3話「4月16日、木曜日」
小さな豆知識その1
浅海 奏はコンビニスイーツを好む
入学式から10日が経った。空野 歌撫という少女のことも、話をしていくことで徐々に解ってきた。
甘いものが好きなこと。
猫は好きだが、猫には嫌われること。
元々「空野」という苗字だから、空野家で助かっていること。
勉強は問題なさそうなこと。
男子は無理だが、女子となら辛うじて会話できること。
学校からは徒歩圏内に住んでいること。
彼女は、「今」のことを特に楽しそうに話す。私も彼女の過去を無理に訊こうとは思わなかった。その内そういう機会もあるはず、と。
私の方からも、
いつでも頼ってくれていい、ということ。
この近所には、誰にも教えてないカフェがあること。
家に住み込みで働いてる、同い年のメイドのこと。
そんなことを帰り道に、毎日話した。ちなみにカフェには、後日一緒に行く約束をした。
大したことは話していないけれど、友達というのはそういうものだと思う。
ただ、今日の帰り道は少し違った。
「あ、あのね」
友達だから敬語は無し。もちろん無理はしなくていい。そう提案したらそうするとのことで、今では自然な話し方をしてくれる。
「その、ね……?お願いがあるの……」
「なにかしら」
口調こそ普通だけれど、彼女は言い出すことを躊躇うような、それでいて「言わなければ」という雰囲気がある。
この感じには覚えがある。私の記憶では、この後続いたセリフは、「学校を辞める」というものと、「未来から来ました」というものの2パターン。とんでもない2つね。
今回は……なんでしょうね。お願い事。未来だとか目的云々なら2人きりの時に話すでしょうから、往来の真ん中で言えるようなこと。
……だったら大したことではなさそうね。私は安心して聞くことにした。
空野は上目遣いでチラチラ私の様子を窺いつつ、切り出す。彼女はここ数日、時折私を盗み見ては頬を染めている。バレてないつもりなのがより可愛らしかった。
「その、いつまでも会長さん、って呼び方も変かなー、って思ってて」
そうかしら。私は気にしないけれど。実際私を肩書きで呼ぶ人は多いし。しかし、ここは空野の意思を尊重することにして、黙って聞く。
「だから、その……」
ここで彼女は息を大きく吸った。
「今度から、お姉ちゃんって呼んでもいいですか!」
空野は翻って駆け出す。止める間もなく。「返事は明日でいいからー!」と残して。
不安が全く無かったわけではないけれど、やっぱり大したことではなかったみたいね。別に構わないのに。
私も空野さんじゃなく、なんて呼ぶようにするか考えなくちゃ。
新しい友人との距離が縮まりそうな予感に上機嫌になりながら、私は家に帰ることにした。
私が異常に気付いたのは、食事もお風呂も済ませ、自室で一息ついて夕方のことを思い返していた時だった。
「……お姉ちゃんってなによ……」
おかしい。友達にそれはおかしい。私は浮かれていたのか、そんなことにも気付けなかった。
いえ、今までの彼女の話に比べたら確かに大したことはないわ。でもそれは比較対象としてはあまりに不適切。
まずは落ち着きましょう。これは日常レベルのおかしさなだけ。誰かが損をするような話でもないのだから。
そもそも、私はお姉ちゃんと呼ばれることに対して特に抵抗は無い。だからこの話は、深く考えずに明日OKを出せば良いだけの話。
……そうね、問題ないじゃない。なら私の方から彼女をなんと呼ぶか。今考えるべきはそこね。
私が思考を巡らせようとした、その時だった。
バァーン!!
非常に大きな音を立てて、自室の扉が開け放たれた。私もいつものことなので気にはしていないけれど、一応言っておきましょう。
「美海、他人の部屋に入る時はノックをして、許可が降りてから静かに入りなさい」
「いいじゃん、他に誰もいないんだし」
犯人は住み込みのメイド、白澤 美海。私と同い年の、「元気」「大雑把」を擬人化したような子。
メイドは数名いるものの、住み込みはこの子だけで、他の人は夜には帰宅する。他に誰もいない、は比喩ではなく本当に誰もいない。美海が住み込みなのは身寄りが無いからだ。
彼女の両親は事故で無くなり、中学1年の時に私の両親が引き取った。中学校こそ普通に通ったが、高校進学はせず、こうしてウチで働いている。何故高校進学しなかったかを、私は知らない。1度だけ訊いた時も教えてはくれなかった。
美海は一切の遠慮無しに、私のベッドに勢いよく腰かける。今日はアイスキャンディーをくわえているから飛び込まなかっただけで、アイスが無かったらダイブだったに違いない。
美海がエプロンドレスではなく寝間着でいるのは仕事の時間が終わったからで、私との主従関係もこの時間には無い。今、私と美海は同い年の友人だ。
「こぼさないでよ」
「へーひへーひ」
聞き流すだけ。これもいつものこと。本当にこぼしたりしないので余計に性質が悪い。
「カナちゃんさ」
カナちゃん、というのは私のこと。この呼び方をするのは今のところ美海だけで、彼女は私に対して気兼ねしていないことが解る。
……気兼ねしてたら部屋に黙って入ってきて無断でベッドに腰かけたりしないけれど。
「なんか今日機嫌いいね」
「そうかしら?」
なんとなく取り繕ったものの、大体当たっている。さっきまであんな異常に気付きもしなかったのだから。
美海はベッドに座ったまま跳ねる。純粋に楽しそうだった。……無邪気な子どもみたいね。
「なんか良いことあった?」
「そうね、友達が出来たわ」
隠すことでも無かったから、私は正直に答えた。けれど、それを聞いた美海の動きがピタリと止まる。表情は最初こそ怪訝なものだったが、徐々に可哀想なものを見るものへと変化していく。
「……カナちゃん、今まで友達いなかったの……?」
「貴女ねえ……」
なんてことをいうのかしら。素直な子だから、本気でそう思ったのでしょうけど……それはそれで問題ね。私を何だと思っているのかしら。
「はあ……違うわよ、新しく出来たってこと」
「なーんだ」
美海は、食べ終えたアイスキャンディーの棒をゴミ箱へ投げ入れた。
わざとらしい溜め息に呆れた声音を付けたのに全く効果がない。皮肉とか嫌味の類いはこの子には伝わらない。
「どんな人?」
「未来人」
「……カナちゃん。あたしもカナちゃんも、もうすぐ18歳になるんだよ?」
美海は諭すような声音で私に言う。今日の美海は憎たらしいわね……!私はそれを表情には出さない。表情には。
「きぁぁぁ!痛い!カナちゃん痛い!」
私は美海のこめかみを拳で抑えた。そして圧迫した。グリグリした。
「その状態で私に対して「イタい」なんて、見上げた度胸ね?」
「違、痛い、ギブ!ギブギブギブギブ!」
「Give?あら、何をくれるのかしら」
美海は悶絶し暴れる。私はそれを押さえ付ける。まだよ、まだ許してはあげない。
「ごめんなさい!痛、ホントに痛い!」
「くれるのは謝罪だけ?」
「鬼いぃぃぃ!」
こんな下らないじゃれあいも、美海としかしない。付き合いが長い、プライベートな時間を共に過ごしてきたのは、やはり同居人である美海なのだ。
素の私で話すことが出来る。気を遣うこともない。リラックス出来る。居心地はとても良かった。
(あ、いけない)
そうだ、美海が入ってきて有耶無耶になりかけたけれど、呼び名を考えてたんだったわね。この際だから、美海にも一緒に考えてもらおうかしら。精神年齢近そうだし。
ふふ、妹ね。こんな喧しい妹ではなく。どうしようかしら。私は、知らぬ間に上機嫌になっており、あれこれ考え始めた。
「あれっ、カナちゃん!?考え事!?せめて手を、手を離してからにしてえぇぇ!」
【4月16日 SIDE 歌撫】
(今日こそは言うぞ……)
あたしは、決意していた。前々から言おうとは思っていた。いつまでも「会長さん」では、友達の感じがしない。
でも、あたしの固い決意とは裏腹に、時間はまだ午前11時だった。
(……今日は時間が経つの遅いなあ……)
気持ちが先走ってるだけなのは解るけど……壁掛け時計の進みがとてもゆっくりに感じる。秒針は動いてるけど、長針と短針は進んでいないかのように。
(もしかして、実はこっそり休憩してるんじゃ……)
あたしは、休憩の瞬間を見逃すまいとしばらく時計を見つめたけど、時計は休憩なんてしてなかった。そりゃそうだよね。
……はあ。まだかなあ。授業中だというのに、あたしは上の空だった。世界史の先生は板書をしていたけど、あたしはまだ顔を知らない。男性とは、まだ目を合わせられない。
この時代の人は、優しい。……あたしが普通の人だと思ってるからかな。もし秘密がバレたら、手のひらを返すように態度が変わるのかもしれない。あの人達みたいに……。
……ううん。悪い方に考えるのはやめよう。今は優しいんだもん。秘密がバレないようにすればいいんだ。ちょっぴり、後ろめたいけど……。
あたしは、未来からこの時代に来た。この時代を望んだわけじゃなくて、逃げられればどこでもよかった。その結果、事故のような形でおよそ17年の時間を遡った。あたしが生まれる大体1年前。
遠くない過去だったおかげで、ある程度の常識は通じる。これがもっともっと前だったら、何もかも違っていて、生きるのに精一杯だったに違いない。
そして、あたしにはやるべきことがある。
……未来を変えなくちゃ。
あたしに、この時代での立場や近隣の土地勘を与えた「世界」は、同時にあたしがこの時代を生きる目的をくれた。
『あなたが本来いた時空を救うのです。歴史を……変えるのです』
頭の中に直接語りかけてくるような声だった。それによれば、あたしがこの時代で行動を起こせば、未来は変わる。でも、救うって……?何をすればいいんだろう……?それは教えてはくれなかった。
だから、あたしの目的はまだ会長さんには話していない。方向性が固まってから。そう思ってる。これは、自分の力で見付けたかった。
時計の針は、なかなか進まなかった。
放課後。逃げるようにクラスの女の子達に別れを告げて、校門前へと急いだ。そこが、あたし達の待ち合わせ場所になっていた。
あたしが着く頃には、会長さんはもう待っていた。風になびく長く綺麗な黒髪に、一瞬見とれる。けどすぐに我に返り、先輩を待たせるなんてと、あたしは慌てて駆け寄る。
「待たせてごめんなさい!」
「私も今来たところよ」
良かったあ。偶然にもタイミング同じで。あたしはホッと胸を撫で下ろす。けど、会長さんは何故か「冗談を天然で返されたような」微妙な顔をしてた。なんだろう?
会長さんはすぐに歩き出した。普段の会長さんの、一般的に見ても速いペースじゃなくて、一般的に見ても遅いあたしのペースで。あたし達はここ数日と同じように、お喋りしながら通学路を歩いた。
「困ったものよ、あの子も私と同い年なのに落ち着きが無くて……」
会長さんの話を聞きながら、あたしはバレないように会長さんを盗み見た。これも毎回のことだけど、まだ会長さんにはバレてないみたい。あたしからも、恥ずかしくて言い出せない。
(はぁ~会長さん)
会長さんは、素敵な女性だ。美人だし、なんでもスマートに解決しちゃうような、「出来る女」な感じがカッコいい。あ、同性愛とかじゃないの。これは、憧れ。
あたしが、会長さんに自然な口調で話せるようになったのも、「会長さんが引き出してくれたから」だとあたしは思う。あたし1人では、盗み見るだけのことも出来なかった。
今でも、クラスメイトとはあまり話せなくて……。あたしなんかに「友人」として話し掛けてくれてるのに申し訳なく思うし、正直、会長さん相手でも身体が反射的に震えたり、怖くて声が出ないこともある。それだけ、「未来」での出来事はあたしに染み付いているらしかった。
(……会長さんなら、あたしと同じ状況でも簡単に解決出来ちゃうのかな……)
考えれば考えるほど、そんな気がしてくる。やっぱりあたしなんか……。考えが後ろ向きになりかける。でも、
(……ううん。今は「未来」じゃない。あたしは自由を手に入れたんだもん)
これから、まだ変わっていける。会長さんという、目標に出来るような人もいる。
あたしは、人が怖い。でも、会長さんは信じてくれた。あたしも信じてみようと思った。
いつかは、人が怖いなんて感情、乗り越えなきゃいけない。……でも、あたしにとってそれはすぐに出来ることじゃない。そして、それでも乗り越えたい。
だから、まずはこの人と距離を縮めたい。あたしにとって、大切な……「姉」のように慕う、この人と。あたしに手を差し伸べてくれた、この人と。
あたしがいつか、「未来」での出来事と恐怖を克服したら、最初にこの人に何かしてあげたい。今すぐではないかもしれない。でも、もしあたしが目的を果たして、それでもこの時代に生きていたら。あたしはこの人に、幸せを届けたい。
空野 歌撫の決意は、「人として生きる」覚悟。彼女は第一歩を踏み出す。
自らの意思を伝えることに恐怖する少女は、恐怖を乗り越え、少女へ伝える。
「今度から、お姉ちゃんって呼んでもいいですか!」
彼女は第一歩を踏み出した。
その一歩目を辛うじて踏み外さなかったのは、浅海 奏が「お姉ちゃん」と呼ばれることを気にしなかったおかげに、他ならない。
小さな豆知識2
空野 歌撫は泳ぐことが出来ない
……が、浮くのでほとんど溺れない