蛹魔の巣
蛹魔と呼ばれる正体不明の怪物たち。事情はよく知らない。しかしこの怪物たちが七海を死の危険に追いやっているというのなら。
普段、虫を殺すのにも躊躇するような性格の八尋は、自分でも驚くほど冷静に動くことができた。夢の世界に展開する迷宮、そこに出現した蛹魔の巣。蜘蛛の糸のような白い網が張り巡らされたその部屋の中を、八尋は疾走した。
蜘蛛の巣には何十体という小型の蛹魔がいる。小型と言っても、体高2Mはあるので、簡単に倒せるわけではない。まして八尋が発現したこのアンチクリサリス――略してアンクは、ただの短剣のように見える。こんな小さな武器であの巨大な蜘蛛を退治するのは無茶のように思えた。
「羽化寸前――もうあの腹の中には、無数の卵が蓄えられてるはず」
刀身燃え盛る熾剣を翳しながら冬川が言う。
「衝撃を与えたら、腹から卵を植え付け始める。かといってこのまま座視していれば、やがて羽化に至り、本格的に卵をばらまき始めるでしょうね」
「じゃあ、どうするんだ」
「さっきも言ったけど、あなたが親玉を倒す。私が産み落とされた卵を破壊する。これしかない」
腹を括るしかないようだ。八尋は頷き、短剣を振り回しながら、ひときわ巨大な蛹魔の親玉に突進した。蛹魔の親玉はその巨大な脚を振り回して威嚇してきたが、動きは鈍重だった。卵を大量に蓄えて、身動きが取りづらくなっているのだろうか。そして夢の世界の中で、八尋の身体能力が向上しているのか、自分でも驚くほどの身軽さで、蛹魔の攻撃を掻い潜った。
「喰らえ!」
短剣を親玉の腹の下部に突き刺した。容易に刃が通る。威力は本物だ。しかしこの巨大な蜘蛛の躰の表面を少し傷つけただけで、致命傷となるはずがない。親玉は平然としていた。そして脚を振り回し八尋を牽制する。後ろに跳び退いて回避するしかなかった。
「どうなってんだ! 俺の武器じゃダメージ通らないぞ!」
冬川は、親玉が攻撃されていることに気付きわらわらと集まってきた小型の蜘蛛たちに剣を振り回しながら、それに返答する。
「あなたはまだアンクを使いこなせていない。アンクには固有の能力が存在する」
「固有の能力……!?」
「その短剣が、その見た目通りの効果しかないということはありえない。何か隠された能力があるはず……」
「ど、どうすれば分かるんだ、その隠された能力って」
「さあ。何とか見つけ出すしかないわね」
八尋は唖然とした。さっきから冬川はどこか他人事だ。八尋のアンクが都合良く覚醒しなければ一緒に戦うことはできなかったし、今度はアンクの隠された能力を見つけ出せだと?
「私の熾剣フェニックスにも能力があるように、あなたのアンクにもきっと有用な能力がある。信じることよ。何事も上手くいくと信じて、力を発揮するしかない」
そう言って冬川は剣を振った。小型蛹魔の胴体を突き刺し、そのまま引き抜こうとしたが、力のかかる方向にねじれが生じたのか、冬川の剣の刀身がパキリと割れてしまった。
「あっ」
八尋が驚く中、冬川は動じなかった。熾剣の柄が燃え盛り、その炎が消失したかと思うと、割れたはずの刀身が復活していた。
「この熾剣フェニックスは無限に再構成することができる。そのぶん、耐久力と攻撃力は控えめだけど」
「それが冬川さんのアンクの固有能力……?」
「それだけじゃないわ」
折れたはずの熾剣の刀身が、地面の上で明滅している。それらは赤い光弾となり、凄まじい勢いで蛹魔たちに向かっていった。光弾を受けた衝撃で何体かの蛹魔がひっくり返る。
「熾剣の破片はそのまま炎の弾としてコントロールし、撃ち放つことができる。刀剣武器でありながら射撃もできるってこと。更に、打ち砕かれた破片を纏い、熾剣の刀身を強化、攻撃力を高めることもできる。この汎用性こそ、熾剣フェニックスの強み。ただ、総じて威力は低めだから、大型の蛹魔を相手取るのは難しい」
だからこそ、あなたに親玉を倒してもらう必要がある。そう冬川は言った。
「時間をかければ、私でもそこの親玉を倒せたでしょう。でも今は羽化直前で、卵への対応も必要になってくる。役割分担しないと、結城七海は救えない。だからあなたはアンクの能力を把握しなければならない。どちらにせよ、最初から分の悪い賭けだった。そしてこの賭けに勝てるかどうかは、あなたの働きにかかっている。私は自分の能力の限界がよく分かっている。だから私に役割以上の働きを期待しないことね」
「な、何なんだよ……、分かったよ、この短剣を使いこなせばいいんだな!?」
八尋は親玉と対峙していた。攻撃を躱すのは造作もない、きっとちゃんとした攻撃方法さえ分かっていれば、簡単に倒せる相手なのだろう。
親玉の腹が、ぱくりと割れて、そこから緑色のこぶし大ほどの石が大量に零れ落ちた。八尋は一拍遅れてこれが卵なのだと理解した。
「さあ……、来たわね。もう私は雑魚の相手はできないわ! 卵を全て潰すことに専念する!」
冬川の熾剣が赤く発光し、光弾が発射、地面に零れ落ちた卵を次々と破壊していく。卵は地面に触れると、少しずつ溶け混ざるように地面に潜り込んでいこうとした。それを熾剣の弾丸が抉り、掘り返していく。
八尋は狼狽えていた。親玉の腹からは続々と卵が産み落とされていく。早く親玉を仕留めないと、やがて冬川が対応できないほど大量の卵が流出してしまうだろう。
八尋は自分を情けなく思った。武器が悪いからではない、もっと自分がしっかりしていれば、きっとこのアンクを使いこなせるはずなのに。どうすればこの短剣でまともに戦えるようになるのか、分からない。
『焦らないで、八尋』
声がする。七海の声だ。どこから聞こえてくるのか。辺りを見回すがどこにも彼女の姿はない。
「七海……」
『最初から上手くやれるわけがない。八尋はそう思ってるみたいだけど、でもここは夢の中だよ? 大丈夫、信じて。私が導いてあげる。その短剣の可能性を……』
八尋の短剣の刃が、みるみる伸びていく。柄のわりに小さめだった刃が、長剣と呼べるほどの長さを獲得した。
「なるほど」
大量の弾を撃ち込みながら冬川が言う。
「伸縮自在の剣……。自由に刃の長さを調節できる。短くすればするほど強度は高まる。そんな感じかな。なかなか使い道の多そうな武器ね」
「これなら……」
八尋は親玉のもとへ駆けた。親玉は卵を腹から垂れ流しつつ、脚を振り回して八尋を薙ぎ倒そうとした。
さっきまでは、武器で受け流そうとは全く思わなかった。その巨大な脚に対し、ちっぽけな短剣を当てたところで、対抗できるとは思えなかったが、今は違った。
長さ十分の剣。親玉の脚がまともに八尋の刃とぶつかった。気持ち良いくらいすっぱりと切断された脚の断面から紫色の液体が噴き出す。頭を横に倒してそれを避け、そのまま親玉の懐に潜り込む。
親玉の口吻から毒液が噴射される。八尋は剣を盾にしようと頭上に掲げたがその細い刀身では当然、八尋をガードすることができない。
と思いきや、刀身が円形に拡張、巨大な盾のように展開した。そのまま毒液を跳ね除ける。
剣としてだけではない。形状も自在に変化するのか、この武器は。剣から盾へ。恐らく槍や斧のような形状にすることも可能なはずだ。
盾から素早く剣に戻した八尋は、長さを調節しつつ、一気に親玉の腹に刃を食い込ませた。
親玉の体内に侵入した刃を変形、無茶苦茶に伸縮し、そのまま引き抜く。
一瞬で親玉の体内をずたずたに引き裂くことに成功した八尋は、大量の体液を浴びながら、親玉の躰が崩れ落ちるのを見た。
「よし、倒したか?」
八尋は呟いた。親玉はしかしまだ動いていた。正確に言うなら、もう手足は動いていないが、腹の奥の内容物がぶよぶよと蠢いている。
冬川が猛然と卵を破壊し続けているが、親玉の異変を見て叫んだ。
「まずい! 羽化しようとしている! 追撃して!」
「え?」
「羽化して成体になったら手が付けられない! そうなる前に仕留めて」
追撃と言われても……。既に親玉の全身はずたずたにしている。アンクを振り上げそのまま刃を突き立て、刃を複雑な形状に変化させて思いっきり内部を掻き回してやったが、効果はなさそうだった。
「ど、どうすりゃいいんだ!」
そのとき親玉の体表が罅割れ、体内の内容物がどろどろと流れ出始めた。八尋は跳び退き、とうとう倒したかと安堵しかけたのだが。
「――間に合わなかった!」
冬川の声を聞き、背筋が凍った。親玉の外殻を突き破って現れたのは巨大な羽根だった。茶褐色の頭と胴体が現れたのを見た八尋は、それが巨大な蛾のようにしか思えず、蜘蛛よりは弱そうだと感じた。
「大丈夫……、倒せる」
八尋は突撃した。しかしその成体は濡れたままのその羽根を動かし、とんでもない速度で垂直浮遊した。
「そ、空を飛ぶのかよ……!」
慌ててアンクの刃を伸ばし、振り回したが、もう成体は武器の届かないところまで浮上していた。
冬川が射撃をやめた。八尋が振り返ると、彼女はうなだれていた。
「……冬川さん?」
「一応、蛹魔が産んだ卵は全て破壊した。けれど……」
成体は悠々と高空を飛行し始めた。そしてその小さな尾部から何かを落としている。
「なんだあれ……。フンか?」
「卵よ。成体になったら、その寿命が尽きるまで卵を産み落とし続ける」
「そんな……! じゃあ、早く仕留めないと」
「成体の戦闘能力は蛹魔とは段違いよ。そんな風には見えないかもしれないけれど……」
空を飛行するあの蛾のような成体は、蜘蛛の姿をしていたときより弱々しく見える。
「強いの、あれ?」
「下手に近付けば、返り討ちに遭うかもしれない。まあ、あそこまで近づく手段がないわけだけれど」
「冬川さんの剣は射撃もできるんだろ? それで……」
「射程が足りない。あそこまでは届かないわ」
八尋はかぶりを振った。諦めるしかないのか? いや馬鹿な。まだそんな状況ではない。
「冬川さんは成体がばらまいてる卵を処理して! 俺はあのデカブツを何とか仕留める!」
「どうするつもり? まさかその剣で倒せると思ってないでしょうね」
「やるしかないんだろ!?」
八尋は猛然と走り出した。親玉の羽化をきっかけに、他の小型の蜘蛛たちは動きが停止していた。その役割を終えたということだろうか。八尋は少しでも高いところに移動したかったが、壁に攀じ登ったくらいでは届きそうになかった。それほど高い位置を浮遊している。
『八尋ならきっとやれる』
七海の声がまた聞こえた。八尋は自らに発現した伸縮自在のアンクを強く握り締めた。
「伸縮自在の剣……、使いこなしてみせる、じゃないと、七海は――!」
八尋は剣を掲げた。使い方は大体分かってきた。要はイメージすればいい。この剣の軌道を思い浮かべ、コントロールできると自信を持って構えればいい。後はこの剣のポテンシャルを信じるだけだ。八尋は歯を食い縛り、空中の成体を睨みつけた。




