XLⅨ 卍 停滞 卍
日本人は情緒的に死にかけている……最近とみにそう思うんだけども。
日本人がなにか凄いことをしている……と、最後に感じたのはF-1ホンダエンジンとスーパーファミコンの頃くらいかな。
ご存じのようにその後コンピューター産業はアメリカのひとり勝ちになって、アジアにもシェア持ってかれちゃって、いつの間にか得意のゲームでさえ完敗している。
国産スマートフォンもろくに作れない。ホンダジェットはいつまでたっても飛ばず、リニア新幹線のワクワクしない感もアレだし、トヨタだけ元気だけど半分アメリカ企業みたいなもんだし、「どうしてこうなった」感が半端ねえです。スポーツも国際大会しか注目されなくて野球も格闘技もサッカーもダメという。
わたしの知っている分野では『プラモデル』。タミヤ/バンダイは世界最高水準の商品を世に送り出しているけど、世界を席巻しているかと言えばぜんぜん。
逆に日本の産業全体に当てはまる課題……技術の継承がはかどらず、品質の維持がいつか途絶える、という深刻な問題に直面しつつある。
いっぽうでアジア大陸方面は現在プラモデルブームであり、上海や台湾の一部メーカーはタミヤより出来の良い戦車のプラモを作り出している(組み立てやすさや品質安定感はタミヤなんだけどディティールが凄まじい)
プラモデル生産の根幹を成す「金型」の製造を彼らは大学で習っているのだ。それでプラモだけじゃなくて、「ホットトイズ」の1/6ヒーローフィギュアなんてすごいし、バンダイ玩具部なんてほとんど中国生産で、ロボット魂とか聖闘士星矢のマイスシリーズなんて「どーしたらこんなパーツ抜けんだよ!?」のオンパレードなんです。
日本は技術を持った職人が死んでしまったらそれでジ・エンド。
これはアニメも同様……
批評家が小賢しい作品論を振りかざしたところで、けっきょく大事なのは「アニメーター」なのだ、が……
思い起こしてみなされ。かつて我々は【カリオストロの城】のフィアット500、イデオンやマクロスの板野サーカス、巨神兵の口ビームで王蟲が吹っ飛ぶシーンやオネアミスの庵野作画ロケット、そうした「シーン」を視聴することで「快感」を覚えた。
けどここ20年で、そういう特定「シーン」が心に残ってる作品てあります?
「ここだけは早送りできないんだ」ってなんども見返しちゃう場面よ?
ほとんど無いっすよね?
自分的には【フルメタふもっふ】最終回、宗介にクラス全員が無音で襲いかかるところとか……キャラの「動き」で楽しめたのはせいぜい「ハルヒ」までの京アニが最後。あとガルパンの最終回とか。
そう、「あの作品の第○○話の戦闘シーンはすごかった/あの動き超笑った」といった文脈でアニメが語られることがとんと無くなったのです。
むかしは有能アニメーターが暴走した結果「神回」が生まれましたが、現在そういう個人プレーは推奨されなくなって、反面、平均的に作画は安定してても「動き」が面白かった、という印象は皆無になってしまった。
ときどき劇場版アニメとかで「神作画!」って言う人がいて、観るとたしかにすごい丁寧で綺麗で緻密なんだけれども、巻き戻して見返すかって言うとウーン……
それなのにイマドキは「綺麗な絵」だけが独り歩きした結果、昔の絵は古くさいから観たくないと言われちゃって、気取った言い方だと「多様性の喪失」っての。
しかし……たとえば昨今の、トメ絵だけはしっかり描かれてる料理、しかし箸や茶碗の大きさがデタラメだったりでぜんぜん旨そうに食べてるように見えない……彼らの好きなジブリメシシーンにはまったくおよんでいのに、作り手も受け取り側も、なにが問題なのかまったく気付いていない。
かように根本的な技術面での継承の無さ、知的探求心の不在がいろんなモノをダメにしつつあるけど、誰も対処せず無自覚なままなにかを失ってゆく。
ここ10年くらいはすべての分野で「だるさ」……一生懸命やってもしょうがないという諦観めいたモノが日本人の精神にたゆたっているように思えて、なにか生命力を吸い取られてゆくようで。
ときどき○○選手が金メダル取った!みたいなネタで一時的に元気になるけれどそれはエンタメ方面のみで、国の根幹に関わるところでそういうのは知らない。五輪も万博も「あーハイハイ(めんどくさ!)」みたいな感じで、なにか息苦しい今日この頃。