6話「5月16日、土曜日」
小さな豆知識その11
作者は、作中で女の子を泣かせまくっている上に宥め方が実際ワンパターンなことを気にしている。
私は今、観覧車に乗っている。時刻は11時。今日の正午には遊園地を去ることになるから、これが最後ね。早かったように思う。なんだかんだ私も楽しんでた、ってことかしら。
この観覧車は、およそ30分かけて1周するらしい。あまり馴染みが無いから、長いのか短いのかは私には解らなかったけれど。
「かっ、会長……」
「なにかしら」
ただ、何故か同乗者は鹿野君。4人乗りなのに、2人きりだった。
もちろん、これには理由がある。
乗ろうという方向で話がまとまった。そこまでは良かった。ただ、ここの観覧車は4人乗りで1班の人数は5人。2:3で分けるつもりだったのだけれど、そこへちょうど、鹿野君を含めた班が通りがかった。
私の班の女子達は眼を光らせ、素早く鹿野君を拉致。「これで4:2だね!よし乗ろう!」と言い出した。6人だから3:3が正しいと思うのだけれど。あと残りの男子はどうするのよ。
「その、会長は……僕のことどう、思いますか」
そしてこの状況。鹿野君はガチガチに緊張しながら私と話そうとする。それに、セリフから察するに、
(観覧車で告白、ねえ……)
彼が私に恋愛感情を持っていることは知っていた。本人から聞くまでは確定ではなかったけれど、今はほぼ間違いないはず。
「そうね、普通かしら」
「普通、ですか……普通……」
私は正直に答えた。人としてではなく、恋愛対象として普通。これはなかなかの高得点と言える。だって、選択肢としてはアリなんだもの。
(気付くかしらね……?)
鹿野君は何か考えている風に、顎に手を遣っている。……やがて彼は結論が出たのか、眼鏡のブリッジを1度持ち上げ、私の目を見た。いつもの小動物系では、ない。
「ここからは、僕が言いたいだけのことなんですが……僕は、さほど優れてはいません。むしろ、人より劣ってる点の方が多いと思います」
鹿野君は、自分のことを話し始めた。男の子ってどうしてこう、自分の欠点とか過去を話したがるのかしらね。そして後で自分でフォローするのよね。
……過去の自分は恥ずかしいから。男の子にとって、欠点や過去を語るというのは、相手に弱みを見せている感覚なのかもしれない。
(……だったら、男の子の考える誠実さって、そこにあるのかもしれないわね)
恋人になる……のはともかく、結婚を考えるなら誠実さはほしい。一生を共にするんだもの、背中を預けてもいいと思える人であってほしい。私はそう思っている。
だから、今鹿野君が話しているのが、自分の誠実さをアピールしているのだとすれば、魅力が無いわけではない。
(でも私、似たようなのを何回も聞いてるから飽きてきてるのよね……)
正直に言って、私はモテる。中学生の頃から何回も何回も告白を受けたけれど、その頃から男の子の告白というのは変わらない。
君が好きで、俺はそんなに色々は出来ないけど、でも君を守ると誓う。必ず幸せにするから。みたいな。私はその度に思う。面接の自己PRか。
だから、はっきり言って鹿野君の告白はグッと来ない。しかも彼の場合は長い。私が頭の中でこれだけ思考を巡らせているのに、まだ自分を卑下している。長いわ。長くても私は別に構わないのだけれど、彼の告白が終わる前に観覧車が1周してしまっては、流石にいたたまれない。
「……鹿野君、長いわ。簡潔に言って頂戴」
「えっ?あ、ああ、すみません……では」
ここからよ、鹿野君。ここからが貴方の腕の見せ所。場合によっては、私もOK出すかもしれないわよ?……今はどちらかと言うとマイナスだけれど。
私達を乗せたカゴは、ちょうど今、最高点へと到達していた。
「僕は会長が……好きです」
「…………そう」
「だから……身を引きます。お幸せに!」
………………………………………えっ?
「ちょっと待って鹿野君、貴方、今私のことが好きって言ったわよね?」
私は一瞬意味が解らず、自分の耳を疑うかのように彼に確認する。私のことが好きだと言ったのは多分間違いない。けれど、その後におかしな言葉が続いたように思う。
「はい。僕は会長が好きです。でも、だからこそ身を引こうと……」
「それよ。それは何?」
私の耳は正常だったけれど、身を引く、ということは諦めるということだ。大抵は、フラれた時に潔さをアピールするために使われたり、恋のバトルから降りる時に使われる言葉。
私はNOとは言っていないし、好きな人がいるわけでもない。さっき「お幸せに」と言ってたことから考えて、鹿野君は私に好きな人がいると思っているらしい。
「会長は、空野さんのことが好きですよね」
「…………待って頂戴」
頭痛がした。確かに昨日、バスの中で鹿野君は私をレズだと思っていた。でもそれはその時に否定したはず。それを何故今もそう思っているのかしら。
「あのね鹿野君。私はレズじゃないの。それは昨日も言ったはずよ」
「……確かに、昨日聞きました。……でもその後、バスの中で話してて、僕気付いたんです」
「だから私は」
「会長、彼女の話をする時は、いつもと違う顔で話すんですよ」
「……私が?」
私は別に、話題に適した表情を作ることはあるけれど、空ちゃんの話の時の特別な表情なんて無い。普通に友達の話、そういう話題の時の表情のつもりだった。
「気のせいよ」
「気のせいじゃないです」
「じゃあ、妹みたいなものだからよ。そんな子、他にはいないから特別な感じに見えただけよ」
なんなのかしら。今日はやけに突っ掛かってくるわね。勝手に勘違いして嫉妬のつもり?迷惑な話ね。
「会長は、あの子とずっと一緒にいたいと思ってるんです」
「そんなこと無いわよ。私が卒業するまでに、一人立ちしてもらわないと」
私は……苛立っていた。こんなのはいつ以来だとか、小動物系の鹿野君がここまで言うなんてとか、そんなことを考える余裕も無く。
「それも本心、なんだとは思います」
「……貴方、どうしても私を同性愛者にしたいのね」
「……会長が好きになった人が偶然女性だっただけで」
「違うわ」
私は人を恋愛として好きになったことは今までない。男女問わず。
「何が違うんですか。僕だって、境にだって解ったんですよ、会長は空野さんのことが」
「違うって言ってるでしょう!」
私は、叫ぶように言葉を叩き付けた。理性は、彼は悪いことは言ってない、思い込んでるだけだと判断したけれど、もう、止められなかった。解らない。彼が何を言っているのかも、私が何を怒るのかも。……解らない。
「なんなのよ!私が違うって言ってるんだからそれでいいじゃない!どうしてそんなこと言うのよ!」
叫び、
「私が同性愛者だったとしても!そんなの関係なしに私には好きな人なんていないの!」
気持ちを、
「私はあの子を助けたいの!それだけなのよ!」
感情を、
「今までと同じ!あの子はただ私に相談に来た!だから私は助けるの!」
心の中を、
「なんでそれが好きだとか恋だとかって話になるのよ!」
理性が抑え付けていたものを、
「私は他人の為にやってるのよ!そこに個人的な感情なんてない!あっちゃいけないの!」
隠してきたものを、
「今までずっとそうしてきた!他人の心を考えて!傷付けないようにして!」
想いを、
「だって私は!……私は……っ!」
それらを全て、吐き出してしまった。
全てを言い終えてから、私はハッとした。そんな、やってはいけないのに。でも、もう言ってしまった。駄目、私は、もう……取り返しが付かない……!嫌、違うの、私、失うのは嫌なの……!嫌、行かないで……私を……1人にしないでよ……!
私は、パニックだった。あらゆる負の感情が頭の中で混ざり合って、吐き気を誘う。記憶の中から嫌な記憶だけがフラッシュバックする。走馬灯のように、たくさん。平衡感覚が失われ、呼吸も乱れる。
そっと、私の手が握られた。包み込むように、優しく。その手は、なんだかとても温かかった。私は……ゆっくりと心が落ち着いていくのを感じた。嫌な記憶は少しずつ消え、私の視界には、見知った可愛いげのある男の子が映る。
「鹿野君……?」
「会長」
彼は微笑むと、指でそっと私の目尻を拭った。
「私……泣いてたの……?」
最後に泣いたのは、いつだっただろう。……泣かなくなったのは、自分の気持ちを口に出さなくなったのは、いつからだろう。私にとってそれが当たり前すぎて、思い出すことが出来ない。
「……会長は、きっと怖いんですよ。自分の気持ちを伝えるのが。……何かを失うのが」
「怖い……?私が……?」
彼は私の目を見ている。まっすぐ。……まるで、意思を込めているかのように。
「会長は、いつも冷静に場を見て、皆を導いてくれます。それに、1人1人に気を配って、いつだって僕達のことを考えてくれてます」
「…………」
「でも、自分の意思をいつも隠してました。……いえ、会長には「自分の意思」が無かったんです」
「意思が……?そんなことないはずよ、自分で考えて行動できるし、昨日だって楽しかったわ」
「昨日、一度でも自分の行きたいアトラクションを言いましたか?」
……言っていない。昨日私は、私のいるグループが他の人に迷惑を掛けないように、あるいは、どうしたらグループの子達が楽しめるか、そればかり考えていた。
「今までもそうです。会長自身が何をしたいか。それを率先して会長が口にすることは無かった。会長は、自分の「意思」を、口にするより先に、まず心の中から消してしまう」
「私の、やりたいこと……」
解らなかった。高校選びは近場。進学校を薦められたけど、学歴に興味が無かったから、帰りが遅いのを美海が嫌がったことを考慮して柏波を選んだ。
これからの進路も決めていない。成績に問題は無いからどこだって行けるし、どこだっていいと思っていた。
空ちゃんのこともそう。元々は、放っておいたら彼女が自殺を図るかもかもしれないから関わった。
私のやりたいこと。それだけが私には解らなかった。鹿野君は、私の手を握ったまま。……そのおかげか、私の心は平穏を保てていた。
「会長には、意思が無かった。だから、初めて自分の意思で空野さんを好きになったことも、解らなかったんですね。……初めてで、怖かったでしょうね…………すみません」
「鹿野く、きゃっ!?」
私は、鹿野君に包み込まれていた。私の方が少しだけ背が高いから、抱き締めるというには不格好。けれど私は、彼の腕の中にいることで安心した。……鼓動が速くなるのも感じている。
「誰だって、初めては怖いです。会長だって、怖かったら、誰かを頼っていいんです」
「私は……でも、きっとあの子は」
「男女が恋をする方が自然、ですか?」
「きっと、受け入れてはくれないわ……」
あの子も、それから周囲も。自然なことではないのだから。私は、周囲に合わせることばかりしてきた。そんなことばかりが得意だったからよく解る。自分の意思を伝えても、それが受け入れられない時、人は手のひらを返すように離れていく。……世界から、追放する。
私は先日、美海に「大好き」と自分の気持ちを伝えた。それこそが私の意思なのだと思う。……けれどあの時私は、「拒否されない、失うことはない」と確信していた。それなら私にも出来る。でも……。
「……僕は、会長に告白をしました。好きな人がいると知りながら」
「…………ええ」
「僕を笑う人もいると思います。負け戦なんてバカだな、って。あるいは、略奪なんて最低だと罵られるかも」
「鹿野君は、怖くないの……?」
「怖いです。……でも、「意思を伝える」って、そういうことなんです」
鹿野君が、私を抱く腕に少しだけ力を込めた。…………まるで、自分自身を奮い立たせるようだった。
「皆、怖いんです。怯えながら生きてるんです。世界から、弾かれたくないから。必死にしがみつくんです。独りでは、生きられないから」
「私……やっぱり怖い……。独りは……嫌よ……」
私が女の子を好きだと知ったら、どんな反応をされるのだろう。気持ち悪い、おかしい、社会不適合者だ……いいえ、それよりも、美海や鹿野君や境や空ちゃん……私の大好きな人達に嫌われるのが、一番怖い。
「私、貴方達に嫌われちゃう……」
「他の人の事は解りません。けど、僕……と、境は会長を嫌ったりしません」
「本当……?」
「本当です。……もう、怖くないですか?」
「……もう、大丈夫よ」
本当はまだ少し怖かった。けれど、いつまでも彼に甘えているわけにはいかない。私は、これを乗り越えたいから。
私の言葉を受けた鹿野君は深く息を吸って、一言ずつ噛みしめるように、私に告げた。
「初めての「意思」……大事にしてくださいね」
私は、鹿野君に言われて気付けた。おかげで今ならちゃんと解る。空ちゃんの存在が大きなものであること。それを自覚するのが怖くて、認められなかったこと。
鹿野君は耳元で小さく囁き、私から離れた。今さら恥ずかしくなったのか、目線を泳がせていて、耳も赤い。
……私は、いい男に好かれたのかもしれないわね。世界でも何人といない、素敵な男性に。
観覧車も、終わりが近い。もう何分もしない内に地上へ着くだろう。今が、地上からは見えない最後の機会だった。
「鹿野君」
「は、はい、会長」
私は、彼の頬にキスをした。
「ありがとう」
「えっ?えっ?あの会長、今……」
「ふふっ、相変わらず、小動物系ね」
狼狽える鹿野君を少しだけからかった。こんなことで狼狽えて。いい男だなんて、見込み違いだったかしら?
「そうだ鹿野君、私がフラれたら、私のこと、お嫁さんにしてくれる?」
「え、それはもも、もちろんです!」
さて、明日からは何をしようかしら?
浅海 奏は自らを自覚した。これは、スタートライン。海と空の距離は、近くて遠いのだから。
小さな豆知識その12
「鹿野先輩、なんでこの時あたしの名前出したんですかぁー?」
「いや、お前僕に「彼女といる時は会長が女の顔してる」みたいなこと言ってたじゃないか」
「……あぁー。真に受けてたんですねぇー」
「境お前なんてことしてくれた!?」
「別にあたしも会長がレズでも気にしませんけどねぇー」
※2015/10/29 誤字修正をしました。失礼いたしました