人の腕と『剣』、どちらが長いかなど言うべくもない。
横一文字。その男は切断される。
あと2人。呼吸を整えて、『剣』を振る。
その前に、
―志友梨の背中に何かが突き刺さった。
「がぁ………!?」
後ろを見る。もう1人の男がガラス片で刺していた。
油断した。相手は武器などなく、丸腰の人間だと。
建物の窓を割って武器を作った。
その発想を志友梨は持っていなかった。
自身の血が地面に落ちるのを視認すると、黒い剣は霧散した。
「あ………なん、で……」
武器も消えてしまった。
いつのまにか、目の熱さも治まっていた。
これは死んだ、そう思った。
これは罰か、そう自分に言った。
「―初戦にしては上出来だよ」
新しい声。
その声と共に風が吹き荒れた。
風はガラス片を持った男に噛み付いた。
首元を食い千切られていた。
その風の正体は一匹の白い犬。
血が付着しているものの、綺麗な白だった。
瞳は黄金。そして首輪の代わりに大粒の数珠が首に巻かれている。
「………っ」
志友梨は一歩退いてしまう。
白い犬の鋭い眼光に気圧された。
まさか次は自分が食われるのではないか、という不安が脳裏をよぎる。
犬が飛ぶ。
志友梨を越えて残りの洗脳された男へ向かう。
鮮やかな動きで犬はまた男の首を狙い、牙を剥いた。
瞬時に動きが機敏になるとはいえ、通常スローモーションな男は抵抗する間もなく狩られた。
その犬の姿を見つつ、全身の力が抜けて志友梨はその場に座り込んでしまう。
「あの犬は、一体…」
その問いに誰かが答えた。
「あれは僕の飼い犬だ」
声の方に目をやる。
電柱の物陰からこれまた白い青年が現れた。
年齢20代後半くらいで銀髪、白いカッターシャツに
黒いズボンの青年だった。
「僕は久咲 蒼。君は?」
「…………」
「警戒されて当然か。大丈夫、僕はこの人達みたいに操られてない。だから僕は敵じゃないしあの犬だって君を襲ったりしない」
立てるかい?、と久咲と名乗る青年は手を差し出す。
「貴方は、何者なの?」
「名前は名乗った」
「そうじゃなくて、……その」
「―魔術師。僕は魔術師なんだ」
その言葉に志友梨は何も言葉を返せなかった。
呆れたわけじゃない。ただ何となく腑に落ちたというか、納得してしまっていた。
「君は?君の名前をまだ聞いてない」
「私は、仮宮……志友梨」
敵意のようなものは感じられない。
味方として判断してもいいのか、志友梨は迷っていると、
「志友梨か。じゃあ志友梨、ここを離れようか。ここの近くに僕が泊まってるホテルがある。そこで傷の手当てをしよう。それと君が置かれている状況も教えよう」
優しく魔術師は微笑みかけた。
◇
結局、足に力が入らず久咲におぶられてホテルに着いた。
途中までついて来ていた白い犬はいつの間にか姿を消している。
「本当なら病院に行くべきなんだろうが、君は殺人犯だからね。相棒が捕まるのは困る」
などと言いながらホテルへ入る。
「もういい、降ろして」
久咲の背中から降りてロビーを見渡す。
そこで志友梨は気付いた事があった。
辺りの人は誰も志友梨と久咲を見ていない。
久咲はともかく、志友梨は血塗れだ。間違いなく人の目を引く格好だろう。
「彼らには僕らは見えてないよ。『人払い』の応用で…って言っても分からないか」
どういう理屈か、他の人には見えてないようだ。
ロビーを抜けてエレベーターへ向かう。
久咲の部屋は5階だという。
そしてあの本に埋もれた部屋に案内されて、傷の治療をする。
そこで志友梨は聴かされる。
―『死んだように眠る夜』の話を。
◇
「思い出せたかい?あの時出現した『剣』、あれは君の眼の作用だ」
久咲は志友梨の眼を指差す。
確かにあの時志友梨の眼に燃えるような痛みが走った。
しかし、それとあの黒い『剣』になんの関係があるのか。
「君の眼、それは『魔眼』だ。魔を宿した眼。対象を視る事で何らかの効果を発揮する。
例えばゴルゴンの眼。これは有名だし聞いた事があるんじゃないかな?視た者を石にするってやつさ。あれは別格だけど『魔眼』の一種だよ。
『魔眼』には5つの属性があって、『死』、『死の定業』、『死の運命』、『眠り』、『夢』。そう、夜が生んだ子供達だ。」
ああ、ゴルゴンの眼はこの5属性には当てはまらないけど、と付け足す。
白い魔術師は続ける。
夜にまつわる『眼』の話を。
「志友梨の『眼』の属性は『死』だろうね。一部始終見ていたからわかるよ、君が最初にナイフで首を切った男から『剣』が伸びていた。恐らく、その『魔眼』の能力はこうだ」
久咲は一拍置いてから言う。
「死体から『剣』を生成させる能力」
志友梨は口を挟まず聴き続ける。
「人の死を視る事で、その死を『剣』へ象徴化する。
ちなみに神話でのタナトスも剣を持っているとされる。タナトスは死んだ人間の魂を冥界に連れて行く役割があり、その際に死んだ人間の髪を一房切ってから連れて行く。君の『剣』はそれだ。さぞ斬れ味が良いだろうね」
積み上げられた本の山に久咲は腰を下ろした。
「魔眼に………属性………」
志友梨はあの少女を思い浮かべる。
ルビーの瞳を持つ少女。
あの眼も魔眼なのだろうか。
「君が対峙した少女、あの少女も魔眼を所持しているのか」
読まれていた。
志友梨の思考はお見通しらしい。
「遠目で見ていたからイマイチ分からなかったが、どうだった?彼女の眼を見て何が起こった?」
「…………睡魔に襲われたような、急に意識が遠のいて」
「なるほど、だから自分の腕を刺したのか。なら彼女の魔眼は『眠り』属性で間違いないだろう。視た者を眠らせる。分かりやすくて助かる」
「…………」
手で片方の目を覆う。
何故、自分にこんな能力が発現したのか。
何故、自分はあの少女に命を狙われたのか。
この2つの疑問が志友梨の頭に浮かんだ。
「魔眼の発現、殺されかけた理由。ここからは僕らの目的にも関係する」
「目的……」
「『夜へ到達する事』。これが目的だ」
「……?」
「魔術師達は夜を来るべき時間ではなく、到達するべき場所として捉えた。五つの属性に分類される魔眼は言わば『鍵』だ。夜への扉を開ける為の『鍵』」
「私が、この眼が、『鍵』」
『死』の魔眼。
夜へ到達する為の鍵。
志友梨はゆっくり視線を落とす。
床には数多の本。その中の1つ、久咲が持っていた『神統記』が目に入る。
(夜に、か……)
その響きは詩的で、魔的。
彼女の意識は次第に薄れていく。さながら夜に飲まれていくように。