LXV 卍 【A I 崩壊】 卍
SNSに観てもいない映画についてなにか書くのはフツー禁じ手だが、ここはなろうの片隅であるし、たまには良いだろう。
で、ついでだからなんで【A I 崩壊】はスルーするつもりなのかも述べたい。理由は簡単、観なくてもオチが分かるから。
たぶん、AI崩壊の原因は黒幕の人間がシステムに手心を気加えたため、というオチでっしゃろ?
それだとAI関係ないよね。プログラムいじっただけだもん。
仮にそうでなかったら、HAL-9000かスカイネットなみに人工知能が自我に目覚めた、という筋になるわけで、本格SFになっちゃう。これは邦画ではとうてい手に負えないテーマです。しかも微妙に古くさい。
いや邦画に限らず人工知能ネタは妙にリアリティがない。
むしろキリスト教欧米圏のほうが早々と知的限界に達していると言える。
つまり
なんで自我が芽生えたコンピューターは突然人類に敵対しはじめるん?
なんで自我に目覚めたロボットはかならず人間になりたがるのよ?
百歩譲って究極AIが超合理的解釈で人類を根絶やしにしよう、と決断する可能性はあるだろうけれど、たぶんそこに悪気はない(これは短編小説では大喜利的にいろいろ書かれてはいるけど)。よりによってわざわざ名乗りを上げて敵対はねーわ。知らせる必要ないじゃん。
ロボットが人間になりたがる、というのはいかにも欧米的人間至上主義というか、じっさい最新の映画やドラマでも相変わらず、人間になれないロボットを不満が鬱積した哀れな存在として描いてばかりだったりして……この想像力の欠如を知的限界と言っています。
日本なんか映画に限らず馬鹿のひとつ覚えで「AIガー、AIガー」連呼してますけど、たぶん7割くらいはAIがいかなる英単語の略かも知らなそう、というレベル(笑)
筆者も以前このテーマに果敢に挑戦(笑)したのだが、書いてみた結論は、「人工知能が自我に目覚めるとしたら、もっと異質で計り知れない意識を獲得するはずだ」というもの。少なくともわざわざ人間なんかになりたがったり、人間の女に恋したりしないだろう。お手本として参考にはするかもしれないけれど、動物的進化の道筋を経てないんだから妙に歪なものになると思う。
こういう案配は手塚治虫が存命だったらうまく料理してたかもしれない。一番イイ線まで行ったSFはJ・P・ホーガンの『未来のふたつの顔』だったと思うが、やっぱりちょっと物足りなかった。
というわけで、【AI崩壊】面白かったよ?あんたの推測ぜんぜん間違いだから、というかたがいらっしゃいましたら遠慮なくコメントくださいませ~()