23話「12月1日、火曜日」
重要回……かもしれません
PCの不調を訴えたのは美海で、それは夜が更けて自宅に私達だけになってからのことだった。
「カナちゃーん」
「なに?」
「ごめん、壊したかも」
「壊した?」
……しかも、私がさっき貸したプライベート用のノートパソコン。私の部屋へ持ってきて、ぞんざいにぶら下げている。
「なんか、画面暗くなった」
「何したのよ」
「何もしてないよ」
何もしてないのに壊れた、というのは初心者の常套句だけれど、美海は初心者じゃない。とすると、バッテリーが本体から外れてしまったか、もしくはパソコン自体の寿命ということも考えられた。
「バッテリーは見た?」
「思い当たる原因は全部調べたんだけど、どこもおかしいところはないはずなんだよね」
コンセントとノートパソコンを繋ぎ、充電しながら電源を入れようとするも、全く反応がなく、画面は真っ暗なままだった。本格的に寿命かもしれない。
「仕方ないわね。今日は我慢して頂戴」
「うん。解った」
案外聞き分けがよく、無茶な駄々をこねないのは、美海のいいところ。そして、可愛いところ。
「と言うか、そろそろ自分で買いなさい」
「えー、だってカナちゃん貸してくれるし」
「私が使ってたら貴女使えないじゃない」
「いいよ別に」
さして重要だとは思ってないらしく、あっさりした答えを返される。確かにこの子はそんなに使う方じゃないし、無ければ無いで何も問題はないんでしょうけど。
「まあ、いいわ。私も今日はもう寝るから」
「解った、おやすみー」
「おやすみ」
美海が出ていってすぐ、私は読んでいた実用書を閉じる。そのまま電気も消して眠ろうとした時だった。
ピッ。
「?」
電子音とともに、突如ノートパソコンが起動する。機械の回る音が、静かな部屋に響いた。
一応動くようだけれど、調子が悪いのは確か。私はきちんとパソコンが立ち上がるのを待ってからもう1度電源を落とそうと考え、ノートパソコンを開く。
真っ黒い画面。本来ならこの後に会社のロゴが表示され、起動に入るはずだった。
「……動かないわね」
音から言って、動いてはいる。けれど画面はブラックアウトしたままで、何も進展がない。バックライトが切れたとか、そういったことかしら。
けれど、それも違った。
『繋がっているだろうか』
「……?」
黒い画面に、白い文字が表示される。ホラー映画を連想させた。
『こちらは、世界』
「なっ……!」
それは、私を驚かせるのに十分な内容だった。世界。今まで謎の連絡方法を取ってきたそれが、またも私にコンタクトを計ってきた。
『見えているなら、文字を打ち込むこと』
「見えているわ」
簡素な返事を返す。もしかしなくても、今回に限っては今までと違い、会話をしてくれるらしかった。これには訊きたいことが山ほどある。
『そちらの時空の空野 歌撫は、消滅の後、実質的な死を迎える』
「そう」
『彼女を、助けることが出来たか?』
助けることが出来たか、と言われたら答えはNO。私は、あの子の望みを少しでも叶えようと足掻いているだけ。結局あの子は、生まれてこない選択をしてしまった。
「助けることは出来なかったわ。あの子は、生まれることを放棄した」
『彼女は幸せになれたか?』
幸せになれたか、ですって? 私はその言葉にカチンと来た。一瞬で頭に血が上り、怒りをキーボードにぶつける。
「ふざけないで頂戴。あの子が幸せになるチャンスを奪ったのは貴方よ。あの子がタイムリープしなければ、存在が消えることもなかった。貴方があの子を殺したんじゃない」
返事が、すぐには返ってこなかった。
空ちゃんは、死ぬことがない。なら、「世界」の取るべき選択はあんな安易な方法で虐待から逃がすことではなかった。元の時空で彼女を幸せにする術もあったはずなのに。
『人ならざる者として生まれ、苦しめられる彼女を見ていることは、私にも心苦しかった』
まるで自分が人間の心を持っているみたいな言い方をする。
『だが、私とて万能ではない。今から彼女を元の時空に戻すことは不可能』
「いいわ。貴方なんかには期待していないもの」
『しかし、浅海 奏に、空野 歌撫の記憶を残すことは可能』
なんですって? それが出来るなら私は空ちゃんのことを忘れずに済むし、空ちゃんの望みを叶えてあげることも出来る。
実のところ、記憶を残す術も開発出来たには出来たのだけれど、やはり実験が出来ない以上不安は残る。頼めるなら、頼みたい。
「信じて、いいんでしょうね」
『問題ない』
「なら、彼女のことを私が忘れないようにして頂戴」
そう打ち込むと、デスクトップが表示され、さらにそのまま文書作成ソフトが起動される。世界と会話している黒い画面が、隅の方に小さく表示される。
『そこに打ち込んで保存した文字データは、空野 歌撫に関することを書き込んでも消えることがない』
ここに、空ちゃんのことを書いて保存しておけ、ということね。
私は空ちゃんのことをひたすら書いた。人ではないことも、初めて恋をしたことも。全部、全部書いた。初体験の日のことも、皆で遊んだお祭や海のことも。細かく、丁寧に。願わくば、今の私が忘れることもないように書いた。
もし忘れてしまっても、これを見たら全て思い出せるように。大好きなあの子のことを、綴った。
書き終える頃には数時間が経過していて、文章量も相当なものになっていた。
「これでいいわ」
『保存せよ』
デスクトップにそのまま保存する。無題のショートカットアイコンが、画面のど真ん中に追加された。タイトルは……付けなくていいわね。
「私からも、貴方に訊きたいことがあるわ」
『なにか』
答えてくれるかは解らなかった。けれど、訊くだけならタダだ。意を決して、世界の存在を知ってからずっと考えていたそれを、直接問いただす。
「貴方、人間ではないの?」
『私は、世界』
即答される。けれど私はまだ疑っている。ずっと思っていた。世界とやらが空ちゃんを助ければよかったんじゃないか。出来ないのならそれは何故か。
「貴方に出来ることは実際はたかが知れている。世界なんて大層なものではないはずよ」
返答を待たず、続けて打ち込む。
「人を1人過去に送ることが出来ても、あとは現地任せ。それは、1人を過去に送るのが限界だったから」
きっと、空ちゃんは科学力で時代を遡っている。そんな科学力は無かったと空ちゃんは言っていたけれど、技術が完成してから表立った発表をするまでには時間がかかる。知らなかっただけ、あるいは試験段階だったと考えればあり得ない話じゃない。
「貴方は高度な科学を利用可能な人間で、ある時空ちゃんが虐待されていたことを知った」
だから、過去に送った。けれど、見ず知らずの娘にそんなことをわざわざするとは思えない。さっき私が言ったように、空ちゃんが元の時空で平穏に生きられるようにするのがベスト。それをしなかったのは、衝動的に空ちゃんを助けようと思ったから。
「一目惚れ、とかかしら。なんにせよ、貴方は感情的になって空ちゃんを助けようとした」
返事がない。接続されているかは解らないけれど、私はまだ最後の推測、行き着いた結論を打ち込む。
「貴方は……いえ、貴女は、未来の私なんじゃないの?」
そう考えるのが、自分の中で最も納得できた。私に問いただされることがなかった空野 幸人が秘密裏に研究を続け、空ちゃんを生み出す。なら、それを知った時に彼女をなんとかしようと思う可能性が高いのは、私。
私が好きになったんだもの。同じ人物なら、好みだってほとんど同じはず。
『そうよ。私は、浅海 奏。貴女自身』
「やっぱりそうなのね」
私はその後、未来の私の言い訳をひたすら聞いた。それに、意味なんてない。けれど、自分自身だから、どんな気持ちでいるかもなんとなく察せた。
そしてやっぱり、未来の私は空ちゃんのことが好きになっていた。高校生の時に出会わなくても、私はあの子を好きになる。それが聞けたことが、今の私にとって最大の収穫だった。




