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※20話 一つ、或いは二つの崩壊

鞘香と茉莉の言い争いがヒートアップしていく過程で、カチリと歯車が噛み合うように、或いは辛うじて引っかかっていた歯車が外れるように、茉莉の雰囲気が変わった。背中越しなので表情を見る事は出来なかったが、茉莉の放つオーラのようなものが、変化したのだ。もちろんオーラなんてものを見る事は出来ないが、部屋全体の空気が張り詰めた感じがした。そんな不穏な空気をひしひしと感じながら、俺は隣りに立つ栞へと問うた。


「……………おい、栞、まずいよな、コレ?」

否定してくれ。と、そう思った。いつものように、何処から来るのか分からない余裕で、俺の言葉を否定してくれ。と、そう思った。

「…………………………ああ。」

だが、そんな俺の願いは叶わず、栞は彼女らしくもない真剣な表情と声で、俺の言葉を肯定した。


俺と栞のエセまんざいにより、弛緩しつつあった空気は、再びきりきりと絞り尽くされ、今にも爆発してしまいそうだ。それでいて、部屋はやけに静かだった。誰かが動く事で、否、声を出すというただそれだけの事でも、この微妙な均衡を壊す起爆剤に成り得る事を、皆が無言の内に理解していたのかもしれない。さっきまであれほど喚きたてていた鞘香でさえも、押し黙っている。

―――――怯えているのか?よくよく見ると、鞘香の体は小刻みに震えていた。視線はただ一点、茉莉の顔を見つめている。


時間が進むのがやけに遅く感じる。喋ることも動く事も出来ないまま、俺は目の前の二人から目が離せないでいた。どれくらいの時間が経ったのだろう。1分か2分か、それとも10秒くらいかもしれない。ピクリと茉莉の腕が動いた。それが契機であったかのように部屋が再び動き出した。


「…………い…や。来ないで」

呟くように鞘香が言う。その言葉に何の反応も示さず、茉莉の腕は少し後ろに引かれた。

………まさか、殴る気か?

ふとそんな考えが頭に浮かんだ。しかし俺は慌ててその考えを打ち消す。何を考えているんだ俺は。アイツは、茉莉は、そんな奴じゃない。


「私と鞘香君との間の空間を【縮めて】くれ!!」

隣りから、怒鳴るような栞の声が聞こえた。

「は?」

そのやりとりの間にも、茉莉の腕はさらに後ろに動く。まるで俺たちに見せ付けるように、ゆっくりとした動作だった。それは、茉莉の中の迷いだったのかもしれない。


「速くしろ!!」

再び栞が怒鳴る。

どうやら茉莉は鞘香を殴ろうとしているようだ。その様子を見ても、しかし俺は動けなかった。ひたすらに現実感が希薄だった。


「おいっ!!」

自分は動けないが、どうやら栞は動けるらしい。栞の要求に答えるという事は、栞が鞘香のいる位置に行くという事で。それはつまり………。

いや、それでも。茉莉はそんな奴じゃない。栞にも何か考えがあるのかもしれない。彼女の【能力】で、防ぐ算段があるのかもしれない。そんな甘い考えで、俺は栞の要求に従い、空間を【縮めた】。予想通り、鞘香の前に、庇うような形で栞が割り込んだ。

…………うぉ、しんどい。やっぱりもう限界だな。こんな事は早く終わらせて、帰って寝よう、という俺のどこかずれた考えは、目の前に起こった事実を見て吹き飛んだ。



茉莉が栞を殴った



パーではなくグーで。いやそれは今はどうでもいい。殴る対象が栞になった途端、茉莉は何やら反応したようだったが、勢いは止まらないまま、それは栞の顔に当たった。栞は倒れこそしなかったものの、その衝撃に体制を崩す。



そんな。そんな。おい?おい?おい茉莉?俺は信じていたんだぜ?

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