LⅡ 卍 世界がビートたけしだったなら 卍
歴史は不真面目な人間が作る、というのがわが持論。
そして、その「歴史的事実」を、真面目で退屈で面白味のない人間がそのつまらない感性に従って、真面目で面白味のない大衆が読むに耐えうる言葉で上書き糊塗したのが歴史書。
まるで歴史は真面目な人間の努力で築かれたかのように、無味乾燥な「公式記録」が積み重ねられてこの世は形作られている。アレキサンダー大王とナポレオンが張り切ってたのはチビだったから、とか教科書的解釈に盛り込めないですよね。あるいは伊達政宗はB型だったとか、発明王エジソンはじつにアメリカ的なクズ野郎でした、とか。
そうした「真面目バイアス」は歴史のみならず、最近の事物や人物的解釈から物語までも過度に真に受けて語っちゃう行為、はては日々のニュースだってそういう「翻訳」が成されていると言えましょう。
ガンダムを社会学的に語っちゃったりね。
新橋だかで見つかったバンクシー作品を巡るマスコミと都の対応なんて、バカで退屈で俗な人間のかたまりのようでしたでしょう。
つい最近であれば
悠仁さまが通われる中学校、机の上に刃物が
のニュースは
56歳アニオタ男性、侵入して自作のロンギヌスの槍を机に放置
とはならない。
ワイドショーのネタとしては興味深いけれど、真面目なニュースとしてお茶の間に供されることはない。真面目な視聴者の皆様が腹を立ててしまいますからね。
その点、内田裕也死去を巡る報道は面白かった。だって近親者はみんな口を濁して、決して美化しようとはしていないのに、テレビは必死に美しい話にしようとしているんだもん。
マスコミはなにひとつ正しく報道できない、というのはずいぶん前から言われていることだけど、生徒を砂に埋めちゃった熱血先生の話とかさ……実際にニュース元を訪ねないと深層が見えない温度差ってたぶん沢山あるでしょう。だってニュースなんて限られた時間でディレクターが手前勝手な解釈盛り込んで、劇的な音楽まで付けて「編集」という名のドラマに仕立て上げちゃって、しょせん視聴率を稼ぐための「消費財」でしかないんですから。
そこに持ってきて、ここ数年、だれかが不真面目であろうとすることに対する世間の許容範囲が極端に狭まっている気がします。そんな明らかなユーモア感覚の欠如によって、昨今誰もが感じる閉塞感が醸成されつつあるような。




