始ノ章
――神暦2007年 9月 9日
「現人神は、神であって神ではない。もしもアレらを本当に『神』だと思っているのならば、それは愚考に他ならん。どのような神話文献を探したとて、アレらほど不完全で不適切な『神』はおるまいて」
紫煙を燻らせた男は己の正面に座る若者にそう語りかけた。
行灯に灯された火が男と若者を淡く照らす。
男ほにやにやと不敵な微笑みを浮かべており、若者は口をきつくむすび、男を見据えている。
「貴方がそのような事を仰るとは。よろしいのですか? 壁に耳あり障子に目あり。いつ、どこで、誰が聞いているかわかりませんよ」
「呵呵。下らんな。ここは既に私の管轄下だ。そのような狼藉は許さんよ」
「そうですか。……現人神が神であって神ではない、とはどういうことでしょうか」
「言葉どおりの意味よ。無論、彼奴らは大皇に選ばれた稀有なる存在。神たる素質も素養もあろう。然し、それだけだ。神たる素質も素養もある――ただ『それだけ』。如何に神威を振るおうと、如何に人心を掌握しようと、彼奴らは人間であるという檻からのがれることはできんのさ」
「つまり、幾ら神を称していようとも現人神は所詮『人間』である、と?」
「如何にも。完全なる『人間』が超然なる『神』を気取ろうとするのだから、当然綻びが生まれる。その結果人は神にはなれず『現人神』となる。まあ、彼奴らがそこに気付いているのかいないのかはしらんがな」
「ふむ……。では、仮になのですが、現人神同士がぶつかり合った場合、どうなるのですか?」
「呵呵、面白い質問だ。無論、正式にして超然なる神同士ならば何の問題はなく、死しても再生し、勝利したものがより強い神として神の権能を得る。だが現人神となれば話は別。彼奴らは不完全故に、不老なれど不死ではなく、たとえどちらかが勝利したとしても勝利のままで完結し、権能を得ることはない。その質問の答えは――『どちらかが必ず潰れる』だ」
「なるほど。しかし理解できませんね。なぜ、それほどの情報を私達に提供して頂けたのです? まさか謀反を考えている、というわけでもないでしょう。貴方はそんなことを自分でするような方ではない。まさか、とは思いますが……」
「皆まで言うなよ叛逆者。……私は人が好きだ。どうしようもなく弱く、しかしこの世の何よりも強い人間を愛している。そして、人の世は人自らが統治すべきものだ。人々が祀り上げた神などでも、思い上がった現人神でもない。――創世は、貴様達が行なえ」
「ええ。当たり前です。此度は貴重なお話、ありがとうございました。――当麻豊浜公」
◆
そして場所は移り変わり、そこは竹林。
鬱蒼と茂る竹の隙間を、冷徹な月光が照らしている。
虚空に浮かぶは氷輪。長月の始めでありながら、その空間は雪でも降るのではないかと錯覚させるほど凍てつき、凍えている。
空間の中心、凍気の中心に在るのは絹糸のような白群の長髪をなびかせる陶器のような白い肌に、淡麗な顔立ちをした和装の男。
そしてもう一人、唐紅の短髪を揺らす、派手な格好をした男。二人共、年は二十代後半といったところだろうか。
互いに互いから視線を外すことは無く、その身からひしひしと感じられるのは殺気。
そう、殺気なのだ。
空間を凍てつかせるものは冷気でも凍気でも、また空に輝く冷酷な月でもない、ただただ目前の相手を屠らんとする覚悟と決意。この場において残るのはどちらか片方のみ。
それは最早、人間の出すことの出来るモノでは無く――神威。
神格と呼ばれ、崇められ、祀られるモノ達が発することの出来る超常の闘気。
つまり、ここにいる者達は常世に在りし荒御魂。この国に於ける最高神に選ばれた国を守護する八人の現人神である『八色の姓』。
そんな彼らがなぜ、互いを葬ろうとしているのか――
「おいおい、そんなこえー顔すんなよ。せっかくキレーな顔が台無しだぜ? 《朝臣》」
「それは、無理な話というものでしょう。貴方は私を……いいえ、私『達』を裏切った。それは、私達の神を、『天武尊』を裏切ること……なのですよ、《稲置》」
「もちろん、そんなことわかってるさ。『八色の姓』を裏切ることは神への謀反を起こすこと。俺とて最下位にしろ『八色の姓』の端くれだ。お前に言われるまでもなく、そんなことは分かってる」
「でしたら何故……!! それを理解しているのなら、《朝臣》が動いた時点でご自身が助からないことも理解しているでしょう……! 貴方にはご家族がある……。奥様もいて、お子さんもいる……! それなのに何故です……! 何故、みすみす命を捨てるような真似をっ……」
「決まってる。俺達が間違っているからだ」
「ッ……!!」
「神は間違えちゃいけない。支配者が間違えることは許されない。それが上に立つものの義務であり、守るべき絶対則。最高神は間違えない、なら、それに選ばれた現人神も間違えてはいけない。……お前も分かってんだろ、《朝臣》。『八色の姓』が、本当は何をしてんのか」
「……ええ、無論です。貴方に言われるまでもなく、そんなことは理解している……。しかし、それでも私達は神でいつづけなければならないのです……。それが現人神として選ばれたものの義務であり、神であるための絶対則。たとえそれが間違えていたとしても、私達は神でなければならない……。そうでなければ、この国を守ることができない!! 私は、この国の為に、後に屍の轍を築きましょう……!!」
より強大なものへと変貌する殺気――否、神気。
気温を低下させるに留まっていた凍気は、ついにその姿を顕現し始め、世界に霜を降らせる。
然し、神同士の戦は此の程度ではない。
たとえソレがまがい物にして、綻びゆく存在だとしても。
「っは。そうかい、なるほど。はは、いつも仏頂面してるお前にも、そういう願いがあったんだな。ああそうだ、俺もお前も譲れねぇ。最早話合いで解決できる領域でもねぇし、もとよりそんなつもりはねぇ。だから――」
「そうですね、ここでやるべきことは唯一つだけ……」
「「国造――」」
此処より始まるは神と神のぶつかり合い。
どちらか片方のみが己の願いを貫く事のできる戦い。
神と神が戦い合えば、必ずどちらが潰れるがゆえに――――
――ゆえに、続世はこれより始まる。
創世は、貴様らが行うのだ。