16話「9月29日、火曜日」
今回、書いていく内に長くなってしまいました。9000文字ほどありますので、お忙しい方はご注意を。
私は独り、自室で膝を抱えていた。3日前に空野 幸人に会ってから、私はまだ答えを出せずにいた。
空ちゃんの望む通り、あの研究は中止させるべきなのか。
中止させたとして、空ちゃんは一体どうなってしまうのか。
それに、何もしなくても、結局12月24日に空ちゃんは私の元から、この世界からいなくなってしまうのではないか。
そのどちらも私は嫌。あの子を放したくなんてない。
けれど……どうしたら。
どうしたらあの子を幸せに出来るの?どうしたら私はあの子と生を共に出来るの?
独りで考えても、答えなんて出るはずがない。解っているのに考えることが止められなくて、私は無為に時間を費やしていた。
空ちゃんとはこの話はまだしていない。……怖いから。
空ちゃんが、研究を中止させることを望む。それが怖い。そこに、彼女が消えてしまう理由もあるのかもしれない。それも怖い。
私と空ちゃんが添い遂げる方法なんて無いのだと、そんな結論になってしまうことが怖い。
だから、私は話せていない。空ちゃんもこの話題に触れようとはするものの、私がやんわりと拒否するのを感じてか、この話をするのをやめた。
私は逃げてるだけ。それは解っている。けれど私はどうしたらいいの。どうしたら……よかったの。
(……また、こんな悩み方をするのね……私は)
嫌なことを考えていたせいか、嫌な記憶が浮上する。あれは中学2年の時のことで、私が、私だけは絶対に忘れてはいけないこと。
当時から私は、相談を持ちかけられることが多かった。大人の機嫌の取り方も知っていたし、子どもの気持ちも当然解る。加えて、生来おとなしい、と言うよりは落ち着いた性格だったこともあり、中学生の目には大人っぽく映ったのだろう。
私も、今でこそ相談を受けることはあまり好きではないけれど、当時は色んな子の話を聞くことが嫌ではなかった。それぞれ違った経験をしていて、違った悩みがある。子どもなりに考えていることを聞いていると、自分とは違う価値観や考え方に気付かされて、見識が、世界が、どんどん広がっていくような気がした。
ある日……ひぐらしがやたらとうるさかった、ある夏の日。1人の女の子からの相談があった。その子は瀧 蘭花という名前で、同じ学年の別のクラスの子だった。
背は特別低くないのだけれど、細身な身体、声の小ささ、控えめな性格から、儚げな印象を与える少女。……今では少しだけ、空ちゃんと重なる。
「あの……相談したいこと……あるんです……」
「今なら空いてるからどうぞ」
放課後の教室だった。学生なのだから、特別珍しくもない。
「…………」
「……?どうしたの?」
「あっ!いえ、ごめんなさい……」
蘭花ちゃんは自分から来たにも拘わらず、名乗っただけで、本題を話し出すことをしなかった。当時の私には全くその行動原理が理解できず、悪戯かとも思い、苛立ちながら言葉を発したのを覚えている。
「用が無いなら私は帰るわ」
「待って!……待って……ください……」
「なら早く言いなさい」
蘭花ちゃんは、隠しておくべきか、それとも誰かに話すべきか悩んでいたことを、勇気を振り絞って話しに来た。その相手に、ほとんど見ず知らずの私を選んでくれたのだ。
当時の私にそれは解らず、「相談したいなんて言えるんだから、その先もさっさと言えるはず」という認識だった。それが、私の知る「一般的な感覚」だったから。
蘭花ちゃんは焦りを色濃く表情に乗せ、慌てながら話そうとする。
「えっと、信じてもらえるか、解らないですし、あの、勝手なことだって言うのは解るんですけど、その」
「信じる信じないは私が決めることでしょう。話を聞かないことには何も始まらないわ」
「っ!ごめんなさい!ごめんなさいっ!」
「謝罪はいいから早くして頂戴」
私の中で彼女の第一印象が悪かっただけに、私もぶっきらぼうで意地の悪い言い方をしていた。蘭花ちゃんが、そんな私を「怖い」と感じていることにも気付かなかった。だから、蘭花ちゃんが「浅海 奏で最後にしよう」と、だからこそ怖い印象を持ってももう少し頑張って話そうと、そう考えていることにも気付かなかった。
「あの……わたし、クラスでイジメに遭ってて……」
蘭花ちゃんが言うには、クラスの女子にイジメを受けており、親や教師に相談したらもっと酷くなるから言い出せない。けれど、どうしたらいいか解らない。どうしたらいいのか、教えてほしい。そういうことだった。
正直、管轄外の話だ。私一人でどうにかできる話ではないし、大人に言うように促すのが最善だと私は考えた。
「話は大体解ったわ。でも私には無理よ、大人に相談して」
「…………」
蘭花ちゃんは悲しげに目を伏せた。その顔に、私は「ちょっと突き放しすぎたかしら」と、見当違いなことを思った。
「少し、言い過ぎたわ。そうはいかないから私の所へ来たのよね」
「……はぃ……」
イジメに遭ったと大人に相談すると、さらに悪質なイジメに遭う。話としてはよく聞く部類だ。
(だからと言って、相談する相手が子どもならいいという話でもないと思うけど)
中学生の私では、自分の理解の範囲外のことを「特別な事情でもあるのではないか」と考えることは難しく、相手が特別な心境にあるということも忘れがちだった。
相手が心に傷を負った怪我人であることを考慮できない。相手も、それを隠すから。大きな傷であればあるほど、気丈に振る舞うから。……見抜くのは、容易ではなかった。
「そうね……まずは現状を教えて頂戴」
「現状、ですか?」
「加害者は何人くらいなのかとか、どんな嫌がらせをされたのかとか、いつからなのかとか、そういうことよ」
「はい、えっと……」
蘭花ちゃんは要領を得ない話し方で少しずつ説明してくれた。
学年が変わってすぐ、クラスの女子になんとなく序列が出来ていたこと。どんくさくて気付くことが出来ず、気が付いた時には孤立するような形になっていたこと。男子にはそういうのはないが、女子のそういう雰囲気を感じ取って蘭花ちゃんには話しかけてこないこと。等々。
私はそれらを聞きながらあれこれ考えたものの、やはり私ではどうしようもない。出来ることといえば、孤立している彼女の友達になってあげることくらいだ。
「やっぱり、解決するには大人に相談するしかないと思うわ」
「そう、ですよね……」
「……学校に来るのは、辛い?」
蘭花ちゃんは目を泳がせて、少し答えに迷った。
「……つらいです」
「ならせめて……私に会いに来てくれないかしら」
「それって、どういう……?」
「クラスに友達がいないなら、私と友達になりましょう。……イヤ、かしら?」
……思い返してみると、空ちゃんと私の初対面も、関係が始まったのもこんな形だった。まるで繰り返しているように。
私のその提案に、蘭花ちゃんはその日初めての笑顔を見せた。今でも鮮明に思い出せる。桜が花開く瞬間のような、美しさの中にも可愛いげのある笑顔。
「はい……!よろしくお願いします……!」
それから私達はよく一緒に過ごした。相変わらず蘭花ちゃんはクラスでは陰湿なイジメを受けていたようだし、保健室への登校も少なくなかったようだけれど、私がいるからと学校には来てくれていた。
そして、校内で私の姿を見付けた蘭花ちゃんは、あの笑顔を咲かせて駆け寄ってくる。同い年だというのに丁寧語が抜けることはなく、可愛い妹が出来たような気分だった。
蘭花ちゃんと会う度、私の中では「イジメをなんとかしなきゃ」という気持ちが強くなっていった。
3週間ほど経ったある日、私はこんな話を蘭花ちゃんとした。放課後、通学路の途中にある公園で、2人並んでブランコに座りながら。
「ねえ、蘭花ちゃん」
「なんですか?」
「そろそろ、イジメのことを先生やご両親に言うべきだと思うの」
「えっ……」
蘭花ちゃんは困ったような顔をした。今まで漫然と過ごしてきただけに、突然シビアな話をされて戸惑ったことだろう。
「で、でも……怖いです……」
「大人だもの、必ずなんとかしてくれるわよ。それに、私も一緒にいてあげるから。ね?」
「…………」
ブランコのチェーンの軋む音が、遊ぶ者もいない公園に虚ろに響く。
「私は、貴女を助けたいのよ。きっと、クラスの子達も心の底から貴女を憎んでそういうことをしているんじゃないわ」
「…………はい……」
「解ってくれるわ。だから、ね?」
蘭花ちゃんは俯いて、ブランコを前後にゆらゆらと遊ばせた。その目には悲しみが映し出されていたけれど、私は「きっと蘭花ちゃんは私の言っていることを解ってくれる」としか考えていなかった。
自分勝手だ。本当に辛いのは蘭花ちゃんなのに、私は彼女の気持ちも考えずに他人事として外側からそれを見ているだけなのに、下らない正義や倫理を振りかざして、彼女を追い詰めている。
正しい行いをしているつもりで……いえ、世間的にはきっと間違ったことは言っていないでしょう。けれど、それが「蘭花ちゃんにとって正しいか」は、また別の話で。
「奏さん……もう少しだけ、待ってください。わたし、きっと自分で言いますから……」
「そういうなら待つけれど……」
「お願いします……!約束、ですからね……?」
「ええ。なんなら指切りでもしましょうか」
その時は、彼女の言うことを信じて待つことにした。互いの小指を絡めて、約束を違えないことを示して。気持ちの整理もあるのだろう。そんなことを思いながら。
けれど、それからさらに2週間が経っても、私達の関係は変わることがなく、イジメのことが大人の耳に入ることもなかった。
もうすぐ夏休みになる。だというのに、いつまでも相談しないでどうするつもりなのか。私は蘭花ちゃんを友達として好きだったけれど、その一点に関しては苛立ちを覚えていた。
もうあと1週間で夏休みだという頃、私は職員室に呼び出された。相手は、蘭花ちゃんのクラスの担任教師だった。若い男性で、確か担任を持つのは初めてだと言っていた。
「なんでしょうか」
「おお、来たか。すまない。君が何か悪いことをしたとかじゃなくて、瀧のことでちょっと」
「はい」
「あの子はちょっと内気で、クラスにも馴染めてないみたいなんだが、君とは仲良くしてると聞いてな」
これだけ聞けば、話の骨子は大体把握できた。要するに、蘭花ちゃんをクラスの子と仲良くさせたいのだろう。
……魔が差した。
蘭花ちゃんを助けてあげたいと思う気持ち。なかなか話し出さない蘭花ちゃんへの苛立ち。それらが、今ここで私が言ってしまえばいいのではないかという発想を生む。
いい機会。このままあの子を待っていても埒が明かない。それに、彼女もきちんと話すと言ったのだから、私が言ったとしても同じこと。
あの子のためだから。
間違ったことはしていない。
あの子もきっと、解ってくれる。
私は。
間違ってないなんて、必要ないはずの言い訳を自分にして。
彼女が自分で言うまで待つという、蘭花ちゃんとの約束を破ったのだ。
「実は……瀧さんは、クラスでイジメに遭っているようなんです」
「なんだって?」
私は、蘭花ちゃんから聞いていた話を全て彼女の担任に話した。
事態の終息が来るのは、それからすぐだった。
あっという間に職員会議が開かれ、さらに彼女のクラスでのクラス会議によって蘭花ちゃんのクラスの女子が非を認めたことにより、イジメ問題は明るみに出て、加害者の親や当人から蘭花ちゃんへの謝罪もあったらしい。
やっぱりあの時さっさと話しておいてよかった。私はそう思った。
その後、夏休みに入ってすぐ、私は蘭花ちゃんに電話をかけた。経過を聞きたかったのと、問題が解決したからといっても友達であることが無くなるわけじゃないのだから、一緒に遊びに行こうと思ったのだ。
『……奏さん?』
「蘭花ちゃん。元気かしら」
『……はい』
電話を通すと、蘭花ちゃんはさらに声が聞き取りにくい。そんなタイプだった。
「その後どうかしら。逆上した女子に何かされたりは……」
『してないですよ。本当です』
「そう。それならよかったわ。ね?大丈夫だったでしょう?」
『あはは……わたしは何を悩んでたんだろう、ってくらいあっさりしてましたね』
私は少し高揚していた。今回のことも私が解決したようなものだ。達成感のような何かを感じている。こういうのは男性が好きなのだと思っていたのだけれど。
『あの、奏さん』
「なにかしら」
『どうして……待っててくれなかったんですか……?』
「えっ?……ああ、勝手に話してしまったこと?貴女の担任に呼ばれる機会があって、ちょうどいいと思ったから」
蘭花ちゃんの声は、電話口からではなんと言っているのか聞き取るのがやっとで、感情が読み取れない。
『わたし……自分で言おうと思ってたんですよ?』
「それはそうだけれど、貴女全然言い出す気配が無かったじゃない」
『それは、そうですけど……』
蘭花ちゃんの道理の通らない子どもっぽい主張に、私はイラッとした。叱られて「今からやるとこだったのに」と拗ねる小さな子どものようだと感じられたから。
けれど、蘭花ちゃんは珍しく折れなかった。
『でも、約束もしましたし……』
「……けれど、ちゃんと解決したじゃない」
『そう、ですけど……』
蘭花ちゃんの話し方は元々要領を得なかったけれど、今回は特に解らない。過ぎたことで、しかも良い方に転がったのに、一体何が気に入らないのか。
「何が気に入らなかったのかしら。はっきり言ってくれないと解らないわ」
『気に入らないとか!そういうんじゃ、ないんですけど……』
「けど?」
『いえ、その……』
それきり、蘭花ちゃんは黙ってしまった。もしかしたら何か言おうとしていたのかもしれないけれど、電話の向こうは見えないのだからそんなものは解らなかった。
「まあ、いいわ。私も貴女が可哀想だと思っただけだもの。……それより、今度一緒に遊びに行かない?」
『…………』
「……もしもし?もしもーし?」
聞こえてないのだろうか。電話口からは何も聞こえてこない。何度か呼びかけるものの、反応が無かった。そして、突然電話は切れてしまった。
「調子が悪いのかしら」
こちらか向こうの電話の不調だろうと予想して、深くは考えなかった。また後日かけ直そう。夏休みは始まったばかりなのだから、時間はたくさんある。美海が今年も海に行くと言うだろうし、今年は蘭花ちゃんも連れていくのがいいかもしれない。
「カナちゃーん、お客さん来てるよー」
事故で両親を亡くして以来、私と一緒に住んでいる美海から呼ばれる。数日経ったし、蘭花ちゃんにもそろそろまた電話をかけようかと思っていた頃だ。
「はい……どちら様でしょうか」
「……瀧 蘭花の母です」
玄関先にいたのは、蘭花ちゃんの母親だった。……蝉の合唱が、やたらと耳についた。
「本日はどのようなご用件ですか?あっ、失礼しました。どうぞ上がってください」
「いいえ、ここで大丈夫です。あなたに、これを……」
「これは?」
ノート?それは、ポップな絵柄の可愛らしいヒマワリが描かれたノートだった。蘭花ちゃんの母親は、意図的に無表情でいるかのような能面を保っている。
「蘭花の、日記です。最後のページに、「奏さんへ」と書かれていて……あなただと伺ったものですから」
「わざわざ届けて頂いて、ありがとうございます。……あの、蘭花ちゃんは?」
私は軽い気持ちで訊いた。夏風邪でも引いたのか。遊びすぎて疲れからかもしれない。やっぱり電話が壊れたから手紙でも書いたのかしら。
「蘭花は、天国へ旅立ちました。……自殺でした」
…………?
言っている意味が、解らなかった。自殺?っていうのは、自ら命を絶つことで……蘭花ちゃんが?え……?
目の前に立つ彼女の母親は、やはり表情を消していた。今にして思えば、私に気を遣ってくれていたのだと思う。声も淡々と、出来るだけ抑揚を付けずに話してくれた。
「あの子が、イジメに遭っているというのは本人から聞いていました。けれど、私と主人は「子どものじゃれ合い」だと思って、甘く見ていたんです」
「…………」
まだ、整理がつかない。なんで、なんであの子が死ななくてはならないの?なんで?
「でも、あなたが蘭花の悩みに親身になってくれて、イジメを解決してくれて……ここ1ヶ月くらい、あの子はあなたの話ばかりを楽しそうにしてました。……本当にありがとうございます」
「ぇ…………ぁ……?」
深く頭を下げられても、全く理解が追い付かない。たのし、そうに?じゃあ、なんで?なんで死んでしまったの?
「葬儀は、あの子がイジメに遭っていたことを考えて、親族だけで執り行うことにしました。……あなただけは、お呼びしたかったんですが……」
「ら、蘭花ちゃんは……まだ、イジメに……?」
喉が渇く。ようやく発することが出来た声も掠れていた。頭の中では、蘭花ちゃんとの会話や、彼女の見せた表情がぐるぐると繰り返される。
「いいえ。イジメをしていた子達も、夏休みになってからわざわざ謝りに来てくれました。誰に言われるでもなく、自分達の考えで」
「じ、じゃあ、なんで……?」
「それは……私達にも解りません……ごめんなさい、この辺で失礼させてください……」
蘭花ちゃんの母親も限界だったのか、涙声になっていた。私はまだ何がなんだかよく解らないまま彼女と別れ、自室へ戻った。
(なんで……?だって、もう彼女を苦しめる者はいなくて、これから楽しく過ごせそうだった。なのになんで?)
解らない。蘭花ちゃんの気持ちが。無意識に、日記を握りしめる。……そうだ、日記。
私は夢中で日記を開いた。
そこには今年4月からの日々の出来事が綴られていた。とはいっても、すぐにイジメが始まったようで、1ページを埋めるほど書かれていたのは最初の数日だけ。あとは1、2行だった。
それが、ある夏の日……。彼女が私の元に相談に来た日から徐々に文字数が増えていた。
内容もネガティブなものではなく、「奏さんと遊んだ」とか「奏さんは落ち着いてて、かっこよくて、あんな人になりたい」とか、私のことばかりが書かれていた。
途中で白紙になる。彼女が、死んでしまったから。……その、蘭花ちゃんが過ごせるはずだった、蘭花ちゃんが捨ててしまった真っ白な日々を1枚ずつめくり、最後のページに辿り着く。
そこには、彼女から私へのメッセージが……最後の言葉が遺されていた。
奏さんへ
わたしは、幸せでした。
奏さんと過ごす時間は楽しくて、わたしの中でキラキラしています。
わたし、奏さんを信じてました。初めて会った時は、ちょっと怖い人なのかも、って思ったんですけど……。
でも、話してみて、お友達になってくれて……2年生になってから、わたしと友達になってくれる人なんていなかったから、嬉しかったんです。
それからの日々は楽しかったです。奏さんさえいてくれれば、わたしはそれでよかった。
楽しい日々をくれて、ありがとうございました。
でも、ごめんなさい。
わたしは、奏さんに信じてもらえないような、ダメな子です。
なのに、悪いのはわたしなのに、奏さんにヤツアタリしちゃうような、イヤな子です。
なのに、奏さんが電話をくれたあの日、わたしは、勝手に悲しくなって。
奏さんが、わたしを突き放したような感覚で。……そんなわけ、ないのに。
何言ってるか、わからないですよね。ごめんなさい。
わたしの身勝手で、奏さんに迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
さよなら。
「信じて……もらえない……?」
私が読み終える頃には、そのページには涙の跡がいくつもついてしまっていた。そんなものもお構いなしに、私は独り、部屋で泣いた。
思い浮かぶ、電話口での蘭花ちゃんの奇妙な態度。
『どうして……待っててくれなかったんですか……?』
『気に入らないとか!そういうんじゃ、ないんですけど……』
わたしは、奏さんに信じてもらえないような、ダメな子です。
「わた、しが…………信じてあげなかっ、た……から……?」
私は、公園での彼女の「自分できちんと言います」という言葉を、信じなかった。このままでは、いつまでも言わないと思い込んだ。
あの時蘭花ちゃんが、どうしてわざわざ「約束」までさせたのか。考えもせず。
「蘭花、ちゃんは……」
いい機会だとか、彼女のためだとか、言い訳をしながら。
「イジメ、なんかより……」
彼女を裏切った。
「わ、たし……私は……!」
蘭花ちゃんにとっては、イジメを止めてもらうことなんかより、私とした小さな小さな約束の方が大事で。
「私が……私のせいで……!」
それを、イジメを止めることの方が大事だなんて考えて、彼女がどれほど私との関係を大事に想ってくれていたか、気付こうともしなかった。
「あ、あぁ……!」
蘭花ちゃんは、電話の向こうで、どんな顔をしていたのだろう。『でも、約束もしましたし……』って。きっと、私になら伝わるのではないか、そんな希望があったからそう言ったのだ。
「っく…………ぁああ……!」
それに私は、なんて答えた?「……けれど、ちゃんと解決したじゃない」と。約束を違えたことに後ろめたさを感じていたくせに、自分の行いを正当化しようとした。
「ぅあ……ああぁぁぁ……!」
今でもそんなことで命を絶ってしまうような蘭花ちゃんの価値観は解らない。はっきりと言ってくれれば、私は今後配慮した……そうしたかった。
冷静なもう一人の私が、「おかしいのは蘭花ちゃんで、私は普通に考えて正しかった」と、そう言ってくる。でも。
「ごめんなさい……!ごめんなさい……!」
でも。いくら私の選択が道徳的に、倫理的に、常識的に正しかったとしても。
「ぅああぁあぁぁ…………!蘭花ちゃん!ああぁぁぁ…………!」
蘭花ちゃんは、もう帰って来ない。
私の、せいだ。
でも、自分を責めたって。
もう、帰って来ない。
「…………はぁ」
溜め息。鮮烈に焼き付いている、嫌な記憶だ。
あれから5年経った今でも、蘭花ちゃんが自殺してしまうほどのことだったのか、解らない。
心が弱いだとか、そんな意見も少なくないだろう。一般的に言っても、私に非はほとんどないと思う。イジメ問題は、早急に大人の力を借りるべきだと。
あの後、私が大声で泣くものだから、それに気付いた美海に慰められたりしたことも覚えている。
私のせいだ。そういう風に、美海にも、蘭花ちゃんのご両親にも、彼女の担任教師にも、色んな人に話した。誰もが「君は悪くない。最善を尽くしてくれたと思う」と、そう言った。彼女のご両親には、お礼まで言われてしまった。
責めて欲しかった。誰かに思い切り罵倒して欲しかった。そうでないと、気持ちが押し潰されそうで。
けれど、世界が私に罰を与えるかのように、人々が私を責めることはなかった。
「今夜は、美海も来てはくれないのね……」
毎夜私の部屋に遊びに来る美海も、今夜だけは来なかった。
「私は、どうしたら繰り返さないのよ……」
独りの夜が、更けていく。




