8話 誰かの電話
それからしばらくの間、二人は僕の事などほったらかしで言い争っていた。
否、言い争っていたというよりは、千鶴子が一方的に捲くし立てているのを、英知がいなしているような感じだったが。
それを見ながら僕は、ふと、栞がいない事に気付いた。
てっきり僕に続いて部屋に入って来たと思っていたのに。
そもそも栞は、何故この部屋の鍵を持っていたんだろう。落ちていたと言ったが、それは本当なのだろうか。
その【落ちていた】という鍵の、部屋の中に何があるのか、気にはならないのだろうか。
………考えていても、答えは出なさそうだ。
栞の考える事は、一ヶ月たつ今になっても、よく分からないのだから。
僕が悩んでいる間に、いつの間にか二人の言い争いも終わったようだった。
もっとも、千鶴子さんは、せっかく……とか何とか、まだぶつぶつ言っているが。
「それで、本当は何であんな事になってたんだ。」
そう聞く英知の声は、あきらかに調子が違っている。千鶴子さんも、その様子から何かを感じ取ったらしく、真面目に―――少なくとも僕にはそう見えた―――答えた。
「分からないの。昨日の夜は、ちゃんと自分の部屋で寝た筈なんだけど、今日、目が覚めてみるとああなってて。」
腕を組み、難しい顔をして考え込む英知。
「誰にやられたのか、分からないか?」
「分からないし、検討も付かないわね。」
僕だって検討も付かない。そんな事をする意味が分からないからだ。
そもそも、これは鞘香さんの事と何か関係があるのだろうか。
「よく思い出してくれ、何か心当たりとかそういうのは?」
「ん?どうしたのよ?何かいつもより真剣じゃない?」
と茶化す千鶴子さん。
対して英知は、真剣な表情を崩さずに、
「鞘香が、いなくなったんだ。」
と短く言った。
千鶴子さんは、悪かったわねとつぶやき、何かを思い出そうとした。
「ひょっとするとアレかしら。んー………違うような気もするけど。」
「言ってみてくれ。」
「ん、昨日ね、夕方くらいに、急に立ちくらみがしたの。」
「それで?」
「うん、その時にね、【能力】が暴走――というか、何というか――制御できなくなっちゃって。私の意志とは関係なく、誰かの身体に飛んだのよ。」
「それが誰かは分からない?」
確認する英知。
「分からないわ。それに、いつもと違って、身体の主導権は、完全に向こうにあって、私はただ見てるだけ、みたいな感じだったわ。」
「ふぅん、つまり盗聴みたいな感じか?」
「ん、言い方は悪いけど、そんな感じね。向こうも気付いてなかったみたいだし。」
「それで、その時に何を聞いたんだ?」
「何かね、ノイズ―――みたいな何か変なのが酷くて―――誰の声だったのかは分からなかったんだけど、「すみません、違います。わたしじゃありません。おそらくそうだと思います。ええ。まさかあんな物が本当にあるなんて。ええ、はい、ええ、大丈夫です。何とかします。はい。では。ガチャ」、って。」
英知が意外そうな顔をして言う。
「ガチャって、【此処】に電話何かあったか?」
「んー分かんないけど、私たちが知らないだけで、きっとあるんじゃないの?」
ふむ、と英知は、目を瞑って本格的に考え込んでしまった。
千鶴子さんの言った事はどういう事なんだろう。【あんな物】っていうのが何かは分からないけど、それが鞘香さんの消失、及び千鶴子さんの変な状態い関係しているような気がする。
【私】という一人称を使っているんだから、電話をしていたのは栞かフォリスなのか?
ああいや待てよ。
「千鶴子さん、その、今言った言葉は、まったくその通りなの?」
「ん?その通り?どういう事?」
「いや、だから、つまり、聞いたそのまま。一言一句違わずに言ってる?」
「えーと、うーん、どうだろう。昨日の事だし、あんまり自身ないかも。」
つまり、電話をしていたのが誰かは結局分からない、と。
千鶴子さんだから尚更である。