手招く夜
―例えて言うなら、図書館だろうか。
いや、図書館ならもっと整理されているもの。ここは本が無造作に置かれ、本棚はあるが正しく収まっていない。結果、足の踏み場もない。この広い部屋は本達に埋め尽くされていた。
そんな中、魔術師と名乗る彼は本の山から一冊手に取って言った。
「その昔、医学があまり発達してない頃。夜は死をもたらすと考えられていたんだ」
彼はページをめくり、物語を聴かせるように少女に話す。
「ある人が夜に眠り、そのまま息を引き取った。
ただ病で死んだだけだったが、人々は夜が彼を殺したのだと考えて恐れた」
以来、夜とは死の時間だと信じられてきたんだ、と魔術師は語りながら本を閉じた。
「夜は基本、眠る時間だ。眠っている人間の横に死体を並べて見ればどちらが死んでいるのか分からない。
故人曰く、『死んだように眠る夜』だとさ」
すると彼はまた新しい本を一冊選び取る。
今度は目の前の少女にタイトルを見せた。
本のタイトルは『神統記』と記されている。
「ギリシャ神話、知っているかな?…うむ、知らないという顔だね。まぁいい。重要なのはここさ。
『混沌』から生じた神々『幽冥』と『夜』、そしてこの夜から生まれたのが『死』、『眠り』次いで『死の定業』、『死の運命』、『夢』が生まれた。他にも色々な神が居るが、君達に関係するのはこの辺りだな」
「…………」
少女は無言で魔術師の言葉を聴いていた。
口を挟まず、眉一つ動かさず。
ただじっと、魔術師の目だけを見つめていた。
「僕の話を聴いてくれるのは嬉しいけれど、相槌くらいは欲しいものだ。君みたいな人は誰も彼もそうなのかな?」
「…………」
依然、少女は動かない。
「まぁ、いいか。君は晴れてこちら側に来たわけだ。さっきの戦闘でわかってもらえただろう、君の『眼』の事を。」
魔術師は本から少女へと目を移し、少女を見つめ返す。
すると少女は目を閉じる。
そして先程起きた事を反芻した。
◇.
―私の意識は昼になく、
―私の心は夜にある。
仮宮 志友梨は学生である。
学生の身である私は当然学校へ向かう。
都内の高校に通う二年生だ。
学校での私は抜け殻である。
憂鬱、とも違う。
面倒、これも違う気がする。
無関心。
学校には何も無く、ただ私にとって待ち合い室のような場所。
夜が待ち遠しい。
そう思っていれば存外それは早くやって来る。
7月某日。
時間はすでに午後9時を過ぎていた。
その日は雲が多く、街灯無くしては暗くて何も見えはしない。
私は制服から私服に着替え、夜の街に繰り出していた。
線路をまたぐ歩道橋。人通りの少ないここが今日の『狩り場』だ。
そこへスーツ姿の男性が一人、この歩道橋に登って来る。仕事帰りなのか男性の表情は疲れ気味に見えた。
これで何人目だろう。確か4人目だったか。
そんな事を考えて私はポケットからナイフを取り出す。
………。
数分後、その場に残ったのは横たわる男性と赤黒い水溜りだった。
◇
衝動は抑えている。
自分でもそう思う。だってまだ4人だけだ。
中学に上がった時からこの衝動に駆られ、ずっと抑えてきた。
だが、最近は拍車が掛かり、この感覚に襲われる。
『殺したい』と。
恨みがある訳ではないし、快楽を求めている訳でもない。
ただ、そうする事が当たり前のように、使命感のようなものがあった。
(使命感……。そんな大層なものじゃないか、これは私の、ただの…)
ただの、なんなのだろう。
快楽殺人者みたいな欲もなく、兵士みたいに殺さなければ、という使命感もない。
(………)
どうでもいい事か、とこの思考を切り捨てる。
私は後処理を済ませ、さっさと帰るところだった。
この時からいつもと違っていた。
辺りを見渡せば静まり返った工場地帯。
帰り道とは全然方向が違った。
まるでこの場所が私を誘い込んだような奇妙な感覚。
(なんで私はこんな所に……?)
「こんばんは、殺人鬼さん」
突然の声。
その声がした方向を向くと一人の女子高生が居た。
あの制服を見る限り私と同じ高校に通う学生らしい。
後ろで結われている赤み掛かった髪。そしてルビーのように怪しく光る双眸。
街灯に照らされて映る姿はホラーじみていた。
ぐらっ、と一瞬視界が揺らぐ。
意識が遠のく。
が、寸前のところで、気を強く持って踏ん張った。
「無理せずにどうぞ眠ってください。暴れられては困りますから。貴女が眠った後、苦しみなく殺してあげます」
(この頭の中がぐるぐる回る感じ、眠気…?!)
催眠ガスか、それとも催眠術。トリックはわからないが眠気が襲ってくる。
このままではまずい、ここは逃げなければ。
明らかに体の動きが鈍っている。
眠気が邪魔をする。
それならば、と私はポケットにあるナイフを手にする。
「ん、その状態で私を殺せると?」
ルビーの瞳をした少女はナイフに驚く事なく、一歩一歩こちらへ進んで行く。
「違う…これは、逃げの一手…!」
相手に聴こえるかどうかの私の呟き。
ナイフを持った右手が左腕に振り下ろされる。
「な、ナイフを突き刺した!?」
左腕に激痛が走る。
赤黒い血が垂れ流れる。
しかしこれでいい。
頭を支配していた眠気は激痛によって上書きされる。
(意識がハッキリしてる、これなら走って逃げれる)
私は身を翻し、元来た道を全力で走った。
後ろにチラリと目をやる。
追ってくるかと思いきや、彼女は足を止めて私の行く先を眺めるだけだった。
何故か、その疑問はすぐに解けた。
私の前方、複数の人間が道を塞いでいた。
数は6人。そのどれもが動きが鈍く、目はあらぬ方向へ向いている。とても正気とは思えない。しかしそれでいて全員私を阻もうとしているのは明らか。
これもあの女子生徒の催眠術か何かか。
一度躊躇するが、あの得体の知れない女子生徒と対峙するよりマシか、と私は目の前の集団に突っ込む。
ヒュンッ、風を切る音。
一番前の男の首をナイフで切ったのだ。
深い傷。これで死は避けられまい。
こいつらが動きが遅くて助かった。
これなら容易く道を開ける、そう思った瞬間だった。
集団のうちの一人が、首を切られた男を盾にして突撃してきた。
咄嗟には避けられない。
直後、その盾が私に激突する。
ダメージは少ないが地面に押さえ込まれる。
「大人しく眠っていれば苦しまずに済んだのに」
その声に呼応するように、『盾』を持った男が私の首に手を伸ばす。
地面に押さえ込まれている状態では迫る手を防ぐ術がない。
男の手が私の首を絞め始める。
―痛い。
徐々に締める力が強くなり、空気が吸えなくなっていく。
―痛い。
体も圧迫されているため、内臓が口から出てしまいそうだ。
―痛いッ、
死を確信した瞬間―。
―『目』が痛い!
目が焼けるような痛み。
そして瞬きをした時、ズシャッと、肉の裂ける音がした。
男のから血が滴り落ち、首を絞める力も急激に弱まった。
何が起こったのか自分でも理解できていない。
ただ男の背中から何かが伸びているのが確認できた。
「何よ、あれ……」
言ったのはルビーの目を持つ少女だ。
私は大きく息を吸ってのし掛かる二人の体をやっとの思いでどかせる。
見てみるとそれが伸びているのは盾となっていた首を切られた男からだった。
盾を持っていた男はそれに貫かれた形になる。
それとは、形容するなら『剣』だ。
全身を黒く染められた、禍々しい『剣』だった。
「これ、は……?」
私の目は未だ、熱を保ったままだった。
続