12話 なにもなかった
「そんな顔しないで欲しいわ。」
にこやかな表情を少しも崩さないまま、千寿さんは言った。
こんな事を思ってしまう時点で、僕の精神は崩れかけてしまっているのだろうが、
今の僕には、千寿さんのそのまぶしいばかりの笑顔は、作り物めいて見えていた。
「……………。」
「どうしたのよ、茉莉君。なんだか幽霊でも見たような顔よ?」
落ち着け、自分。
僕は今から、彼女を説得しなければならないんだ。
妙な恐れを抱いていてどうする。
「…………いや、何でもない、です、よ。ちょっとぼーっとしてて。」
とりあえずいつも通りの話し方を心掛ける。
「そう?それなら良いんだけど。気分の方はどう?」
「……………あんまり、良くはないですね。」
主に縛られてる所とか。
今はそこにはあえて触れないけれど。
「それは良くないわ。頭が痛い?吐き気がする?」
?
思ったよりも普通に会話が続く。
僕の杞憂だったのか?もしそうならそれが一番いいんだけど。
「いえ、そういう痛みじゃないです。放っておけば、その内治まると思います。それよりも、あの……どうなったんですか?」
「何が?」
笑顔を少しも崩さないまま、千寿さんが聞き返してくる。
「いえ、その……だから………。」
聞いてもいいのだろうか、千鶴子さんとの事を。
少しも崩れないその笑顔が、やはり何処か…………怖い。
「だから?」
「だから――」
汗がつぅ、と背中を伝った。
でも聞かない訳にもいかない。
「―――あの後、僕が倒れた後、千鶴子さんと………」
「……………。……………千鶴子と?別に何も無かったけど。」
そんな馬鹿な。
というか、嘘をつくのなら、もう少し上手について欲しかった。
今の間は、酷すぎる。
気を抜かずに、会話を続ける必要がある事を、深く認識した。