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17話「10月7日、水曜日」



小さな豆知識その35


白澤 美海に出来ること。彼女なりの答えの1つは、「いつも通りでいること」





 




「大体、カナちゃんは悩みすぎなんだよ!」

「……そうは言うけれどね、美海みうみ

「クーちゃんとちゃんと話して、それで決めるんでしょ!?」

「……ええ」

「それで!?それはいつ話すの!?」

「それは……まだ……」

「遅い!遅いよ!もう今日ね!今日!お店予約しといてあげるから!」


 朝5時。美海に起こされた私は、そのまま自室で怒られていた。それはもう、怒られていた。原因は今の会話の通り、私が方針を固めたにもかかわらず、行動しないことにある。


「えっ……それはちょっと急じゃ……」

「もー!決めたんならさっさと行動しないと!うだうだうだうだ!男子か!」


 ……それはさすがに、セクシャルハラスメントではないかしら。危険発言なので、秘書になってからは絶対に言わないでもらえるよう、祈るしかない。


「……最近のカナちゃんは、また怖がってるよ」

「…………」


 否定しない。けれど、今回は空ちゃんとの関係どころか、あの子の存在自体に関わること。怖がるなと言う方が無理な話だ。


「カナちゃんの言いたいことも、怖くなる理由も解ってる。……でもね、今、何もしなかったら、きっとカナちゃんはすごく後悔する」


 それも解ってる。おそらく、私がどう行動したかなんて関係なく、未来から来ている空ちゃんはいなくなってしまう。なんとなくだけれど、そう思う。……だから私は、動くしかない。前に、進むしかない。


 美海はいつもと変わらない、溌剌はつらつとしたよく通る声で私に告げる。


「だから!今日の放課後、クーちゃんときちんと話してくること!場所はお昼までにメールいれとくから!」


 私のために気を張っていつも通りを装っているのが、私には解った。






 だから今、私は「あの」喫茶店に来ている。春先に訪れた、隠れ家のような喫茶店。あの時は、鹿野かの君とさかいけられていたのよね。


「ここに来るの、久しぶりな気がする」


 空ちゃんは貸切状態の店内を見ながら呟いた。美海は完全に貸切にしたらしく、2時間ほど私達以外の客は入れない。……予約って言っていたのに、力押しにも程がある。


「あの席でいいかしら」


 私は以前2人で来た時に選んだ、テラス席を指す。空ちゃんもそれを了承し、私達は外へ出た。人が他にいないせいですぐに注文を取りに来た店主に、私はコーヒーを、空ちゃんはアイスティーを頼んだ。


 乾いた風に揺れる木々の色が、もうすっかり秋であることを示している。


「お姉ちゃん。あのこと、なんだよね」

「鋭くなったわね」

「うん……あたしも考えてたもん」

「空ちゃんがしっかり者になったら、私は悲しいわ」

「どうして!?」


 逃げのための軽い冗談を交えたところで、私は本題に入る。


「貴女はどう考えているの?空野そらの 幸人ゆきとのこと。彼の研究のことを」

「あの人は……あたしの本当のお父さん、なんだよね。見たことなかったけど……」

「なかったの?」


 そういえば、写真を見せた時も知らないと言っていたような気がする。空ちゃんは、答えに少し詰まった。


「見たことはない、と思うんだけど……見たことがあるような気もするんだ……」

「どういうこと?」

「普段はいないけど、たまに様子を見に来る男の人がいたの。その人があんな感じ……そう、若くしたらあんな感じかなって」


 17年も経っていれば、見た目が変わっていて当然。現代での写真を見せてもピンと来ないのは当たり前だった。


「それでね?考えたんだけど……やっぱりあたしは生まれてこなくていいかな、って」

「どうしてよ!」


 私はつい、テーブルを叩いて立ち上がった。しかし、ビクッと震える空ちゃんを見て静かに座り直す。


「……ごめんなさい」

「ううん。平気。……あのね、あたしは元々、あたし自身が助かりたかったからあたしの生まれた場所を探してたの」

「ええ。ちゃんと覚えてるわ」

「じゃあ、あたしが生まれてこなければ、あたしは辛い目に遭わなくて済む。悲観とか諦めじゃないの。きちんと考えて、それがいいと思ったの」


 悲観的な考え方だとは思う。けれど、まだ知らない情報を知ったなら……今いる空ちゃんは、もう3ヶ月もしない内に消えてしまうと知ったなら、また考え方が変わるのだろうか。


「だから、あたしは研究は中断してほしい。……お姉ちゃんは、どう思う?」


 テラス席だから、盗み聞きしようと思えば出来る。けれど、こんな話を聞いたところで簡単に信じるような人はいない。だから私は声を抑えることなく、自分の考えを伝える。


「私は……貴女が幸せならそれでいいわ」


 それは、どっちつかずな私の矛盾した想い。そこにある、ただ一つの共通点。


 空ちゃんを失いたくないのは、私が彼女を幸せにしてあげたいから。空ちゃんの考えを尊重したいのは、それが彼女の思う幸せに繋がると考えたから。


「今ここにいる貴女は……消えてしまう。12月24日に。……そう、『世界』から言われたわ」


 私は、空ちゃんが幸せなら構わない。けれど、空ちゃんがいなくなるなら、話は少し違ってくる。この先時間をかけて、彼女を幸せにしてあげることは出来ないのだから。


「貴女は……幸せなの?今、ここにいる貴女は、幸せだと言えるの?」

「幸せだよ」


 空ちゃんは、即答した。迷いのない瞳で、私を射抜きながら。前にここに来た時は、誰かと目を合わせることも辛そうだったのに。


「お姉ちゃんと出会って、心の傷も少しずつ癒してもらって、しかも恋人にもしてもらった。これ以上は何もいらないよ」

「そんな……それだけで幸せなはずないわ」


 私は心臓を掻き立てられるようだった。そんなちっぽけなことが幸せで、それだけで死んでもいいなんて、あまりに不憫ふびんじゃない。


 けれど、空ちゃんは優しく笑う。


「お姉ちゃんとあたしはね、対極なんだよ」

「対極?」

「うん。お姉ちゃんはお金持ちの家に生まれて、美人で、頭もよくて、友達もたくさんいて、信頼も厚くて、同性と恋人でも責めるような人も周りにはいなくて……なんでも持ってる」


 私は、幸せだ。一般的な「幸せ」の要素はほとんど全て持っている。個人的な幸せも、空ちゃんという恋人がいることで満たされている。不自由など何一つなく、困ることなど何一つなく、私は今まで生きてきた。


「あたしは、何も持ってなかった。私の中では、つい去年までは、心も身体もひたすら傷つけられてた。だからね、お姉ちゃんが私を少しでも愛してくれたこと、もう死んでも悔いが残らないほど幸せなんだよ」

「空ちゃん……」

「お姉ちゃんは、あたしといたら幸せ?」


 空ちゃんは、いたずらっ子のようなあどけない笑みで問いかけてくる。


「ええ」

「あたしのこと、好き?」

「愛してるわ」

「……それだけで、あたしは十分。あたしなんかには、もったいないくらいだよ」


 私は気付いた。この子は、私と同じ幸せを持っている。私は空ちゃんといることが。空ちゃんは私といることが幸せなのだと。


 私は、空ちゃんがいてくれることをちっぽけな幸せとは思わない。とても大きな、代わりの利かない幸せだ。空ちゃんも、そういうことなのだ。


 空ちゃんはいつしか、寂しげな笑顔になっている。


「あと3ヶ月しかお姉ちゃんと一緒にいられないのは、残念だけど、ね」

「……っ!」


 この子も……いいえ、この子は自分のことだからこそわかっている。自分が消えてしまうことを。


「元々、精神ありきの不安定な身体だったんだと思う。だから、いつか来るとは思ってたの」

「そ、らちゃん……貴女、は……っ……」

「もう。泣かないで、お姉ちゃん」


 空ちゃんはハンカチを私に差し出す。いつかとは、逆のようだった。


「消えてしまったら、貴女は……」

「天国、なのかな?そこまではわからないけど……」


 止めることは、出来ないのだろうか。この空ちゃんがずっとこの時代を生きていくことは、出来ないのだろうか。


 空野 幸人の研究も止めなくていい。空ちゃんも消えることがない。それが、一番の理想。


「どうして……?どうして貴女は……もう散々不運に見舞われたじゃない!どうして……っ!」

「……仕方ないよ。それが、あたしの人生だったんだもん」


 空ちゃんは、自分が消えてしまうことを受け入れている。けれど、残される私達からは、彼女の記憶も一緒に消えてしまう。彼女は……誰からも忘れられることで、本当の意味で死を迎えてしまう。


「お姉ちゃん」


 空ちゃんは、やはり笑顔のままだ。寂しげだけれど、哀しさも含んでいるけれど、それでもやっぱり、笑みだ。


「だからね、クリスマスイブまで、あたしとたくさん一緒にいてくれる?」

「ええ……ええ、もちろんよ」

「それから、もしあの人があたしを造ってしまったら……お姉ちゃんの元に置いてほしいな」

「……必ず、必ずそうするわ」


 私には、それくらいのことしか出来ない。けれど、空ちゃんに幸せを分けてあげることは出来るのだから。私は、乱暴に涙を拭う。もう、泣かない。


「空ちゃん……幸せになりましょう。一緒に」

「お姉ちゃん……幸せになろうね。一緒に」


 私達は言葉で誓い、店主や通行人の目も気にせず、唇でも誓いを交わす。残された時間が、永遠の愛よりも永遠となるように。






小さな豆知識その36


「もしもし美海?お店、ありがとう」

『ちゃんと話せた?』

「ええ。話はまとまったわ。それで、今週の金曜だけれど」

『もしかして、クーちゃん呼ぶの?』

「ええ、「する」から」

『……ねえ、カナちゃん』

「なにかしら」

『……お願いだから家でしないで、ホテル行ってよ』




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